2010年5 月 6日 (木)

『きかんしゃトーマス』擬人化される帝国(後編) このエントリーをはてなブックマークに追加

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■パクスブリタニカの時代


StocktonandDarlington 1769年にスコットランドのエンジニア、ジェームズ・ワットが発明した蒸気機関は、産業革命の原動力となる石炭を燃料とした新式のものだった。イギリスはこのあとに産業革命の時期を迎え、19世紀の初頭には蒸気機関を動力に利用した公共交通システム、つまり鉄道の研究・開発が始まる。そして、世界初の商用鉄道が開通するのは、1825年の英ストックトン・ダーリントン間であった。

イギリスが世界の工場と呼ばれるようになり、産業資本主義の時代を迎えた19世紀半ばから、第一次世界大戦前の20世紀初頭が、イギリスの鉄道の黄金時代であるだろう。トーマスの生みの親であるオードリーは、少年時代にこの黄金期を垣間見ることができたぎりぎり最後の世代である。

Romanmap Paxbritannica そして、19世紀半ばから20世紀初頭は「パクスブリタニカ」と呼ばれた時代でもあった。「パクスブリタニカ」とは、19世紀半ばから20世紀初頭のイギリスの繁栄を指して使われる呼称だ。「パクスローマーナ」というローマ帝国の最盛期に訪れた地中海世界の平和状況を指す言葉があるが、これを19世紀のヨーロッパの状況に置き換えたのが「パクスブリタニカ」である。この時期のイギリスは、(実用的な)蒸気機関の発明による産業革命で他国よりも早く工業化を進めた優位的な立場で自由貿易、重商主義を推し進め、それらが生む富を背景とした軍事力で植民地や海外領土を拡大させていく。帝国主義の時代である。
 パクスブリタニカとまったく時期を同じくしたイギリス鉄道の黄金期。どちらにも共通するのは、蒸気機関という技術である。顔を持ち、感情を持った生き物として蒸気機関車が描かれる「きかんしゃトーマス」とは、大英帝国の擬人化である。そして、トップハム・ハット卿が君臨する蒸気機関車たちの王国としてのソドー島とは、島国イギリスの黄金時代=大英帝国のミニチュアなのだ。
『きかんしゃトーマス』が、「パクスブリタニカ」へのノスタルジーという、ナショナルな背景を持った物語として生まれ、英国内では「第二次ブリティッシュインヴェイジョン」期に人形劇番組が作られ、「クールブリタニア」期に日本に輸出されたという構図も、イギリスのナショナリズムの盛り上がりに沿ったものと言えるだろう。


■きかんしゃトーマスとモータリゼーション

さて、その大英帝国、そしてイギリス鉄道のほころびの第一歩として、19世紀末の自動車の発明を挙げることができる。

自動車も初期の段階ではガソリンによる内燃機関ではなく、蒸気機関で動くものが研究されていた。しかし、実用に足る自動車を発明したのは、内燃機関を用いたドイツのカール・ベンツとダイムラー(別々にほぼ同時に発明した)である。そして、そこで生まれた技術を自動車という商品としてまとめ上げたのはフランスのプジョー社だった。ドイツとフランスは、イギリスが優位を保つ蒸気機関による鉄道の技術で出遅れていたため、内燃機関の自動車の開発に特化して技術開発を進めていたのだ。

最終的に、鉄道を日陰に追いやるのは、この内燃機関の自動車の普及、つまりモータリゼーションである。『汽車のえほん』においても、バスのキャラクター「バーティー」が登場し、トーマスとスピード比べを行なう「トーマスとバーティー」という話が、かなり初期に登場する。このスピード比べは、最後に直線スピードに優る蒸気機関車のトーマスに軍配が上がる。だが、中身を見るとレールの信号待ちや蒸気機関を動かす水の補充に手間取るトーマスが、バーティーに翻弄される話であり、バスの優位が示されているのだ。

トーマスとバーティー (トーマスのちいさなえほん)

19世紀から20世紀へという時代の変化は、蒸気機関の時代から内燃機関の時代へという変化であり、鉄道の時代から自動車の時代へという変化でもあった。そして、その変化は、イギリスからアメリカへという覇権の移動につながっていく。

20世紀初頭、自動車の生産における技術革新を成し遂げたのが、アメリカのフォードである。フォードが生み出したベルトコンベアーによる大量生産という生産という様式は、大量消費という20世紀を代表する生活様式を生み出す。そして、ヨーロッパが戦場となった第一次世界大戦を機に、世界の基軸通貨はイギリスのポンドからアメリカのドルへと移行するのだ。

■ポスト大英帝国の擬人化

Kurisuteen 自動車の帝国であるアメリカは、いかに自動車を擬人化した作品を生み出してきたか。まっ先に自動車の擬人化アニメとして思い浮かべるころができる『トランスフォーマー』は、残念ながら元々日本の作品である。アメリカを代表するホラー作家の、スティーブン・キングは、自動車が意思を持ち、人間を殺していく『クリスティーン』という小説を書いている。『クリスティーン』は、ジョン・カーペンター監督の手によって映画化もされた。また、キングは『トラック』という、トレーラーやトラックたちが意思を持ち、自ら給油を行い人類に反逆を企てる短編を書いている。そして、近年の作品では、ピクサーが制作した『カーズ』がまさに自動車の擬人化アニメである。

さて、冒頭の日本のアトムやドラえもんが人間風の顔や感情を持っているという話に戻ろう。イギリスが蒸気機関車を擬人化し、アメリカが自動車を擬人化したのであれば、日本が擬人化すべきものとは何だったのだろう。

日本の戦後の経済発展とは、こうした小型工業製品の輸出に頼ったものである。なかでもソニーの前身である東京通信工業の小型トランジスタラジオが海外でヒットしたという「町工場から世界のソニーへ」というエピソードは、戦後の日本復興におけるもっとも知られる伝説である。東京通信工業がトランジスタ研究を始めた1952年は、『鉄腕アトム』の連載が始まった年であった。そのアトムを戦後復興の役割を果たした小型工業製品の擬人化と見ることができないだろうか。

トランジスタにはじまる集積回路の技術はLSI,ICと発展し、のちのロボット産業へつながる礎となる。こうしたエレクトロニクスの技術を擬人化したものがアトムやドラえもんと考えれば、そこには自然な流れを見出すことができる。彼らを、きかんしゃトーマスの延長にある「ナショナリズムの産物」として捉えてみるという試みはいつかまた詳細に行ってみたい。

(『界遊003』の「きかんしゃトーマス』擬人化される帝国 ~クールブリタニアからパックスブリタニカまで~を改稿したものです)
 

『きかんしゃトーマス』擬人化される帝国(前編) このエントリーをはてなブックマークに追加

Thomas

鉄腕アトムやドラえもんといった日本の漫画やアニメに出てくるロボットには、顔が付いていて、人間らしい感情を持って描かれる。こうした傾向は、偶像崇拝をタブーとしない、アニミズムが根付いた日本人特有のものと説明されることがある。また、鉄腕アトムを目指そうとするから日本のロボット技術は優位を保っているのであるという理屈へとつながっていくのも常である。


それは本当にそうなのか。機械の擬人化は日本人のお家芸? 少なくとも、1945年に絵本として発表され、のちに人形劇として世界中で人気を得るイギリスの『きかんしゃトーマス』の方が、鉄腕アトムよりもよっぽど早い。

■1990年代のクールブリタニア

英国では1984年にスタートしたテレビ番組『きかんしゃトーマス』は、日本の子供番組『ポンキッキ』の中の1コーナーとして1990年に放送が始まっている。


SpikeIslandPoster 1990年の英国といえば、ストーン・ローゼズのペンキぶちまけ事件の年である。これは、英国から新しい流れが生まれる予兆のような事件だった。この数ヶ月後、ストーン・ローゼスの3万人近い若者たちを集めて行った伝説のスパイク・アイランドのライブは、60年代の熱狂の再来と呼ばれ、没落した帝国イギリスがソフトパワーで世界に影響力を持つ90年代の幕開けとなった。The-Stone-Roses--Th-Stone-003

英国発のポップミュージックが世界の市場を制したのは三度。一度目はビートルズやストーンズがいた60年代。アメリカのロックンロールが英国に渡り、ティーンエイジャーのための音楽が生まれた時期。二度目はデュラン・デュランやカルチャークラブらニューウェーブの流れを組んだポップグループらが登場した80年代。これはジャマイカの音楽の影響を受けた新しい音楽が英国のポピュラー音楽に影響を与え、MTVなどメディアの変化とともに世界に発信された時期だ。この両時期は「第一次、第二次ブリティッシュインヴェイジョン」と呼ばれる。

そして三度目が90年代半ばのブリットポップ。オアシスらを中心とした「ブリットポップ」は、セカンドサマーオブラブとも呼ばれたマンチェスタームーブメントと連続性を持っていて、基本的には60年代回帰という要素を持っていた。オアシスは自分たちがビートルズ以来の存在であることを明言し、「ブリティッシュインヴェイジョン再び」という流れをつくり出した。


Kateただし、この時期を指して「第三次ブリティッシュインヴェイジョン」と呼ぶ傾向は見られず、むしろ、「クールブリタニア」という言葉が用いられる。この時期に全世界に輸出されたイギリス発のソフトパワーは、音楽産業に限らなかったからだ。ファッション業界ではジョン・ガリアーノやアレキサンダー・マックイーンといった若手デザイナー、そしてモデルではケイト・モスが台頭した。また、イギリ ス映画『トレインスポッティング』が、世界的なヒットを記録した。

「クールブリタニア」とは、「イギリスらしさとは何か」というナショナルアイデンティティを自らに問い、かつて英国がソフトパワーによって世界を席巻した時代(60年代)を再現しようという運動である。

英国のソフトパワーを武器に世界に「イギリスらしさ」を再認識させようという動きは、1997年に首相に就任したトニー・ブレアの主要政策にも用いられた。いま、日本でもよく言われる「クールジャパン」は、まさにこれの焼き直し政策である。

こうしたクールブリタニア――イギリスらしさを前面に打ち出すナショナリスティックな運動――とストーンローゼズのペンキぶちまけ事件は、ひとつの線上に並ぶ出来事であり、『きかんしゃトーマス』が日本に輸出されたのは、そんなクールブリタニアの胎動期の1990年のことなのだ。

話が長くなったが、ここからがトーマスの話である。

■トップハム・ハット卿のソドー島

90年代のイギリスのソフトパワーのひとつに『きかんしゃトーマス』を加えるのが正しいかどうかはともかくとして、まずは『きかんしゃトーマス』がどういうものかを説明しておく。

Sodor-railways-amoswolfe 機関車に顔が付いたトーマスの人形劇は誰でも知っているだろう。そのトーマスたちが暮らしているのは、ソドー島という架空の島である。ソドー島はグレートブリテン島とアイルランドの間にあるという設定。つまり、マン島の隣に位置するとされている。

マン島はイギリスにも、英連邦にも所属しない自治権を持った英国王室属国の島だ。このマン島自体がソドー島のモデルでもある。マン島の主要産業は観光であり、多くの保存鉄道、つまりすでに廃止された古い蒸気機関車が買い取られ、観光用に走っているのだ。

Fat_controller同じようにソドー島では、英国王室ではなくトップハム・ハット卿という人物が、トーマスら蒸気機関車たちを引き取り、日々鉄道の運行を司っている。そんなソドー島に生きる機関車たちの物語。それが『きかんしゃトーマス』の世界である。

 『きかんしゃトーマス』の原作『汽車のえほん』シリーズが生まれたのは、1945年のこと。プロテスタントの牧師だったウィルバート・オードリー1911~1997)が、風邪で寝ていた自分の子どもに語り聞かせた物語がベースとなり、汽車のえほんシリーズ(The railway series)『三だいの機関車』として刊行されたのだ。

(1) 3だいの機関車 (汽車のえほん (1))

1945年、第二次世界大戦が終了した当時のイギリスの鉄道の状況を確認しておこう。戦前に「ビッグフォー」と呼ばれていた民間メジャー鉄道会社4社は、戦時体制下で国の公共部門として併合されていた。それが、1948年に正式に国有化されることになる。

私鉄から国鉄への変化は、汽車のえほんシリーズにおいてもトップハム・ハット卿の設定の変化として描かれている。ハット卿の役職はソドー島の鉄道局長(おそらく彼以外のスタッフは存在しないが、鉄道局長がこの島の支配者のポジションである)で、シリーズ2巻までは「ふとっちょの重役」(Fat Director)として登場しているが、国有化された1948年の3巻『赤い機関車ジェームス』からは「ふとっちょの局長」(Fat Controller)に変更されている。ハット卿は、民間企業の重役から公務員へと所属が変わったのだ。

また、『汽車のえほん』がシリーズ化され、新作が次々と生まれていったこの時期、イギリスの鉄道は蒸気機関車からディーゼル機関車へと機関車の動力が変わろうとしていた時代であった(英では電化の流れはあまりなく、蒸気機関からディーゼルへと移行した)。

これもまた『汽車のえほん』のなかにおいても反映されており、ディーゼル機関車のキャラ(「ディーゼル」や「デイジー」ら)たちは、皆イヤミでワガママな性格に描かれ、中には蒸気機関車廃止論者(車?)すら登場する。しかもディーゼル機関車たちの性能はそれほど良くなく、すぐに故障しては蒸気機関車たちの手を借りる羽目に陥るのだ。


『汽車のえほん』の世界観をひとことで表すなら、「古き良きイギリスの鉄道の黄金時代へのノスタルジー」と言えるだろう。
ウィルバートが少年時代に見た鉄道とは、おそらく“ビッグ・フォー”以前の時代、つまり1910年代の鉄道であるだろう。そして、国中に無数に点在した地方鉄道が4つの会社に集約された1923年から第二次世界大戦までの時代が“ビッグフォー”の時代である。“ビッグ・フォー”体制が始まった1920年代は、イギリス鉄道の黄金時代に陰りが出はじめた時代であった。すでに自動車道路網が整備され始めた時期でもあり、自動車社会への移行が視界に入りつつあった。そして、1929年の世界恐慌で不況に突入し、鉄道会社の経営は逼迫し、設備投資や保線の費用は大幅に削らることになるのだ。

後編に続く

2008年12 月 4日 (木)

ラーメンとナポリタンはいかにして日本の国民食になったか このエントリーをはてなブックマークに追加

ナポリタンとラーメン。僕らの世代は、子どもの頃から食べていて、大好きな食べ物の両巨頭と言ってもいいくらいの存在だった。大体、海外旅行に行って帰ったら日本食の何が食べたいかというと、まずラーメンが食べたくなる。

いやいやラーメンは日本食じゃないから、と思うかもしれないが、ラーメンは日本食以上に日本人のナショナリズムに根ざした食べ物だったりする。

さて、僕が尊敬する片岡義男の最新作は、『ナポリへの道』という、スパゲティナポリタンと戦後の日米に関する文化論だ。

“スパゲッティー・ナポリタン”とイタリアの都市ナポリは、何の関係もない。ナポリタンは100%日本生まれの日本料理。アメリカの進駐軍が食べていたケチャップのスパゲティをベースにして、横浜のホテルニューグランドのシェフが考案したものだ。

片岡義男の『ナポリへの道』は、このパスタの麺にケチャップをかけた食べ物に、敗戦、進駐軍、民主主義など、アメリカの影としての日本の姿を見る。中でも一番重要なのは、これが小麦食品であるという部分だ。

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2008年9 月18日 (木)

クラスの一番かわいい子レベルがマックでバイトしない問題 このエントリーをはてなブックマークに追加

知り合いのものすごく可愛い女の子の話 - ハックルベリーに会いに行く

僕が10代の頃、クラスで一番かわいい子レベルの女の子たちって、マックやロッテリアでバイトしていた。ひょっとしたらまだ地方だとそうかもしれないけど、高校生ができるバイトの中で、もっともステイタスが高かったのがファストフード店の店員だったから。

そういったステイタスがなくなったのか、マックのバイトっていうのは、そういう憧れの対象ではなくなってしまったなあ、とは常々思っていた。

では、マックの店員がなぜあこがれの存在だったのかというと、かつてはマクドナルドがそれ相応の努力をしていたからと考えることができる。

例えば下のブログに写真があるけど、リカちゃんのマクドナルドショップという、リカちゃんがかわいいマックの制服を着た商品が発売されていたりする。

マクドナルドショップとリカちゃん。。。(かわいい暮らし。)

この制服は人気が高かった90年代のバージョン。このように、おもちゃメーカーとのタイアップを行い、子ども時代からマックの店員にあこがれるような下地作りをしていた時代があって、ステイタスが保たれていたということの証拠でもある。

リカちゃんとマクドナルドのタイアップがいつからはじまったのかはわからないが、1984年にリカちゃんのマクドナルドショップが発売。香山家の年表にも、リカちゃんがマックでバイトをはじめたという項目が記録されているようだ。

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2008年8 月30日 (土)

哀しい大人になってしまった…夏 このエントリーをはてなブックマークに追加

 稲垣潤一『思い出のビーチクラブ』、杏里『最後のサーフホリデー』は、`87~`88年のカナダドライ・ジンジャーエールの87年,88年のCMソング。バブル真っ盛りの夏。

清涼飲料水のCMで言うと、コカ・コーラがこの分野の歴史を作ってきたのだけど、コカ・コーラはわりと日本の夏とコカ・コーラという和風路線。逆に、わかりやすく、夏、リゾート、恋という路線を打ち出していたカナダドライは、ちょっと大人な感じのアーティストを使ったCM展開をしていた。

ちなみに、1987年は“総合保養地域整備法”、つまり通称リゾート法が制定された年でもある。
当時中学生だった僕は大学生になったらリゾートに行って、「避暑地の恋」をするんだと、胸をときめかせていたものだった。まさか、自分が大学に入った頃にバブルが弾けるとは露知らず。いや、それよりもっと致命的だったのは、三流大学にしか入れなかったことだったのだが。

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2008年5 月 9日 (金)

ビーバップの舞台はどこだ、もしくはヤンキーとポストコロニアルについて このエントリーをはてなブックマークに追加

思想地図 vol.1 (1) (NHKブックス 別巻)
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『思想地図』を読んだ。

載っていた記事の中では、韓東賢の朝鮮高校のケンカの話が抜群におもしろかった。
1970年代~80年代に、朝鮮高校と右翼的校風の国士舘高校がずっと対立していた話と、なぜ朝鮮学校といえばケンカなのかという考察。

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2007年7 月25日 (水)

通信と恋愛 その1 このエントリーをはてなブックマークに追加

Phone_2 グーテンベルグ以降、恋愛とはメディアを通して行なわれてきた。多分。

流行歌から、その遍歴を辿るなら1978年の『カナダからの手紙』は言うまでもなく、手紙、しかもエアメールというメディアを通した恋愛の歌。ちなみにラブ・メッセージではないが1976年のピンク・レディー『S・O・S』のイントロにはモールス信号が使われている(LPバージョン)。

そういう具合に通信、通信網を歌った流行歌を考えてみる。僕が生まれた1973年のヒット曲に「リンリンリリン」というベルの音で始まるフィンガー5の『恋のダイアル6700』がある。少なくとも当時の電話がリンリンなっていたことと、ダイアル式だったことはわかる。

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2007年6 月27日 (水)

セリカの歴史とユーミンと頭文字D このエントリーをはてなブックマークに追加

Cerica

トヨタ「セリカ」生産打ち切りへ(読売新聞 2006.4.12)


 

セリカ自体の生産打ち切りは、去年の4月。一年前に書いた記事をブログ移転のため、再掲する。よく思うことだけど、昔の自分のブログはおもしろい。

■セリカの誕生

初代セリカが発売したのは1970年の12月。この頃の国産スポーツカーといえば、一番人気はスカイラインだったはず。1969年に始まった“愛のスカイライン”キャンペーンが大当たりしていた時期だ。セリカの宣伝担当はこれを真似たのだろう。セリカのキャッチフレーズは「恋はセリカで」というものだった。愛とか恋とかクルマ今となってはよくわからない。ちなみに小林亜星が手掛けたCMソングもあったようだ。

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2006年8 月15日 (火)

「マリオ」から見るアメリカ その2 このエントリーをはてなブックマークに追加

前回は(といっても、もう半年くらい前だけど)マリオ誕生の背景には1930年頃に萌芽したアメリカのポップカルチャーが影響しているっていう話だった。 ≫「マリオ」から見るアメリカ その1 今回はマリオとアメリカの第2弾で、アメリカンのヒーローとマリオの関係に触れてみる。

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2006年7 月26日 (水)

リゾートポップと沖縄観光キャンペーン このエントリーをはてなブックマークに追加

以前リゾートポップス考その1として書いたものの続き。

渡辺貞夫の『カリフォルニアシャワー』のフュージョンから大瀧詠一の『ロングバケーション』まで、70年代末から80年代のリゾートソングはあまりにも多いので少し趣旨を変え、日本にとってもっとも身近で人気のあるリゾート沖縄。この沖縄の観光キャンペーンとリゾートソングのかかわりに絞ってみる。

まずは沖縄が返還の決定とともに観光化されていく歴史から。

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著書

about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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