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2008年6 月24日 (火)

『ケータイ小説的。』感想へのお返事その1 このエントリーをはてなブックマークに追加

とりあえず、新刊『ケータイ小説的。』発売から2週間。あちこち書店を見回ってますが、なかなか難しいっすね。ただ、東京新聞の読書欄に取り上げられました。これまでの2作が、マスコミ的にはほぼ完全黙殺だったことに比べれば、大きな進歩です。

で、やはりブログで皆さんが取り上げてくれるのが何よりの支え。今回は、ブログで取り上げてくれた方の感想などに対する返答を、出来る限りやっていきたいと思います。何度かに分けて。

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

■まずは、ありがたいことに、いつもいの一番に感想を書いてくれる深町秋生先生。

速水さんはガチでケータイ小説が好きなのだろう。そして「頭文字D」「NANA」「ティーンズロード」といったヤンキーのスメルが好きなのだ。なぜならそれこそが我々が目にする「ザ・ニッポン」というべき本当の姿でもあるのに、なかなか新聞もインテリも正面から取り上げようとせず、むしろ偏見ばりばりで底の浅い分析ですませ、わかったような顔をしやがる。
『深町秋生の新人日記』

僕のこれまでの著作をトータルに見てくれて、その共通点を見出してくれているのも深町先生だけ。『タイアップの歌謡史』と『ケータイ小説的』は書き方は違うものの、かなり似たテーマを書いている。それと、僕らが初めて会った頃の話。
「ねえあ~ちゃん、あたし達の出会いを覚えている?(回想的モノローグ) 」

「あ、ぼく左翼ですよ。アメリカ大好きだけど」速水さんは初めて会ったときそう言った。
「なに言ってんだろう、この人」
と呆れたおぼえがある。アメリカが好きな左翼なんて聞いたことがない。
その後も拝金主義者だというし、旅人(笑)中田さんをぼろくそにコケにするし、商業主義のアイコンともいえるタイアップソングを礼賛したりと、まあまったく左翼でもなんでもないわけなのだが、とことん反体制で、常に差別されたなにかの解放に向けて闘い続けているのは確かである。タイアップソングも自分探しも今回のケータイ小説についての本も、多くの人間から支持されつつも、徹底的にインテリや年長者から軽蔑されている存在である。

今を遡ること2年半前。僕が『プロレス・格闘技超“異人”伝―リングの外でもスゴい人々 (洋泉社MOOK)』というムックの編集をしていた当時、プロレス好きでおもしろい日記を書いてた深町秋生という存在を知り、『果てしなき渇き 』を読み、小説の興奮醒めぬまま自腹で山形まで会いに行って、ムックへの原稿をお願いした。上はその時の会話。

ぼくらは深町秋生先生のことを「あ~ちゃん」なんて気軽に呼んでますが、先生のデビュー作『果てしなき渇き』は文庫化され、僕の既刊3冊の発行部数を全部足して、さらに4倍しても追いつかない。だけど、それでもエンターテイメントの世界では売れっ子で左うちわとはいかないようで、苦悩も大きいだろうなあなどと、勝手に感じています。

地方都市に住み、地方都市・郊外を舞台にしたエンターテイメント小説を書いてきた先生の次回作『東京デッドクルージング』は、タイトルからして都市小説なのだろう。発売は今夏と聞いている。僕もいの一番に読んで感想をアップすることを約束します。

■次は『空中キャンプ』さん。

ケータイ小説における就労の描写が、地に足のついた堅実なものであること。そこには、地方に住むヤンキーたちが、就労に自己実現やクリエイティビティではなく、現実的な生活と成熟を志向していることが読み取れる。ヤンキーたちの生活における志向は、ケータイ小説のプロットにつよく反映している。
「ケータイ小説的。”再ヤンキー化”時代の少女たち」/速水健朗 『空中キャンプ』

僕がこの本でもっとも言いたかった部分「ケータイ小説を良識ある大人たちが嫌悪する様も、まさに自己嫌悪のようなものである。」の辺りの一文をばっちり引用してくれていたり、こちらが届けたい内容がばっちり届いている感じ。こういう感覚って、実はかなり珍しい。当たり前だけど、書き手と読み手の乖離っていうのはあって、前作、前々作も、いろんな人が感想を書いてくれたけど、どうにも理解されない感というものはは残る。だけど、空中キャンプさんの感想を読むと、ああ届いたんだなあと感動がひとしお。毎回、自分の著作を読んでくれて、感想をくれるというのは、本当に心の支えになります。今度、なんらかのかたちで恩返しさせてください。

■次は、ギャルゲーとケータイ小説の違いについての考察。

成熟を拒否しているギャルゲーにおいては
恋愛が成就する「まで」が語られ、
成熟を切望しているケータイ小説においては
恋愛が成就して「から」が語られる。

似て非なる「ヤンデレ」と「デートDV」の違いは、
ギャルゲーとケータイ小説の違いそのものだと思う。
「ヤンデレ」は「片想い」の状況でなければありえず、
「デートDV」は「両想い」の状況でなければありえないから。
『カノボク』ギャルゲー的なものとケータイ小説的なもの

モラトリアム志向と成熟志向、フィクション系とリアル系。なるほど。この方も触れているけど、村上春樹とエロゲーの親和性ってよく言われるけど、これは誰かが詳細にまとめてくれないかなあ。

REVの日記 @はてなさん

頭文字Dの社会学、みたいなのは面白かった。

    * トヨタ・本田派で、地方が舞台のイニDと、日産・カワサキ派で、東京が舞台の湾岸MIDNIGHTの差はどこかにあるのかしら。

そうそう。『湾岸~』と『頭文字D』では、まったく登場する車種が違うんですよね。当然、登場人物たちのメンタリティもまったく違うと思います。『シャコタンブギ』なんかは『頭文字D』のノリに近い上京しない感覚が強いか。この辺のクルマ好きや走り屋系マンガの系譜は研究したい。ちなみに、例の加藤容疑者は、中古のインプレッサ→RX-7と所有し、GT-Rに憧れていたらしい。前2つはいいけど、GT-Rって辺りは哲学のないヌルヲタっぽさを感じるのだが。

とりあえず、今日はここまで。残りは後日。

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コメント

うらかわ

インプレッサ、RX-7、GT-Rって、『湾岸~』と『頭文字D』の両方に登場する車種ですね。

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about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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