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2012年3 月12日 (月)

戦争映画として見る『戦火の馬』感想 このエントリーをはてなブックマークに追加

人間と馬のドラマという目線では、あまりよくできた話とは思えなかったので、あくまで戦争と馬という視点から映画の感想を。

第一次世界大戦は、馬が前線に担ぎ出された最後の戦争なのかもしれない。舞台を第一次世界大戦に設定したことが、 この映画の重要なポイント。こうした目線で戦争映画としてみれば、とても見所の多い映画かと。

見所という意味では、映画の最初の30分は寝てても問題ない。馬が来て少年が育てて戦争にとられていく。頭の固い父親が、意地悪な地主に意地を張って高い馬を買ってきて、金がなくなり売り払うだけの話。少年と馬が引き離されるのは戦争のせいではないのだ。なので少年にはほとんど感情移入できない。

やっと本編が始まったなというのは、最初の戦闘シーン。つまり英軍の騎兵隊とドイツ軍が接触する場面。サーベルを持った英国の騎兵隊が、ドイツ軍の宿営地を奇襲する。だが、このデビュー戦はあっという間に決着が付く。ドイツ軍の機関銃によって騎兵隊は壊滅的な被害を受ける。敗れた英国の将校に、ドイツ兵が嫌みをいう「俺たちが何の防備もなく野営していたと思ったのか?」と。まったくだ。

機関銃の社会史 (平凡社ライブラリー)』という本を読むと、この場面の背景が理解できる。イギリスは第一次大戦でドイツの機関銃の前に、多大な死者を出す。イギリス軍も機関銃は持っていた。だが、それが有効に利用されることはなかった。なぜなら、イギリスは、戦争において勝敗を決するのは、騎兵たちの勇敢さ、突撃精神だという考えを、多くの死者を出しても捨てなかったから。

当時のイギリスの将校たちは、みな貴族の出身だった。彼らは誇り高き戦争のプロだが、新しい戦争の時代になっていることに気付かなかった。さらに、工業化時代を担う新しい階級のことなど見下している人々でもあった。つまり、新しい技術が戦局を変える、技術で勝敗が決まるなんてことは、信じられなかったのだ。

そんな具合に第一次世界大戦の史実が忠実な感じで再現されるこの作品、とはいえ最初の戦いで主人公の馬に乗った英国軍人(少年に馬を返す約束をしたのに)はあっさり死ぬ。もちろん、主人公の馬は生き残るが、ドイツ軍で大砲を引っ張る労役に使われる。工業化時代の近代化した戦争を戦うドイツ軍は、馬を前線での突撃用には使わないというわけだ。

ところで、この映画で一番泣けるのは馬同士の交流のシーンである。軍隊でずっと一緒だった親友の黒い馬が、ここの労役で弱っていく。仕事を肩代わりする主人公の馬の優しさに心を揺さぶられる。だが結局、黒い馬は死ぬ。彼ら2頭の面倒を見る馬好きのドイツ兵は、上官の命令を無視してこっそりと隊列を離れ、2頭に別れの時を与える。馬と馬の交流、人と馬との交流が描かれる唯一の場面だ。正直泣ける。この映画の登場人物のなかで、馬を本気で愛しているのは、このドイツ人だけではないかだろうか。

映画としての見所はこの直後からのシーンだ。ドイツ軍から逃げ出した馬が前線を駆け回る。これまでは、優秀だが恐がりで柵などを跳び越えることのできなかったやさしい性格に描かれてきた馬が、ドイツの戦車と遭遇して覚醒するのだ。馬と戦車が一対一で向き合う場面が、本作の一番のシーンである。 鉄の塊を見て脅えた馬は、逃げようとするが周囲は障害物で囲まれている。勇気を振り絞った馬は、これに飛び乗る。前近代の兵器である馬が最後の抗いとして戦車に対抗するのだ。

工業化された戦争の主役である戦車と、前近代戦争の象徴である馬をワンカットに納め、対峙させる。このシーンにこの映画の全体的な構図が濃縮されて描き出されている。

覚醒した馬は、 前線を駆け回る。しかし、鉄条網が体中に巻き付いてしまい、弱って倒れ込む。ここで英国軍とドイツ軍の兵隊同士が馬を助けるために、一時協力するという映画のアクセントになる場面がある。

さて、馬が駆け巡る場所がだだっぴろい戦場ではなく、狭い塹壕のなかであるというのも、ミリオタであるスピルバーグらしい場面作りである。機関銃が用いられた第一次世界大戦は、塹壕での撃ち合いが戦闘の中心となる。馬は、この塹壕戦ではまったくの役立たずである。そこを馬が走りまわるというわけだ。騎兵が馬上で使い安いように短くなったカービン銃の時代から、塹壕に飛び込んで乱射できる短機関銃、そしてアサルトライフルへと、歩兵の銃の役割も変化していく。

最後に、馬と冒頭の主人公が前線で出会ったり、戦争が終わって一緒に故郷に帰ったりという場面は、あまり記憶に残っていないので、どうということはなかった気がする。 逆に、スピルバーグがこの作品で幾度となく描くメッセージとは、馬が戦争の役に立たなくなったという戦争の技術の変遷である。本作は、工業化した戦争を時代遅れの兵器である馬の目線で描いた作品のように思える。

これは少年に感情移入できなかった僕のうがった見方なのだが、あの馬の愛情を持ったドイツ兵のところに馬が帰るのが最もハッピーなエンディングだったと思う。

 

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コメント

バレンタイン

こんばんわ

もし 馬と今後 懇意になる事があるなら
この今の感想は 180度変わります。

なければ 今のままの感想でこれからの人生も
そうだと思います。
ドイツ兵は もちろん 馬に対して愛情持ってました。

でも残念ながら馬と過ごした経験が無いと
 少年の事全く分からないとおもいました。

馬と人との絆は 外の人間には決して分からないものなのです

名無し

馬は兵器ではありません。兵器になった事など今までかつてないですが?生き物です。

人間はそのもの兵器になったりしますがね。 

塹壕戦で役に立たないって。。。

変わった視点ですね。あの場面は逃げてますよ
戦車にも対抗してないですよ
馬は基本逃げる動物って知ってますか。

戦争から 逃げてるんです。  

人間が戦争から逃げたいように 馬も。

だって 好きこのんで戦場に行ってないから。
勝手な人間の事情だから

大砲を しかもサラブレッドが引かされる場面で
何も感じなかったんですね。。。。

速水健朗

それ誤読です

名無し

そうですか??

侑

いやあ、色々レビューを見て来たのですが速水さんのレビューに一番共感&ハラ抱えて笑いました。

お初です。

とても勉強になりますね、兵器としての馬の視点で観る、というのでこの映画をもう一度観る機会が(あればですが)あったときには楽しめそうです。

全体的にケレン味たっぷり、超優等生なつくりで特に不満もなく記憶に残るシーンも少なく。というか馬が虐待くらってるシーン(厳密には虐待ではないのですが)が一番記憶に残ってしまうというのもなんだか面白かったです。

確かに主人公、というかオムニバス的仕立てになっているのにも関わらずキャラクターの設定や作りこみが浅かったですね。これはもうディズニー映画なのであえてそうしているのか、ちょっと欲張りすぎたのか、個人的にはどちらか判断つきかねる部分でした。

そして間延びしつつも無難にまとまっていたこの映画の中で唯一笑ってしまったのが見せ場といっていいのか、戦車が馬を追い詰めそれを飛び越える、といったあのシーン。

あの戦車は行軍中になぜはぐれ馬1頭を追い詰めたのか、あの行動にどういった意味があったのか、なんかあのシーンだけ妙にコメディになっていたように感じたのですがこれは俺がうがった見方をしてしまったのか、読み込みが浅いのか・・・

ともあれ記事、実に楽しく読ませて頂きました。

いちご

私も上の方が書かれているように、このブログの批評すごくいいなと思って読みました。この映画の反応、「泣かせた~、すごい」と感激一筋の人とちょっと冷静に引いてしまう人と両極端でしょうね。私はこのブログの感想と非常に似ていて、戦争における馬というものが頭から離れませんでした。侑さんという方の反応も素晴らしい。

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