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2015年5 月19日 (火)

島国ニッポンにおける「独立構想」の系譜 このエントリーをはてなブックマークに追加


日本という社会が抱えている閉塞感とは何か。領土を海で覆われた島国で、言語も通貨も国内限定流通するのみ。この国に生まれた人間の多くは、この国で生活し、子を産み、育て、そして死んでいく。

歴史を見ると、幾度も政治体制の変化を経てきたし、他国からの占領も経験したが、江戸の将軍も明治政府もGHQの占領もすべて、天皇というシステムを利用してこの国の統治を行ってきた。日本列島が一つの国としてイメージされるようになったのは、ごく近代のこととはいえ、まるで長きにわたって神の国が維持されてきたようなイメージさえ共有されている。

表面的には、極めて変化に乏しい国なのだ。人々は、むしろ変化に気づかないふりをすることに長けている。一例を挙げると、「敗戦」が「終戦」に書き換えられるのが典型的だ。変化を覆い隠す技術が磨かれてきたのだ。

一方で、この国では、幕末を舞台にした小説やドラマに人気が集まる。国の体制が、若い志士たちの力で変化する。そんなロマンに溢れた時代変革期に、活躍した坂本龍馬や木戸孝允といった人物たちは、とても人気がある。ただし、彼らを愛してやまないのは、もっとも変化を恐れる中高齢のビジネスマンたちである。彼らは、この国で最も変化を望まない人々である。

そんな変化に対するジレンマにあふれたこの国だからこそ、「日本からの独立」というモチーフを描いたフィクション群が、いつの時代にも存在するのかもしれない。この論考では、そうした「日本からの独立」物語の代表的なものを、簡単な分類とともに紹介しながら、「この国で独立を考えること」について考えてみたい。

■吉里吉里人と新左翼のその後

日本からの独立をモチーフにした小説でもっともよく知られているのは、1981年にベストセラーとなった井上ひさしの『吉里吉里人』である。

岩手と宮城の県境近くに位置する架空の山村「吉里吉里」が、ある時突然、独立を宣言する。彼らは4200人の国民と、公用語の「吉里吉里語」(実際にはいわゆるズーズー弁)を持っている。そして、「イエン」という独自通貨を発行し、科学立国という志を掲げている。彼らは、日本からの独立という行動を、数年の歳月をかけて計画的に準備してきたのだ。元々作物は豊富であり、農作物の自給率は100パーセント。エネルギーは、地熱発電所を擁しているため自前で賄うことができる。

この物語の舞台が東北であることには、大きな意味がある。東北は、東京を代表する都市部に食糧を提供する穀倉地帯であり、労働力の提供元だった。いわば、国内に存在する植民地と見ることができる(以後、そこに原発によるエネルギーが加えられることになる)。1970年より始まる、米の生産調整、減反政策は、その東北をないがしろにする政策だった。吉里吉里人の「日本からの独立」の背景には、そんな日本の政策転換があった。
 こうした日本からの分離独立を描く『吉里吉里人』の背景には、1970年代初頭の新左翼運動の挫折が透けて見える。

日本の新左翼運動が退潮する瞬間とされるのは、1972年のあさま山荘事件とその後の山岳ベース連続リンチ事件の発覚だった。連合赤軍の連中の一連の行動は、自らを兵士として鍛え(それ自体を彼らは「自らを共産主義化する」と呼んだ)、銃を使って政治体制の変更しようとしたが、その路線は完全に道を閉ざされた。
 その後、武力革命を強硬する路線を捨てた新左翼の運動家たちは、有機農法や消費者運動などを用いて、新しいコミュニティの実践に乗り出していく。このような新左翼運動の論戦変更、強行革命路線から自主独立への方向転換。これに、東北の歴史とアイデンティティという要素を重ね合わせたものが『吉里吉里人』なのである。

■独立国に軍備は必須か

連合赤軍が他の新左翼運動と大きく違ったのは、彼らが軍備を持とうとした部分だ。銃砲店を襲い、ライフルや弾丸を奪った彼らは、最終的に追い詰められたあさま山荘にて、警官隊との銃撃戦を繰り広げるに至る。一方、独自通貨から公用語、独自エネルギーまで兼ね備えた吉里吉里国だが、軍備となるととたんに心許ないものになる。吉里吉里国の陸空の防衛に当たるのは「吉里吉里防衛同好会」という頼りない名前の組織でしかなかった。それでも、軍備は独立国家に不可欠なものなのである。

軍事史家のマーチン・ファン・クレフェルトが1991年に刊行した『戦争の変遷』(日本版刊行は2011年)は、国家同士が、政府が使う軍隊同士で戦うような、「大規模な通常戦争ーー今日の主要な軍事国家が戦争と認識する戦争ーーは確かに消滅しつつあるのかもしれない」ということを前提として、新しい時代の戦争の在り方を示した。1991年は、湾岸戦争勃発の年だ。精密誘導ミサイルなどの新しいテクノロジーが登場し、「軍備」の意味する中身も様変わりしつつあった時代でもある。

冷戦構造が崩壊しクレフェルトが「低強度戦争」と呼んだ正規軍同士の衝突ではない戦争の時代の始まりの時代に『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ著、1988〜1996年)の連載は始まった。これもまた「日本からの独立」を描いた漫画作品である。

日米が極秘裏に開発した原子力潜水艦「シーバット」の乗組員である海上自衛隊出身の主人公たちが反乱を起こし、潜水艦を奪取する。核弾頭を搭載したミサイルを積んだ(と思われている)原潜をひとつの国家として捉える艦長の海江田四郎は、「やまと」の独立を宣言する。

この「やまと国」は、「吉里吉里国」とは対照的な国家である。「吉里吉里国」は豊穣な食物を生み出す領土と、その土地で生まれ育った国民で構成されるが、「やまと国」は、自衛隊の潜水艦の乗組員という形で集まった人々が、領土を持たないまま独立した国家だ。農産物など食料の生産能力はゼロである。あるのは乗組員という名の国民と、原子力発電によるエネルギー、そして核ミサイルという強力な軍備である。通貨も民主選挙もない。

吉里吉里国が、寒くて生きていくのに根気を必要とする東北という場所への強い(ナショナル)アイデンティティから生まれたのと裏腹に、やまとの元首である海江田四郎は、理念をもってこの「やまと」の建国に至っている。彼の理念とは、政治と軍事を切り離し、常設軍を持つ独立した超国家組織をつくるというものである。つまり、国家から軍事力を切り離すという社会実験のために、彼は「やまと」の独立を目指したのだ。その原点には、当時の日本の政治への不信や、日本という国の軍事力に対する理解への低さなどがあったのだろう。その意味においては、本作も閉塞感から生まれた「日本からの独立」という分野に属していると言えるだろう。

■オウム真理教のめざした独立国家

この『沈黙の艦隊』の連載期間と、現実の日本においてオウム真理教が世間に注目されはじめ、地下鉄サリン事件を首謀したことによって壊滅に追い込まれていく時期は、ほぼ重なっている。世界が、正規軍とテロリストが戦う「非対称戦争」の時代になっていった1990年代、日本も国内でもテロリズムとの戦いに巻き込まれていく。

1990年に大勢の信者を衆院選に送り込んで惨敗を喫したカルト宗教団体のオウム真理教は、選挙を経ての政治への参入という手法を諦め、方策の転換を図る。彼らも閉塞した「日本からの独立」という手法を模索し始めたのだ。

オウム真理教は、反近代、反資本主義的な信仰を打ち出しながらも、建国に当たっては、技術主導、資本主義での立国を進める。具体的には、科学力を持って毒ガス兵器の生成を行い、パソコンショップ、ラーメン店、カレー店の経営で資本を集めた。そして、彼らが独立国を開国しようとしたのは、山梨県上九一色村である。自らの組織の在り方も、日本の官僚組織を真似た省庁制として編成したことからも、もうひとつの「日本」を作ろうと考えていたのは明かだ。

疑似独立国「オウム」において国民は、もちろん教団の信者のことだ。彼らは、教団が持っていた科学万能主義への批判精神、オカルト趣味といった宗教観に引きつけられて集まった人々である。だが自分たちが社会から攻撃に去らされているという被害妄想とともに結束を堅くし、自分たちが「独立国」の国民という意識を強くしていく。オウムは、サリンを持って国にテロを仕掛けるが、自分たちの軍備というほどの装備や戦闘力までは持てなかったのは幸いだった。

■中学生たちによるヴァーチャルな独立国

村上龍は、『愛と幻想のファシズム』『希望の国のエキソダス』の二作で「日本からの独立」を小説で描いた。ちなみに、どちらも北海道での独立というモチーフを用いている。

この両作は、閉塞した日本社会の内部から変革しようとする人間が登場し、「日本からの独立」を実験として試みるというものだが、前者のアイデアの発展型として後者の作品が生まれているという関係にある。従って北海道独立をより具体的に描いたのは、後者の方だ。

1998年に連載が始まった『希望の国のエキソダス』は、近未来を舞台に、中学生たちが集団的な登校拒否状態に陥るところから物語が始まる。中学生たちの中から「ナマムギ通信」という会員制ネットを使い、全国の中学生を組織化する勢力が現れる。
 そのグループは、国際的なニュース配信会社を中心とする組織「ASUNARO」を立ち上げ、さらに国際金融市場で資金を手にし、北海道の自治体の財政を握り、移住を始めるのだ。彼らの組織は、会社という組織体の形を取らず、縦の命令系統を持たないネットワークである。2000年前後に書かれた作品にも関わらず、すでにソーシャルネットワークの登場を予言しているところも興味深い。

ASUNAROは、「日本国からの独立」を試みるが、あくまでも「実質的な独立」に過ぎず、敵対しない。ASUNAROは、破綻自治体を事実上買い上げ、そこにネットワーク上の会員たちを移住させる。ファンドを利用して導入した風力エネルギーの基地を立ち上げ、環境や社会貢献が控除される新しい法人税の制度を導入することで、世界の先端企業を集める。電子マネーを使った地域通貨によって、グローバルな金融資本主義と距離を置くという辺りは、2000年頃の左翼系知識人の間でもてはやされたトレンドだった。より現代的なシチュエーションでの「日本国からの独立」を描こうとしたのだ。

■梅棹忠夫の「北海道独立論」と蝦夷共和国

ちなみに、村上龍が北海道独立をモチーフにした背景には、民族学者の梅棹忠夫の「北海道独立論」の存在があるはずだ。梅棹の「北海道独立論」は、北海道が日本において、独立論の舞台になるにふさわしい歴史や思想が流れていることを指摘し、実際にその機運の元で、独立に等しい時代を持っていたことを書いたものだ。そして、北海道独立は、実際に成し遂げられたものでもあった。日本の内側に一瞬だけ存在した独立国は、フィクションではなく実在するのである。

それは、明治元年戊辰戦争のおりのことだ。江戸幕府の海軍副総裁榎本武揚は、勝海舟らが江戸城を明け渡した際に、全海軍を率いて江戸を脱出する。彼らは途中、会津戦争の残留勢力と合流し、北海道函館五稜郭に到達した。榎本はここを占領し、この地に仮政府を樹立する。さらに、彼ら仮政府樹立に辺り、大統領を選出のための選挙まで行っている。榎本は150点を獲得して当選。榎本らと行動を共にした陸軍奉行並の松平太郎が120点で猛追した。この仮政府は、半年を待たずに消滅するが、当時、榎本と会見した英国公使館書記官アダムズが、「republic」という表現を用いて自著で取り上げたことから、これを「蝦夷共和国」と俗称する動きが、のちになって出てきたのだ。

■最新型の独立国、坂口恭平「ゼロセンター」

さて、ここまでは現実、フィクション両方に現れる「日本からの独立」という様々な事例、作品を取り上げてきた。この閉塞感が蔓延する国では、いつの時代でも「独立国」が夢想され、ときには実行に移されてきた。そんな「独立国」の系譜に置かれた最新型の事例に、坂口恭平の「ゼロセンター」計画がある。

2011年3月12日の福島第一原発の爆発事故直後、熊本に逃がれた坂口恭平は、2011年5月15日に「新政府」の設立を宣言し、自ら「新政府初代内閣総理大臣」に就任した。熊本市内坪井町にある築80年の一戸建てを「ゼロセンター」と名付け、建国から一ヶ月で、東日本から避難してきた人々、計100人以上を宿泊として受け入れ、約60名を移住させた。この独立国宣言は、名目はアート活動であり、主催する坂口は、建築家でありアーティストである。

だが、この「ゼロセンター」は、アートと言い切れない危うく、そしてわくわくさせてくれる絶妙なバランスに置かれているのだ。放射能への恐怖、そして日本政府への不信という部分で人が集ってきたという経緯には、一歩間違えるとカルト化しかねない危うさも秘めている。だが、現代の資本主義や消費社会の在り方を否定しきらずに、逆手に取ってみせる坂口の手法は、多くのファンを獲得している。坂口は、路上生活者の生き方をベースとした、0円を基本としたスクワッター(無断占拠者)的なライフスタイルを提唱し、現状の国家とは別レイヤーに新政府を生み出そうとしているのだ。

そして、何より多くの人々をわくわくさせるカリスマ性を、坂口は備えている。ゼロセンターには、「ソーシャルネットワーク時代の独立国物語」という社会実験的側面もあり、「もし、顔のいい麻原彰晃が存在したら」といった見方もできる。現状、この「ゼロセンター」がどのような方向に進むのかが気になる。閉塞した日本の社会の在り方に一石を投じるところまではたどり着いている。その先の姿も、ぜひ見届けてみたい。


*上記は2013年4月に刊行された「踊ってはいけない国で、踊り続けるために ---風営法問題と社会の変え方」(磯部涼・編)に寄稿したものを一部改変しました。ゼロ・センター、いまはどうなってしまったんでしょう?



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