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2010年5 月31日 (月)

長髪時代の終わりとパンチパーマの起源 このエントリーをはてなブックマークに追加

かつて、理容業界では若者の理髪店離れが問題になった時代があった。

それは、グループサウンズや吉田拓郎らフォーク勢が若者のアイドルとして台頭し、ヒッピー族、フーテン族が跋扈した70年前後のこと。当時の人気歌手の長髪をみんなが真似たのだ。

当時の大スターである吉田拓郎に♪僕の髪が肩までのびて♪(『結婚しようよ』)と歌われてしまっては、世の理髪店にとっては大打撃以外のなにものでもない。ほんと営業妨害。

そんな危機的状況には、業界として立ち向かう必要がある。そこで立ちあがったのが、全国理容環境衛生同業組合連合会(全理連)である。全理連は、緊急プロジェクトチームを結成する。そして、長髪ブームを終わらせようと、ロン毛に変わるファッション性の高いショートヘアスタイルの開発に乗り出したのだ。

冗談のような話だが、事実である(参考文献『ヤクザ・風俗・都市―日本近代の暗流 』朝倉喬司 )。

全理連が開発したパンチパーマは、彼らの目論見どおり若者の間で流行する。その普及にはひとりの青年が貢献した。その青年とは、『銀座NOW』出身で、`77年に『失恋レストラン』でデビューした歌手の清水健太郎だった。


Shimiken シャイで硬派なイメージで売り出されたシミケンは若者たちの新しいアイドルとなった。彼の真似をした若者は、こぞって彼の髪型を真似た短めのウェービーなヘアスタイルにしたのだ。

当時彼の髪型は「健太郎カット」と呼ばれていた。全理連は、彼をポスターのモデルとして起用し、床屋の店頭にかざられていた。そう記憶している。

この当時、僕自身はまだ小学校にも満たない子どもだったが、その後、10年ばかりは常に床屋にとっての理想ヘアスタイルがシミケンのまま更新されなかったから、その雰囲気を覚えているといった程度であるのだが。

ちなみに「健太郎カット」はいまでも「カットチャンピオンの店」と看板が掛かっているようなオールドスクールな床屋ではいまだに推奨されているような気がする。

清水健太郎=パンチパーマというイメージは強くある。だが、実は結構間違っているのではないだろうか。彼の髪型が徐々にウェーブを増していくのは確かだ。ただし、パンチパーマというわけではないように思える。ただ、本人の男前度や顔から受ける印象の問題もあり、なぜかちょっとしたウェービーヘアーが、パンチパーマという印象に変換されてしまう。

ちなみに、当時のパンチパーマとは、「ニグロパーマ」などとも呼ばれ、親しまれていた。アイパーとパンチの呼び名の違いは、道具の違いなど技術的な用件に規定されるモノのようだが、ここでは議論の対象にしない。

正確なことはわからないが、パンチパーマという髪型が暴力団組員の定番として定着したのは、そんなに古いことではないのではないか。定着したのはシミケン登場以降のような気がしている。少なくとも、`73年にシリーズがスタートした実録風やくざ映画『仁義なき戦い』のシリーズにはパンチパーマのキャラクターは1人も出てこない。

菅原文太は角刈り、小林旭はきっちり七三である。これは時代考証的なもの込みの話なのかも知れないが。

さて、『失恋レストラン』では、恋に破れ「ポッカリあいた胸の奥」を満たす「飯」を出すレストランが舞台だったやくざ=パンチパーマというイメージが定着するのは、シミケンのその後の人生と密接に結びついているのかもしれない。彼の「ポッカリあいた胸の奥」を埋めたのは飯ではない別の何かだったのだが、それは大人の事情が絡む内緒の話であった。

余談だがこのブログを書いている僕の名は速水健朗である。その字面のせいか、いまだに「シミズケンタロウさん」と病院の受付などで呼ばれることは少なくない。

2010年5 月22日 (土)

自動車とポップス~ドライバーシートと助手席の攻防を巡るアンダーステアな40年史 このエントリーをはてなブックマークに追加

アクセルふめば 恋のスピードあげてくる
握るハンドル 彼の横顔 愛のサインが浮かぶ
Go! Go! 走れ レンタカー
Go! Go! 走れ 若い二人の夢のせて

『Go! Go! レンタカー』田辺靖雄・中尾ミエ(作詞:安井かずみ)

「若い二人の夢」を乗せて走るのはレンタカー(笑)。とはいえ、この曲の発売は1966年だから、日産サニー、トヨタ・カローラという、低価格のファミリーカーが競い合って登場した、「マイカー元年」に当たる年。数年後、この二人が結婚したらきっとカローラを買い、郊外のニュータウンにマイホームを手に入れ、子どもを産む。そんなライフコースを辿るであろう、ベビーブーマー世代の青春時代が込められている。

この10年後の1976年に、発表されたのがユーミンの『中央フリーウェイ』。ハイファイセットも唄いました。


間奏のアレンジがとてもキラキラした名曲。

この歌の肝は、中央自動車道を「中央フリーウェイ」と言い換えたところ。実在の風景を、言葉と描写と音楽のアレンジによってまるで日本ではないかのように見せてしまっている。とはいえ、たしかに夜の中央自動車道は周囲も暗く、本当に夜空に続く滑走路のような風景が味わえる。結構好き。

『Go! Go! レンタカー』とは違い、この歌の二人には倦怠感も垣間見られる。あとレンタカーではなく、ちゃんと所有している車なんだろう。この歌はクルママニアの松任谷正隆と結婚前に、自宅までクルマで送ってもらっていた実体験がモデルになっているのだから。MGかアルファロメオあたりの小型オープンカーのはずだ。

緑の中を走り抜けてく真紅(まっか)なポルシェ
ひとり旅なの 私気ままにハンドル切るの

『プレイバック part2』山口百恵(歌詞:阿木耀子)

この歌がよく取り上げられたのは、男性に従属しない女、主体性を持ったヒロイン像。つまり、助手席ではなく、自分でハンドルを握り、しかもポルシェに乗る主人公という部分が言及された。

途中で巻き戻ししたりするおもしろい歌詞。

阿久悠なんかがもっとも意識的にやったのだけど、70年代の歌謡曲は男女の従属関係、権力関係が意識的に歌詞に登場した時代でもあった。だけど、80年代になるとそんな空気 も薄くなる。

次は、おニャンコクラブの自動車歌謡『国道渋滞8km』。これ超好き。名曲。アルバム収録曲で、スタンダードとは言えないけど。エンジン音のSEから始まる自動車歌謡には数あれど、これは異色。なんと渋滞を歌っている。

シチュエーションは、はじめてのドライブデート。1日ドライブしたあと、都心まで送ってもらう。つまり、ヒロインは、都心住まい。だけど、帰りに首都高で8キロの渋滞につかまる。自動車の普及数の予測という、都市計画のもっとも根本部分に不備が露呈した時代のアンセム。というわけではなく、ヒロインは渋滞のおかげで一緒にいられる時間が延びてよかったという健気な女の子。ちなみにクルマはカブリオレタイプだそうだ。

さて、90年代にドライバーシートを巡る男女の位置の入れ替えを歌ったのは小沢健二である。

彼を迎えにでかけて
もう1時間 待ちぼうけ
カローラIIはその時
私の図書館

『カローラⅡにのって』小沢健二(歌詞:佐藤雅彦・内野真澄・松平敦子)

これは1994年のカローラⅡのCM。車種のターゲット的に女性向けなので、まあ当然こういう歌詞になるのだ。

とはいえ、90年代初頭に宮沢りえがダイハツ・オプティのCMに出て以降、クルマのCMに女性が出てきて女性にアピールするCMが急速に増えていったのも事実だろう。自動車の国内新車販売台数のピークが1990年。国内市場の飽和に危機を感じた自動車業界は、新しい購買層の開拓し始めたのだ。

日本の自動車産業に大きな変化が起きたのは、この90年前後のこと。エスティマの登場にはじまるミニバン主流の時代に突入。

トヨタは、スポーツカー離れする若者を狙って新しいシティユースRVの市場を開拓する。団塊ジュニア世代の代表選手で、まだブレイクしはじめの22歳の木村拓哉を起用したRAV4がそれ。この1994年は、キムタクが『anan』の「好きな男ランキング」ではじめて1位を獲得した年でもある。
その後も木村はトヨタのCMに出演し続けることになる。ただし、車種は変わる。その後は、カローラのスポーツタイプであるカローラ・フィールダーに登場。国民的アイドルグループSMAPのフロントとして、国民車のCMに出ているという構図。

90年代末以降のポップミュージックにおける自動車の扱われ方の変化も見ておこう。

例えば、1998年に『夏色』で登場したゆずは、「♪この長い長い下り坂を 君を自転車の後ろに乗せて ブレーキいっぱい握りしめて ゆっくりゆっくり下ってく」と、自転車の歌でブレイクしている。70年代のフォークもあまり、自動車が出てこなかったし、これはジャンル特有の問題なのかもしれないが。

くるりには、『ハイウェイ』という曲があるが、この歌は「♪車の免許とってもいいかな」と、運転免許証すら未取得の主人公の歌である。まあ、くるりの岸田は電車オタクなのでしかたがないが。

とりあえず、思いつきではありますが、自動車とポップミュージックを巡る話を書き留めてみました。

2010年5 月17日 (月)

男は黙って第一次産業 このエントリーをはてなブックマークに追加

北島三郎の代表曲に『与作』がある。

この歌の主人公・与作の職業は木こり。「ヘイヘイホー」と森林で木材を生産する木こりは、産業の段階で言うなら第一次産業に分類される。日本の林業は、`64年の木材輸入自由化によって停滞をはじめ、『与作』がヒットした`70年代後半には、木材自給率が過半数を割ってしまった。

与作の妻は気だてがいい。「♪女房ははたを織る トントントン トントントン 気だてのいい嫁だよ」。嫁の職業は機織り。産業の段階で言うなら、第二次産業に属している。

さらに、北島三郎の代表曲である『北の漁場』は、海で漁をする男たちの歌である。

この歌が歌われた`86年当時、日本の漁業は漁業生産量で世界一を誇っていた。だが、そのほんの数年後には中国にその座を奪われてしまった。漁業もまさに第一次産業である。

おわかりのように、北島サブちゃんの世界とは、ひと言で「男は黙って第一次産業」なのである。

サブちゃんの演歌は、古き良き近代化以前の日本社会のイメージを留めており……と解釈してしまうのは、むしろ一周回って時代遅れ。むしろ、いま、時代は第一次産業である。事実、第一次産業はかつてないほどに注目を集めている。

サブプライムの崩壊、リーマンショックによって、90年代以降の金融資本主義、市場原理主義には懐疑的な視線が寄せられている。また、折からの就職難世代の恨み辛みも重なり、いまや農業、林業、漁業は、とりあえず注目を浴びている業界になった。事実、農水省には雇用に関しての問い合わせが殺到したという。

世代交代に失敗し人材不足の農林水産業の利害と雇用難になく若者世代の利害、そして一次産業で雇用を捻出したいという厚労省の利害はばっちり合致したのだ。

とはいえ、そこはお役所仕事。両者の架け橋は、当初思ったほどにはスムーズにいっていない。

有名デザイナーの佐藤可士和に農業従事者を“ファーマー”と呼ばせるキャンペーンを仕掛けたが、もちろんダメである。「オシャレ農業推進」は、ブルータス世代の40代には通用しても、ロスジェネ世代には通用しない。

それよりも、今どきの若者にはサブちゃんの演歌のほうが届くはずだ。ここはずばり、北島三郎を起用し「男も女も黙って第一次産業!」というキャンペーンを展開すべし。今こそサブちゃんの出番である。

2010年5 月12日 (水)

飛行機嫌いの偉人伝 その1 デニス・ベルカンプ このエントリーをはてなブックマークに追加

Bergkamp

【デニス・ニコラス・マリア・ベルカンプ Dennis Nicolas Maria Bergkamp】

かつて“空飛ぶオランダ人”の異名をとったのはヨハン・クライフである。その一方、“空飛ばぬオランダ人”と呼ばれるべきサッカー選手がいる。

その選手の名はデニス・ベルカンプ。イングランド・プレミアリーグ・アーセナルの所属選手として05/06年シーズンを最後に引退。`98フランスでのアルゼンチン戦、ゲーム終了間際にフランク・デ・ブールからの約50メートルのロングパスをぴたりとワントラップで止め、次のタッチでディフェンダーを交わし、右足で決めたゴールはこれまでのサッカー観戦歴のなかでも、最も興奮したゴール。


彼を“空飛ばぬ~”と呼んだのは、彼の“大の飛行機嫌い”に由来している。欧州の強豪チームでは、通常リーグ戦の合間にカップ戦で国外のチームと遠征試合をすることが多い。ベルカンプは他のチームメイトが飛行機で移動する中、クルマで10数時間かけて移動する。そして、遠征への帯同を拒否することも少なからずあった。

噂によるとアーセナルと交わしている契約の中に“飛行機での移動が必要な遠征の拒否認める”という項目があったという。多分本当の事だ。おかげで、ベルカンプ在籍時代、リーグでは常に上位を狙う位置につけていたアーセナルも、カップ戦の成績はいまいち奮わなかったのは、ベルカンプがいなかったからだろう。

このベルカンプの飛行機嫌いの理由には諸説ある。友人を飛行機事故で無くした説。もうひとつは、以前飛行機で爆弾テロ騒動に巻き込まれたというもの。真偽の程はわからないが、`94アメリカ大会では飛行機で大西洋を渡っているはずなのだ。飛行機嫌いはそれ以降の話なのかもしれない。

■代表引退の理由

ベルカンプは、2002年W杯予選を前に代表引退を宣言している。もちろんマスコミ(当然ファンも)は、その理由を“日本まで飛行機に乗って行くのが無理なせいだろう”と書きたてた。ベルカンプは、インタビューでそれを否定するコメントを出している。「俺はそんな理由で代表チームから引退す るんじゃない。まだ俺が必要だって言うのなら日本でもどこでも行ってやるさ。飛行機嫌いなんか克服できるんだ」(出典は不明)。
しかしオランダ は予選を勝ち抜くことができなかった。その原因のひとつはベルカンプが代表に戻ってこなかったから。

アーセナルファンも、オランダ人も皆、口をそろえて「ベルカンプが飛行機嫌いじゃなかったら今ごろ……」と思っていただろう。でも、それはディエゴ・マラドーナやエリック・カントナが人格者だったら……というのと同じ。飛行機嫌いとベルカンプという才能は、2つでひとつなのだ。

2010年5 月 6日 (木)

『きかんしゃトーマス』擬人化される帝国(前編) このエントリーをはてなブックマークに追加

Thomas

鉄腕アトムやドラえもんといった日本の漫画やアニメに出てくるロボットには、顔が付いていて、人間らしい感情を持って描かれる。こうした傾向は、偶像崇拝をタブーとしない、アニミズムが根付いた日本人特有のものと説明されることがある。また、鉄腕アトムを目指そうとするから日本のロボット技術は優位を保っているのであるという理屈へとつながっていくのも常である。


それは本当にそうなのか。機械の擬人化は日本人のお家芸? 少なくとも、1945年に絵本として発表され、のちに人形劇として世界中で人気を得るイギリスの『きかんしゃトーマス』の方が、鉄腕アトムよりもよっぽど早い。

■1990年代のクールブリタニア

英国では1984年にスタートしたテレビ番組『きかんしゃトーマス』は、日本の子供番組『ポンキッキ』の中の1コーナーとして1990年に放送が始まっている。


SpikeIslandPoster 1990年の英国といえば、ストーン・ローゼズのペンキぶちまけ事件の年である。これは、英国から新しい流れが生まれる予兆のような事件だった。この数ヶ月後、ストーン・ローゼスの3万人近い若者たちを集めて行った伝説のスパイク・アイランドのライブは、60年代の熱狂の再来と呼ばれ、没落した帝国イギリスがソフトパワーで世界に影響力を持つ90年代の幕開けとなった。The-Stone-Roses--Th-Stone-003

英国発のポップミュージックが世界の市場を制したのは三度。一度目はビートルズやストーンズがいた60年代。アメリカのロックンロールが英国に渡り、ティーンエイジャーのための音楽が生まれた時期。二度目はデュラン・デュランやカルチャークラブらニューウェーブの流れを組んだポップグループらが登場した80年代。これはジャマイカの音楽の影響を受けた新しい音楽が英国のポピュラー音楽に影響を与え、MTVなどメディアの変化とともに世界に発信された時期だ。この両時期は「第一次、第二次ブリティッシュインヴェイジョン」と呼ばれる。

そして三度目が90年代半ばのブリットポップ。オアシスらを中心とした「ブリットポップ」は、セカンドサマーオブラブとも呼ばれたマンチェスタームーブメントと連続性を持っていて、基本的には60年代回帰という要素を持っていた。オアシスは自分たちがビートルズ以来の存在であることを明言し、「ブリティッシュインヴェイジョン再び」という流れをつくり出した。


Kateただし、この時期を指して「第三次ブリティッシュインヴェイジョン」と呼ぶ傾向は見られず、むしろ、「クールブリタニア」という言葉が用いられる。この時期に全世界に輸出されたイギリス発のソフトパワーは、音楽産業に限らなかったからだ。ファッション業界ではジョン・ガリアーノやアレキサンダー・マックイーンといった若手デザイナー、そしてモデルではケイト・モスが台頭した。また、イギリ ス映画『トレインスポッティング』が、世界的なヒットを記録した。

「クールブリタニア」とは、「イギリスらしさとは何か」というナショナルアイデンティティを自らに問い、かつて英国がソフトパワーによって世界を席巻した時代(60年代)を再現しようという運動である。

英国のソフトパワーを武器に世界に「イギリスらしさ」を再認識させようという動きは、1997年に首相に就任したトニー・ブレアの主要政策にも用いられた。いま、日本でもよく言われる「クールジャパン」は、まさにこれの焼き直し政策である。

こうしたクールブリタニア――イギリスらしさを前面に打ち出すナショナリスティックな運動――とストーンローゼズのペンキぶちまけ事件は、ひとつの線上に並ぶ出来事であり、『きかんしゃトーマス』が日本に輸出されたのは、そんなクールブリタニアの胎動期の1990年のことなのだ。

話が長くなったが、ここからがトーマスの話である。

■トップハム・ハット卿のソドー島

90年代のイギリスのソフトパワーのひとつに『きかんしゃトーマス』を加えるのが正しいかどうかはともかくとして、まずは『きかんしゃトーマス』がどういうものかを説明しておく。

Sodor-railways-amoswolfe 機関車に顔が付いたトーマスの人形劇は誰でも知っているだろう。そのトーマスたちが暮らしているのは、ソドー島という架空の島である。ソドー島はグレートブリテン島とアイルランドの間にあるという設定。つまり、マン島の隣に位置するとされている。

マン島はイギリスにも、英連邦にも所属しない自治権を持った英国王室属国の島だ。このマン島自体がソドー島のモデルでもある。マン島の主要産業は観光であり、多くの保存鉄道、つまりすでに廃止された古い蒸気機関車が買い取られ、観光用に走っているのだ。

Fat_controller同じようにソドー島では、英国王室ではなくトップハム・ハット卿という人物が、トーマスら蒸気機関車たちを引き取り、日々鉄道の運行を司っている。そんなソドー島に生きる機関車たちの物語。それが『きかんしゃトーマス』の世界である。

 『きかんしゃトーマス』の原作『汽車のえほん』シリーズが生まれたのは、1945年のこと。プロテスタントの牧師だったウィルバート・オードリー1911~1997)が、風邪で寝ていた自分の子どもに語り聞かせた物語がベースとなり、汽車のえほんシリーズ(The railway series)『三だいの機関車』として刊行されたのだ。

(1) 3だいの機関車 (汽車のえほん (1))

1945年、第二次世界大戦が終了した当時のイギリスの鉄道の状況を確認しておこう。戦前に「ビッグフォー」と呼ばれていた民間メジャー鉄道会社4社は、戦時体制下で国の公共部門として併合されていた。それが、1948年に正式に国有化されることになる。

私鉄から国鉄への変化は、汽車のえほんシリーズにおいてもトップハム・ハット卿の設定の変化として描かれている。ハット卿の役職はソドー島の鉄道局長(おそらく彼以外のスタッフは存在しないが、鉄道局長がこの島の支配者のポジションである)で、シリーズ2巻までは「ふとっちょの重役」(Fat Director)として登場しているが、国有化された1948年の3巻『赤い機関車ジェームス』からは「ふとっちょの局長」(Fat Controller)に変更されている。ハット卿は、民間企業の重役から公務員へと所属が変わったのだ。

また、『汽車のえほん』がシリーズ化され、新作が次々と生まれていったこの時期、イギリスの鉄道は蒸気機関車からディーゼル機関車へと機関車の動力が変わろうとしていた時代であった(英では電化の流れはあまりなく、蒸気機関からディーゼルへと移行した)。

これもまた『汽車のえほん』のなかにおいても反映されており、ディーゼル機関車のキャラ(「ディーゼル」や「デイジー」ら)たちは、皆イヤミでワガママな性格に描かれ、中には蒸気機関車廃止論者(車?)すら登場する。しかもディーゼル機関車たちの性能はそれほど良くなく、すぐに故障しては蒸気機関車たちの手を借りる羽目に陥るのだ。


『汽車のえほん』の世界観をひとことで表すなら、「古き良きイギリスの鉄道の黄金時代へのノスタルジー」と言えるだろう。
ウィルバートが少年時代に見た鉄道とは、おそらく“ビッグ・フォー”以前の時代、つまり1910年代の鉄道であるだろう。そして、国中に無数に点在した地方鉄道が4つの会社に集約された1923年から第二次世界大戦までの時代が“ビッグフォー”の時代である。“ビッグ・フォー”体制が始まった1920年代は、イギリス鉄道の黄金時代に陰りが出はじめた時代であった。すでに自動車道路網が整備され始めた時期でもあり、自動車社会への移行が視界に入りつつあった。そして、1929年の世界恐慌で不況に突入し、鉄道会社の経営は逼迫し、設備投資や保線の費用は大幅に削らることになるのだ。

後編に続く

『きかんしゃトーマス』擬人化される帝国(後編) このエントリーをはてなブックマークに追加

前編はこちら

■パクスブリタニカの時代


StocktonandDarlington 1769年にスコットランドのエンジニア、ジェームズ・ワットが発明した蒸気機関は、産業革命の原動力となる石炭を燃料とした新式のものだった。イギリスはこのあとに産業革命の時期を迎え、19世紀の初頭には蒸気機関を動力に利用した公共交通システム、つまり鉄道の研究・開発が始まる。そして、世界初の商用鉄道が開通するのは、1825年の英ストックトン・ダーリントン間であった。

イギリスが世界の工場と呼ばれるようになり、産業資本主義の時代を迎えた19世紀半ばから、第一次世界大戦前の20世紀初頭が、イギリスの鉄道の黄金時代であるだろう。トーマスの生みの親であるオードリーは、少年時代にこの黄金期を垣間見ることができたぎりぎり最後の世代である。

Romanmap Paxbritannica そして、19世紀半ばから20世紀初頭は「パクスブリタニカ」と呼ばれた時代でもあった。「パクスブリタニカ」とは、19世紀半ばから20世紀初頭のイギリスの繁栄を指して使われる呼称だ。「パクスローマーナ」というローマ帝国の最盛期に訪れた地中海世界の平和状況を指す言葉があるが、これを19世紀のヨーロッパの状況に置き換えたのが「パクスブリタニカ」である。この時期のイギリスは、(実用的な)蒸気機関の発明による産業革命で他国よりも早く工業化を進めた優位的な立場で自由貿易、重商主義を推し進め、それらが生む富を背景とした軍事力で植民地や海外領土を拡大させていく。帝国主義の時代である。
 パクスブリタニカとまったく時期を同じくしたイギリス鉄道の黄金期。どちらにも共通するのは、蒸気機関という技術である。顔を持ち、感情を持った生き物として蒸気機関車が描かれる「きかんしゃトーマス」とは、大英帝国の擬人化である。そして、トップハム・ハット卿が君臨する蒸気機関車たちの王国としてのソドー島とは、島国イギリスの黄金時代=大英帝国のミニチュアなのだ。
『きかんしゃトーマス』が、「パクスブリタニカ」へのノスタルジーという、ナショナルな背景を持った物語として生まれ、英国内では「第二次ブリティッシュインヴェイジョン」期に人形劇番組が作られ、「クールブリタニア」期に日本に輸出されたという構図も、イギリスのナショナリズムの盛り上がりに沿ったものと言えるだろう。


■きかんしゃトーマスとモータリゼーション

さて、その大英帝国、そしてイギリス鉄道のほころびの第一歩として、19世紀末の自動車の発明を挙げることができる。

自動車も初期の段階ではガソリンによる内燃機関ではなく、蒸気機関で動くものが研究されていた。しかし、実用に足る自動車を発明したのは、内燃機関を用いたドイツのカール・ベンツとダイムラー(別々にほぼ同時に発明した)である。そして、そこで生まれた技術を自動車という商品としてまとめ上げたのはフランスのプジョー社だった。ドイツとフランスは、イギリスが優位を保つ蒸気機関による鉄道の技術で出遅れていたため、内燃機関の自動車の開発に特化して技術開発を進めていたのだ。

最終的に、鉄道を日陰に追いやるのは、この内燃機関の自動車の普及、つまりモータリゼーションである。『汽車のえほん』においても、バスのキャラクター「バーティー」が登場し、トーマスとスピード比べを行なう「トーマスとバーティー」という話が、かなり初期に登場する。このスピード比べは、最後に直線スピードに優る蒸気機関車のトーマスに軍配が上がる。だが、中身を見るとレールの信号待ちや蒸気機関を動かす水の補充に手間取るトーマスが、バーティーに翻弄される話であり、バスの優位が示されているのだ。

トーマスとバーティー (トーマスのちいさなえほん)

19世紀から20世紀へという時代の変化は、蒸気機関の時代から内燃機関の時代へという変化であり、鉄道の時代から自動車の時代へという変化でもあった。そして、その変化は、イギリスからアメリカへという覇権の移動につながっていく。

20世紀初頭、自動車の生産における技術革新を成し遂げたのが、アメリカのフォードである。フォードが生み出したベルトコンベアーによる大量生産という生産という様式は、大量消費という20世紀を代表する生活様式を生み出す。そして、ヨーロッパが戦場となった第一次世界大戦を機に、世界の基軸通貨はイギリスのポンドからアメリカのドルへと移行するのだ。

■ポスト大英帝国の擬人化

Kurisuteen 自動車の帝国であるアメリカは、いかに自動車を擬人化した作品を生み出してきたか。まっ先に自動車の擬人化アニメとして思い浮かべるころができる『トランスフォーマー』は、残念ながら元々日本の作品である。アメリカを代表するホラー作家の、スティーブン・キングは、自動車が意思を持ち、人間を殺していく『クリスティーン』という小説を書いている。『クリスティーン』は、ジョン・カーペンター監督の手によって映画化もされた。また、キングは『トラック』という、トレーラーやトラックたちが意思を持ち、自ら給油を行い人類に反逆を企てる短編を書いている。そして、近年の作品では、ピクサーが制作した『カーズ』がまさに自動車の擬人化アニメである。

さて、冒頭の日本のアトムやドラえもんが人間風の顔や感情を持っているという話に戻ろう。イギリスが蒸気機関車を擬人化し、アメリカが自動車を擬人化したのであれば、日本が擬人化すべきものとは何だったのだろう。

日本の戦後の経済発展とは、こうした小型工業製品の輸出に頼ったものである。なかでもソニーの前身である東京通信工業の小型トランジスタラジオが海外でヒットしたという「町工場から世界のソニーへ」というエピソードは、戦後の日本復興におけるもっとも知られる伝説である。東京通信工業がトランジスタ研究を始めた1952年は、『鉄腕アトム』の連載が始まった年であった。そのアトムを戦後復興の役割を果たした小型工業製品の擬人化と見ることができないだろうか。

トランジスタにはじまる集積回路の技術はLSI,ICと発展し、のちのロボット産業へつながる礎となる。こうしたエレクトロニクスの技術を擬人化したものがアトムやドラえもんと考えれば、そこには自然な流れを見出すことができる。彼らを、きかんしゃトーマスの延長にある「ナショナリズムの産物」として捉えてみるという試みはいつかまた詳細に行ってみたい。

(『界遊003』の「きかんしゃトーマス』擬人化される帝国 ~クールブリタニアからパックスブリタニカまで~を改稿したものです)
 

2010年5 月 3日 (月)

照明器具の違いとして描かれた昭和の生活レベル このエントリーをはてなブックマークに追加

東芝ライテックは、CO2排出量の削減のため、白熱電球の製造を17日をもって中止すると発表した。今後は、消費電力の少ない電球型蛍光灯やLEDといっ た省エネ型の照明に移行する。

 同社は2008年4月に、白熱電球の生産を2010年に廃止する旨を発表。他メーカーでは2012年に製造を中止するところが多いな か、予定通り2010年に生産を中止する。 http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/news/20100317_355270.html

 2010年の3月をもって、東芝は約120年間に渡り販売してきた白熱電球の生産を中止した。そんな白熱電球は、流行歌の中に“裸電球”としていく度も登場してきた。


『大阪で生まれた女』(作詞・作曲・BORO)は、`79年の萩原健一のヒット曲。主人公は女性。大阪を愛する彼女は、大阪を離れ東京に出るんだという彼氏との別れを意識する。だが結局、彼女は男に付いていくことになる。

たどりついたら 一人の部屋 裸電球を
つけたけど 又 消して
あなたの顔を 思い出しながら
終わりかなと 思ったら 泣けてきた
大阪で生まれた女やけど
大阪の街をでよう
大阪で生まれた女やけど
あなたについてゆこうと 決めた

作詞:BORO

彼女の方針変更のきっかけは、裸電球だった。部屋でひとりきりになる寂しさを知った彼女は彼氏を追いかけて大阪を離れることを決意するのだ。


`74年にかぐや姫が歌った『赤ちょうちん』(作詞・喜多条忠)でも、「♪あのころふたりの アパートは裸電球 まぶしくて 貨物列車が 通ると揺れた ふたりに似合いの 部屋でした 覚えてますか 寒い夜 赤ちょうちんに 誘われて おでんを沢山 買いました」と、同棲カップルが暮らす部屋に“裸電球”が描かれる。


`87年に長渕剛が歌った『泣いてチンピラ』は、夢を持って上京した男が「紙コップの味噌汁」をかじる貧乏暮らしを営む歌だ。

「♪紙コップの味噌汁をかじれば 天井が笑う 裸電球 ぶら下がった部屋で
忍び泣いてる女は なお哀しくて ああ爪を噛んで 強くお前を抱きしめた」

歌謡曲における「裸電球」とは、貧乏、同棲と常にワンセットなのだ。

これら歌謡曲の世界の「裸電球「と暗に対比されているものは蛍光灯だろう。家族が一緒に生活するリビングルームを照らす明るい蛍光灯と、淋しい四畳半一間を照らす裸電球。幸せの在り方が、照明器具の違いとして暗にというか煌煌と対比されているのだ。

こうした対比の図は、現代のファミリーにはあまり適用できない。蛍光灯が灯る居間に集まる家族団らんの図とは、現代人の生活にとっての標準的な幸せとは言い難い。それどころか、そもそもいまどきのリビングは、むしろ間接照明に彩られているので、裸電球が用いられているはずだ。

白熱電球の生産を止めた東芝は、LED電球の生産にシフトした。LED電球が歌謡曲に登場するかどうか、それは微妙。

著書

about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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