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2013年2 月 4日 (月)

1995年に見るJポップの転機 このエントリーをはてなブックマークに追加

AKB48勢とジャニーズ勢そして、ほんの少しだけEXILE。ほぼ彼らだけでトップ20を独占した2011年(2012年もそんなだったが)のシングルチャートから、震災が起きた年という世相を見出すことは難しい。

一方、阪神淡路大震災が起きた1995年はどうだったか。いまでは信じられないが、アイドルはチャートではまったく勝てなかった時代。この時代、アイドルでも演歌でもないものがJポップと呼ばれるようになっていた。自分で詩を書けば、それすなわちアーティストという時代でもある。具体的には、ドリカムとミスチルの全盛時代である(ここでは触れないけど両者は世相を歌詞にする名人だ)。

さて、この年、地下鉄サリン事件の直後に発売されたのが、H Jungle with tの『WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント』だ。

http://youtu.be/NR4Vq3Sqv9Q


「温泉でも行こうなんて いつも話している 落ち着いたら仲間で行こうなんて♪」(作詞:小室哲哉)


神戸にはまだ仮設住宅で暮らす大勢の人々がいるにもかかわらず、温泉に行きたいとは、なんと不謹慎な歌詞か。なんて感じで、今であれば、発売延期にでもされてしまいそうな内容の歌詞だが当時のダウンタウン、小室哲哉のワーカホリックぶりには、不謹慎という批判を跳ね返すだけの説得力があった。

「でも 全然 暇にならずに時代が追いかけてくる♪」の歌詞の通り、小室哲哉、浜田雅功という、当時のJポップ、お笑いの両トップがコンビを組むという意味だけで生まれたこの歌は、年間総合2位を記録するWミリオンのヒットとなる。

■坂本龍一 VS 小室哲哉の1995年

クレイジーキャッツ、ドリフターズの時代、そして漫才ブームの折に誕生した、相方の集合体だった「うなづきトリオ」、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』から生まれた「わらべ」、一連のとんねるずのヒット曲まで。テレビのバラエティから生まれるヒット曲は、ノベルティソング(または、コミックソング)と呼ばれる。「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」の中での会話から生まれた『WOW WAR TONIGHT~』も、この系譜に含まれるものだが、これは、ノベルティソングとしては、やや特殊な存在である。ノベルティ特有の「目配せ」や「外し」、「なんちゃって感」というものが一切存在していないのだ。

ダウンタウンが同時期に活動を行っていたゲイシャ・ガールズは、松本浜田がKENとSHOという芸者に扮し、ラップする明確なノベルティソング(もしくは、はじめからそのパロディともいえる)だった。だが、売れたのは前者。ゲイシャガールズは、坂本龍一プロデュース、テイトウワ参加作品という豪華面子、話題性にかかわらず、チャート的にはたいした動きを見せなかった。

小室哲哉vs坂本龍一の対決は、ダウンタウンという存在を挟んだノベルティ対決として1995年に行われていたのだ。負けた坂本は、実はノベルティの人だ。彼の80年代の最大のヒットは『いけないルージュマジック』というノベルティソングだった。それが、ノーギミック、ノーギャグのH Jungleに完敗を喫したのだ。

■ノーギミックのノベルティーソングの時代

ノーギミックのノベルティソング。小室と浜田の2人による化学変化は、その後のJポップの世界を大きく変えてしまうことになる。
『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の中で結成された「ポケットビスケッツ」は、バラエティ発のグループ(デビュー96年4月)であるにもかかわらず、曲調も歌詞も、ギミック無しの純然Jポップ。この路線は、歌手・アーティスト志向の強かった千秋の本気度からきたものだったのだろう。もちろん、それが許されたのは、先行したH Jungleの成功モデルが大きかったのだ。

ポケビの対抗グループであるブラックビスケッツも活躍し、両グループで10枚のシングルを発売し、内4枚がミリオンセラーとなった。もちろん、売り上げには楽曲の良さも関係していたが、それだけではない。グループの存続が、“○○できなかったら解散”といったような番組の企画上のゲーム的要素に左右されるなど、プロモーションの仕掛けが成功したのだ。

同じくバラエティ発のグループといえば、野猿がいる。ワイルド(つまり小汚い)な装いのおじさんを、R&Bの歌手としてデビューさせよう。そんな『とんねるずのみなさんのおかげでした』の番組内での思いつきから、裏方である番組スタッフが表舞台に立ってしまう。そんな経緯で結成された野猿は、1998年にデビューし、大ヒットグループとなった。やはり楽曲は、ノベルティらしさを削ぎ、本格的なR&B路線(Jポップにおける)だった。

ノーギミックのノベルティソングの登場は、実はその後のJポップの世界、つまり現在の市場の礎となった。『ASAYAN』が、「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」の落選組を束ね、デビュー曲を手売で5万枚売らないと即解散というプロモーションを行ってデビューしたモーニング娘。は、明らかにポケビの手法を踏襲したもの。そして、現在のAKB48を用意した。

また、野猿が解散した2001年、ちょうど彼らと入れ違いにデビューしたのが、EXILEだった。ワイルドなルックスでR&Bを歌う。しかも同じエイベックス。明らかに野猿という市場的な実験の成功の上にEXILEが乗っかったのである。

H Jungleが生み出したノーギミックのノベルティという路線は、その後のフォロワーを生み、さらにその遺伝子は現在のAKB48、EXILEという、現在のJポップ市場を寡占するグループたちへと受け継がれているのだ。

ジャニーズはというと、いまとなっては一身にノベルティソングを死守している最後の勢力なのかもしれない。

現在のヒットチャート、音楽シーンを用意したのは、90年代のバラエティ番組だった。悪く言えば、いまのJポップの閉塞性の元凶は、90年代のバラエティ番組が良くも悪くも持っていた内輪乗り、ワル乗りの要素を引きずっているからだろう。だが、CDの売れない今の音楽市場で、90年代のバラエティ番組的な“ゲーム性”が唯一のCDを売るために機能する手段であるのもまた事実。

Jポップは、世相を現さなくなったのではなく、いまだH Jungle~の手のひらにいるのだ。

 

*『コメ旬』Vol.3に掲載されたものに加筆したものです。

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コメント

kechida

koji1200なんてのもいましたね。
これも典型的なノベルティのパロディ。
ニューロマンティックなんてギミックはハイブローすぎますね。
奇しくも清志郎風のメイクした今田耕司がライナーノートに掲載されています。
非常に頭が整理できました。

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