2008年12 月 4日 (木)

ラーメンとナポリタンはいかにして日本の国民食になったか このエントリーをはてなブックマークに追加

ナポリタンとラーメン。僕らの世代は、子どもの頃から食べていて、大好きな食べ物の両巨頭と言ってもいいくらいの存在だった。大体、海外旅行に行って帰ったら日本食の何が食べたいかというと、まずラーメンが食べたくなる。

いやいやラーメンは日本食じゃないから、と思うかもしれないが、ラーメンは日本食以上に日本人のナショナリズムに根ざした食べ物だったりする。

さて、僕が尊敬する片岡義男の最新作は、『ナポリへの道』という、スパゲティナポリタンと戦後の日米に関する文化論だ。

“スパゲッティー・ナポリタン”とイタリアの都市ナポリは、何の関係もない。ナポリタンは100%日本生まれの日本料理。アメリカの進駐軍が食べていたケチャップのスパゲティをベースにして、横浜のホテルニューグランドのシェフが考案したものだ。

片岡義男の『ナポリへの道』は、このパスタの麺にケチャップをかけた食べ物に、敗戦、進駐軍、民主主義など、アメリカの影としての日本の姿を見る。中でも一番重要なのは、これが小麦食品であるという部分だ。

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2008年9 月18日 (木)

クラスの一番かわいい子レベルがマックでバイトしない問題 このエントリーをはてなブックマークに追加

知り合いのものすごく可愛い女の子の話 - ハックルベリーに会いに行く

僕が10代の頃、クラスで一番かわいい子レベルの女の子たちって、マックやロッテリアでバイトしていた。ひょっとしたらまだ地方だとそうかもしれないけど、高校生ができるバイトの中で、もっともステイタスが高かったのがファストフード店の店員だったから。

そういったステイタスがなくなったのか、マックのバイトっていうのは、そういう憧れの対象ではなくなってしまったなあ、とは常々思っていた。

では、マックの店員がなぜあこがれの存在だったのかというと、かつてはマクドナルドがそれ相応の努力をしていたからと考えることができる。

例えば下のブログに写真があるけど、リカちゃんのマクドナルドショップという、リカちゃんがかわいいマックの制服を着た商品が発売されていたりする。

マクドナルドショップとリカちゃん。。。(かわいい暮らし。)

この制服は人気が高かった90年代のバージョン。このように、おもちゃメーカーとのタイアップを行い、子ども時代からマックの店員にあこがれるような下地作りをしていた時代があって、ステイタスが保たれていたということの証拠でもある。

リカちゃんとマクドナルドのタイアップがいつからはじまったのかはわからないが、1984年にリカちゃんのマクドナルドショップが発売。香山家の年表にも、リカちゃんがマックでバイトをはじめたという項目が記録されているようだ。

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2008年8 月30日 (土)

哀しい大人になってしまった…夏 このエントリーをはてなブックマークに追加

 稲垣潤一『思い出のビーチクラブ』、杏里『最後のサーフホリデー』は、`87~`88年のカナダドライ・ジンジャーエールの87年,88年のCMソング。バブル真っ盛りの夏。

清涼飲料水のCMで言うと、コカ・コーラがこの分野の歴史を作ってきたのだけど、コカ・コーラはわりと日本の夏とコカ・コーラという和風路線。逆に、わかりやすく、夏、リゾート、恋という路線を打ち出していたカナダドライは、ちょっと大人な感じのアーティストを使ったCM展開をしていた。

ちなみに、1987年は“総合保養地域整備法”、つまり通称リゾート法が制定された年でもある。
当時中学生だった僕は大学生になったらリゾートに行って、「避暑地の恋」をするんだと、胸をときめかせていたものだった。まさか、自分が大学に入った頃にバブルが弾けるとは露知らず。いや、それよりもっと致命的だったのは、三流大学にしか入れなかったことだったのだが。

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2008年5 月 9日 (金)

ビーバップの舞台はどこだ、もしくはヤンキーとポストコロニアルについて このエントリーをはてなブックマークに追加

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『思想地図』を読んだ。

載っていた記事の中では、韓東賢の朝鮮高校のケンカの話が抜群におもしろかった。
1970年代~80年代に、朝鮮高校と右翼的校風の国士舘高校がずっと対立していた話と、なぜ朝鮮学校といえばケンカなのかという考察。

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2007年7 月25日 (水)

通信と恋愛 その1 このエントリーをはてなブックマークに追加

Phone_2 グーテンベルグ以降、恋愛とはメディアを通して行なわれてきた。多分。

流行歌から、その遍歴を辿るなら1978年の『カナダからの手紙』は言うまでもなく、手紙、しかもエアメールというメディアを通した恋愛の歌。ちなみにラブ・メッセージではないが1976年のピンク・レディー『S・O・S』のイントロにはモールス信号が使われている(LPバージョン)。

そういう具合に通信、通信網を歌った流行歌を考えてみる。僕が生まれた1973年のヒット曲に「リンリンリリン」というベルの音で始まるフィンガー5の『恋のダイアル6700』がある。少なくとも当時の電話がリンリンなっていたことと、ダイアル式だったことはわかる。

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2007年6 月27日 (水)

セリカの歴史とユーミンと頭文字D このエントリーをはてなブックマークに追加

Cerica

トヨタ「セリカ」生産打ち切りへ(読売新聞 2006.4.12)


 

セリカ自体の生産打ち切りは、去年の4月。一年前に書いた記事をブログ移転のため、再掲する。よく思うことだけど、昔の自分のブログはおもしろい。

■セリカの誕生

初代セリカが発売したのは1970年の12月。この頃の国産スポーツカーといえば、一番人気はスカイラインだったはず。1969年に始まった“愛のスカイライン”キャンペーンが大当たりしていた時期だ。セリカの宣伝担当はこれを真似たのだろう。セリカのキャッチフレーズは「恋はセリカで」というものだった。愛とか恋とかクルマ今となってはよくわからない。ちなみに小林亜星が手掛けたCMソングもあったようだ。

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2006年8 月15日 (火)

「マリオ」から見るアメリカ その2 このエントリーをはてなブックマークに追加

前回は(といっても、もう半年くらい前だけど)マリオ誕生の背景には1930年頃に萌芽したアメリカのポップカルチャーが影響しているっていう話だった。 ≫「マリオ」から見るアメリカ その1 今回はマリオとアメリカの第2弾で、アメリカンのヒーローとマリオの関係に触れてみる。

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2006年7 月26日 (水)

リゾートポップと沖縄観光キャンペーン このエントリーをはてなブックマークに追加

以前リゾートポップス考その1として書いたものの続き。

渡辺貞夫の『カリフォルニアシャワー』のフュージョンから大瀧詠一の『ロングバケーション』まで、70年代末から80年代のリゾートソングはあまりにも多いので少し趣旨を変え、日本にとってもっとも身近で人気のあるリゾート沖縄。この沖縄の観光キャンペーンとリゾートソングのかかわりに絞ってみる。

まずは沖縄が返還の決定とともに観光化されていく歴史から。

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2006年5 月25日 (木)

カルチュラル・スタディーズの教科書として読みたい『BE-BOP-HIGH-SCHOOL』、または「日の丸には黒はない」 このエントリーをはてなブックマークに追加

この国の30代以下の人間は、ビバップという言葉をジャズのジャンルとして知るよりも、ヤンキーマンガのタイトルとして知る。なぜこのヤンキーマンガが『ビー・バップ・ハイスクール』とビバップという黒人文化の中でもコアな文化からタイトルを拝借しているのか? それはもちろん、黒人文化の強い影響下にあるからだ。

長ランやボンタンといった1970年代後半~1980年代前半のツッパリ・ヤンキーといった不良ファッションのルーツは1930年代にギャング系の黒人たちのファッションとして生まれたズート・スーツだろう。

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2006年4 月11日 (火)

リゾートポップス考 その1 このエントリーをはてなブックマークに追加

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リゾートポップ前史

こちらのブログに触発されて、“リゾートポップ”とは何かを考えてみた。 戦後のリゾートポップスらしきものを遡れば、1948年の岡晴夫が唄った『憧れのハワイ航路』があるのだけれど、この時点では海外渡航が禁止されていたどころか、まだ占領も解けていない時代のバカンスを唄ったもの。

この曲のヒットがきっかけでのちに同名映画(1950年)も企画されるが、これも戦争中ハワイで行方不明になった父の逸話が出てくるのみで、決してバカンス映画ではないようだ。

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著書

about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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