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2014年9 月 1日 (月)

『シャコタン☆ブギ』ジュンちゃんとジョン・ミルナーについて このエントリーをはてなブックマークに追加

この夏は『湾岸ミッドナイト』『シャコタン☆ブギ』を一気読みした。前者はともかく、後者が傑作であるということを再確認できたのは良かった。

『シャコタン☆ブギ』は、四国の地方都市を舞台にしたクルマとナンパに明け暮れる高校生のストーリー。実は『アメリカン・グラフィティ』が元ネタで、それを日本の地方都市のドメスティックな話として丁寧に置き換えている。

アメグラには、ケンカが強く、街最速のホットローダー、ジョン・ミルナーというキャラが出てくる。『シャコタン☆ブギ』でいうとジュンちゃんだ。彼は、ケンカも強いし、後輩思いなので誰からも尊敬される存在だが、街から一歩も出られない地元に止まらざるを得ない存在でもある。職業は、家の家業を継いで自動車整備工。

ジョージ・ルーカスの出世作である『アメリカン・グラフィティ』は、アメリカの黄金時代の終わりを示唆させた作品。舞台は西海岸の田舎町。金曜ごとにクルマで街に繰りだす若者たちが、ずっとナンパしたりしながら街を流している。

ミルナーは、街の片隅にある自動車廃棄場でつぶやく「昔はこの街ももっと喧騒に溢れてたよ」。映画が作られたのは、ゴールデンエイジと呼ばれる60年代が終わった直後。物語の最後で、彼はメキシコからやってきた若き日のハリソン・フォードが演じたホットローダーとのレースで、実質的に敗れてしまう。ルーカスは、アメリカにとっての青春時代の終わりを、このミルナーというキャラクターに象徴的に背負わせたのだ。

一方、『シャコタン☆ブギ』のジュンちゃんが背負ったものとは、90年代以降の地方都市の衰退そのものだ。マンガの掲載が始まったのは、1984年。主人公のハジメは、親にソアラを買ってもらうが、ソアラ登場から3年。その直後に、新型が登場して悔しがる話も登場する。

日本の地方都市も自動車産業も、まだまだ活気があった時代。それが、次第に変化していく様は、マンガの中でもそれとなく描かれていく。街の中心地が、郊外の海岸道路に映って、街中から若者が減ったという回が出てくる。車を改造する走り屋なんて流行らなくなって、それに変わる新たな若者文化が登場してくるという話も何度か登場する。

途中、主人公のハジメとコージは、バブル期で人手不足の折に東京のディスコにバイトに行くくだりがある。その数年後、再び東京に行くと、ディスコの時代は終わっていて、小箱のクラブの時代になっているというくだりがあるなど、時代の変化を捉える著者の視点は鋭い。

ラストまで読んだの、今回が初めてだった。連載終了は、同じ作者の『湾岸ミッドナイト』が、好評で連載化され、作者の興味もそっちに移っていったため、自然消滅的に連載が終了したようだ。ハジメがそれまでたくさんの思い出があるソアラを手放し、セルシオを手に入れることで、物語に終止符が打たれた。ジュンちゃんやサブキャラのアキラらは、走り屋としてそのまま人生を延長させるが、最後までナンパの道具としてしかクルマを見ていなかったハジメ(彼は、クルマはオートマで十分と思っている)は、改造されて最速化されたソアラに執着せずに、躊躇なく卒業していくのだ。

著者の楠みちはるは、この作品を卒業して、いつまでも青春を続ける走り屋たちしか登場しない(つまり、ジュンやアキラの側)『湾岸ミッドナイト』に精力を投入していくことになる。彼もまた、ジュンやアキラの側でマンガを描き続ける道を選んだのだ。

そんな『湾岸ミッドナイト』も作品としてのレベルは高く、名作なのだが、その話はまたの機会に。

関連記事:コリー・ハイムと1980年代の青春映画と『シャコタン☆ブギ』

 

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