2010年7 月27日 (火)

ワインレッドの心と日本のワイン消費史 このエントリーをはてなブックマークに追加

サントリーの創業者・鳥井信治郎は、当時評判が悪かったワインを日本人向けに甘味料を配合し、1907年、“赤玉ポートワイン”と命名して発売した。これが一般的な日本人のワイン消費の始まりである。

赤玉ポートワインで舌を慣らされた日本人が、味付けワインを卒業するのは、`70年のワイン輸入自由化以降のことである。とはいえ、実際に甘味果実酒の消費量をワインを抜くのは、自由化からさらに5年を経る1975年まで待たなくてはならないのだ。

その後、`80年代に入ると関税の引き下げや円高の影響もあり、輸入ワインは手軽に手に入る飲み物として定着していく。さすがにこの頃になると、甘味料で味付けされたワインを飲む日本人はほとんどいなくなっていった。

ワインが生活に馴染んでいった80年代のヒット曲に、安全地帯の『ワインレッドの心』がある。


`84年の年間チャート2位を記録するという大ヒット曲の歌詞を書いたのは井上陽水だ。安全地帯はもともと陽水のバックバンドを務めていた。言うなれば、ボブ・ディランとザ・バンドの関係である。

♪哀しそうな言葉に 酔って泣いているより ワインをあけたら
歌詞:井上陽水

過去の恋愛を忘れて、ワインを飲もうよ。ほろ苦い大人の恋の場面を描いた歌である。憂いのある玉置浩二の歌い方も、大人の恋の世界を醸し出していた。

とはいっても、実はこの曲、赤ワインを甘いソーダで割ったサントリーの商品“赤玉パンチ”のCMソングだった。赤玉ポートワインは、『赤玉スウィートワイン』として、現行の商品として売られており、そのさらにソーダ割りが“赤玉パンチ”である。

ワインが登場する大人のほろ苦い恋の歌だと思ったら、そのヒロインが飲むのは甘いソーダの入った赤ワインだったのだ。シャンパンで乾杯しようと思ったらシャンメリーだったみたいながっかり感は否めない。『ワインレッドの心』はまだワインに味付けがされていた時代の甘ったるい残余のような歌なのである。

ボジョレー・ヌーボーが大流行するのは、この曲がヒットした直後のバブル時代の真最中のことであった。日本人のワインの消費量はその後も右肩上がりに成長。そして、青田典子との熱愛が報道される玉置浩二のバブル臭さもいまだ絶好調である。

2010年7 月14日 (水)

映画『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』感想 このエントリーをはてなブックマークに追加

あまり評判がよくないので、出来がイマイチなの覚悟で観に行ったら、まったく余計な心配だった。

『踊る~』シリーズでは、本当の敵は犯人ではなく、警察組織そのものであるということを、いく度も形を変えて語ってきた。特に劇場版シリーズにおける犯人とは、警察組織が対峙できない相手として設定されてきた。

1作目では、縦割りのマニュアル捜査では対処できない相手として犯人が設定された。常識的な動機を持たない子どもが犯人で、足を使って捜査する現場の刑事が解決の道を見つけるのだ。

2作目では、リーダーを持たない組織としての犯人グループが設定。つまり、命令系統はなく、目的だけを共有し、連携しない犯罪集団である。攻殻機動隊におけるスタンドアローンコンプレックス現象と言い換えてもいい。ピラミッド型組織で意思決定から行動までのスピードに欠ける警察は、このグループに対処できない。

こうした犯人に翻弄され、本当の敵は自分たちの組織そのものでしたというのが、このドラマシリーズ自体のテーマである。

さて、今回の犯人はさらにパワーアップした。
今回も、いつもどおり本庁と所轄の間で争いが始まる。すると、その両者の間にをピタリと収める補佐官の小栗旬が登場する。彼は、個々の立場の人間それぞれにインセンティブを与えることで、場を調整するスペシャリストである。これまでシリーズが取り上げてきた最大のテーマをいとも簡単に解決する最強の敵の登場だ。

そして、今回の犯人は、この小栗旬の鏡像として描かれている。

ここからはネタバレになる。

今作の主犯は、一作目に脇役的に登場した小泉今日子演じる犯罪心理学に通じる快楽殺人の日向真奈美である。ただし、彼女が犯人だとわかるのは終盤のこと。彼女は実行犯ではなく、拘置所から実行犯を動かしている。小泉のこの役は、言うまでもないが『羊たちの沈黙』のシリーズでおなじみのハンニバル・レクターのアレンジである。

踊る3とは、レクター博士が、インターネットの発達した現代に現れたらどうなるかという、興味深い思考実験でもある。

一作目でも、彼女はホームページを持ち、ネットで支持されている猟奇殺人マニアとして登場した。このドラマが、当初は並の視聴率だったにもかかわらず、主に放送終了後にネットで支持されるようになり、人気ドラマへと成長した。そんな社会とドラマを結ぶ関係性の変化を、うまく劇場版の題材として取り上げていた。今作は、ネットのソーシャルメディア的側面を描く。ちょっと思ったのは、物語にもツイッターを使うべきだったということ。

今回の物語は、何も盗まれない窃盗事件と誰も被害に遭ってないバスジャック事件の発生から始まる。これらは犯人の陽動作戦である。翌日、拳銃と銃殺死体が放置された船が発見される。使われた拳銃は、湾岸署の引越と、両陽動事件の最中に盗まれた三丁の拳銃のうちの一丁だった。第二の殺人も、同じように発見される。しかし、これらもまた陽動作戦でしかなかった。

Tirant 新しい湾岸署は、対テロリストと称し、鉄壁のガードシステムに守られている。しかし、その過剰な設備と、警察の過剰防備の心理の逆を突いた犯人は、セキュリティシステムを誤稼働させ、捜査員と引越業者を署内に閉じ込めることに成功。その署内に時限装置付きの毒ガス噴射システムを仕掛け、これまで青島が逮捕してきた犯人全員の釈放を要求するのだ。ウルトラ兄弟たちにやられた怪獣の怨念で生まれたタイラントみたいな話である。

この釈放要求の件は、日本赤軍のクアラルンプール事件とダッカ日航機ハイジャック事件の“超法規的処置”を元ネタとして、それらを連想させるように作られている。犯人が、中東への逃亡を考えているのも、重信房子を彷彿させる。

主犯の日向真奈美は拘置所の中にいながら、これらを企てている。拘置所に出入りするソーシャルワーカーの臨床心理士を手なずけて、彼を通してネットで共犯者を募り、自分の釈放を画策したのだ。また、彼を通してネット世論を動かし、自分の崇拝者をネット中に生み出した。彼女は、拘置所に入りながらカリスマになっている。そして、最終的に自殺を遂げることで、その影響力をさらに高めようと画策する。それがこの事件の真の目的である。

彼女の手法を青島ら警察側は単なるマインドコントロールと分析し、教唆犯であると解釈するが、それは違う。彼女は、“私は彼らに生きがいを与えただけ(台詞うろ覚え)”なのだという。彼女の取った手法は、小栗旬演じる補佐官とたいして変わらない。

小栗旬の補佐官はこの事件を政治の道具に使おうとする上層部を「調整」する。この事件を人質事件のテストケースとして国民感情の実験に使いたい政府与党、よど号ハイジャック事件のときの超法規的処置ではなく、法規的にこれを処理したいと考えるどこかの官庁、正義漢の室井は教科書的な言動しか取れないが、小栗は彼らの利害関係を把握し、それぞれにメリットと責任回避の言い訳を与える解決法を提示する。組織の構成員にも、それぞれの立場と利益があるというのを理解し、ひとつひとつ穴を埋めていく。それが調整である。

一方、小泉今日子、社会で鬱屈しているネットゲーマーたちに現実を楽しむためのゲーム的なインセンティブを与えて、自発的に犯罪行動を促し、結果として自分の脱獄を成功させるのだ。それぞれの立場や欲望の在り方を理解し、それを調整するのだ。彼らをしあわせにすることができない現実の社会よりも、彼らにやりがいを見つけてあげられる自分の方が正しい。例えその結果が犯罪者への道であろうが、それを自ら選択したのは彼らなのだ。自分に罪があるわけではない。

彼女の主張を代弁するならそういうことだろう。「やりがいの搾取」って何が悪いの? という議論がここからも展開できそうだ。また、この小泉の犯人像からは、犯罪への道筋を設計していく京極夏彦『絡新婦の理』の犯人を連想させる。あと、リバタリアン・パターナリズムみたいなものとも接続できそうだ。

さて、青島がこの似たもの同士として配置された2人に、真っ向立ち向かって勝利をおさめるわけではない。もちろん、事件を解決するのは主人公の青島である。だが、前作で悪役だった管理官の真矢みきが最後に敗北を認めたようなカタルシスはない。小栗旬が目を怪我する必然性はまったくわからなかったが、彼らは生き残るし、敗北しなかった。むしろ、勝者に映る。今作の評判が良くないのは、この辺にあるのだろう。青島は挫折したのだ。

とにかくひたすら正しいことをやってボトムアップ式に組織を変えようという青島の手法は、すでに事件を解決させたり、旧態然とした組織をよくするためには機能しないことが判明した。また、室井も挫折した。現場に理解を示し、組織を上からトップダウン式に変えていこうという室井の信念もまた、機能しないことがわかってしまった。

90年代末にテレビドラマシリーズとしてスタートしたこのシリーズは、年功序列、縦割りといった、日本的サラリーマン組織の弊害をいかに変えるべきかということを、青島刑事というキャラクターを通して描いてきた。今作が最後とは明示されたわけではないのだが、そのテーマには一端の終止符が打たれたことになるのかもしれない。

ラストの青島のコートの扱いが思わせぶりである。彼がコート<刑事の魂みたいなものを象徴している>を失ってしまったと解釈すべきが、犯人にかぶせて中和しているという解釈なのか。

いままでは、おとぎ話として作ってこざるを得なかったが、本作はちょっとリアルに組織の限界を描いた。やっぱり、シリーズのファンは、それでも青島の正義漢やまっすぐなところを肯定するような描き方を期待したのだろう。その気持ちはよくわかる。

本シリーズは、中心テーマ以外にもみどころは多かった。お台場の発展(本シリーズはフジテレビのお台場移転記念で製作された)、監視社会化、9.11以後の世界、そして『24』以後の刑事ドラマ表現、さまざまなテーマが加わりながらシリーズは続いてきた。

考えてみれば、97年の劇場版一作目では、キョンキョンのノートPCにはインフォシークのシールが貼ってあった。13年経って、インフォシークなんてもう誰も知らない。パソコンは得意でなかったはずの青島も(とはいえ、元コンピュータ系商社の営業か)、「ドメイン名を変えてみれば」などと、ちょっとネットに詳しくなっていた。シリーズを通して、多少荒唐無稽とはいえ、ネットとサイバー犯罪、コンピュータ時代の犯罪捜査についての変化も描かれてきた。あまりに国民的ヒットシリーズになったため、ある種の人たちには敬遠される本シリーズだけど、こうした90年代半ば以降の日本を眺める材料としても、十分おもしろい。というか、僕は今作含め、全部好きだ。

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2010年6 月22日 (火)

空港歌謡2曲を巡る女心と航空事情の変化 このエントリーをはてなブックマークに追加


青江三奈の『国際線待合室 インターナショナルロビー~』(`69年)は、冒頭に「BOAC航空出発便のご案内を申し上げます」というアナウンスの声、そしてジェット機が飛び立つSEからはじまる、アプレミディのカフェコンピに入ってもおかしくない洒落たナンバー。


BOACとは、当時存在した英の国営の航空会社British Overseas Airways Co,のことであるかつてパフィーも『渚にまつわるエトセトラ』の中で「飛び交うカモメはB.O.A.C.」と歌っていた(意味は不明)。


一方、中森明菜『北ウイング』は1984年のヒット曲。


中森明菜は、周囲がつくった方針として山口百恵路線を進まされていたが、その路線を転換したのがこの辺り。作詞が来生えつこ、売野雅勇と交互に起用されていた既定路線を脱し、康珍化、林哲司のコンビに変更されている。また、この曲は、ユーミンが中央自動車道を「中央フリーウェイ」と読み替えて舞台にしたように、新東京国際空港(のちの2004年に成田国際空港に改称)の第一ターミナルの通称である「北ウイング」を舞台にしたものと考えることができるだろう。

この両曲は、空港を舞台にヒロインの恋模様を描いた空港恋愛歌謡である。

『国際線待合室 インターナショナルロビー~』は、ヒロインが海外へ行ってしまう恋人をひとり寂しくロビーで見送るという内容の歌詞。しかし、『北ウイング』は、海外に飛び立った恋人を追いかけて、自分も飛行機に乗ってしまう。置いてけぼりを喰らう女性主人公から、積極的に追いかける主人公へ。女性の恋愛に対する積極性の変化が、この両歌謡曲が描いた女性像から垣間見ることができる。

両曲が歌われた15年の間の変化は、それだけではない。日本の航空行政や航空会社を巡る国際情勢も変わっていた。

『国際線待合室 インターナショナルロビー~』の舞台は羽田空港である。当時はまだ成田空港は開業前だったのだ。1966年に新国際空港の建設地に成田が決定し、地元の反対運動が始まる。そして、この歌が歌われた1969年後頃は、地元の反対運動に新左翼のセクトが合流していった時期。それ以降、成田・三里塚闘争は激化し、長期戦と化していった。

反対運動との闘いは収束しないまま(テロにより、開港はひと月以上先送りされた)1978年5月、成田に新東京国際空港が開業。以後、国際線の発着はこちらがメインとなる。中森の曲の舞台“北ウイング”とは、成田国際空港第1ターミナルの通称名。成田空港ができて7年目の1984年に歌われている。

『北ウイング』のヒロインが搭乗する機の航空会社はわからないが、第1ターミナルからロンドン(“霧の街”という歌詞から推測可能)へ向かうという歌詞から考えるに、その便はJAL、もしくはブリテッィシュ・エアウェイズ(BA)の可能性が高い。BAとは、かつてのBOACである。『国際線待合室 インターナショナルロビー~』に登場した5年後に、このBOACは消滅し、他社との合併によりBAの名になった。さらに、当初は国営企業であったBAは、1987年にはサッチャー政権の新自由主義路線の下、民営化を果たしている。

90年代以降、格安チケットの登場や、燃料費の低下から航空会社の競争激化が進み、特にここ10年は世界規模のM&Aによる再編が話題を集めるようになる。JALの買収案が持ち上がっては消えているここ数年の状況は、まさに日本の航空会社も部外者ではないことを物語っている。そして、案の定というか、BAの名も今年末にスペインの航空会社との合併によって、その名が消滅する予定である。女性の恋愛へのスタンスの変化より、現代の航空会社の再編のサイクルのほうがよっぽど早くなっているのだ。

(『週刊アスキー』の連載“恋のDJナイト”に掲載された「空港をめぐる2つの歌謡曲と航空会社の変遷」に加筆修正を加えたもの)

2010年6 月18日 (金)

ポン・ジュノ作品と日本の任侠映画で比較する日韓の都市化・近代化 このエントリーをはてなブックマークに追加

団地愛好家の大山顕は、ソウルの街を「団地天国」と称している。そして、「ソウルに住むということは団地に住むこととほぼ同義」なのだという。東京のニュータウンの開発は都心ではなく、郊外に向かって進行したが、ソウルでは都心部、それも高齢者の多い地域を率先してニュータウン化を進めるなど、大胆な都市計画が進められた。東京の主たる光景とは、いまだ低層の一軒家が視界の限りに立ち並ぶ杉並区的な町並みが大半だが、ソウルは都市全体に渡って高層住宅が林立する。それは、都心を流れる川・漢江を中心に都市の光景が映し出される『グエムル』の背景を見ていてもよくわかる。

ソウル市民の数は、韓国の全人口の二割を超える1000万人強。さらに首都近郊まで含めると、韓国人の半数近くが首都圏に住んでいるという。韓国は、極端な都市集中社会であり、それが進行したのは1960年代以降と、わりと最近のことである。

■団地で犬を飼う人々と犬を喰う者たち

ポン・ジュノの長編デビュー作『ほえる犬は噛まない』は、物語のほぼすべてが団地の建物内で進行する団地映画である。ジュノは、団地をひとつの世界に見立てることで、キッチュなコメディ映画としてこの作品を成立させている。

団地の住人たちはみな豊かな生活を送り、愛玩用の犬を飼っている。団地の規則でペットを飼うことは禁止されているのだが、誰もそんな規則を守っていない。そして、その一方で団地の中には彼らとは別のレイヤーで生活している人たちがいる。地下室に住むホームレスと管理人のおじさんである。彼らにとっては犬は文字通りの“食い物”でしかない。住人の犬をさらっては、こっそり鍋にして食べているのだ。

主人公のユンジュは、この団地に住む非常勤の大学講師。日本同様、非常勤講師は貧しい生活を送っている。教授になるためには、偉い教授に袖の下を渡さなくてはならないが、貧しい彼にはその金がない。生活費を稼いでいるのは、妊娠中の妻である。そんなユンジュは犬の鳴き声、そして団地のルールを破り犬を飼うものたちに神経を尖らせている。物語の前半においては、彼は犬を捕まえ、あわよくば殺してしまおうという立場を取る。ユンジュは、どちらかと言えば犬が“食い物”に見えるホームレスや管理人側に属しているのだ。

こうした二層構造で描かれる団地とは、韓国社会のメタファーでもある。裕福に現代的な生活を手にした人々=犬を飼う住民。昔ながらの環境で生きる貧困層=犬を食べ物として見る側の人間。なぜ犬なのか?

韓国は1988年のソウルオリンピックの際、国内での犬食の取り締まりを行った。犬食は中国や韓国の食文化であるが、西洋においては日本の鯨肉食以上に理解されない文化である。韓国は、オリンピック開催に辺り、近代化と引き換えに犬食文化を捨てることを選択したのである。つまり、犬は踏み絵であった。近代化=西洋化・都市化の恩恵を受けている人々と、そうではない派。この2つの存在が犬へのスタンスとして描かれ、彼らが別レイヤーとして共存する場である団地が描かれているのだ。

この物語は、“プレ近代”の側のユンジュが“近代”の側に廻る話として展開していく。ユンジュの妻は会社を辞めて、手にした退職金をユンジュが大学教授になるための賄賂に充てようと考えていた。そして、残りの金で高級犬を買ってくる。だが、そんな嫁の意図を知らないユンジュは、その犬を散歩中奪われてしまい、嫁の機嫌を損ねてしまう。ユンジュが教授になるためには、犬をホームレスや管理人のおじさんたち食われる前に奪い返さなくてはならないのだ。最終的にユンジュは、犬を奪い返し、賄賂に充てる金を得て教授になる。

犬を殺す側から飼う側に廻ったユンジュは、上のレイヤーへと階層上昇を果たし、豊かな生活を送るようになる。この映画における団地が韓国社会のメタファーなら、禁を破って住民みなが犬を飼っているという状態は何を意味するのか。誰もが近代化を手に入れるのと引き換えに、何かに目をつぶって生きているということなのだろう。

近代、プレ近代と2つのレイヤーがあり、主人公がその間の階層上昇をなりふり構わずに果たす。これがポン・ジュノ作品に共通するひとつのパターンである。

■『殺人の追憶』を都市化という視点で辿る

`86年~`91年にかけて、計10名が殺され、迷宮入りした華城連続殺人事件をモチーフにした『殺人の追憶』においても、このパターンは踏襲されている。

刑事物の常だが、事件が発生し、事件現場に刑事がやってくるところからドラマは始まる。殺人事件の現場は、凶悪犯罪とは無縁のソウル近郊の京畿道華城郡の農村。事件に対して、地元の刑事たちは地縁から洗っていく。被害者の人間関係、怨恨といったごく当たり前の犯罪捜査である。しかし、これまで通用した被害者周辺にいるあやしい奴を痛めつけ、自白に追い込むという手法では事件は解決しない。一方、この事件を担当するためにソウルから赴任してくるソ刑事は、もっと合理的な犯罪捜査の手法を持って犯人の割り出しに迫る。この作品における2つのレイヤーとは、地元刑事のパク刑事とソウルから来た4年制大学を出たソ刑事、つまり地元と都会の2つのレイヤーである。

当初、物語の舞台である華城郡は、どこまでも広がる田園風景としてのみ描かれるが、物語が佳境に入るとともに、この地方の本当の姿が映し出されていく。容疑者を追跡して市街地に踏み入れるとそこでは大規模な工事が行われていて、多くの現場労働者が働いているのだ。物語序盤で延々見せられた田園風景とは裏腹に、華城郡は大規模工業団地へと生まれ変わろうとしていた。また、有力な容疑者としてある男に行き当たるが、彼は新設の工場で経理の仕事をしている。被害者との交友関係からは辿り得ない「よそもの」である。

`80年代当時、韓国では社会運動が盛んになり、警察は公安方面にばかり注意を払い、人員を割いていた。っていた。そのために、犯罪捜査にまで手が回らなかったという。こうした背景の説明は、この映画の冒頭にも語られるが、本事件が未解決に終わった理由はそれだけではない。`88年のソウルオリンピック開催に向けて、ソウルとその近郊は急速な都市化を遂げていた。都市化が進むと、犯罪捜査は難易度を増す。都市で起こる殺人事件は地縁つながりを探しても、犯人には行き着かないケースが出てくるのだ。日本でも、`68年から`69年にかけて起こった、永山則夫による連続ピストル射殺事件は、地方から都市への大量の人口流入、東京の都市化を背景にして起きた無差別殺人事件である。永山が捕まったのは、金銭目的で起こした事件で捕まり、彼の持っていたピストルが連続射殺魔事件のものと一致したせいであり、いわば偶然でしかなかったと言える。

物語中でもパク刑事がアメリカと韓国の国土の広さの違いを説いてFBI論を振りかざす。だが、FBIが必要になったのは、パク刑事が言うように、ただアメリカの国土が広大だからではない。20世紀に入って人口移動が始まったからである。元々南部で働いていた労働者層が、中西部の工業地帯へと流入し、都市が進んだ。工場労働者たちは、農業と違い場所に根付くわけではない。工場から工場へ、都市から都市へと場所を動く。犯罪も、土地に根付いたものから流動的な移動を伴うようになる。それに従い、州をまたがって犯罪捜査を行なうFBIのような組織が必要とされるようになったのだ。

華城連続殺人事件をモチーフとした『殺人の追憶』も、韓国社会の都市化を背景とした物語といえるだろう。映画の最後は、15年後の2003年に時間移動する。パク刑事は、かつて死体が発見された田んぼのあぜ道に作られた用水の小さなトンネルをのぞき込む。そのトンネルの光景は、かつて限りなくクロに近いと思われた容疑者を逮捕できずに彼が去っていったトンネルの光景の記憶と結びついている。15年後のパク刑事は、刑事の職を辞めて怪しげな健康グッズの販売の仕事をして豊かな暮らしをしている。かつて、女と暮らした古いアパートの小さなではなく、広く新しいリッチなマンションで家族と一緒の生活である。ここにも、15年の間の都市化の進行が強く強調されている。

地元刑事の側のレイヤー、つまりプレ近代の側だった彼は、15年経って事件の解決を放棄して、都市側のレイヤーへと移動を果たしている。その一方、連続殺人事件は未解決のま放置されたままだ。事件の被害者、その遺族たちは、都市化、近代化の犠牲となり、時代に取り残されてしまっている。賄賂によって教授になった『ほえる犬は噛まない』のユンジュと同じように、彼もまた裕福な近代の側に、なりふり構わない階層上昇を果たしたのだ。

■経済成長・都市化を巡る物語

こうした都会←→田舎、近代←→プレ近代といった二層のレイヤー構造となりふりかまわぬ階級上昇の物語は、ジュノの最新作『母なる証明』においても見てとることができる。主人公たちは田舎町で昔ながらの貧しい生活を営んでいる。しかし、街の近郊にはゴルフ場が造成され、富裕層たちが出入りしている。富めるものたちとそうでないもの。それが明らかに描かれる。そして、主人公の不良友だちのジンテは、要領よく金を得ることで、階層上昇を果たしていく。一方、キム・ヘジャ演じる母親は、息子の罪をさらなる弱者におしつけるというなりふり構わない行為に出る。前出の2作品は、国家の選択として近代化の側を選んだ韓国社会の図として見ることができるが、本作は、より個人のエゴの世界として描いている。

さらに、ジュノによる怪獣映画『グエムル』においては、近代化・経済成長の陰の立役者としてのアメリカが取り上げられ、二層よりも複雑な構造を持っている。だが、ソウルの都心の話でありながら、娘をさらわれる主人公の家族だけが都市化に取り残された人々で、それ以外のすべての存在が近代=都会のレイヤーであると言えるかもしれない。

韓国における経済成長の時期、そして急速な都市化が始まった時期は、日本のそれとは違う。日本の高度経済成長とは、1950年の朝鮮戦争特需から始まり、`70年代初頭のオイルショック辺りまでを指し、東京オリンピックが開催された一九六四年が辺りが開発や都市化の頂点だった。一方、韓国の“漢江の奇跡”と呼ばれる経済成長期は、日韓基本条約を契機にした円借款が始まる`65年から`90年代末までを指す。韓国の近代化・都市化のいったんの頂点は、ソウルオリンピックが開催された1988年前後だろう。同時に、`80年代末は、軍事政権への抵抗運動=民主化運動に沸いた時期であったことも重要である。

1969年生まれのポン・ジュノは、華城連続殺人事件やソウルオリンピック、そして民主化運動の盛り上がりをリアルタイムに経験してきた世代でもあり、そういった農村社会から都市化という韓国社会の構造転換を目の当たりにしてきている。作品のモチーフに、急速な都市化・近代化になりふりかまわずに乗った人たちと、それに取り残された人たちという構図が多く出てくるのは、世代的な問題意識と言っていいだろう。

日本映画も、約50年ほど前に近代化・都市化をモチーフとした物語ばかり作っていた時代があった。60年代の鶴田浩二や藤純子、小林旭なんかが出てくる映画のパターンは大体こういうものだった。地元のやくざに新興のやくざがケンカをふっかける。新興やくざはその土地の土建業者と手を結び、レジャー施設の建設を予定している。地元やくざは沖仲士(港湾労働者)の流を組んでおり、新興やくざはレジャー産業をバックにしている。背景として背負うものが第二次産業から第三次産業へと段階を踏んでいる。つまり、これらは産業構造の転換を背景にした物語群であったのだ。

物語の流れ上、主人公は地元側に付くが、最終的にケンカは新興やくざが勝つ。鶴田浩二は単身敵地に乗り込み奮闘するが、結局は敗れ去っていくものの美学でしかない。近代化の流れには抗えず破れていく。敗北者は美学を語ることが許されると任侠ものの世界では決められているのだ。

潔く敗れていくものを美しいものとして愛でる。そんな日本特有の美学をモチーフとして、日本映画は「近代への移行」を描いてきた。一方、ポン・ジュノは、「近代への移行」と「それに抵抗する残余」を描いてきたと言えるだろう。『ほえる犬は噛まない』ではな、現代を舞台に、ごく当たり前に見える移行とささやかな違和感が描かれ、『殺人の追憶』では、金過去を舞台に、移行の影にある巨大で薄気味悪い残余を描いた。そして、『母なる証明』は、それを再度現代に持ってきて、移行させまいとする残余を「母」という形象の下、それを全面化させたのだ。

美学抜きの生々しさ、無骨さ、いびつさがポン・ジュノ映画の特徴である。こういったものの言い方では、まだ率直とは言えない。後味の悪さ、置いてけぼり感は、ハリウッド式ハッピーエンドと任侠の美学で映画を学んだ身からしてみれば、簡単には受け入れがたい。ポン・ジュノ作品は、観るものに体力の消耗を要求するのだ。

(『ユリイカ』2010.5月号ポン・ジュノの特集に書いた『都市化とそれに抵抗する残余』を改稿したものです)

2010年5 月31日 (月)

長髪時代の終わりとパンチパーマの起源 このエントリーをはてなブックマークに追加

かつて、理容業界では若者の理髪店離れが問題になった時代があった。

それは、グループサウンズや吉田拓郎らフォーク勢が若者のアイドルとして台頭し、ヒッピー族、フーテン族が跋扈した70年前後のこと。当時の人気歌手の長髪をみんなが真似たのだ。

当時の大スターである吉田拓郎に♪僕の髪が肩までのびて♪(『結婚しようよ』)と歌われてしまっては、世の理髪店にとっては大打撃以外のなにものでもない。ほんと営業妨害。

そんな危機的状況には、業界として立ち向かう必要がある。そこで立ちあがったのが、全国理容環境衛生同業組合連合会(全理連)である。全理連は、緊急プロジェクトチームを結成する。そして、長髪ブームを終わらせようと、ロン毛に変わるファッション性の高いショートヘアスタイルの開発に乗り出したのだ。

冗談のような話だが、事実である(参考文献『ヤクザ・風俗・都市―日本近代の暗流 』朝倉喬司 )。

全理連が開発したパンチパーマは、彼らの目論見どおり若者の間で流行する。その普及にはひとりの青年が貢献した。その青年とは、『銀座NOW』出身で、`77年に『失恋レストラン』でデビューした歌手の清水健太郎だった。


Shimiken シャイで硬派なイメージで売り出されたシミケンは若者たちの新しいアイドルとなった。彼の真似をした若者は、こぞって彼の髪型を真似た短めのウェービーなヘアスタイルにしたのだ。

当時彼の髪型は「健太郎カット」と呼ばれていた。全理連は、彼をポスターのモデルとして起用し、床屋の店頭にかざられていた。そう記憶している。

この当時、僕自身はまだ小学校にも満たない子どもだったが、その後、10年ばかりは常に床屋にとっての理想ヘアスタイルがシミケンのまま更新されなかったから、その雰囲気を覚えているといった程度であるのだが。

ちなみに「健太郎カット」はいまでも「カットチャンピオンの店」と看板が掛かっているようなオールドスクールな床屋ではいまだに推奨されているような気がする。

清水健太郎=パンチパーマというイメージは強くある。だが、実は結構間違っているのではないだろうか。彼の髪型が徐々にウェーブを増していくのは確かだ。ただし、パンチパーマというわけではないように思える。ただ、本人の男前度や顔から受ける印象の問題もあり、なぜかちょっとしたウェービーヘアーが、パンチパーマという印象に変換されてしまう。

ちなみに、当時のパンチパーマとは、「ニグロパーマ」などとも呼ばれ、親しまれていた。アイパーとパンチの呼び名の違いは、道具の違いなど技術的な用件に規定されるモノのようだが、ここでは議論の対象にしない。

正確なことはわからないが、パンチパーマという髪型が暴力団組員の定番として定着したのは、そんなに古いことではないのではないか。定着したのはシミケン登場以降のような気がしている。少なくとも、`73年にシリーズがスタートした実録風やくざ映画『仁義なき戦い』のシリーズにはパンチパーマのキャラクターは1人も出てこない。

菅原文太は角刈り、小林旭はきっちり七三である。これは時代考証的なもの込みの話なのかも知れないが。

さて、『失恋レストラン』では、恋に破れ「ポッカリあいた胸の奥」を満たす「飯」を出すレストランが舞台だったやくざ=パンチパーマというイメージが定着するのは、シミケンのその後の人生と密接に結びついているのかもしれない。彼の「ポッカリあいた胸の奥」を埋めたのは飯ではない別の何かだったのだが、それは大人の事情が絡む内緒の話であった。

余談だがこのブログを書いている僕の名は速水健朗である。その字面のせいか、いまだに「シミズケンタロウさん」と病院の受付などで呼ばれることは少なくない。

2010年5 月22日 (土)

自動車とポップス~ドライバーシートと助手席の攻防を巡るアンダーステアな40年史 このエントリーをはてなブックマークに追加

アクセルふめば 恋のスピードあげてくる
握るハンドル 彼の横顔 愛のサインが浮かぶ
Go! Go! 走れ レンタカー
Go! Go! 走れ 若い二人の夢のせて

『Go! Go! レンタカー』田辺靖雄・中尾ミエ(作詞:安井かずみ)

「若い二人の夢」を乗せて走るのはレンタカー(笑)。とはいえ、この曲の発売は1966年だから、日産サニー、トヨタ・カローラという、低価格のファミリーカーが競い合って登場した、「マイカー元年」に当たる年。数年後、この二人が結婚したらきっとカローラを買い、郊外のニュータウンにマイホームを手に入れ、子どもを産む。そんなライフコースを辿るであろう、ベビーブーマー世代の青春時代が込められている。

この10年後の1976年に、発表されたのがユーミンの『中央フリーウェイ』。ハイファイセットも唄いました。


間奏のアレンジがとてもキラキラした名曲。

この歌の肝は、中央自動車道を「中央フリーウェイ」と言い換えたところ。実在の風景を、言葉と描写と音楽のアレンジによってまるで日本ではないかのように見せてしまっている。とはいえ、たしかに夜の中央自動車道は周囲も暗く、本当に夜空に続く滑走路のような風景が味わえる。結構好き。

『Go! Go! レンタカー』とは違い、この歌の二人には倦怠感も垣間見られる。あとレンタカーではなく、ちゃんと所有している車なんだろう。この歌はクルママニアの松任谷正隆と結婚前に、自宅までクルマで送ってもらっていた実体験がモデルになっているのだから。MGかアルファロメオあたりの小型オープンカーのはずだ。

緑の中を走り抜けてく真紅(まっか)なポルシェ
ひとり旅なの 私気ままにハンドル切るの

『プレイバック part2』山口百恵(歌詞:阿木耀子)

この歌がよく取り上げられたのは、男性に従属しない女、主体性を持ったヒロイン像。つまり、助手席ではなく、自分でハンドルを握り、しかもポルシェに乗る主人公という部分が言及された。

途中で巻き戻ししたりするおもしろい歌詞。

阿久悠なんかがもっとも意識的にやったのだけど、70年代の歌謡曲は男女の従属関係、権力関係が意識的に歌詞に登場した時代でもあった。だけど、80年代になるとそんな空気 も薄くなる。

次は、おニャンコクラブの自動車歌謡『国道渋滞8km』。これ超好き。名曲。アルバム収録曲で、スタンダードとは言えないけど。エンジン音のSEから始まる自動車歌謡には数あれど、これは異色。なんと渋滞を歌っている。

シチュエーションは、はじめてのドライブデート。1日ドライブしたあと、都心まで送ってもらう。つまり、ヒロインは、都心住まい。だけど、帰りに首都高で8キロの渋滞につかまる。自動車の普及数の予測という、都市計画のもっとも根本部分に不備が露呈した時代のアンセム。というわけではなく、ヒロインは渋滞のおかげで一緒にいられる時間が延びてよかったという健気な女の子。ちなみにクルマはカブリオレタイプだそうだ。

さて、90年代にドライバーシートを巡る男女の位置の入れ替えを歌ったのは小沢健二である。

彼を迎えにでかけて
もう1時間 待ちぼうけ
カローラIIはその時
私の図書館

『カローラⅡにのって』小沢健二(歌詞:佐藤雅彦・内野真澄・松平敦子)

これは1994年のカローラⅡのCM。車種のターゲット的に女性向けなので、まあ当然こういう歌詞になるのだ。

とはいえ、90年代初頭に宮沢りえがダイハツ・オプティのCMに出て以降、クルマのCMに女性が出てきて女性にアピールするCMが急速に増えていったのも事実だろう。自動車の国内新車販売台数のピークが1990年。国内市場の飽和に危機を感じた自動車業界は、新しい購買層の開拓し始めたのだ。

日本の自動車産業に大きな変化が起きたのは、この90年前後のこと。エスティマの登場にはじまるミニバン主流の時代に突入。

トヨタは、スポーツカー離れする若者を狙って新しいシティユースRVの市場を開拓する。団塊ジュニア世代の代表選手で、まだブレイクしはじめの22歳の木村拓哉を起用したRAV4がそれ。この1994年は、キムタクが『anan』の「好きな男ランキング」ではじめて1位を獲得した年でもある。
その後も木村はトヨタのCMに出演し続けることになる。ただし、車種は変わる。その後は、カローラのスポーツタイプであるカローラ・フィールダーに登場。国民的アイドルグループSMAPのフロントとして、国民車のCMに出ているという構図。

90年代末以降のポップミュージックにおける自動車の扱われ方の変化も見ておこう。

例えば、1998年に『夏色』で登場したゆずは、「♪この長い長い下り坂を 君を自転車の後ろに乗せて ブレーキいっぱい握りしめて ゆっくりゆっくり下ってく」と、自転車の歌でブレイクしている。70年代のフォークもあまり、自動車が出てこなかったし、これはジャンル特有の問題なのかもしれないが。

くるりには、『ハイウェイ』という曲があるが、この歌は「♪車の免許とってもいいかな」と、運転免許証すら未取得の主人公の歌である。まあ、くるりの岸田は電車オタクなのでしかたがないが。

とりあえず、思いつきではありますが、自動車とポップミュージックを巡る話を書き留めてみました。

2010年5 月17日 (月)

男は黙って第一次産業 このエントリーをはてなブックマークに追加

北島三郎の代表曲に『与作』がある。

この歌の主人公・与作の職業は木こり。「ヘイヘイホー」と森林で木材を生産する木こりは、産業の段階で言うなら第一次産業に分類される。日本の林業は、`64年の木材輸入自由化によって停滞をはじめ、『与作』がヒットした`70年代後半には、木材自給率が過半数を割ってしまった。

与作の妻は気だてがいい。「♪女房ははたを織る トントントン トントントン 気だてのいい嫁だよ」。嫁の職業は機織り。産業の段階で言うなら、第二次産業に属している。

さらに、北島三郎の代表曲である『北の漁場』は、海で漁をする男たちの歌である。

この歌が歌われた`86年当時、日本の漁業は漁業生産量で世界一を誇っていた。だが、そのほんの数年後には中国にその座を奪われてしまった。漁業もまさに第一次産業である。

おわかりのように、北島サブちゃんの世界とは、ひと言で「男は黙って第一次産業」なのである。

サブちゃんの演歌は、古き良き近代化以前の日本社会のイメージを留めており……と解釈してしまうのは、むしろ一周回って時代遅れ。むしろ、いま、時代は第一次産業である。事実、第一次産業はかつてないほどに注目を集めている。

サブプライムの崩壊、リーマンショックによって、90年代以降の金融資本主義、市場原理主義には懐疑的な視線が寄せられている。また、折からの就職難世代の恨み辛みも重なり、いまや農業、林業、漁業は、とりあえず注目を浴びている業界になった。事実、農水省には雇用に関しての問い合わせが殺到したという。

世代交代に失敗し人材不足の農林水産業の利害と雇用難になく若者世代の利害、そして一次産業で雇用を捻出したいという厚労省の利害はばっちり合致したのだ。

とはいえ、そこはお役所仕事。両者の架け橋は、当初思ったほどにはスムーズにいっていない。

有名デザイナーの佐藤可士和に農業従事者を“ファーマー”と呼ばせるキャンペーンを仕掛けたが、もちろんダメである。「オシャレ農業推進」は、ブルータス世代の40代には通用しても、ロスジェネ世代には通用しない。

それよりも、今どきの若者にはサブちゃんの演歌のほうが届くはずだ。ここはずばり、北島三郎を起用し「男も女も黙って第一次産業!」というキャンペーンを展開すべし。今こそサブちゃんの出番である。

2010年5 月12日 (水)

飛行機嫌いの偉人伝 その1 デニス・ベルカンプ このエントリーをはてなブックマークに追加

Bergkamp

【デニス・ニコラス・マリア・ベルカンプ Dennis Nicolas Maria Bergkamp】

かつて“空飛ぶオランダ人”の異名をとったのはヨハン・クライフである。その一方、“空飛ばぬオランダ人”と呼ばれるべきサッカー選手がいる。

その選手の名はデニス・ベルカンプ。イングランド・プレミアリーグ・アーセナルの所属選手として05/06年シーズンを最後に引退。`98フランスでのアルゼンチン戦、ゲーム終了間際にフランク・デ・ブールからの約50メートルのロングパスをぴたりとワントラップで止め、次のタッチでディフェンダーを交わし、右足で決めたゴールはこれまでのサッカー観戦歴のなかでも、最も興奮したゴール。


彼を“空飛ばぬ~”と呼んだのは、彼の“大の飛行機嫌い”に由来している。欧州の強豪チームでは、通常リーグ戦の合間にカップ戦で国外のチームと遠征試合をすることが多い。ベルカンプは他のチームメイトが飛行機で移動する中、クルマで10数時間かけて移動する。そして、遠征への帯同を拒否することも少なからずあった。

噂によるとアーセナルと交わしている契約の中に“飛行機での移動が必要な遠征の拒否認める”という項目があったという。多分本当の事だ。おかげで、ベルカンプ在籍時代、リーグでは常に上位を狙う位置につけていたアーセナルも、カップ戦の成績はいまいち奮わなかったのは、ベルカンプがいなかったからだろう。

このベルカンプの飛行機嫌いの理由には諸説ある。友人を飛行機事故で無くした説。もうひとつは、以前飛行機で爆弾テロ騒動に巻き込まれたというもの。真偽の程はわからないが、`94アメリカ大会では飛行機で大西洋を渡っているはずなのだ。飛行機嫌いはそれ以降の話なのかもしれない。

■代表引退の理由

ベルカンプは、2002年W杯予選を前に代表引退を宣言している。もちろんマスコミ(当然ファンも)は、その理由を“日本まで飛行機に乗って行くのが無理なせいだろう”と書きたてた。ベルカンプは、インタビューでそれを否定するコメントを出している。「俺はそんな理由で代表チームから引退す るんじゃない。まだ俺が必要だって言うのなら日本でもどこでも行ってやるさ。飛行機嫌いなんか克服できるんだ」(出典は不明)。
しかしオランダ は予選を勝ち抜くことができなかった。その原因のひとつはベルカンプが代表に戻ってこなかったから。

アーセナルファンも、オランダ人も皆、口をそろえて「ベルカンプが飛行機嫌いじゃなかったら今ごろ……」と思っていただろう。でも、それはディエゴ・マラドーナやエリック・カントナが人格者だったら……というのと同じ。飛行機嫌いとベルカンプという才能は、2つでひとつなのだ。

2010年5 月 6日 (木)

『きかんしゃトーマス』擬人化される帝国(前編) このエントリーをはてなブックマークに追加

Thomas

鉄腕アトムやドラえもんといった日本の漫画やアニメに出てくるロボットには、顔が付いていて、人間らしい感情を持って描かれる。こうした傾向は、偶像崇拝をタブーとしない、アニミズムが根付いた日本人特有のものと説明されることがある。また、鉄腕アトムを目指そうとするから日本のロボット技術は優位を保っているのであるという理屈へとつながっていくのも常である。


それは本当にそうなのか。機械の擬人化は日本人のお家芸? 少なくとも、1945年に絵本として発表され、のちに人形劇として世界中で人気を得るイギリスの『きかんしゃトーマス』の方が、鉄腕アトムよりもよっぽど早い。

■1990年代のクールブリタニア

英国では1984年にスタートしたテレビ番組『きかんしゃトーマス』は、日本の子供番組『ポンキッキ』の中の1コーナーとして1990年に放送が始まっている。


SpikeIslandPoster 1990年の英国といえば、ストーン・ローゼズのペンキぶちまけ事件の年である。これは、英国から新しい流れが生まれる予兆のような事件だった。この数ヶ月後、ストーン・ローゼスの3万人近い若者たちを集めて行った伝説のスパイク・アイランドのライブは、60年代の熱狂の再来と呼ばれ、没落した帝国イギリスがソフトパワーで世界に影響力を持つ90年代の幕開けとなった。The-Stone-Roses--Th-Stone-003

英国発のポップミュージックが世界の市場を制したのは三度。一度目はビートルズやストーンズがいた60年代。アメリカのロックンロールが英国に渡り、ティーンエイジャーのための音楽が生まれた時期。二度目はデュラン・デュランやカルチャークラブらニューウェーブの流れを組んだポップグループらが登場した80年代。これはジャマイカの音楽の影響を受けた新しい音楽が英国のポピュラー音楽に影響を与え、MTVなどメディアの変化とともに世界に発信された時期だ。この両時期は「第一次、第二次ブリティッシュインヴェイジョン」と呼ばれる。

そして三度目が90年代半ばのブリットポップ。オアシスらを中心とした「ブリットポップ」は、セカンドサマーオブラブとも呼ばれたマンチェスタームーブメントと連続性を持っていて、基本的には60年代回帰という要素を持っていた。オアシスは自分たちがビートルズ以来の存在であることを明言し、「ブリティッシュインヴェイジョン再び」という流れをつくり出した。


Kateただし、この時期を指して「第三次ブリティッシュインヴェイジョン」と呼ぶ傾向は見られず、むしろ、「クールブリタニア」という言葉が用いられる。この時期に全世界に輸出されたイギリス発のソフトパワーは、音楽産業に限らなかったからだ。ファッション業界ではジョン・ガリアーノやアレキサンダー・マックイーンといった若手デザイナー、そしてモデルではケイト・モスが台頭した。また、イギリ ス映画『トレインスポッティング』が、世界的なヒットを記録した。

「クールブリタニア」とは、「イギリスらしさとは何か」というナショナルアイデンティティを自らに問い、かつて英国がソフトパワーによって世界を席巻した時代(60年代)を再現しようという運動である。

英国のソフトパワーを武器に世界に「イギリスらしさ」を再認識させようという動きは、1997年に首相に就任したトニー・ブレアの主要政策にも用いられた。いま、日本でもよく言われる「クールジャパン」は、まさにこれの焼き直し政策である。

こうしたクールブリタニア――イギリスらしさを前面に打ち出すナショナリスティックな運動――とストーンローゼズのペンキぶちまけ事件は、ひとつの線上に並ぶ出来事であり、『きかんしゃトーマス』が日本に輸出されたのは、そんなクールブリタニアの胎動期の1990年のことなのだ。

話が長くなったが、ここからがトーマスの話である。

■トップハム・ハット卿のソドー島

90年代のイギリスのソフトパワーのひとつに『きかんしゃトーマス』を加えるのが正しいかどうかはともかくとして、まずは『きかんしゃトーマス』がどういうものかを説明しておく。

Sodor-railways-amoswolfe 機関車に顔が付いたトーマスの人形劇は誰でも知っているだろう。そのトーマスたちが暮らしているのは、ソドー島という架空の島である。ソドー島はグレートブリテン島とアイルランドの間にあるという設定。つまり、マン島の隣に位置するとされている。

マン島はイギリスにも、英連邦にも所属しない自治権を持った英国王室属国の島だ。このマン島自体がソドー島のモデルでもある。マン島の主要産業は観光であり、多くの保存鉄道、つまりすでに廃止された古い蒸気機関車が買い取られ、観光用に走っているのだ。

Fat_controller同じようにソドー島では、英国王室ではなくトップハム・ハット卿という人物が、トーマスら蒸気機関車たちを引き取り、日々鉄道の運行を司っている。そんなソドー島に生きる機関車たちの物語。それが『きかんしゃトーマス』の世界である。

 『きかんしゃトーマス』の原作『汽車のえほん』シリーズが生まれたのは、1945年のこと。プロテスタントの牧師だったウィルバート・オードリー1911~1997)が、風邪で寝ていた自分の子どもに語り聞かせた物語がベースとなり、汽車のえほんシリーズ(The railway series)『三だいの機関車』として刊行されたのだ。

(1) 3だいの機関車 (汽車のえほん (1))

1945年、第二次世界大戦が終了した当時のイギリスの鉄道の状況を確認しておこう。戦前に「ビッグフォー」と呼ばれていた民間メジャー鉄道会社4社は、戦時体制下で国の公共部門として併合されていた。それが、1948年に正式に国有化されることになる。

私鉄から国鉄への変化は、汽車のえほんシリーズにおいてもトップハム・ハット卿の設定の変化として描かれている。ハット卿の役職はソドー島の鉄道局長(おそらく彼以外のスタッフは存在しないが、鉄道局長がこの島の支配者のポジションである)で、シリーズ2巻までは「ふとっちょの重役」(Fat Director)として登場しているが、国有化された1948年の3巻『赤い機関車ジェームス』からは「ふとっちょの局長」(Fat Controller)に変更されている。ハット卿は、民間企業の重役から公務員へと所属が変わったのだ。

また、『汽車のえほん』がシリーズ化され、新作が次々と生まれていったこの時期、イギリスの鉄道は蒸気機関車からディーゼル機関車へと機関車の動力が変わろうとしていた時代であった(英では電化の流れはあまりなく、蒸気機関からディーゼルへと移行した)。

これもまた『汽車のえほん』のなかにおいても反映されており、ディーゼル機関車のキャラ(「ディーゼル」や「デイジー」ら)たちは、皆イヤミでワガママな性格に描かれ、中には蒸気機関車廃止論者(車?)すら登場する。しかもディーゼル機関車たちの性能はそれほど良くなく、すぐに故障しては蒸気機関車たちの手を借りる羽目に陥るのだ。


『汽車のえほん』の世界観をひとことで表すなら、「古き良きイギリスの鉄道の黄金時代へのノスタルジー」と言えるだろう。
ウィルバートが少年時代に見た鉄道とは、おそらく“ビッグ・フォー”以前の時代、つまり1910年代の鉄道であるだろう。そして、国中に無数に点在した地方鉄道が4つの会社に集約された1923年から第二次世界大戦までの時代が“ビッグフォー”の時代である。“ビッグ・フォー”体制が始まった1920年代は、イギリス鉄道の黄金時代に陰りが出はじめた時代であった。すでに自動車道路網が整備され始めた時期でもあり、自動車社会への移行が視界に入りつつあった。そして、1929年の世界恐慌で不況に突入し、鉄道会社の経営は逼迫し、設備投資や保線の費用は大幅に削らることになるのだ。

後編に続く

『きかんしゃトーマス』擬人化される帝国(後編) このエントリーをはてなブックマークに追加

前編はこちら

■パクスブリタニカの時代


StocktonandDarlington 1769年にスコットランドのエンジニア、ジェームズ・ワットが発明した蒸気機関は、産業革命の原動力となる石炭を燃料とした新式のものだった。イギリスはこのあとに産業革命の時期を迎え、19世紀の初頭には蒸気機関を動力に利用した公共交通システム、つまり鉄道の研究・開発が始まる。そして、世界初の商用鉄道が開通するのは、1825年の英ストックトン・ダーリントン間であった。

イギリスが世界の工場と呼ばれるようになり、産業資本主義の時代を迎えた19世紀半ばから、第一次世界大戦前の20世紀初頭が、イギリスの鉄道の黄金時代であるだろう。トーマスの生みの親であるオードリーは、少年時代にこの黄金期を垣間見ることができたぎりぎり最後の世代である。

Romanmap Paxbritannica そして、19世紀半ばから20世紀初頭は「パクスブリタニカ」と呼ばれた時代でもあった。「パクスブリタニカ」とは、19世紀半ばから20世紀初頭のイギリスの繁栄を指して使われる呼称だ。「パクスローマーナ」というローマ帝国の最盛期に訪れた地中海世界の平和状況を指す言葉があるが、これを19世紀のヨーロッパの状況に置き換えたのが「パクスブリタニカ」である。この時期のイギリスは、(実用的な)蒸気機関の発明による産業革命で他国よりも早く工業化を進めた優位的な立場で自由貿易、重商主義を推し進め、それらが生む富を背景とした軍事力で植民地や海外領土を拡大させていく。帝国主義の時代である。
 パクスブリタニカとまったく時期を同じくしたイギリス鉄道の黄金期。どちらにも共通するのは、蒸気機関という技術である。顔を持ち、感情を持った生き物として蒸気機関車が描かれる「きかんしゃトーマス」とは、大英帝国の擬人化である。そして、トップハム・ハット卿が君臨する蒸気機関車たちの王国としてのソドー島とは、島国イギリスの黄金時代=大英帝国のミニチュアなのだ。
『きかんしゃトーマス』が、「パクスブリタニカ」へのノスタルジーという、ナショナルな背景を持った物語として生まれ、英国内では「第二次ブリティッシュインヴェイジョン」期に人形劇番組が作られ、「クールブリタニア」期に日本に輸出されたという構図も、イギリスのナショナリズムの盛り上がりに沿ったものと言えるだろう。


■きかんしゃトーマスとモータリゼーション

さて、その大英帝国、そしてイギリス鉄道のほころびの第一歩として、19世紀末の自動車の発明を挙げることができる。

自動車も初期の段階ではガソリンによる内燃機関ではなく、蒸気機関で動くものが研究されていた。しかし、実用に足る自動車を発明したのは、内燃機関を用いたドイツのカール・ベンツとダイムラー(別々にほぼ同時に発明した)である。そして、そこで生まれた技術を自動車という商品としてまとめ上げたのはフランスのプジョー社だった。ドイツとフランスは、イギリスが優位を保つ蒸気機関による鉄道の技術で出遅れていたため、内燃機関の自動車の開発に特化して技術開発を進めていたのだ。

最終的に、鉄道を日陰に追いやるのは、この内燃機関の自動車の普及、つまりモータリゼーションである。『汽車のえほん』においても、バスのキャラクター「バーティー」が登場し、トーマスとスピード比べを行なう「トーマスとバーティー」という話が、かなり初期に登場する。このスピード比べは、最後に直線スピードに優る蒸気機関車のトーマスに軍配が上がる。だが、中身を見るとレールの信号待ちや蒸気機関を動かす水の補充に手間取るトーマスが、バーティーに翻弄される話であり、バスの優位が示されているのだ。

トーマスとバーティー (トーマスのちいさなえほん)

19世紀から20世紀へという時代の変化は、蒸気機関の時代から内燃機関の時代へという変化であり、鉄道の時代から自動車の時代へという変化でもあった。そして、その変化は、イギリスからアメリカへという覇権の移動につながっていく。

20世紀初頭、自動車の生産における技術革新を成し遂げたのが、アメリカのフォードである。フォードが生み出したベルトコンベアーによる大量生産という生産という様式は、大量消費という20世紀を代表する生活様式を生み出す。そして、ヨーロッパが戦場となった第一次世界大戦を機に、世界の基軸通貨はイギリスのポンドからアメリカのドルへと移行するのだ。

■ポスト大英帝国の擬人化

Kurisuteen 自動車の帝国であるアメリカは、いかに自動車を擬人化した作品を生み出してきたか。まっ先に自動車の擬人化アニメとして思い浮かべるころができる『トランスフォーマー』は、残念ながら元々日本の作品である。アメリカを代表するホラー作家の、スティーブン・キングは、自動車が意思を持ち、人間を殺していく『クリスティーン』という小説を書いている。『クリスティーン』は、ジョン・カーペンター監督の手によって映画化もされた。また、キングは『トラック』という、トレーラーやトラックたちが意思を持ち、自ら給油を行い人類に反逆を企てる短編を書いている。そして、近年の作品では、ピクサーが制作した『カーズ』がまさに自動車の擬人化アニメである。

さて、冒頭の日本のアトムやドラえもんが人間風の顔や感情を持っているという話に戻ろう。イギリスが蒸気機関車を擬人化し、アメリカが自動車を擬人化したのであれば、日本が擬人化すべきものとは何だったのだろう。

日本の戦後の経済発展とは、こうした小型工業製品の輸出に頼ったものである。なかでもソニーの前身である東京通信工業の小型トランジスタラジオが海外でヒットしたという「町工場から世界のソニーへ」というエピソードは、戦後の日本復興におけるもっとも知られる伝説である。東京通信工業がトランジスタ研究を始めた1952年は、『鉄腕アトム』の連載が始まった年であった。そのアトムを戦後復興の役割を果たした小型工業製品の擬人化と見ることができないだろうか。

トランジスタにはじまる集積回路の技術はLSI,ICと発展し、のちのロボット産業へつながる礎となる。こうしたエレクトロニクスの技術を擬人化したものがアトムやドラえもんと考えれば、そこには自然な流れを見出すことができる。彼らを、きかんしゃトーマスの延長にある「ナショナリズムの産物」として捉えてみるという試みはいつかまた詳細に行ってみたい。

(『界遊003』の「きかんしゃトーマス』擬人化される帝国 ~クールブリタニアからパックスブリタニカまで~を改稿したものです)
 

2010年5 月 3日 (月)

照明器具の違いとして描かれた昭和の生活レベル このエントリーをはてなブックマークに追加

東芝ライテックは、CO2排出量の削減のため、白熱電球の製造を17日をもって中止すると発表した。今後は、消費電力の少ない電球型蛍光灯やLEDといっ た省エネ型の照明に移行する。

 同社は2008年4月に、白熱電球の生産を2010年に廃止する旨を発表。他メーカーでは2012年に製造を中止するところが多いな か、予定通り2010年に生産を中止する。 http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/news/20100317_355270.html

 2010年の3月をもって、東芝は約120年間に渡り販売してきた白熱電球の生産を中止した。そんな白熱電球は、流行歌の中に“裸電球”としていく度も登場してきた。


『大阪で生まれた女』(作詞・作曲・BORO)は、`79年の萩原健一のヒット曲。主人公は女性。大阪を愛する彼女は、大阪を離れ東京に出るんだという彼氏との別れを意識する。だが結局、彼女は男に付いていくことになる。

たどりついたら 一人の部屋 裸電球を
つけたけど 又 消して
あなたの顔を 思い出しながら
終わりかなと 思ったら 泣けてきた
大阪で生まれた女やけど
大阪の街をでよう
大阪で生まれた女やけど
あなたについてゆこうと 決めた

作詞:BORO

彼女の方針変更のきっかけは、裸電球だった。部屋でひとりきりになる寂しさを知った彼女は彼氏を追いかけて大阪を離れることを決意するのだ。


`74年にかぐや姫が歌った『赤ちょうちん』(作詞・喜多条忠)でも、「♪あのころふたりの アパートは裸電球 まぶしくて 貨物列車が 通ると揺れた ふたりに似合いの 部屋でした 覚えてますか 寒い夜 赤ちょうちんに 誘われて おでんを沢山 買いました」と、同棲カップルが暮らす部屋に“裸電球”が描かれる。


`87年に長渕剛が歌った『泣いてチンピラ』は、夢を持って上京した男が「紙コップの味噌汁」をかじる貧乏暮らしを営む歌だ。

「♪紙コップの味噌汁をかじれば 天井が笑う 裸電球 ぶら下がった部屋で
忍び泣いてる女は なお哀しくて ああ爪を噛んで 強くお前を抱きしめた」

歌謡曲における「裸電球」とは、貧乏、同棲と常にワンセットなのだ。

これら歌謡曲の世界の「裸電球「と暗に対比されているものは蛍光灯だろう。家族が一緒に生活するリビングルームを照らす明るい蛍光灯と、淋しい四畳半一間を照らす裸電球。幸せの在り方が、照明器具の違いとして暗にというか煌煌と対比されているのだ。

こうした対比の図は、現代のファミリーにはあまり適用できない。蛍光灯が灯る居間に集まる家族団らんの図とは、現代人の生活にとっての標準的な幸せとは言い難い。それどころか、そもそもいまどきのリビングは、むしろ間接照明に彩られているので、裸電球が用いられているはずだ。

白熱電球の生産を止めた東芝は、LED電球の生産にシフトした。LED電球が歌謡曲に登場するかどうか、それは微妙。

2010年4 月21日 (水)

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2010年3 月12日 (金)

コリー・ハイムと1980年代の青春映画と『シャコタン☆ブギ』 このエントリーをはてなブックマークに追加

コリー・ハイムが亡くなったそうだ。まだ38歳だった。

10代で映画デビューし、「ルーカスの初恋メモリー」「ロストボーイ」など80年代の作品の少年役で活躍。近年、薬物乱用歴を大衆紙などで告白して注目を集めた。コリー・ハイム氏死去 カナダ出身の俳優(共同通信)

僕は中学高校時代にはよく1人でアメリカのハイスクールもの青春映画を観に行っていた。コリー・ハイムとコリー・フェルドマンが共演した『運転免許証』(1988)という映画と、『フェリスはある朝突然に』(1986)は、当時とても好きな作品だった。前者はDVD化されてないので、15歳の時に見たきりではあるけど。

『フェリス~』の主役マシュー・ブロデリックは、先週のアカデミー賞授賞式に、ジョン・フューズの追悼枠で登場していて、ふけたなあと思ったらなんと47歳。フェリスのころがもう20代半ばだったと知って驚いた。

さて、この両映画、どちらもハイスクールライフと自動車という、アメリカの青春映画の二大定番アイテムが描かれる。『運転免許証』は、免許試験に落ちた高校生の2人が、コリー・ハイムのおじいちゃんのキャデラックを拝借してガールフレンドとデートに行く話。『フェリスはある朝突然に』は、お調子者のフェリスが、学校をさぼって父親の自慢の古いフェラーリを拝借し、ガールフレンドとナード風の友人とシカゴの都心に遊びに行く話。

どちらの作品にも共通するのは、
1,大人とは大切な車を所有しているものである
2,それをかすめ取って乗ることが少年の試練である
3,そして、その目的は、ガールフレンドとのデートである

という点。少年が大人になるための儀式、通過儀礼として自動車を盗む。ちなみに、この視点を逆転させて、大切な車を盗まれそうになる大人の立場というのを描くと『グラントリノ』になる。

一方、1980年代の日本で始まった漫画が『シャコタン☆ブギ』(1986~)である。高校の先輩後輩の関係であるハジメとコージ。ダブりの高校生で、免許を持っているハジメが、ソアラを買うところから物語は始まる。ソアラは、値段も高いラグジュアリーカーとして登場したが、むしろ当時の若者たちの間で売れたクルマだった。しかも、走り屋系、ナンパ系の両者に人気があった。その高級車を、ハジメは、「高校出たら本気で百姓する」と親をだまして買ってもらったのだ。

主人公2人が、このソアラを駆ってナンパに出かけ、恐い不良たちにからまれるというのが、この漫画の基本線。絵を見ずに、プロットだけを取り出してみると、80年代のアメリカのハイスクールものの定番とよく似ていることがわかる。『シャコタン☆ブギ』第1話の冒頭、コージが原動機付き二輪に乗ってやってくるが、これは『アメリカン・グラフティ』(1973)の冒頭を意識しているのかもしれない。めちゃめちゃ日本的、超ドメスティックなクルマ好きの若者たちの世界を描いたように見える本作も、実はアメリカ青春映画を下敷きにしていたのだと思う。

アメリカだけでなく、日本でも自動車を巡る青春ものが作られるようになったのが1980年代という時代である。そのころの両国の自動車産業は、真正面からぶつかっていた。日米貿易摩擦の時代である。2度のオイルショック、イラン革命を経て、ガソリンが高騰。でかくて燃費の悪いアメリカ車の時代から、小型で燃費がいい日本車の時代になりつつあった。デトロイトを始め、米の自動車産業は空洞化し、日本車がたたき壊される映像などを見たのを覚えている。こうしたジャパンバッシングを受け、日本の自動車産業は積極的に米の現地工場での生産を始めるようになっていった。

ちなみに、先日休刊した『NAVI』が創刊されたのも1984年のこと。いまどきは、若者のクルマ離れが囁かれるようになってもう久しい。青春と自動車は、もう結びつかないものになり、雑誌などで、「隣に乗せてドライブしたい女性タレントは?」みたいなアンケート項目を立てても、もう成立しないのだろう。そんな日本とはうって変わって、いまどきは、インドや中国で、自動車が登場する青春映画なんかが作られていたりするかもしれない。

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2009年12 月15日 (火)

コーヒーと恋愛、及びその受容とたまにイノベーション このエントリーをはてなブックマークに追加

恋は 私の恋は 空を染めて燃えたよ
夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと
あの人が言った 恋の季節よ

『恋の季節』作詞:岩谷時子

決定版 今陽子とピンキーとキラーズ

ピンキーとキラーズのデビュー曲『恋の季節』には、「夜明けのコーヒー」という歌詞が登場する。男は口説き文句として「夜明けのコーヒー」を一緒に飲もうと女を誘う。喫茶店のモーニングに誘っているわけではない。朝まで部屋で一緒に過ごそうという大人の口説き文句だ。
ピンキラは`68年にボサノバを歌うグループとしてこの曲でデビュー。もしかしたら、コーヒーが登場するのはボサノバ=ブラジルのつながりもあるのかもしれない。

この歌詞からはカップルが飲んだコーヒーがドリップ式なのかインスタントだったのかの推測は出来ないのだが、きっと後者である。なぜなら、この曲は発売される前年に、インスタントコーヒー界における革命『ネスカフェ・ゴールドブレンド』が日本で発売されていたからだ。

フリーズドライ製法を使った本格的なインスタントコーヒーの皮切りがこの『ネスカフェ・ゴールドブレンド』だった。「違いがわかる男の」というキャッチコピーと“ダバダ~♪”のCMソングは「目覚め―ネスカフェ・ゴールドブレンドのテーマ」長きに渡って使われているので、知らない人はいないだろう。

常にコピーとともにコーヒーにうるさいイメージの文化人を毎年起用するこのCMの初代は映画監督の松山善三で、遠藤周作や北杜夫も出演。ただし、「違いがわかる男の」というコピーは、現在「違いを楽しむ人の」に変わっている。ただし、このシリーズで最初に起用された女性は版画家の山本容子で、シリーズ開始から29年目の1999年のこと。

さて、『恋の季節』からちょうど30年後にあたる、1998年。モーニング娘。は『モーニングコーヒー』でデビューする。そのデビュー曲にも、コーヒーが題材として取り上げられている。

ねえ はずかしいわ (ドキドキ)
ねえ うれしいのよ (してる)
あなたの言葉
「モーニングコーヒー飲もうよ 二人で」
(Yes) 門限どおりに
(Yes) うちに送ってくれる
(Yes) 私より弱虫ね
(Stop) 時間が来るまで
(Stop) ぐるぐると遠回り
(Stop) くちづけも出来ない人

叱られたって かまわない
あなたについてゆくと決めた
なのに 急じゃ (こわい)

『モーニングコーヒー』作詞:つんく
モーニングコーヒー

しかも、ここで描かれるのも、“モーニングコーヒー飲もうよ 二人で”という、男からの口説き文句である。この男は、普段彼女“門限どおり”に送って届けるまじめな男のようだ。そんな彼に突然大胆な告白をされ、ドキドキする女の子の心模様が歌われる。

門限がある実家暮らしの女の子で、「叱られたって かまわない」というくらいなのだから、ここでのモーニングコーヒーは、外である。ホテルからの初めての朝帰りというシチュエーションなのだろうか。

そうだとしたら、この2人が飲んだモーニングコーヒーは、まだ当時、シアトルから上陸して間もないスターバックスコーヒーだった可能性がある。スタバの日本進出は`96年。銀座が1号店だった。そして、この曲が発売された98年から99年にかけて国内の店舗数を18から52店舗へと急増させている。そこからスターバックスは、あっという間に普及していった。

コーヒーの進化・イノベーションは、歌謡曲の恋愛の場面において、さりげなく登場し、ある種の役割を果たしているのだ。

さらに、ピンキーとキラーズとモーニング娘。の両デビュー曲のちょうど中間にあたる1983年。尾崎豊のデビュー曲『15の夜』に登場するのは“缶コーヒー”だ。

冷たい風 冷えた躰 人恋しくて
夢見てるあの娘の家の横を サヨナラつぶやき走り抜ける
闇の中 ぽつんと光る 自動販売機
100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ
恋の結末も解らないけど
あの娘と俺は将来さえ ずっと夢に見てる

『15の夜』作詞:尾崎豊

卒業/15の夜

15歳の少年が夜中に家出を敢行する。そして、(おそらくは)片思いの少女の家の前を通り「サヨナラ」と独りつぶやく。周囲は真っ暗だが、少年はぽつんと光る自販機を見つける。
「100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ♪」と続く。

少年の不安な心は缶コーヒーによって暖められる。はかないその場限りのぬくもりであることが、「100円玉で買えるぬくもり」という歌詞で表現される。15才にとっての缶コーヒーとは、ちょっぴり大人への背伸びという感情も込められているのだろう。

これを`65年生まれの尾崎の15才の頃の体験と仮定するなら、舞台設定は1980年ということになる。当時はまだコンビニも少なかった時代である。セブンイレブンの店舗数でいうと、現在の32分の1程度。外が寒いからといって、コンビニに寄っておでんでも買おうかという時代ではないのだ。

自動販売機に缶コーヒーが登場したのは1969年のこと。3年後の1972年にはホット用の自販機も登場している。しかし、缶コーヒー史における最大のイノベーションは、1976年に登場した「ホットアンドコールド自動販売機」だろう。この機種の登場以後、冷たい缶ジュースと温かい缶コーヒーを一緒に販売できるようになり、缶コーヒーは急速に普及することになった。

寒い夜に一人で家出する尾崎の孤独を暖めた缶コーヒーは、こんな技術革新を背景にしたものだったのだ。

ちなみに、缶飲料の価格が110円になったのは、尾崎が死んだ`92年のこと。100円玉1枚では温もりすらも買えない時代は、ここから始まったのである。

続く(かな?)

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2009年11 月24日 (火)

11月25日北仲スクール「ケータイ小説的郊外」告知 このエントリーをはてなブックマークに追加

Kitanaka

明日の北仲スクールでのレクチャーのポスターです。
只今、明日用の資料を制作中ですが、ざっくりと中身を紹介すると、
前半が
・表紙から語る近現代文学史
・表紙から見る大衆小説・ジャンル小説概要
・ハーレクインロマンスで覚えるカルチュラル・スタディーズ超入門
・ロマンス小説に描かれた社会背景から考えてみる

後半は、
・グローバルな文化状況に照らし合わせて見るケータイ小説
・ケータイ小説を生んだ90年代の下部構造と郊外
・郊外の変化と物語の変化
・スピルバーグ的郊外からタランティーノ的郊外へ

といった感じです。

  • 日時:11月25日(水)19-21時
  • 費用:無料(予約の必要はありません)
  • 会場:ヨコハマ・クリエイティヴシティ・センター(YCC) 3Fスペー-ス(〒231-8315 横浜市中区本町6-50-1
  • 交通:みなとみらい線「馬車道駅」1b出口すぐ/JR・市営地下鉄「桜木町駅」徒歩5分/JR・市営地下鉄「関内駅」徒歩7分
  • 主催/問い合わせ先:北仲スクール(横浜文化創造都市スクール)※
  • 連絡:Tel  045-263-9075 Fax 045-2623-9076 Email info@kitanaka-shool.net

2009年8 月14日 (金)

『サマーウォーズ』感想、ヱヴァ新劇場版:破との共通点とか このエントリーをはてなブックマークに追加

『サマーウォーズ』観ておもしろかったんで、感想というか箇条書きに近いメモを。

Summerwars_4 主人公・健二(数学の天才)は高校生で、夏希に連れられてきただけの外部の人間。侘助(スーパーハッカー)は妾の子で一族の財産を使い込んだ放蕩息子、カズマ(カリスマゲーマー)は中学生で、家族の食事の場所に現れずに離れでずっとコンピューターをいじっているなど、家族との距離が少しある。

『サマーウォーズ』はそんな3人が共同体の危機を救うことでその構成員に認められるという、共同体の通過儀礼のお話として見ることができる。健二の場合は、婿候補としての外部からの参入パターン、侘助は「放蕩息子の帰還」パターン、カズマは共同体の子どもが一人前の構成員に承認されるパターン。

ただし、彼らが迎え入れられるのは、実はそんなに前時代的な大家族ではないというところは重要かと。
それぞれが自分の仕事と家族を持った核家族は、年に一度だけ家長の栄ばあちゃんの誕生日にだけ集合するわけで、恒常的な大家族ではない。カズマとハルク・ホーガンキャラの万助が、インターネットを通じた拳法の師匠弟子の関係にあったり、侘助と家長の栄が血縁はないのに、それ以上に深く結びついていたり、土地に紐付けられた旧弊的な大家族ではないというアピールがあちこちに配されている。そもそも、みんな別々の職能を持ち、稼業を継いでいるものはいないという設定でもある。

いわゆる大家族のイメージは横溝正史の世界。土地建物、財産、伝統が家族を結びつけ、それらを巡る争いがおきて、地元に伝わる因習が前近代的なおどろおどろしさを演出したりする。横溝正史の大家族ものは、そういった要素が全部入り乱れて殺人事件が起きる。
『サマーウォーズ』の家族は、すでに土地や財産は失われ、建物しかないという。大家族を構成しているのは栄ばあちゃんの人間的な求心力として描かれる。
その栄の死によって家族は立ち上がるが、その力が本当に集結するのは栄の遺言の手紙が開帳された瞬間だ。栄は遺言において、家族の定義を行う。“家族とは一緒に飯を食うこと”。それだけがメンバーシップなのだと伝えるのだ。

食文化というのは、作物を生む土地に紐付いているので、イタリア北部のナショナリズムの発露としてスローフードが出てきたように、排他的な思想を生みやすいアイテムだと思うのだけど、ここでは血縁や家名なんて重要じゃないというアイテムに用いられているのだろう。

というのはともかく、これにより家族は侘助を迎え入れて一緒に飯を食うことで戦闘態勢を立て直し、力を再集結させる。
この家族の女たちは常に食事の支度をし(台所に男も立たせておけばもっと現代的になった気がするのだけど)、栄が侘助に長刀を突きつけるシーンでは、食卓がすべてなぎ倒されるといったとように、食卓が象徴として描かれる。

ここで思い出したのがエヴァ。
『サマーウォーズ』と『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の共通点は、家族=共同体のメンバーシップを巡る物語で、その突破口として“食事”をキーポイントにしている点にある。
エヴァの破で、シンジも綾波もアスカも料理をして、弁当を作り、食事会の日に向けてバラバラの物語を収束させようとするのを思い出した。

あと、よかったのが、夏希先輩がネット民衆を熱狂を一身に背負ってAIと花札勝負するクライマックス。ヒロインにもかかわらず夏希のキャラが薄いのには理由がある。それは彼女には依り代の役割が与えられているから。依り代とはいわゆる狐憑きのように、なにかを下ろす役割。
彼女はネットの善意を一身に背負って闘うジャンヌ・ダルク的戦闘美少女である。火の鳥入った吉祥天女への変身も見所。鹿の耳と巫女の衣装という神道系ゆるキャラ、けどカラーリングは赤と青のアメリカンカラー、おっと最後の青い浴衣が「その者青き衣をまとい」なのかな、花札と言えば栄の声をあてている富司純子主演『緋牡丹博徒 花札勝負』もあるじゃないかとか、いろんなものを過剰に背負っている。

それ以外に『サマーウォーズ』を巡る論点としてあげたいのは、仮想空間のコミュニティOZについて。
“mixi”+“Wii”+“セカンドライフ”だというこの電子コミュニティの運営主体が、どこの誰なのかというのが一番気になる。
全世界の10億人がアカウントをもっており、そこでのアカウントを通じて公共のインフラにまで影響を与えることができるというから、社会基盤として浸透している。

運営元は民間なのか国家なのか。一企業が国家の枠を超えて独占的に提供しているサービスなのか、それともひとつのサービスのように見えるが、実はさまざまな私企業が提供するサービス主体のより集めであり、OZは単なるプラットフォームなのか。それとも超国家的な政治主体みたいなものが存在し、国連軍のような形でオンラインコミュニティの運営を行っているのか。

どちらにせよ、ネット上に世界政府的なものが誕生している可能性が高い。一時期よく言われたGoogleの世界政府インフラとか、グーグルゾンみたいな既存のマスコミをすべて資本下に置いて権力の機能を独占するみたいな感じとは少し違う。もっとオンライン行政っぽい感じ。Greeやモバゲーが拡大して世界政府になるのか問題。

でも、マスコットキャラの鯨の名が「ジョンとヨーコ」なあたりが、言葉や国境の壁を超えた「イマジン」的なマルチチュード的な世界も匂っている気もしなくもない。人工知能「ラブマシーン」をOZに泳がせたのが米軍で、「グエムル」チックなアメリカが敵みたいな話になっている部分からは、OZがアメリカの覇権に対抗する存在であることも伺えるし。

そんな反アメリカの描き方とか、飯を作る女と社会で働く男みたいな家族における男女の役割の描き方とか、べたな依り代と萌えが結びついた夏希のキャラとか、「ジョンとヨーコ」の世界政府とか、挙げていくと鼻白むところが多いのも確かではあるが、おもしろかった。

2009年7 月 3日 (金)

追悼:マイケル・ジャクソン帝国と1984年(後編) このエントリーをはてなブックマークに追加

■コーラ戦争とマイケル

この時代に世界に進出したアメリカは、マイケルだけではなかった。ここからは音楽以外の1984年にも視野を広げてみる。

1984年に開催されたロサンゼルス・オリンピックは、オリンピックの商業化の始まりの大会として知られる。大会委員長務めたP.ユベロスは、各業種一社というルールで公式スポンサーを募り、大会運営を黒字化することに成功する。

五輪公式スポンサー第一号はコカ・コーラだった。その狙いは、まだコカ・コーラが浸透していないアフリカをはじめとした第三世界にライバルより早くコーラを売り込むこと。そのためコカ・コーラは、1982年のW杯スペイン大会、1984年のロス五輪と、世界的に注目されるスポーツイベントに莫大な広告費をあてたのだ。

さらに、この当時は「コーラ戦争」の時代でもあった。コカ・コーラとペプシコーラは互いに多大な広告費を使ってマーケティングに取り組んでいた。ロス五輪の公式スポンサーを巡る争い(コカ・コーラが提示した入札額は1260万ドルだった)に敗れたペプシは、マイケルとCMの契約を交わす。確かにマイケルなら国境や人種を越えた影響力を持ち、五輪にも唯一対抗できる存在だった。コーラ戦争は、オリンピックとマイケル、スポーツとポップミュージックを第三世界進出の架け橋として利用する、20世紀初頭までの植民地戦争の第二回戦でもあった。

Pepsi

1984年にCMバージョンの『Billy Jean』が使われたマイケルのペプシCMが流れた。この年、ペプシはシェアを1.5%伸ばし、コカ・コーラは1%下げている。この数字から、オリンピック対マイケルの戦いはマイケルの勝利に終わったと言えるかもしれない。

■ディズニー帝国の1984年

両コーラに並ぶアメリカナイゼーション、グローバル化の象徴がディズニーである。もちろんマイケルも大好きなあのディズニー。1984年は、ディズニーにとって転機の年だった。ディズニーアニメのヒットは途絶え、ディズニーランドの客足も減少の一途。そんな凋落時代のディズニーを救ったのは、パラマウントから来たマイケル・アイズナーである。

1984年にディズニーの経営を任されたアイズナーは、ケーブルテレビ局の買収やビデオソフトの販売を通して、過去のディズニーの遺産を商品として復活させ、実写映画への積極的な参与といった多メディア展開を始める。そして『美女と野獣』や『アラジン』といった新しい時代のディズニー映画を生む下地を制作部門内に作った。また、ディスニー帝国の足がかりもこのころに始まっている。1983年は東京ディズニーランドが誕生した年でもある。米国以外に進出したディズニーランドの第一号である。

Eo

ちなみにアイズナーは、ABC時代にジャクソン・ファイブをモデルにしたアニメ番組の制作に携わっていたことがあり、その縁からマイケルはディズニーランドのアトラクション「キャプテンEO」で仕事をすることになった。

マクドナルドやコカ・コーラ、そしてディズニーといった企業は、国家や領土の枠を超えて経済活動を行うグローバリゼーションを代表する企業。彼らを帝国主義時代の覇権になぞらえて“帝国”と呼ぶことがある。コカ・コーラ帝国にディズニー帝国といった具合だ。そして、この時代に米国文化として世界を席巻したマイケルもまた、帝国付きで呼ばれるべき存在だろう。マイケル・ジャクソン帝国。ただし、他の多国籍企業とは違い、この帝国だけは没落へと向かう。

■ジェシー・ジャクソンの1984年

さて、マイケルの年であり、グローバル化の転機でもあった1984年だが、アメリカの黒人の歴史という視点から眺めると、実に暗黒の時代であったことがわかる。81年に大統領になったレーガンが「強いアメリカ」を打ち出し、軍事費を増長、ドルの高騰を生む。国内の産業は打撃を受け、自動車産業をはじめとした失業率は高くなった。そして、アメリカ全体が保守化に向かっていた。

こうした流れは、黒人の権利拡大を訴える公民権運動にはマイナスに作用した。これまでは通っていた黒人の権利拡大の主張は、政府からも世論からも背を向けられるようになったのだ。そんな危機感から当時40代前半だった黒人の政治活動家のジェシー・ジャクソンは、レーガン政権を倒そうと、1984年の再選時、民主党内の大統領候補として立候補する。これは健闘と言っていい数字なのだろうが、ジェシー・ジャクソンはウォルター・モンデールとゲーリー・ハートに次いで3位になった。

結局、1984年のレーガン再選をかけた選挙は、レーガンが地すべり的とも言える勝利をおさめた。

ちなみに、このときのジェシー・ジャクソンは、マイケル亡き後、その遺族のスポークスマンを務めている人物である。元々、マイケルとは家族ぐるみのつきあいがあったという。

黒人の公民権運動にまつわる文化のすべてをR&Bと呼ぶと主張するジャーナリストのネルソン・ジョージは、この政治的な敗北、そして80年代初頭の黒人音楽の「クロスオーヴァー」現象を指して、「R&Bの死」と呼んでいる。マイケルの肌が白くなっていくのが、それを象徴する出来事として重ねることができるだろう。

そして、1984年から四半世紀が過ぎた。マイケルにとっては、25年前が頂点であり、それ以後は転落の一途といっていいだろう。『スリラー』で自ら作った壁が、自分の行方を遮ったのだ。小児性愛を巡る数々のスキャンダル、そしてみるみるうちに変化した肌の色と顔の形。そうしたすべてが、メディアの上でさらされる「スーパースター」という商品として世界中が消費した。正直、これほどおもしろいエンターテインメントはなかったし、もの悲しい帝国もなかった。

しかし、25年経った今年、バラク・オバマという黒人大統領が生まれた。あのときのジェシー・ジャクソンのジュニアが、政治家としてオバマ陣営を支えている。2009年はバラク・オバマが大統領になり、マイケル・ジャクソンが死んだ年として覚えられることになるだろう。

追悼:マイケル・ジャクソン帝国と1984年(前編) このエントリーをはてなブックマークに追加

*ビジスタニュースに書いたものに加筆修正を加えたものです。

ベストセラー街道ばく進中の村上春樹の新作『1Q84』には、マイケル・ジャクソンの「Billy Jean」がカーステレオから聞こえてくる場面がある。この小説の舞台である1984年は、ヤツの年だった。

スリラー(紙ジャケット仕様)

この曲が収録されたアルバム『スリラー』は、この年、日本で最も売れたレコードとなった。アメリカでは総計2700万枚のヒットを記録し、1983、1984両年のもっとも売れたアルバムとなる。そして、全世界での売り上げは約1億500万枚。『スリラー』がこれほどまでに世界を席巻した1984年とは、アメリカ、そして世界にとってどのような年だったのだろう。『スリラー』が世界で1億枚のヒットを記録した当時の時代状況を踏まえて触れてみる。

■MTVが登場し、音楽が総合エンターテイメントになった80年代

黒人音楽ジャーナリストのネルソン・ジョージは、70年代を「クロスオーヴァー」の時代と呼ぶ。「クロスオーヴァー」は通常、ジャズとロックの垣根を越える音楽のことを指すが、ネルソン・ジョージは、黒人音楽が白人の市場に取り込まれたこの時代の状況をなぞらえて、あえてそう呼んでいるのだろう。とにかく、大手メジャーのレコード会社は、黒人歌手のレコードを売るビジネスが、大きなビジネスになることに気付き始めたのが70年代。

そんな70年代の末にジャクソン5は黒人が経営するモータウンを離れ、大手メジャーレコード会社であるエピックに移籍することになる。この少し後、モータウンからダイアナ・ロスとマーヴィン・ゲイも、1982年にそれぞれRCA、CBSと白人系の大手レコード会社に移籍している。

ジャクソン5、ジャクソンズと経たマイケルが、ソロとして発売した『Off The Wall』(1979)は、それまでの黒人のレコードではありえなかったジャーニーやビリー・ジョエル並の広告予算がつけられた。結果、このアルバムは900万枚という、当時の黒人音楽史上最大のヒットを記録する。黒人のレコードはビッグビジネスになるという大手メジャーの目論見は見事当たったのだ。

そして、その3年後に発売された『スリラー』には、それを上回る規模で宣伝が行われ、『スリラー』は米で2700万枚(総計)を売るモンスターアルバムになった。そして、世界の市場をあわせると1億枚以上。もはや、黒人だ白人だという枠を「クロスオーヴァー」する世界的なビジネスになった。だが、この後にも先にも単独アーティストとしてこれだけの枚数のアルバムを売った例はない。それは、この時代だったから可能だったという理由があったのだ。

■なぜマイケルでなくてはならなかったのか?

ジャーナリストのネルソン・ジョージは、マイケルの登場がなければ彼の替わりに、ライオネル・リッチーが黒人のスーパースターになっていただろうと指摘している。70年代人気グループ・コモドアーズを抜けたリッチーは、黒人のスタッフを遠ざけた(これはマイケルもそう)。そして、カントリー歌手だったケニー・ロジャースをアメリカで最も人気のある歌手に仕立て上げた敏腕白人マネージャーを雇う。そして、R&B歌手の自分をアメリカで最も有名な歌手に仕立てるべく、白人市場を開拓する「クロスオーヴァー」戦略を自ら選び取っていく。

そして、リッチーは確かに80年代を代表する歌手の一人になった。だが、マイケルやスティービー・ワンダーのような世界的なスーパースターになったとまでは言えないだろう。リッチーがマイケルになれなかったのは、1981年に始まったMTVのせいだ。MTV以降、ポップスの歌手はただの歌い手ではなく、総合的なパフォーマーであることを求められるようになった。精悍なマスクを持ち、手足が長く、驚異的なダンスの技術を持ったマイケルは、MTV時代に相応しいスターだった。錦糸町のおばちゃん並の洋服センスと、どうしても成金趣味がにじみ出るライオネル・リッチーは、MTV向きの歌手ではなかったのだ。

■アメリカ発、世界市場向けの商品

MTVの登場で、米の音楽産業はメディアを「クロスオーヴァー」する総合エンターテインメント産業に変わる。そんな80年代、音楽の市場規模は急速に拡大していく。ロックの時代には存在した言葉の壁を、MTVの映像が取っ払ったのだろう。ロックのリズムは届いても、英語で歌われるメッセージは非英語圏にまでは届かなかったが、墓地でゾンビに襲われる映像は英語がわからなくとも届いたのだ。

日本においても、割合において、この時代ほど洋楽が売れた時代はなかった。それは、MTVが果たした役割が大きい。だが、90年代以降、再び洋楽の地位はまた下がっていく。ひとつにはJポップの台頭があった。そして、それだけではなく、90年代以降のアメリカの音楽産業は、80年代のように全世界に向けたユニバーサルな音楽よりも、狭い範囲に向けた商品を指向するようになった。これは、マーケティング手法の変化や政治状況と結びついているのだろう。

ライク・ア・ヴァージン

さて、80年代、MTVが生んだもう一人のスターがマドンナだった。彼女の『ライク・ア・ヴァージン』は1984年のアルバム。彼女は、世界が知る「わかりやすいアメリカ」であるマリリン・モンローに似せたルックスで登場し、「アメリカ発、世界市場向け」の世界戦略商品になりすました。マテリアル・ガール。

一方、マイケルは、世界の市場に受け入れられる商品になるべく、自分の身体に改造を加えていく。マイケルは、黒人と白人をクロスオーヴァーする存在から、アメリカと世界をクロスオーヴァーする存在にならざるを得なかった。黒人でも白人でもないユニバーサルな人種、そして男でも女でもない性別になろうとして、マイケルはその肉体を変貌させてゆく。

(つづく)

追悼:マイケル・ジャクソン帝国と1984年(後編)

2009年5 月 7日 (木)

なんちゃってジョニー・デップの世界 このエントリーをはてなブックマークに追加

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かつて、ジョニー・デップほど日本人に真似されるハリウッドスターが、これまで存在しただろうか。ヴィンセント・ギャロほど極端ではなく、適度に個性的で、わかりやすい小道具を使うから変装気分を味わえる。そんなところだろうか。

北島はこのあと、もう少しヒゲを伸ばしている。なんちゃってジョニー・デップは他にもkinkiの左側の人とか、日本代表のDFの人なんかにもいるが、ネタ的にいい写真が見つからなかった。

 

2009年4 月20日 (月)

『世情』vs『いちご白書をもう一度』 このエントリーをはてなブックマークに追加

沖田浩之と川上麻衣子と加藤優が出ていた『3年B組金八先生』第二期、シリーズ終盤の『卒業式前の暴力 前後編』は、あの金八が(当然)嫌いだったナンシー関をして「泣いた」と言わせたシーン。

「荒屋二中一のワル」こと加藤優は転向した桜中の金八の下で更正し、就職も決まっていた。だが、かつての不良仲間たちを見捨てて卒業することができず、再び荒屋二中に乗り込み、不良たちとともに放送室をバリケード封鎖する。その後が例のシーン。

警察隊が学校に強行突入し、加藤たちを連行。横暴な権力に屈してしまう加藤たちの姿がスローモーションで描かれ、バックには、正しいものが敗れ去る悲哀を歌う中島みゆきの『世情』が流れる。

このシーンは、学生運動にのめり込む若者たちの青春を描いた映画『いちご白書』(70年)の、学生運動の学生たちが占拠する学園に警官隊が突入するシーンを下敷きにしている。金八の演出家は、70年代末の校内暴力を60年代末の学生運動に見立てたのだ。

『いちご白書』のラストシーン、主人公が警官ともみ合う場面でスローモーションとなり、そこに重なる挿入歌のバフィ・セントマリーが歌う『サークルゲーム』。この曲の作曲者はジョニ・ミッチェル。金八の演出家が挿入歌に中島みゆきの学生運動を彷彿させる『世情』を使った。もしくは、和製ジョニ・ミッチェルとしての中島みゆきという連想もあったのかもしれない。

ただし、音楽で狙った演出の意図は、まったく違うもの。『世情』は警官が突入し、加藤たちを捕まえるシーンのスローモーションをドラマチックにするために使われているが、オリジナルの『いちご白書』の方は、警官が主人公を捕まえるシーンのスローモーションになったシーンで、それにそぐわない明るい曲調のものとして『サークルゲーム』を挿入している。

その明るい曲をバックに、まだ無邪気に楽しんでいた時代の回想のスローモーションとなって、エンドクレジットに突入。青春との訣別といった主題を、挿入歌とスローモーションで演出した。

さて、この『いちご白書』という映画を題材に曲を作っているのは松任谷由実(当時荒井由実)。

 

こちらは、かつて『いちご白書』を一緒に観た昔の彼女のことを回想する内容の歌詞。この歌の「自分」は、学生運動を卒業し、髪を切って就職を決めた自分に「もう若くないさ」と言い訳をする。 やはり、学生運動とそこからの卒業を、「モラトリアムの終わり」、「あきらめ=成熟」と解釈して歌にしている。

ユーミンも中島みゆきも、ジョニ・ミッチェルからの影響は大きいんじゃないかと思うんだけど、この辺りがそのスタンスの違いみたいなものをあらわしていたり、しなかったりするんじゃないかと。

著書

about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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