2015年10 月18日 (日)

『ONE PIECE』論(初出『新日本人論』) このエントリーをはてなブックマークに追加

「海賊王に!!! おれはなる!!!!」と言ったのはモンキー・D・ルフィだが、「海道一の大親分に!!! おれはなる!!!」と言ったのは、清水次郎長である。初めて『ONE PIECE』全巻を一気に読んだとき、真っ先に頭に浮かんだのは、子どもの頃に父からカセットテープを譲り受け、何度も繰り返し聞いた浪曲師2代目広沢虎造の次郎長一家の物語だった。


 移動の自由すらなくまだ身分制度が固定された時代に、自由気ままに旅から旅へと流れ歩いた渡世人=博打打ち集団は、ワンピースの世界で言う海賊のような存在だ。そして、大政、小政、豚松に石松と少数精鋭の個性的なばくち打ちたちのキャラクターが魅力の清水一家は、ルフィ、ゾロ、ナミ、ウソップ、サンジ、チョッパーらのルフィ一味のようである。ちなみに、主人公のルフィは次郎長ではなく、『次郎長伝』の最も愛すべき存在、喧嘩が強くて馬鹿正直で義理堅い森の石松だろう。


「次郎長伝」は、戦前の日本で最も人気のあった、今で言えばまさにONE PIECEのようなコンテンツだった。当時のナンバーワン浪曲師広沢虎造が次郎長の演目をやるときは、近所の風呂屋は空になったという。戦前の1930年代は大衆消費社会の始まりの時期。戦前と現代の最高のエンターテイメント作品の間には、意外と接点は多いのだ。


 1997年に『週刊少年ジャンプ』にて連載が始まり、今年(*2013年当時)で16年目に突入。コミックスの通算売り上げは、2億8000万部という、出版不況と呼ばれる昨今の事情を軽く吹っ飛ばすONE PIECEの人気の秘密を、この作品を読んだことのない人たちにもわかるように考察するというのが、本稿のミッションである。

■ヤンキー漫画とONE PIECE

 ONE PIECEは、麦わら帽子に短パンの主人公ルフィが仲間を集め、海賊船に乗って宝探しに出かける物語だ。海賊王ゴールド・ロジャーが、死に際に「ONE PIECE」と呼ばれる、富、名声、力をひとつなぎにする「宝」の存在を示し、そこから世界は大海賊時代を迎え、海賊たちが暴れ回る世界がやってくる。

 さて、過去のあらゆる漫画の中で、最も売れている人気作品ONE PIECEだが、決して万人に愛されている作品ではない。好きな人は好き、嫌いな人は嫌いと、はっきり評価が分かれるところがある。その分断のポイントははっきりしている。

 お笑い芸人で大学講師でもあるサンキュータツオによると、この作品のファン層とは、「ワンピースを卒業したらEXILEに流れるような人たち」なのだという。自身がアニメオタクである彼は、1人で世界と向き合う『エヴァンゲリオン』には共感するが、仲間と一緒に世界を旅するONE PIECEには乗れない派だ。同じ立場を示すのが、アニメオタクのタレントの原田まりる。彼女は「友だちのいなかった私には理解できない世界」がワンピースだという。ONE PIECEは、おたく層とは相性が悪いのだ。

 精神分析医の斎藤環もこれに近い見解を示す。斎藤は、ONE PIECEの人気とは、「“ヤンキーの1人も出てこないヤンキー漫画”を極めた」ところにあると考えているという(『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』)。一見、海賊が登場するファンタジーの世界のようだが、登場人物たちの行動原理や美学は、反知性主義、積極行動主義に代表されるヤンキー的なものとして説明できる。読んでいる層は、基本的にはそれを受け入れられる層ということだ。

 漫画評論家の紙屋高雪も、バトルを物語の中心としながら主人公が強くなる過程を描かないONE PIECEは、ヤンキー漫画であると指摘している。『ドラゴンボール』の孫悟空は、修行で自らの戦闘力を向上させていく。だが、ヤンキー漫画で登場人物の喧嘩の強さは、気合いや根性といった「非科学的要素」で決定づけられるのだ。ONE PIECEは、後者であるというのが、紙屋の主張だ。

 このようにワンピースの影、もしくは根っこにある「ヤンキー性」を、多くの論者が指摘しているのだ。そうとわかれば、ONE PIECEがこれだけ売れるのは納得できる。ヤンキーは、一部のマニアの集合体であるおたくマーケットと違って、一枚岩に近い巨大なマスマーケットだ。浜崎あゆみもTSUTAYA書店もケータイ小説もドンキホーテもディズニーランドも木村拓哉もJポップのレゲエカバーCDも『○型自分の説明書』もエルグランドもラウンドワンも、基本的にはこの国のもっともマジョリティ=ヤンキー的消費層によって消費されているヒット商品である。

 確かに、ヤンキーと仲間というマッチングはしっくりとくる。ルフィたち海賊が「仲間」を重視するのは、暴走族を形成したり地域の祭りで盛り上がるヤンキー的な世界の特徴とよく似ている。次郎長一家のような渡世人の世界でも、仲間は重視される。親兄弟の杯を交わすというシステムは、仲間を家族レベルに強化するための仕組みである。海賊も渡世人も、境界的存在であり、国家権力によって守られない存在。仲間との絆とは、敵の多い世界で身を守る術、つまり安全保障上の理由によるものなのだろう。

■ONE PIECEの組織論

 もうひとつ、ワンピース論でよく言われるのが、その組織の在り方についてだ。
 会社員にありがちなことだが、組織の一員であることが目的化すると、個々の意欲や仕事の質は低下する。だが、個々に目的を持って組織に参加しているルフィたちにそれはない。ルフィの目的は、海賊王になることだが、ゾロは世界一の剣豪になる夢を適えるプロセスとして、ルフィの仲間になっているし、ナミは、世界中の海の海図をつくるために海賊の仲間になっている。個々に意思決定を行うリーダーなしでも動ける「ヒトデ」的な組織体。ワンピースを組織論として語ると、だいたいこんなところだろう。
 以上で分析終了。というのでは、他人のふんどしで相撲を取ったに過ぎない。ここからは、もう少しだけその「支持される理由」について掘り下げてみた。

 ONE PIECEは、少年マンガの王道という評価がされることが多い。夢と友情で結ばれた主人公とその仲間たちが、敵を次々とやっつけていくという部分を観れば、確かにそうだ。だが、僕が本作に見いだしたおもしろかった部分とは、主人公と仲間たちではなかった。むしろ興味深かったのはむしろ敵の描かれ方だ。
 一見、種族・能力として強い敵を次々と描いているようにも見えるが、『ドラゴンボール』が、ナメック星人やサイヤ人といったように、種族として敵の強さのインフレを起こしていったのとは違う。ONE PIECEにおける敵は、組織の構造として強くなっていくのだ。


■ONE PIECEの敵に見る権力の派生の仕方

 

 ONE PIECEに登場する敵たちは、とても研究のしがいがありそうだ。
 犯罪会社のバロックワークスは、国境に縛られない現代の多国籍企業のような存在だ。幹部社員同士は顔も知らないという秘密主義は、部署が違えば何のプロジェクトなのかすら知らされないアップルのようだ。アップルは、スティーブ・ジョブズの辣腕ぶりだけが喧伝されるが、アップルが本当に独創的な製品を作り続ける理由は、実はこの秘密主義で結合された組織の部分が大きい。互いにやっていることを知らないからこそレベルの高い競争が生まれるのだ。

 そして、日常は平凡な人間の皮を被り、裏で権力を組織して、恐怖政治を行う海賊執事のキャプテン・クロ。彼の権力の掌握の仕方は、姿を隠してクメールルージュを組織した、カンボジアの独裁者ポル・ポトを連想させる。

 個人的に気に入った権力の在り方は、物語の前半に出てくる敵の「半漁人アーロン族」と王の座を捨てて海賊化した「ワポル」である。

 前者は、半漁人という種族としての優位性を持ちながらも、世界中の海を海図としてマッピングすることで権力の座を得ようとする組織である。いわばGoogleがマップサービスをもって世界政府化していく様子に似ている。

 後者は、国中の医者を追放し、政府お抱えの20人の医師「イッシー20」を組織化するワポルという権力者が統治する島のお話。人々は、国に忠誠を誓わないと医者にもかかれないのだのだ。実社会の国民皆保険制度はセイフティネットと考えられているが、考えてみればこれは医療の国家的独占をもって行う統治である。そんな具合に権力の在り方をついつい考えさせられてしまう。

 ルフィたちが戦うのは、単なる敵のグループではなく、こうした権力の掌握術や組織論に一家言を持つリーダーが生み出した権力による構造物である。それを、権力を掌握しないリーダー(ルフィ)によってつくられた組織(ルフィ一味)が、次々と撃破する痛快さこそが、この物語の人気の最大の理由なのではないだろうか。

 ワンピースの作者、尾田栄一郎は、決して王道マンガ家ではない。むしろ、変態的までの権力マニアだ。権力の現れ方、人民の掌握術などをかぎつける才能がすごい。彼がマンガ家になったからワンピースは生まれたが、別の職業に進んでいたらと想像すると恐ろしくもある。権力を批判するジャーナリストになっていたかもしれないけど、恐ろしい独裁者にもなれるかもしれない。もしくは、ブラック企業の経営者とか。
 そう、話は変わるが、「ブラック企業」なんて言い方もされるように、実際の社会において、身近な人を縛り付ける権力の主体とは会社である。非正規社員だの派遣社員だのと、働く側にとっては都合の悪いあれこれが押しつけられ、いつの間にか望んでもいないのに、僕らは悪の海賊一味の下っ端のような存在になってしまっている。

 現代の会社員たちは、モチベーションのほとんどを「生活のため」という目的に向けて働いている。だからこそ、「目的のため」「仲間のため」というモチベーションで動く、自由なルフィたちにあこがれるのだろう。

 

■現代のゴーイングメリー号?

 

 ピースボートというものを知っているだろうか? 「それまでの生活を抜け出したい」「何かを変えたかった」「自分を見つめ直す」または「世界を平和にする」などという「目的」を持った若者たちが集まって船で旅をするのがピースボートである。言ってみればピースボートは、現実社会のゴーイングメリー号(ルフィたちの海賊船。途中で壊れる)だ。


 社会学者の古市憲寿は、このピースボートに搭乗した海賊の一人である(かなり弱そうではあるが)。彼の書いた『希望難民ご一行様』という本は、その航海記なのだが、そこでの観察によると、ピースボートに乗る若者たちは船の旅の途中で夢(目的)への関心が薄まっていくのだという。それは、船の中で過ごす仲間との時間の楽しさの方が優先されるからだ。

 乗船者の多くは、そこで得た仲間と、旅の後も関係を維持して、当初抱いていた「目的」を忘れて、意識が低いまま生きていくという。つまり、仲間といると楽しいという「共同性」が「目的性」を冷却してしまうのだ。

 だけど、それも悪くないじゃないかというのが、古市の主張である。現実の日本においては、富や権力をひとつなぎにする宝=ワンピースは、先行世代の中高年層に独占されている。そんな何も持たない世代にとっての唯一の有効な武器、というよりも生活インフラに近い存在が「仲間」である。

 すでに強者と呼ばれる海賊たちが「偉大なる航路」に進出する中、若くて経験のないルフィたちは、後続者としてあとからその海域に向かわざるを得ない。彼らが航路を突破するために使えるのは、仲間という武器だけ。その構図は、現代の若者と同じなのだ。

「仲間」が、現代社会でかつて以上に価値を持ち始めている。ワンピースが流行るのは、そんな社会の姿と関係しているのかもしれない。

初出『新日本人論』(2013年12月刊 ヴィレッジブックス)


2015年5 月19日 (火)

島国ニッポンにおける「独立構想」の系譜 このエントリーをはてなブックマークに追加


日本という社会が抱えている閉塞感とは何か。領土を海で覆われた島国で、言語も通貨も国内限定流通するのみ。この国に生まれた人間の多くは、この国で生活し、子を産み、育て、そして死んでいく。

歴史を見ると、幾度も政治体制の変化を経てきたし、他国からの占領も経験したが、江戸の将軍も明治政府もGHQの占領もすべて、天皇というシステムを利用してこの国の統治を行ってきた。日本列島が一つの国としてイメージされるようになったのは、ごく近代のこととはいえ、まるで長きにわたって神の国が維持されてきたようなイメージさえ共有されている。

表面的には、極めて変化に乏しい国なのだ。人々は、むしろ変化に気づかないふりをすることに長けている。一例を挙げると、「敗戦」が「終戦」に書き換えられるのが典型的だ。変化を覆い隠す技術が磨かれてきたのだ。

一方で、この国では、幕末を舞台にした小説やドラマに人気が集まる。国の体制が、若い志士たちの力で変化する。そんなロマンに溢れた時代変革期に、活躍した坂本龍馬や木戸孝允といった人物たちは、とても人気がある。ただし、彼らを愛してやまないのは、もっとも変化を恐れる中高齢のビジネスマンたちである。彼らは、この国で最も変化を望まない人々である。

そんな変化に対するジレンマにあふれたこの国だからこそ、「日本からの独立」というモチーフを描いたフィクション群が、いつの時代にも存在するのかもしれない。この論考では、そうした「日本からの独立」物語の代表的なものを、簡単な分類とともに紹介しながら、「この国で独立を考えること」について考えてみたい。

■吉里吉里人と新左翼のその後

日本からの独立をモチーフにした小説でもっともよく知られているのは、1981年にベストセラーとなった井上ひさしの『吉里吉里人』である。

岩手と宮城の県境近くに位置する架空の山村「吉里吉里」が、ある時突然、独立を宣言する。彼らは4200人の国民と、公用語の「吉里吉里語」(実際にはいわゆるズーズー弁)を持っている。そして、「イエン」という独自通貨を発行し、科学立国という志を掲げている。彼らは、日本からの独立という行動を、数年の歳月をかけて計画的に準備してきたのだ。元々作物は豊富であり、農作物の自給率は100パーセント。エネルギーは、地熱発電所を擁しているため自前で賄うことができる。

この物語の舞台が東北であることには、大きな意味がある。東北は、東京を代表する都市部に食糧を提供する穀倉地帯であり、労働力の提供元だった。いわば、国内に存在する植民地と見ることができる(以後、そこに原発によるエネルギーが加えられることになる)。1970年より始まる、米の生産調整、減反政策は、その東北をないがしろにする政策だった。吉里吉里人の「日本からの独立」の背景には、そんな日本の政策転換があった。
 こうした日本からの分離独立を描く『吉里吉里人』の背景には、1970年代初頭の新左翼運動の挫折が透けて見える。

日本の新左翼運動が退潮する瞬間とされるのは、1972年のあさま山荘事件とその後の山岳ベース連続リンチ事件の発覚だった。連合赤軍の連中の一連の行動は、自らを兵士として鍛え(それ自体を彼らは「自らを共産主義化する」と呼んだ)、銃を使って政治体制の変更しようとしたが、その路線は完全に道を閉ざされた。
 その後、武力革命を強硬する路線を捨てた新左翼の運動家たちは、有機農法や消費者運動などを用いて、新しいコミュニティの実践に乗り出していく。このような新左翼運動の論戦変更、強行革命路線から自主独立への方向転換。これに、東北の歴史とアイデンティティという要素を重ね合わせたものが『吉里吉里人』なのである。

■独立国に軍備は必須か

連合赤軍が他の新左翼運動と大きく違ったのは、彼らが軍備を持とうとした部分だ。銃砲店を襲い、ライフルや弾丸を奪った彼らは、最終的に追い詰められたあさま山荘にて、警官隊との銃撃戦を繰り広げるに至る。一方、独自通貨から公用語、独自エネルギーまで兼ね備えた吉里吉里国だが、軍備となるととたんに心許ないものになる。吉里吉里国の陸空の防衛に当たるのは「吉里吉里防衛同好会」という頼りない名前の組織でしかなかった。それでも、軍備は独立国家に不可欠なものなのである。

軍事史家のマーチン・ファン・クレフェルトが1991年に刊行した『戦争の変遷』(日本版刊行は2011年)は、国家同士が、政府が使う軍隊同士で戦うような、「大規模な通常戦争ーー今日の主要な軍事国家が戦争と認識する戦争ーーは確かに消滅しつつあるのかもしれない」ということを前提として、新しい時代の戦争の在り方を示した。1991年は、湾岸戦争勃発の年だ。精密誘導ミサイルなどの新しいテクノロジーが登場し、「軍備」の意味する中身も様変わりしつつあった時代でもある。

冷戦構造が崩壊しクレフェルトが「低強度戦争」と呼んだ正規軍同士の衝突ではない戦争の時代の始まりの時代に『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ著、1988〜1996年)の連載は始まった。これもまた「日本からの独立」を描いた漫画作品である。

日米が極秘裏に開発した原子力潜水艦「シーバット」の乗組員である海上自衛隊出身の主人公たちが反乱を起こし、潜水艦を奪取する。核弾頭を搭載したミサイルを積んだ(と思われている)原潜をひとつの国家として捉える艦長の海江田四郎は、「やまと」の独立を宣言する。

この「やまと国」は、「吉里吉里国」とは対照的な国家である。「吉里吉里国」は豊穣な食物を生み出す領土と、その土地で生まれ育った国民で構成されるが、「やまと国」は、自衛隊の潜水艦の乗組員という形で集まった人々が、領土を持たないまま独立した国家だ。農産物など食料の生産能力はゼロである。あるのは乗組員という名の国民と、原子力発電によるエネルギー、そして核ミサイルという強力な軍備である。通貨も民主選挙もない。

吉里吉里国が、寒くて生きていくのに根気を必要とする東北という場所への強い(ナショナル)アイデンティティから生まれたのと裏腹に、やまとの元首である海江田四郎は、理念をもってこの「やまと」の建国に至っている。彼の理念とは、政治と軍事を切り離し、常設軍を持つ独立した超国家組織をつくるというものである。つまり、国家から軍事力を切り離すという社会実験のために、彼は「やまと」の独立を目指したのだ。その原点には、当時の日本の政治への不信や、日本という国の軍事力に対する理解への低さなどがあったのだろう。その意味においては、本作も閉塞感から生まれた「日本からの独立」という分野に属していると言えるだろう。

■オウム真理教のめざした独立国家

この『沈黙の艦隊』の連載期間と、現実の日本においてオウム真理教が世間に注目されはじめ、地下鉄サリン事件を首謀したことによって壊滅に追い込まれていく時期は、ほぼ重なっている。世界が、正規軍とテロリストが戦う「非対称戦争」の時代になっていった1990年代、日本も国内でもテロリズムとの戦いに巻き込まれていく。

1990年に大勢の信者を衆院選に送り込んで惨敗を喫したカルト宗教団体のオウム真理教は、選挙を経ての政治への参入という手法を諦め、方策の転換を図る。彼らも閉塞した「日本からの独立」という手法を模索し始めたのだ。

オウム真理教は、反近代、反資本主義的な信仰を打ち出しながらも、建国に当たっては、技術主導、資本主義での立国を進める。具体的には、科学力を持って毒ガス兵器の生成を行い、パソコンショップ、ラーメン店、カレー店の経営で資本を集めた。そして、彼らが独立国を開国しようとしたのは、山梨県上九一色村である。自らの組織の在り方も、日本の官僚組織を真似た省庁制として編成したことからも、もうひとつの「日本」を作ろうと考えていたのは明かだ。

疑似独立国「オウム」において国民は、もちろん教団の信者のことだ。彼らは、教団が持っていた科学万能主義への批判精神、オカルト趣味といった宗教観に引きつけられて集まった人々である。だが自分たちが社会から攻撃に去らされているという被害妄想とともに結束を堅くし、自分たちが「独立国」の国民という意識を強くしていく。オウムは、サリンを持って国にテロを仕掛けるが、自分たちの軍備というほどの装備や戦闘力までは持てなかったのは幸いだった。

■中学生たちによるヴァーチャルな独立国

村上龍は、『愛と幻想のファシズム』『希望の国のエキソダス』の二作で「日本からの独立」を小説で描いた。ちなみに、どちらも北海道での独立というモチーフを用いている。

この両作は、閉塞した日本社会の内部から変革しようとする人間が登場し、「日本からの独立」を実験として試みるというものだが、前者のアイデアの発展型として後者の作品が生まれているという関係にある。従って北海道独立をより具体的に描いたのは、後者の方だ。

1998年に連載が始まった『希望の国のエキソダス』は、近未来を舞台に、中学生たちが集団的な登校拒否状態に陥るところから物語が始まる。中学生たちの中から「ナマムギ通信」という会員制ネットを使い、全国の中学生を組織化する勢力が現れる。
 そのグループは、国際的なニュース配信会社を中心とする組織「ASUNARO」を立ち上げ、さらに国際金融市場で資金を手にし、北海道の自治体の財政を握り、移住を始めるのだ。彼らの組織は、会社という組織体の形を取らず、縦の命令系統を持たないネットワークである。2000年前後に書かれた作品にも関わらず、すでにソーシャルネットワークの登場を予言しているところも興味深い。

ASUNAROは、「日本国からの独立」を試みるが、あくまでも「実質的な独立」に過ぎず、敵対しない。ASUNAROは、破綻自治体を事実上買い上げ、そこにネットワーク上の会員たちを移住させる。ファンドを利用して導入した風力エネルギーの基地を立ち上げ、環境や社会貢献が控除される新しい法人税の制度を導入することで、世界の先端企業を集める。電子マネーを使った地域通貨によって、グローバルな金融資本主義と距離を置くという辺りは、2000年頃の左翼系知識人の間でもてはやされたトレンドだった。より現代的なシチュエーションでの「日本国からの独立」を描こうとしたのだ。

■梅棹忠夫の「北海道独立論」と蝦夷共和国

ちなみに、村上龍が北海道独立をモチーフにした背景には、民族学者の梅棹忠夫の「北海道独立論」の存在があるはずだ。梅棹の「北海道独立論」は、北海道が日本において、独立論の舞台になるにふさわしい歴史や思想が流れていることを指摘し、実際にその機運の元で、独立に等しい時代を持っていたことを書いたものだ。そして、北海道独立は、実際に成し遂げられたものでもあった。日本の内側に一瞬だけ存在した独立国は、フィクションではなく実在するのである。

それは、明治元年戊辰戦争のおりのことだ。江戸幕府の海軍副総裁榎本武揚は、勝海舟らが江戸城を明け渡した際に、全海軍を率いて江戸を脱出する。彼らは途中、会津戦争の残留勢力と合流し、北海道函館五稜郭に到達した。榎本はここを占領し、この地に仮政府を樹立する。さらに、彼ら仮政府樹立に辺り、大統領を選出のための選挙まで行っている。榎本は150点を獲得して当選。榎本らと行動を共にした陸軍奉行並の松平太郎が120点で猛追した。この仮政府は、半年を待たずに消滅するが、当時、榎本と会見した英国公使館書記官アダムズが、「republic」という表現を用いて自著で取り上げたことから、これを「蝦夷共和国」と俗称する動きが、のちになって出てきたのだ。

■最新型の独立国、坂口恭平「ゼロセンター」

さて、ここまでは現実、フィクション両方に現れる「日本からの独立」という様々な事例、作品を取り上げてきた。この閉塞感が蔓延する国では、いつの時代でも「独立国」が夢想され、ときには実行に移されてきた。そんな「独立国」の系譜に置かれた最新型の事例に、坂口恭平の「ゼロセンター」計画がある。

2011年3月12日の福島第一原発の爆発事故直後、熊本に逃がれた坂口恭平は、2011年5月15日に「新政府」の設立を宣言し、自ら「新政府初代内閣総理大臣」に就任した。熊本市内坪井町にある築80年の一戸建てを「ゼロセンター」と名付け、建国から一ヶ月で、東日本から避難してきた人々、計100人以上を宿泊として受け入れ、約60名を移住させた。この独立国宣言は、名目はアート活動であり、主催する坂口は、建築家でありアーティストである。

だが、この「ゼロセンター」は、アートと言い切れない危うく、そしてわくわくさせてくれる絶妙なバランスに置かれているのだ。放射能への恐怖、そして日本政府への不信という部分で人が集ってきたという経緯には、一歩間違えるとカルト化しかねない危うさも秘めている。だが、現代の資本主義や消費社会の在り方を否定しきらずに、逆手に取ってみせる坂口の手法は、多くのファンを獲得している。坂口は、路上生活者の生き方をベースとした、0円を基本としたスクワッター(無断占拠者)的なライフスタイルを提唱し、現状の国家とは別レイヤーに新政府を生み出そうとしているのだ。

そして、何より多くの人々をわくわくさせるカリスマ性を、坂口は備えている。ゼロセンターには、「ソーシャルネットワーク時代の独立国物語」という社会実験的側面もあり、「もし、顔のいい麻原彰晃が存在したら」といった見方もできる。現状、この「ゼロセンター」がどのような方向に進むのかが気になる。閉塞した日本の社会の在り方に一石を投じるところまではたどり着いている。その先の姿も、ぜひ見届けてみたい。


*上記は2013年4月に刊行された「踊ってはいけない国で、踊り続けるために ---風営法問題と社会の変え方」(磯部涼・編)に寄稿したものを一部改変しました。ゼロ・センター、いまはどうなってしまったんでしょう?



2015年4 月13日 (月)

村上春樹小説における「モヒート」「レクサス」から考える最新型高度資本主義社会 このエントリーをはてなブックマークに追加

 

■春樹と固有名詞

村上春樹の小説には多くの固有名詞が登場する。例えば「ヤナーチェク」。『1Q84』で取り上げられたヤナーチェクのCDがショップの店頭から消失し、急遽再発されるというようなことも起こっている。春樹経由でビーチボーイズを知った人も少なくないだろう。村上春樹の小説を読み解く上で、こうした具体的な固有名詞、文化記号に迫るというアプローチも可能だろう。ビーチボーイズ、ブルックスブラザーズ、マールボロ、トーキング・ヘッズ、ピナコラーダ、ソニー&シェール、シェーキーズ……。

さて『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んでみて、漠然と気になった固有名詞は「モヒート」と「レクサス」の2つである。

『色彩を〜』で主人公の多崎つくると、そのガールフレンド木元沙羅が東京・恵比寿のバーでデートをするときに飲んでいたのが「薄いハイボール」と「モヒート」だった。モヒート。このカクテルが日本でブームになったのは2011年のことだ。この年サッポロビールと業務提携したラム酒メーカーのバカルディ・ジャパンは、ラムの消費量を増やすための目論見として、ラムを使ったモヒートを流行させるプロモーションに乗り出す。彼らは、サッポロの持つ販売ルートを用いて、バーやレストランなどでモヒートをメニューに加える提案、レシピの提供などを行うPR戦略を展開したのだ。

これと似た形でブームを生み出した酒類の前例として、「ハイボール」があった。2008年にサントリーが自社製品であるウィスキーの「サントリー角瓶」の販売量拡大のために、ハイボールの流行を生み出したのだ。サントリーは、缶入りのハイボール製品を開発し、ソーシャルメディアを使った販促を行った。さらには自社経営のバーや契約店のメニューにハイボールを展開。さらには、テレビCMも投入し、一旦は現代の酒場から消えたハイボールを復活させたのだ。

このサントリーのハイボール戦略の成功を手本にしたであろうバカルディは、同じようにモヒートのPRキャンペーンを成功させ、2011年、ついに夏に飲む酒の定番の地位をハイボールから見事に奪い取ったのである。

■カクテルと「高度資本主義社会」のルール
私たちが生きる世界とは「最も巨額の資本を投資するものが最も有効な情報を手にし、最も有効な利益を得る」というルールの上に築かれた「高度資本主義社会」であるという啓示を識したのは村上春樹である。彼が30年前の日本を舞台にして書いた小説『ダンス・ダンス・ダンス』でのことだ。ハイボールからモヒートへ。これは、まさに巨額の資本投資によってもたらされた「有効な利益」の結果である。

この『ダンス・ダンス・ダンス』という小説の主人公「僕」の職業は、フリーランスのコピーライターだ。広告業界の片隅で生きているが、この「高度資本主義社会」のシステムにはまだまだうまく適応できずにいる。誰もがそれに適応する中、彼だけはそれにとまどっており、それゆえに変人扱いされることも少なくない。「高度資本主義社会」。資本投下と回収によるシステム。それは、ゴージャスなホテルや国際的な高級コールガール組織からデュラン・デュランまでが同じシステムが運営され、なんでも経費で落ちる社会のことでもある。

この作品の中で「僕」は、ある有名作家の娘である13歳の少女「ユキ」の面倒を見るよう依頼される。とはいえ、彼がこの依頼仕事に応じて為すことと言えば札幌で「ウォッカソーダ」や「ブラディー・マリー」を、ハワイで「マティーニ」や「ピナコラーダ」や「ジン・トニック」を飲むことくらいだ。13歳の少女を連れ回し酒を飲むことで対価を得るのも、立派な「高度資本主義社会」の労働に他ならない。「僕」にとっての「高度資本主義社会」の実践の課程が13歳の少女と酒を飲むことだった。

ジンやウォッカといったベースとなる酒にフルーツジュースや別の酒を掛け合わせて作られるカクテルは、まさに「アルコール」という商品価値に別の付加価値を加えるまさに「高度資本主義」的な商品である。実際、村上春樹の小説には、多くのお酒、とりわけカクテルが登場する。冒頭に戻るが『色彩を〜』の主人公「つくる」と「沙羅」は「薄いハイボール」と「モヒート」を作中で飲んでいる。彼らも意識しないうちに、2010年代型の「高度資本主義社会」に生きているのだ。

■バブル、デフレを経て変化した消費社会

「世の中が少しずつ複雑になっていくだけだ。そして物事の進むスピードもだんだん速くなっている。でもあとはだいたい同じだよ。特に変わったことはない」(『ダンス・ダンス・ダンス』(上)より)というのは、この小説のファンタジーの部分である「羊男」の台詞である。これもまた「高度資本主義社会」とは何かを定義するフレーズのひとつだろう。

「だいたい同じだよ。特に変わったことはない」というのは本当だろうか。例えば、現代から『ダンス・ダンス・ダンス』が発表された1988年に示された「高度資本主義社会」の中身を眺めてみると、当時とは随分様相が変わっていることに気がつく。まず「この巨大な蟻塚のような高度資本主義社会にあっては仕事をみつけるのはさほど困難な作業ではない」(『ダンス〜』)というテーゼ、これはダウト! である。昨今の若年雇用問題に関心を寄せる赤木智弘辺りに聞かせたら激怒するだろう。バブル経済が崩壊しデフレが続く中で「巨大な蟻塚」はそれなりに制度疲弊が起こり、新しい蟻に密が行き渡らなくなった。若い世代の就職はわりと「困難な作業」になってしまった。また、主人公は「文化的雪かき」と自虐的に呼ぶライター仕事の数ヶ月分のギャラで、まるひと月遊んで暮らす資金としていたが、現代においては売れてもいないコピーライター、フリーライターのギャラはそんなに高くないとも僕の方から補足しておこう。

また、「ゴージャスなホテルや国際的な高級コールガール組織からデュラン・デュランまでが同じシステムが運営され、なんでも経費で落ちる社会」も、同様にダウトだ。「何でも経費で落ちたのは、単にバブル景気だったからだ」と指摘しているのは批評家の栗原裕一郎(「村上春樹『1Q84』をどう読むか」河出書房新社)である。みもふたもないが真実だ。どうだろう、マセラティ全額は経費では落ちないんじゃないだろうか。もちろん、1988年に刊行された小説が、バブル崩壊後の世界を予測できるわけではないので、春樹に落ち度があるわけではない。

■マセラティとスバルとレクサス

まあ大同小異は別として、消費社会の在り方については、複雑化し物事の進むスピードもだんだん速くなっているという見立ては、外れてはいないだろう。消費社会化の段階変化をシニカルに書くことについて、村上春樹よりもうまい作家はそうはいないように思う(双璧は、ある時期までの村上龍だった)。本作においては、「レクサス」という固有名詞を登場させることで、その役割を果たしているように思う。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の登場人物「アオ」は、名古屋でレクサスの販売主任の仕事をしている。レクサスは、元々トヨタが1988年(まさに『ダンス〜』が書かれた年)に海外向けラグジュアリークラスカーであるセルシオを輸出する際に用いたブランド名である。BMWやメルセデスに比べると値頃で高性能という評判がレクサスに定着すると、今度は逆輸入という形で日本市場に投入される。日本で逆上陸という形でレクサスの販売が始まったのは、2005年のこと。つくっているのはトヨタだが「トヨタ」のブランドは前面に出していない。とても「高度資本主義社会」的である。

アオの勤めるショールームを訪ねたつくるが、最後に尋ねたのは「レクサス」の言葉の意味である。「よく人にきかれるんだが、意味はまったくない。ただの造語だよ。ニューヨークの広告代理店がトヨタの依頼を受けてこしらえたんだ。いかにも高級そうで、意味ありげで、響きの良い言葉ということで」

経済コラムニストのトーマス・フリードマンは『レクサスとオリーブの木』という本の中で「レクサス」を「冷戦システムに取って代わる国際システム」=グローバル化の象徴と見なしている。フリードマンが見たのは、300台を超えるロボットが1日300台のレクサスを製造する工場だ。「材料を運んでフロアを走り回るトラックさせもロボット化されていて、進路に人間の存在を感知すると『ビー、ビー、ビー』と警告音を発する」という光景が描写される。最先端の技術が集結した工場では、まさに人間が「阻害」される。そんなシステムの象徴としての「レクサス」。フリードマンは、レクサスは「わたしたちがより高い生活水準を追求するのに不可欠な、急速に成長を遂げる世界市場、金融機関、コンピュータ技術のすべてを象徴している」と言い切っている。

『ダンス・ダンス・ダンス』は村上春樹の小説の中でももっとも多く自動車が登場する作品かもしれない。主人公の高校時代の友人であり、売れっ子の俳優でもある「五反田君」は、マセラティに乗っている。彼が所属する事務所が経費として購入したこのマセラティは、海に沈めたとしても保険が下りるんだと五反田君も自虐気味に語る「高度資本主義社会」を象徴する自動車である。そして、このクルマは呪われたクルマでもある。最後に五反田君はこのマセラティとともに自ら海に飛び込んでしまう。
 そんなマセラティの対極に置かれるのは、登場人物の「ユキ」流に言えば「親密な感じがする」という目立たず実用的なスバルである。1980年代までの、つまりレクサス以前の時代の日本車の特徴と言えば、つまらないが堅実。つまり故障知らずで低燃費で低価格が売りだった。日本車が世界のクルマ市場で支持されたのは、まさに安さと堅実さ故だった。

だがレクサスはそういうタイプのクルマではない。値頃なラグジュアリーカー。それが、北米市場におけるレクサスの評価だろう。現代の日本のクルマメーカーは、安くて丈夫なクルマという分野ではもう世界では勝てなくなっている。日本がすでに人件費が安い国ではなくなった以上、新興国と価格で真正面から闘うことはできない。そんな中、トヨタが新にラグジュアリーカーの市場で勝負をするために生み出したのがレクサスだった。ちなみにスバルも30年経って、随分とポジションが変わった。現在は北米市場におけるスバルの需要というのは、堅実でつまらないクルマの逆。4技術志向かつ高品質のプレミアムカーとして高い人気を誇っている。

■モヒート測定法、団塊ジュニア、震災

もう一度モヒートの話に戻る。この作品におけるモヒートが持つ意味は、さして大きくはないが、少なくともモヒートはこの物語の年代特定を教えてくれる。

しれっと主人公がモヒートを頼んでいる。この物語の舞台となる年代は、モヒートブームの2011年、またはそれが定着した翌2012年の可能性が高い。そのどちらかだ。いい加減だが、モヒート年代測定法である。これに従うと、多崎つくるの生年は1974年、または1975年だろう。彼が仲間からひどい仕打ちを受け人生に変化が生じた16年前の大学2年の夏休みというのが「巡礼」の先だが、それが1995年か1996年ということになる。仮に、1974年生まれで、1995年が大学2年生、そして「今」が2011年とすると、これが阪神淡路大震災、東日本大震災の2つの出来事をなぞっていると捉えることができる。小説内で震災に触れられる気配はない。むしろ不自然なまでにそれを避けて通っている。これは、そのこと自体が著者にとっての関心事だからなのではないか。初期春樹作品における重要な主題である1960年代の学生運動に、まったく関心が無いふりを装って作品が書かれていたようにである。

本作は、春樹作品で初めて、団塊ジュニア世代を主人公として描かれた長編。春樹はこれまでの大半の作品で、自分と同年代の主人公の物語を書いてきたこともあり、団塊ジュニアが主人公であることは、本作を語る上で重要な要素だ。終盤近くには、つくるが新宿駅を訪れ、オウム真理教による地下鉄サリン事件について回想する場面がある。震災の年であると同時に、1995年は地下鉄サリン事件の年でもあった。

村上春樹の前作『1Q84』は、オウム真理教事件への関心から書かれた小説だったが、今作はそれを20才で迎えた世代への関心から書かれているように感じられる。春樹自身が属する団塊世代にとっての学生運動と、団塊ジュニア世代にとってのオウム真理教事件。これらはどれも「高度資本主義社会」を受け入れきれない人々による反発(もちろん、それは敗北する)であり、どちらの世代にとっても20歳前後の時期の出来事だったのだ。

初出:河出書房新社「村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をどう読むか」を大幅に改稿したもの。




2014年9 月 1日 (月)

『シャコタン☆ブギ』ジュンちゃんとジョン・ミルナーについて このエントリーをはてなブックマークに追加

この夏は『湾岸ミッドナイト』『シャコタン☆ブギ』を一気読みした。前者はともかく、後者が傑作であるということを再確認できたのは良かった。

『シャコタン☆ブギ』は、四国の地方都市を舞台にしたクルマとナンパに明け暮れる高校生のストーリー。実は『アメリカン・グラフィティ』が元ネタで、それを日本の地方都市のドメスティックな話として丁寧に置き換えている。

アメグラには、ケンカが強く、街最速のホットローダー、ジョン・ミルナーというキャラが出てくる。『シャコタン☆ブギ』でいうとジュンちゃんだ。彼は、ケンカも強いし、後輩思いなので誰からも尊敬される存在だが、街から一歩も出られない地元に止まらざるを得ない存在でもある。職業は、家の家業を継いで自動車整備工。

ジョージ・ルーカスの出世作である『アメリカン・グラフィティ』は、アメリカの黄金時代の終わりを示唆させた作品。舞台は西海岸の田舎町。金曜ごとにクルマで街に繰りだす若者たちが、ずっとナンパしたりしながら街を流している。

ミルナーは、街の片隅にある自動車廃棄場でつぶやく「昔はこの街ももっと喧騒に溢れてたよ」。映画が作られたのは、ゴールデンエイジと呼ばれる60年代が終わった直後。物語の最後で、彼はメキシコからやってきた若き日のハリソン・フォードが演じたホットローダーとのレースで、実質的に敗れてしまう。ルーカスは、アメリカにとっての青春時代の終わりを、このミルナーというキャラクターに象徴的に背負わせたのだ。

一方、『シャコタン☆ブギ』のジュンちゃんが背負ったものとは、90年代以降の地方都市の衰退そのものだ。マンガの掲載が始まったのは、1984年。主人公のハジメは、親にソアラを買ってもらうが、ソアラ登場から3年。その直後に、新型が登場して悔しがる話も登場する。

日本の地方都市も自動車産業も、まだまだ活気があった時代。それが、次第に変化していく様は、マンガの中でもそれとなく描かれていく。街の中心地が、郊外の海岸道路に映って、街中から若者が減ったという回が出てくる。車を改造する走り屋なんて流行らなくなって、それに変わる新たな若者文化が登場してくるという話も何度か登場する。

途中、主人公のハジメとコージは、バブル期で人手不足の折に東京のディスコにバイトに行くくだりがある。その数年後、再び東京に行くと、ディスコの時代は終わっていて、小箱のクラブの時代になっているというくだりがあるなど、時代の変化を捉える著者の視点は鋭い。

ラストまで読んだの、今回が初めてだった。連載終了は、同じ作者の『湾岸ミッドナイト』が、好評で連載化され、作者の興味もそっちに移っていったため、自然消滅的に連載が終了したようだ。ハジメがそれまでたくさんの思い出があるソアラを手放し、セルシオを手に入れることで、物語に終止符が打たれた。ジュンちゃんやサブキャラのアキラらは、走り屋としてそのまま人生を延長させるが、最後までナンパの道具としてしかクルマを見ていなかったハジメ(彼は、クルマはオートマで十分と思っている)は、改造されて最速化されたソアラに執着せずに、躊躇なく卒業していくのだ。

著者の楠みちはるは、この作品を卒業して、いつまでも青春を続ける走り屋たちしか登場しない(つまり、ジュンやアキラの側)『湾岸ミッドナイト』に精力を投入していくことになる。彼もまた、ジュンやアキラの側でマンガを描き続ける道を選んだのだ。

そんな『湾岸ミッドナイト』も作品としてのレベルは高く、名作なのだが、その話はまたの機会に。

関連記事:コリー・ハイムと1980年代の青春映画と『シャコタン☆ブギ』

 

2013年9 月14日 (土)

飛行機の機内上映では絶対見られない! ハイジャック映画の世界へようこそ(前編) このエントリーをはてなブックマークに追加

ハイジャックが描かれる映画のジャンルがハイジャック映画である。

ハイジャック映画に出てくるハイジャック犯は、ハリウッド的な類型的な悪として描かれる。アラブのテロリストに悪魔崇拝者、凶暴な強盗犯にサイコキラー、南米の麻薬組織に精神異常者。ハリウッド映画におけるハイジャッカーたちの描写を振り返るだけで、ハリウッド版「悪の博物館」の一丁できあがりである。

では、さっそくハイジャックムービーの歴史を振り返りつつ、その犯人の描かれ方――つまりハイジャック犯のキャラ、動機、時代の情勢変化など――に触れていきたい。

■現実のハイジャックには3つの種類がある

まずは、現実世界の「ハイジャック史」を軽く振り返っておく。

世界で最初にハイジャックが発生したのは1931年のこと。場所はペルー。その世界初のハイジャック犯の目的は、上空から宣伝ビラをまくこと(!)だったという。なんと牧歌的な。さらに本格的なハイジャック時代の始まりは、第二次世界大戦後ということになる。

ルーマニアから民間機を乗っ取り、トルコを経由して西側社会に亡命しようとした犯人がパイロットを射殺する事件が1947年に発生した。これが政治的亡命を目論んだハイジャック事件の第1号である。しかもこれが飛行機乗っ取りにおける最初の死亡事件でもあった。

さて、ここでまずハイジャックを目的別に分けていみたい。ハイジャックは、大きく3つに分類可能である。

1つ目は、「逃亡目的」だ。歴史上もっともハイジャックが流行したのは、1961年頃のこと。これは、キューバが共産主義国を宣言した直後の時代。ハイジャックが発明されて以降、最も多く利用された人気ルート。それが、アメリカ発キューバ行きというコースであるという。アメリカとの国交がなくなった祖国への帰還を目的としたハイジャックが後を絶たなかった。さらには、アメリカで犯罪を犯した犯罪者が、逃亡目的でキューバを目指すというケースも多いようだ。

2つ目は、「政治目的」のハイジャックである。ハイジャックを有効なテロの手段として見出し、その手法を進化させたのは、マルクス・レーニン主義を信奉する過激左翼集団パレスチナ解放人民戦線(PFLP)だった1967年に勃発した大三次中東戦争で、アラブ連合の航空戦力は、イスラエルの航空兵力の前に2時間50分で壊滅した。この圧倒的な戦力差の下、アラブ諸国は通常戦力としてのイスラエルへの抵抗という手段を失なった。それと同時にテロ組織が生まれてきた。テロリズムとは、世界にその存在をアピールするための手段として生まれてきた。過激左翼集団、つまり「共産主義」は、あくまでも看板だった。この時代、アメリカやイスラエルといっ敵に抵抗する勢力の代表が、共産主義だったに過ぎない。その後は、こうした抵抗は「イスラム過激派」へと看板が変化する。話を戻すと、1968年のローマ発テルアビブ行きエルアル航空機のハイジャックを手始めに、PFLPは飛行機の乗っ取りという形式のテロを重ねるようになる。特に中東に多くの路線を持っていたTWA(当時)は、PFLPにとって「帝国主義の手先」(『戦後ハイジャック全史』稲坂硬一)であり、格好の標的でもあった。

3つ目は、「精神異常者の手によるもの」によるハイジャックだ。実は日本では、これを理由としたハイジャックが大半だという。つまりは、受験勉強に嫌気が差したなどのノイローゼから犯行に至るケースがこれに当たる。比較的最近の記憶に新しいところでは、フライトシミュレーションゲームで磨いた技を使ってみたかったという理由でハイジャックが行われた事件があった。1998年7月の「全日空61便ハイジャック事件」がそれ。犯人は航空機マニアで、実際に操縦桿を奪い、シミュレータで練習したとおりにレインボーブリッジをくぐるつもりだったようだが、実行する前に取り押さえられたこの3つ目のハイジャックのパターンは単独犯がほとんどなので、成功率は極めて低いという。


こうした3つのハイジャックの分類は、ハイジャック映画においてもそのまま使える分類法である。

ちなみにハイジャックは、通常の市民的な犯罪とはまったく違った性質を持った犯罪の分野である。ハイジャックは、ときに国境を越えるための緊急時の交通手段であり、またときに戦争に変わる政治的目的の遂行手段でもあり、また世界になんらかのメッセージを伝えるためのメディアでもある。ライト兄弟は単なる乗り物として飛行機を発明したが、それは同時に、ハイジャックという犯罪の発明でもあったのだ。

■ハイジャック映画とは何か?

ハイジャックムービーとは、基本的には「パニック映画」と「グランドホテル形式」を足したジャンルと考えることができる。パニック映画であるというのは当然である。乗り合わせた乗客と搭乗員と犯人、彼らはうまく対処しなくては全員墜落死するのだ。なんとか、その危機を切り抜けるための冒険活劇要素は必ず含まれる。

舞台は機内だけではない。地上(空港)の人々も登場する。事件を見守る管制塔、警察、空港職員、乗客の家族、そして犯人の協力者などである。機上と地上。ハイジャック映画では、ふたつの場所が舞台となり、複数の人々の群像劇として描かれることが多く、こうした形式は、「グランドホテル形式」と呼ばれるものに近い。

ハリウッドにおけるハイジャックムービーの歴史の始まりは、1972年のジョン・ギラーミン監督、チャールトン・ヘストン主演の『ハイ・ジャック』(原題:Skyjacked)と考えられている。この時代背景、監督の人選を思うと、ハイジャック映画は、パニック映画の一分野として誕生していると考えることができるだろう。


Airport
まずは、こちらを取り上げよう。空港を舞台としたパニック映画が『大空港』(1970年)である。舞台は大雪のシカゴのリンカーン国際空港。バート・ランカスターが空港長、ディーン・マーティンが機長、その愛人がスチュワーデスの制服が似合うジャクリーン・ビセット。着陸した便が雪でコントロールを誤り、滑走路をふさぐ事故が発生。そんな大忙しの最中、夫がダイナマイトを抱えて飛行機に乗ったと訴える夫人が現れる。どうやら仕事で失敗し、保険金目当てで飛行機に乗り込み、事故を起こそうとしているらしい。

これは、いわゆるグランドホテル形式の大作。この作品自体は、ハイジャック映画そのものとはいえない。むしろ、この後シリーズ化される『エアポート』を生むパニック映画という分野のはしりとなった一作である。

ハイジャック映画の誕生は、この大作の翌年の1971年。題名はそのものずばり『ハイジャック』なのだが、本作はミステリ仕立てである。ハイジャック犯が当初正体を明かさない。トイレの鏡に要求が書き込まれるところから始まるのだ。だが実は僕はこの作品を観ていない。なぜならDVD化もされておらず、ギラーミンのWikipediaの項目にも記述がない程度の作品なのだ。それでもデータベースサイトなどにあるあらすじを追うと、ハイジャック犯は、最終的にソ連への亡命を希望し、ラストではソ連兵に射殺されてしまう。とはいえ、東西冷戦といった政治的な状況を描いたわけではなく、ハイジャックの3つの動機で分類するなら「精神異常者の手によるもの」に類するようだ。これ以上は、観てみないとなんともいえない。

 

■とにかく標的はイスラエル

1970年代は、政治的なハイジャック事件の時代である。日本赤軍のメンバーが日航機を奪取し北朝鮮に渡ったよど号事件は、日本初のハイジャック事件である。犯人のリーダー田宮高麿による「我々は“明日のジョー”である」という、有名漫画の題名を誤って記した声明が有名である。彼らは、世界同時革命を目指す共産主義の信奉者で、アジアにおける一斉蜂起をめざして日本を飛び立つ手段として航空機を選択した。

1973~74年は、国際的にテロの脅威が高まり、中でもハイジャックの件数が月間20~30件を記録していたという、ハイジャック繁忙期だった。そんな時代を背景に作られたのがショーン・コネリー主演の『オスロ国際空港/ダブル・ハイジャック』(1974年)というイギリス映画である。本作は、ノルウェイの英国大使館が占拠され、同時に航空機もハイジャックされるという政治テロを描いている。

ハイジャッカーたちは国際的な左翼過激派集団である。これは当時の社会背景をなぞっているがどんでん返しが待っている。実は彼らは政治的なテロを装っているが……まさに『ダイハード』シリーズの原点である。意外な人物が犯人であるというミステリーでもある。

本作には犯人が刑務所にいる仲間の釈放を要求し、ノルウェイ政府がそれに答える場面がある。現実の「エールフランス139便ハイジャック事件」が起こるのは、この映画の2年後のことだ。アテネ発パリ行きのエアバスA300をハイジャックしたのは、「パレスチナ解放人民戦線・外部司令部」と西ドイツの「革命細胞」という極左組織だった。彼らは、この機をウガンダのエンテベ国際空港に強制着陸させ、ユダヤ系乗客を人質として残してイスラエルに服役している40名同胞の釈放を要求した。

この事件は、特殊部隊による人質奪還事件の成功例として知られる。徹底抗戦の姿勢を貫くイスラエル軍の人質解放作戦によって、犯人6人全員が射殺されたのだ。この事件は格好のアクション映画の題材となった。この事件 を元にした『エンテベの勝利』(1976年米)『特攻サンダーボルト作戦 』(1977年米)『サンダーボルト救出作戦』(1977年イスラエル)という3本の映画が作られている。

このハイジャック事件が、アクション映画の格好の題材であったのは間違いないがそれだけではない。イスラエル政府が、政治的な意図を持ってこうした映画をスポンサードしたのだ。そのことを指摘しているのは、パレスチナ出身の批評家サイードである。彼は「イスラエルが世界に対してうまく証明しようとしてきたのは、イスラエルこそがパレスチナ人の暴力とテロによる無実の犠牲者であって、アラブ人とムスリムはただユダヤ人に対する不合理な憎しみのためだけにイスラエルと衝突している」と指摘している。

簡単に言うと、イスラエルはハイジャックというテロリズムに手を焼いていた。そして、潤沢な資金でもってハイジャックが敗れる映画をスポンサードした。これはつまり敵対勢力であるアラブを悪者にするためのプロパガンダである。ハイジャックが敗れる映画にはこうした意味合いも含んでいるのだ。

80年代を代表するアクションスターの一人、チャック・ノリスの代表策である『デルタ・フォース』も、実在のハイジャック事件を元ネタとしていた。1985年に起きたイスラム聖戦機構がTWA機をハイジャックし、同志700名の釈放をイスラエル政府に突きつけたという事件である。

 

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カイロ発アテネ-ローマ経由ニューヨーク行きの航空機が、アラブ人テロリストにハイジャックされる。犯人たちの要求で機はベイルートに着陸。一方、事件を知った米政府は、人質救出任務を行う対テロ部隊デルタフォースを招集。すでに部隊を去っていたベテラン隊員のチャック・ノリスもこれに同行する。

飛行機の中でテロリストたちは、ユダヤ人と観られる乗客の選別を行い、米海兵隊員をリンチする。名前だけでなく、かつてのナチスに彫られた識別番号でユダヤ人であることが示される場面なども描かれている。映画の後半は、テロリストたちを、チャック・ノリスたちに完膚無きまでにやっつけるという勧善懲悪アクションだ。ミリタリー好きの少年時代を過ごした僕らはこの映画で特殊部隊が使用するウージー社のmini Uziを知った。映画の世界ではおなじみの兵器である。これは、狭い場所での使用を前提に設計された取り回しがきくイスラエル製のサブマシンガンである。Uziはおもちゃのエアガンもたくさんつくられた人気のある銃だった。

このB級アクションも映画がイスラエル軍の全面協力の下でつくられている。監督もイスラエル人である。80年代は、たくさんの戦争アクション映画が作られた時代である。僕自身もそんなミリタリー要素の強い映画のファンだった。中でも、特殊部隊がテロリストたちと戦うB級アクション映画はたくさん作られていた。当時の日本劇場未公開作で、ハイジャックをモチーフにしたものも少なくなかったようだ。それらのB級戦争アクションが生まれる背景に、プロパガンダ的な側面があるなど、もちろん当時は考えもしなかったことだ。

■内なるテロとの空の大決戦

90年代になると、過激派によるテロやハイジャックの標的はイスラエルという常識に変化が現れる。イラン・イラク戦争、東欧革命、ソ連解体、そして湾岸戦争を経た世界の政治状況は、より複雑なものとなっていた。より新しいテロリズムの時代が到来する。国民国家同士が国境越しに向かい合うような戦争の在り方がリアリティーを失っていった時代に、アメリカは、世界中、または国内に遍在するテロリスト立ちと向かわざるを得なくなる。ハイジャックの恐怖は、まさに内なるテロそのものだ。

その新しい時代の「恐怖」をうまく作品に活かしたのが、『エアフォースワン』である。本作は、物語の大半が飛行機の中という純粋な密室ハイジャック映画だが、ハイジャックされるのは豪華で最新技術の結晶である大統領専用機、そしてハイジャッカーに単身立ち向かうのは、ハリソン・フォードが演じるアメリカ大統領である。

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最高度のセキュリティを誇るはずの大統領専用機に、敵のテロリストを招き入れる内通者が潜んでいる。この設定は、テロの胞子を内側に抱く時代のハイジャックの在り方を象徴する。
 この映画で描かれる敵は、アラブではない。敵はロシア人の国粋主義者で旧ソ連体制を復活させようと考える共産主義者だ。ハイジャック犯は、ロシア軍・米軍の共同作戦によって排除されたカザフスタンの政治的指導者ラデクの釈放を要求する。

テロリストのリーダー(ゲイリー・オールドマン)は、「ソ連崩壊後のアメリカ式の自由経済主義がロシアを強盗と売春婦ばかりにした」と、アメリカ大統領を演じるハリソン・フォードをつるし上げる。この作品の制作は1997年。ロシアの急速な経済成長は、この映画の直後くらいからなので、この時点でロシアは負け組の感が強かったのだ。

釈放されるラデクは、カザフスタンの一般市民10万人を殺戮したソビエト出身の国家社会主義者。彼の釈放を祝福する刑務所内の共産主義者たちが、労働者たちの海を越えた団結を歌った共産主義革命のテーマ曲である「インターナショナル」を大合唱する場面がある。この『インターナショナル』をBGMに、飛行機内でハリソン・フォードとゲイリー・オールドマンが殴り合い、撃ち合いを演じる場面と合唱の場面がカットバックで映される。このシークエンスはこの映画の中でも最高の場面である。もちろん、最終的にはハリソンが勝利を収めて家族を守る。いつものとおりアメリカの平和は守られる。ちょっと共産主義がこけにされ過ぎた感がある。

さて、本作にはハリソン演じる大統領の演説シーンがある。彼は、カザフスタンの市民10万人が殺戮されたことを悼み、アメリカの軍事介入が遅れたことを謝罪する。そして、今後アメリカは自国の利益のためではなく、正義のために軍隊を動かすと宣言するのだ。このハリソン・フォードの宣言に対して大統領の側近は、世界はこのスピーチを賞賛するだろうが、自国民からは反発されるだろうとつぶやく。この辺は、昔の映画という感覚になる。

イラク戦争後、大量破壊兵器を巡る事実誤認が示され、アメリカの正義なき介入が批判されているいまとなっては完全に逆である。ビン・ラディンのパキスタンでの暗殺でもそういう気運があったが、世界はアメリカが「世界の警察」であることに疑問を持つようになっているし、アメリカ国内でもそれへの倦厭の空気が強まっている。

この映画の後、現実のアメリカ大統領が、映画と同じように世界にとっての悪(テロ)との独善的な徹底抗戦を宣言した。それは、映画の4年後、9・11直後のこと。もちろん、ジョージ・W・子ブッシュ前大統領である。9・11の同時多発テロでよく耳にした常套句に、「現実がハリウッドを模倣した」というものがあった。この演説こそがまさにそうだったのではないか。

ハイジャック映画の話は、またこのあとの後編に続く。ちなみに、この原稿の初出は映画同人誌『Bootleg』の「Noir」特集号に掲載されたものです。

 

 

2013年6 月 8日 (土)

非正規雇用時代のOLソング このエントリーをはてなブックマークに追加

1990年代に活躍し、OLという特定層からの支持を受けていた歌手に広瀬香美と古内東子という2人のシンガーソングライターが存在します。広瀬香美、古内東子の代表曲の歌詞をのぞき見すると、同じOLでもそのメンタリティは違うのがわかります。その違いを、90年代のどこかで起こった、労働環境の変化の痕跡が見えるような気がします。


  勇気と愛が世界を救う 絶対いつか出会えるはずなの
  沈む夕日に淋しく一人 こぶし握りしめる私
  週二日 しかもフレックス 相手はどこにでもいるんだから
  今夜飲み会 期待している 友達の友達に
  『ロマンスの神様』作詞:広瀬香美

 スキー用品のCMソングとして大ヒットした『ロマンスの神様』(1992年)ですが、ここで歌われているのはOLの合コンでした。
  週40時間という労働時間目標が明記され、さらに変形労働時間制=フレックスタイムが導入されたのは、1987年の労働基準法改正が最初でした。
 つまりは、平日は9時間、土曜日は半ドンで午前中だけ働くという戦後以来のサラリーマンの労働時間の基準がここで変わったのです。
 これらが導入された背景には、日本の長時間労働が不公平競争を生んでいるという諸外国の批判があり、欧米標準に倣うという趣旨のもとで週休二日制、フレックスタイム制が導入されていったのです。
 実際にこれらが定着するまでには時間はかかりました。`80年代半ばには大企業が先導する形で週休二日制を普及させていきましたが、この歌がつくられた1992年には、国家公務員にまで完全週休二日制が導入されました。

  Boy Meets Girl 土曜日 遊園地 一年たったらハネムーン
  Fall In Love ロマンスの神様 感謝しています
  Boy Meets Girl いつまでも ずっとこの気持ちを忘れたくない
  Fall In Love ロマンスの神様 どうもありがとう

 冒頭で期待していた友達の連れてくる男性グループとの合コンから、歌の終盤にはもうハネムーンに出かけるという、かなり強引な歌です。土曜日に遊園地にデートに出かけるという、まさに週休二日制導入以降のボーイ・ミーツ・ガールの在り方を描いています。
 この歌は、都会で働く女性への応援歌ではなく、ずばり結婚したいという、女の本音を全開にしています。

 毎日残業しながら男性と競争するような総合職を選ぶ女性とは違い、割り切ってアフターファイブを遊びに使う一般職OLを選ぶといった、不況期を元気に邁進するOL像といったところでしょうか。冒頭の「勇気と愛が世界を救う♪」なんていうハイテンションぶり、そして「神様」という言葉など、当時ちょっとブームになっていた新興宗教ののりを連想させるところでもあります。

 今の会社にすべてを投じるのではなく、お金より時間を選んだのが、『ロマンスの神様』に出てくるようなOLです。リクルートが1990年に創刊させた『ケイコとマナブ』は、習い事や資格スクールの情報を紹介する情報誌でした。いわゆる「自分磨き」というニーズを満たしたいOLがターゲットです。一方で、彼女たちは、今の仕事に満足していなくても、資格を身につけて転職した暁には、満足できる仕事をしたいという気持ちも持っていたのだと思います。

  いつも無理して笑顔つくるより
  誰かのこと想って泣ける方が好き
  かわいくいたい かわいくなりたい
  女なら誰でも愛されていたい
  『かわいくなりたい』古内東子(作詞:TOKO)


 古内東子も恋愛を題材にした歌をたくさんつくり、OL層に特に支持された歌手の一人です。『かわいくなりたい』は、96年に発表された彼女のシングル曲です。ここには、広瀬香美の恋愛しか見えないOLの実像をさらに超えた、すべてのリソースを「モテ」や「愛され」に投入するヒロインの心情が描かれています。

 作家の赤坂真理は『モテたい理由』の中で、かつて女子大生=お嬢様だった70年代後半に女子大生雑誌として創刊された『JJ』が、いまは「女子大生から若年事務職OLまでを統括した“あるメンタリティ”の雑誌」になったのだと指摘しています。

 その「あるメンタリティ」とは「女だてら」の出世などという困難な道を選ぶより、モテや愛されを追求し、経済力のある男性との結婚のほうが効率のいい成功であるという考え方のことです。つまり、それが「愛され」「モテ」を生み出したと彼女は言います。

「合理主義」は、バブル崩壊後の日本の企業社会全体が向かった道で会っただけではなくて、女性ファッション誌にまで行き渡った価値観です。

「愛され」「モテ」にの裏側には、OLの一般職から非正規雇用への転換があった。そんな社会になって気がついたのは、『ロマンスの神様』のOLたちのように、アフターファイブに全力投入するようなOL像とは、安定雇用の上に乗っかったものだったという事実でした。

  新しい服も伸ばしている髪も
   すべては大切なあの人のため
  きれいでいたい きれいになりたい
  女なら誰でも愛されていたい

 「あの人のため」といいながら、ここでの「きれいになりたい」、「愛されていたい」という競争における敵とは、つまり女性です。男性原理で動く会社での競争から降り、「モテ」や「愛され」に向かった女性たちも、また新たに「愛され」るための競争社会に飛び込んだに過ぎないのです。その辺の切実さは、実は広瀬香美のかなりぶっちゃけた歌でも覆い隠されていた真実と言えるでしょう。

ああ、でもどっちも名曲だなあ。

*このテキストは『別冊文藝春秋2013.3』に書いた『量産型ロマンスで抱きしめて!』で書いたものから一部抜粋したものです。オリジナル版には、ユーミンや今井美樹、宇多田ヒカルなどの話も書いています。

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2012年1 月13日 (金)

日本の縮図としてみる箱根駅伝(のCM) このエントリーをはてなブックマークに追加

ほんと、皆好きだよね箱根駅伝。僕も実はここ数年欠かさず見るようになっている。箱根駅伝は、この国の新年のイベントで最も重要なもののひとつだ。

K-1にJリーグ、そしてプロ野球と相撲まで、長い歴史を持つさまざまなスポーツ中継の視聴率がふるわず、地上波の枠からずり落ちていく中で、圧倒的な強さを持って箱根駅伝は放送される。2日の往路で27.9%、3日の復路が28.5%。これは正月三箇日の全テレビ番組でトップの数字。

有名でもない大学生が箱根までの道を走るだけのレースになぜ? と思うが箱根駅伝は、日本社会の構造そのものだ。厳然と残る企業や官庁、公務員の学閥。また、一流大学の牙城に二流大、新興勢力が切り込もうとする図も、現実の企業社会の光景でもある(で、無力感に苛まれたり)。体育会系出身者たちが学生時代の先輩後輩を巡って仕事を取ってくることで成り立つ営業。箱根の山を競うレースに、日本の企業社会の縮図が編み込まれている。そうした日本社会の文脈が刻み込まれているイベントなので、ある程度それを共有する階層にしか楽しめないだろう。海外には輸出不可能なハイコンテクストコンテンツだ。

パチンコやケータイゲームのスポンサーしか入らない格闘技の中継なんかと違って、箱根駅伝のスポンサーは超豪華だ。ある程度、高い階層の視聴者層を見込めるので、引く手あまただろう。駅伝が日本の企業社会の縮図なら、箱根駅伝のCMは日本経済の縮図である。

メインスポンサーはサッポロビール。あと、トヨタやホンダといった自動車メーカーが続くが、中でも圧倒的に目につくのがマンションデベロッパー各社のCMである。三菱地所レジデンス、三井不動産レジデンス、野村不動産、明和地所、ゴールドクレスト、大和ハウス……etc。

個々のCMに目を配ると、最もわかりやすくゴージャス感を売りにしているのが、野村不動産のプラウドのCMだ。

Proud

ロケ地はマリーアントワネットやナポレオンも使用した「フォンテーヌブロー宮殿」。世界遺産だそうだ。BGMは、ガーシュインの『Someone To Watch Over Me』を平原綾香がスキャットで歌う。このご時世に、これだけ贅沢を尽くす趣旨のCMが作られるのはむしろ爽快だ。

一方、外観のゴージャスではなく、生活のぜいたくさをアピールするのが三菱地所である。CMソングは、竹内まりやのヒット曲『家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)』。

Mitubisi

恋するには遅すぎると 言われる私でも 遠いあの日に 迷い込みたい気分になるのよ♪



CMはこちら→ http://www.mecsumai.com/cm

このCM及びCMソングからは、彼らが商品を売りたいと考えているターゲット層が見えてくる。この歌の主人公は、すでに恋する年齢を超えているのだという。つまり既婚者。子育ても一段落し、生活が落ち着いた主婦を題材にした歌だ。ちなみにこの曲は、20年前のヒット曲だ。これを作った当時の竹内まりやは30代半ば。

『家に帰ろう』と歌うこの歌の主人公家族が住む“家”は、多分、一軒家なのだろう。子どもができて郊外の広めの家に引っ越したのだ。もちろん、35年ローンで購入したのである。

あれから20年。竹内まりやも今年で57才である。

さて、30代半ばだった歌の主人公の主婦も、同じくもう60才に近づいている。ローンも繰り上げ返済でそろそろ返し終えている頃だろう。子どももとっくに独り立ちしている。そろそろ老後の暮らしをどうするかに思いを巡らす年代だ。老後の生活は、都心のマンション暮らしが便利かな、なんて。

そんな人々が、どれだけいるのかはわからないが、このCMが狙うターゲット層は、そんな人々だろう。そこを見据えて、いまこの歌をCMソングに採用したのだろう。

実際うちの親なんかは、このCMのターゲットでもおかしくない状況を迎えているし、それを消費してもおかしくない社会階層といっていい。

正月のCMからそんなことが突きつけられた。この国の金融資産の約8割を、50代以上が保有しているのだから仕方ない。箱根を必死の形相で駆けていく若者たちと、高齢者をターゲットにしたゴージャスなマンションのCM群。この国の縮図がまさに箱根駅伝には詰め込まれているのだ。



2011年11 月24日 (木)

『ラーメンと愛国』元ネタブックガイド このエントリーをはてなブックマークに追加

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)
速水 健朗
講談社
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僕の著書『ラーメンと愛国』、発売一ヶ月。つい先日、増刷も決まり、媒体の書評だけでなくネットでの感想なども多くいただいています。
今回は、参考図書ではなくて、この本のラーメンを軸に日本の戦後史を振り返るという発想の元になったいろいろな本を取り上げたいと思います。つまり、元ネタブックガイドです。

ナポリへの道
ナポリへの道
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片岡 義男
東京書籍
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まず、本の中でも触れた片岡義男『ナポリへの道』。これは、戦後に進駐軍の兵隊がパスタにケチャップをかけたスナックが、戦後日本人の子どもの好物として定着していくという物語から、戦後の日米の関係を見出していくという、片岡義男らしいアメリカの影としての日本を描き出していく一冊。これのラーメン版が『ラーメンと愛国』でぼくがやりたかったことです。

 

シンセミア〈1〉 (朝日文庫)シンセミア〈2〉 (朝日文庫)シンセミア〈3〉 (朝日文庫)  

「ラーメンと愛国」の冒頭はアメリカの小麦戦略の話で始まります。読んでる人は「あ、シンセミア」と思うはず。阿部和重の「シンセミア」は、パン屋とレンタルビデオ屋が町の権力者として君臨する地方都市を戯画化して描いた長編小説。この小説におけるパン屋は、アメリカの権力の代行者。「ラーメンと愛国」は、ノンフィクションだけどラーメンという小麦食の食べ物=アメリカの影を通した戯画化したラーメンの戦後史をやりたかったんですよ。

菊とバット〔完全版〕
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ロバート ホワイティング
早川書房
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元ネタという意味で、実際に一番ぱくっているのはこれ。著者のロバート・ホワイティングは、「助っ人外人」として日本に来た大リーガーに取材して、日本の野球の特殊さをおもしろおかしく綴っている。つまり、アメリカから輸入されたベースボールが、日本人の生活の中に組み込まれ、日本人式にローカライズされて定着し、野球となった。この構図は、中国由来の支那そばが、日本式にローカライズされてラーメンになるのと一緒。実は「ラーメンと愛国」執筆中に考えていた仮題は「菊とラーメン」でした。前書きとかは、丸ごとぱくろうとまで考えていた。

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性
小熊 英二
新曜社
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これはタイトルの元ネタ。内容的には真似た部分はないが、とても読みやすくおもしろい本。僕の本では日本が戦争に負けた理由を、生産技術という思想の有無としたが、こちらの本でも日本が戦争に負けた理由が前半で読み解かれる。この本では、日本人の組織の腐敗体質が原因とされる。これは、3.11後にこそ読まれるべき内容。
ぶっかけめしの悦楽
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遠藤 哲夫
四谷ラウンド
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これは、国民食と呼ばれるカレーライスのルーツを、インドや英国に求めるのなく、ぶっかけめしという、日本、アジア由来の食文化のルーツに求め、その歴史や文化を追求していくというもの。ラーメンのルーツを中国ではなく、小麦食、小麦の背景にあるアメリカに求めるという発想や、ストレートではない文化史の書き方として、この本の影響を受けています。まさか、著者にツイッター上でディスられるとはね(笑)。

というわけで、『ラーメンと愛国』は、これらの本からアイデアをパクっています。ありがとうございました&お世話になりました。

2011年10 月13日 (木)

講談社現代新書のカバーの色のひみつ このエントリーをはてなブックマークに追加

Gendaishinsho

講談社現代新書のデザインといえば、特徴的なのがカラー。以前から気になっていたんですけど、ジャンルで色分けしているわけでも、著者ごとにカラーが決まっているわけでもありません。

いつだって大変な時代 (講談社現代新書) 江戸の気分 (講談社現代新書) 落語論 (講談社現代新書) 落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)

同じ著者でも、このようにばらばら。

上の例でいうと、『いつだって大変な時代』と『落語の国からのぞいてみれば』は、同じ黄色系だけど、前者の方がより明るい黄色。CMYKで現すなら、前者がY=100 M=25 くらいで、後者はそれにCを10くらい混ぜた感じでしょうか。

分野別でも、著者別でもないということは、何かを見分ける記号として利用しているわけではない模様です。自分の本棚の現代新書を集めてみても、やっぱりばらばらで、統一性があるようには思えません。

これについて、現代新書の編集者に直接聞いてみました。すると、講談社現代新書のカバーの色は、全部違うのだといいます。これは驚きました。

印象としては、10色くらいのバリエーションから、適当に振り分けてるのかなあ、くらいに思っていたのですが、全部別の色なんですね。

今のデザインになったのは、2004年10月刊行から。創刊40周年でのリニューアルで、通巻1738冊目Dobutuから変わったといいますそれ以後、月に4、5冊ペース300冊以上が刊行され、それ以前のものも、再版時には新カバーで出直しているので、数はわからないけど相当の点数が刊行されているはず。

その全部が、基本的には別の色なんですね。

 

 

で、一体どのように色が決められるのかについても聞いてみたのですが、それはデザイナーと編集者の話し合いで決まるとのこと。実際、どういう意図をもって具体的に、決められていくのかは興味があります。

例えば、福岡伸一の『生物と無生物のあいだ』は緑。これは、「生命とは何か?」の帯にあるように、生命のイメージ=植物の葉の連想なのか、それとも本の序盤で延々と語られるワシントンの自然の描写の印象なのか、どっちにせよ緑というのはわかる気がします。

あと、最近のこのブランドのヒットでいうと、橋爪大三郎と大澤真幸のこれがあります。

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

 

ウェブでは表示されませんが、これ金です。特色ですね。この2人の組み合わせだと、そりゃ金というのは、仕方がないかとw

さて、この記事は、僕の本の発売のプロモーションです。僕は10月18日に、講談社現代新書から本を出すことになりました。さて、一番気になるのが、何色になるのかという部分。どう色が決められるのかが実際に目の当たりにできるチャンスです。

この本は、タイトルどおりラーメンの本です。とはいっても、ラーメンそのもののうまい店情報とかではなく、ラーメンを通した戦後文化史、経済史みたいな内容です。本の中の小さくないテーマとして、色の問題も扱っています。ラーメン屋のイメージカラーは、80年代までは赤。中国のナショナルカラーです。それが、90年代以降、紺や黒になっていきます。これは、むしろ日本のトラディショナルカラーです。そんな話。なので、僕としてはラーメンののれんのイメージの赤、もしくは今どきのラーメン屋の感じがある濃紺辺りを想定していました。

で、実際の表紙がアマゾンに反映されました。どん。

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

 

アマゾンの写真で見ると、少しオレンジががかって見えるかな。実物は、もう少し黄色に近い感じかもしれません。

で、なぜこの色なのか。僕は、その理由を聞いてちょっと感動しました。

Ramentoaikoku
そう、チキンラーメンのパッケージカラーなんですね。

本の中で、もっとも重要な存在として登場させているのが、日清食品の創業者、安藤百福であり、彼の発明したチキンラーメンを、これまでとは違った評価の仕方で取り上げています。具体的には、チキンラーメンの生産の手法、宣伝の手法は、日本版マスプロダクツ、マス広告のプロトタイプだったということ。そして、チキンラーメンを通して日本の流通の変革、メディア状況の変化、そして日本人の農村から都市へというライフスタイルの変化に伴う食生活の変化を語ることができるというのが、本書の骨格のひとつとなっています。あと、日本人のものづくりという思想の変化も、この製品には現れていました。

そんな本の具体的内容から、チキンラーメンのパッケージカラーを表紙に配すというアイデアにつながったというわけです。手に取った読者の大半は、本のカバーの色と内容が関係しているなんて、つゆとも思わないかも知れません。でも、そこには一冊一冊に配色を巡る物語がある。改めて本作りのおもしろさというか、編集やデザインの奥深さについて考えさせられました。

というわけで、この本をぜひチキンラーメンと並べてみてください。書店員のみなさまは、ぜひチキンラーメンと並べて本書の陳列を!

発売日は2011年10月18日。著者3年半ぶりの著作です。書店員のみなさま、ブログの読者のみなさま。なにとぞよろしくお願いします。

 

日清 チキンラーメン袋ミニ3食パック 60g×6個
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ラーメンと愛国 (講談社現代新書)
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2011年6 月 2日 (木)

渋谷公園通りルックバック・エイティーズ&ナインティーズ このエントリーをはてなブックマークに追加

渋谷駅を降りて、NHK、代々木公園方面へ登る坂道が「公園通り」と呼ばれるようになったのは1970年代のこと。`73年に渋谷パルコがオープンし、その時の広告で使われた「すれちがう人が美しい ~渋谷公園通り~」というキャッチコピーを受けた地元商店街が、以後この通りの通称を公園通りに変えたのだ。

渋谷が若者の街というイメージを帯びるようになったのも、基本的にはこの頃以降である。とはいえ、公園通りが渋谷においても特別な場所だったのは、1980年代まで。その当時の公園通りを歌った歌に、堀ちえみの『公園通りの日曜日』(1982年)がある。

 

一人歩いてた公園通りで やけに見慣れてる赤いトレーナー
彼だと気付くまで 5分もかかった
かわいい人ね 手をつないで話してたから

日曜日。公園通りを歩いていた主人公の少女は、見慣れた赤いトレーナーを着た男の姿を見つける。その彼とは今日デートする予定だったが、前の晩、彼からの電話でキャンセルされたばかり。なんと男には本命の彼女がいたのである。自分は恋人と思いこんでいたが、実は妹的な存在にしか見られていなかったということにようやく気づく悲しい恋の歌だ。

トレーナーという言い方が時代を当時の空気を現している。80年代と言えばトレーナーである。スウェットでもリバースウィーブでもない。トレーナー。しかも袖とかだぶだぶしてるやつ。80年代を代表するブランドとして、セーラーズの名前を挙げることができる。おニャン子クラブを始め、芸能人御用達のブランドである。  セーラーズのメイン売れ筋商品もトレーナーだった。そして、セーラーズのショップも、公園通りの脇道にあった。
Sailors

この堀ちえみの曲の作詞作曲を手がけたのは、竹内まりやである。竹内まりやは、この15年後の1997年に広末涼子のデビュー曲『MajiでKoiする5秒前』でも、渋谷を舞台にして少女の初デートを描いている。
 

ボーダーのTシャツの 裾からのぞくおへそ
しかめ顔のママの背中 すり抜けてやって来た
渋谷はちょっと苦手 初めての待ち合わせ
人並みをかきわけながら すべり込んだ5分前

80年代がトレーナーなら、90年代はTシャツと言うことになる。正しい変遷である。

若者の街としての渋谷の中心が公園通りだったのは、1970年代末~1980年代までのこと。そのあとに登場する「コギャル世代」にとっての渋谷と言えば、センター街である。ランドマークで見るなら、パルコから109へということになるだろうか。しかしこの広末の歌にも公園通りが登場する。

「さりげなく腕をからめて 公園通りを歩く♪」

おそらく、この歌の主人公の少女は、ちょっとだけ大人を気取って公園通りを選んでみたのだろう。さっきまでプリクラを撮っていた女の子が、急に腕をからめるというのは、そういう表現であるような気がする。

そして、この広末の歌から気がつけば、15年近い歳月が経った。いまの渋谷の中心は、どこだろう。東急本店向かいのフォーエバー21が目立つか。そして、その少し裏には高相通り。そう、もはや渋谷と言えば公園通りでもセンター街でもなく、高相通り(at 職質)である。
そうそう、今春もボーダーが流行ってるね。

 

著書

about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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