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2009年7 月 3日 (金)

追悼:マイケル・ジャクソン帝国と1984年(前編) このエントリーをはてなブックマークに追加

*ビジスタニュースに書いたものに加筆修正を加えたものです。

ベストセラー街道ばく進中の村上春樹の新作『1Q84』には、マイケル・ジャクソンの「Billy Jean」がカーステレオから聞こえてくる場面がある。この小説の舞台である1984年は、ヤツの年だった。

スリラー(紙ジャケット仕様)

この曲が収録されたアルバム『スリラー』は、この年、日本で最も売れたレコードとなった。アメリカでは総計2700万枚のヒットを記録し、1983、1984両年のもっとも売れたアルバムとなる。そして、全世界での売り上げは約1億500万枚。『スリラー』がこれほどまでに世界を席巻した1984年とは、アメリカ、そして世界にとってどのような年だったのだろう。『スリラー』が世界で1億枚のヒットを記録した当時の時代状況を踏まえて触れてみる。

■MTVが登場し、音楽が総合エンターテイメントになった80年代

黒人音楽ジャーナリストのネルソン・ジョージは、70年代を「クロスオーヴァー」の時代と呼ぶ。「クロスオーヴァー」は通常、ジャズとロックの垣根を越える音楽のことを指すが、ネルソン・ジョージは、黒人音楽が白人の市場に取り込まれたこの時代の状況をなぞらえて、あえてそう呼んでいるのだろう。とにかく、大手メジャーのレコード会社は、黒人歌手のレコードを売るビジネスが、大きなビジネスになることに気付き始めたのが70年代。

そんな70年代の末にジャクソン5は黒人が経営するモータウンを離れ、大手メジャーレコード会社であるエピックに移籍することになる。この少し後、モータウンからダイアナ・ロスとマーヴィン・ゲイも、1982年にそれぞれRCA、CBSと白人系の大手レコード会社に移籍している。

ジャクソン5、ジャクソンズと経たマイケルが、ソロとして発売した『Off The Wall』(1979)は、それまでの黒人のレコードではありえなかったジャーニーやビリー・ジョエル並の広告予算がつけられた。結果、このアルバムは900万枚という、当時の黒人音楽史上最大のヒットを記録する。黒人のレコードはビッグビジネスになるという大手メジャーの目論見は見事当たったのだ。

そして、その3年後に発売された『スリラー』には、それを上回る規模で宣伝が行われ、『スリラー』は米で2700万枚(総計)を売るモンスターアルバムになった。そして、世界の市場をあわせると1億枚以上。もはや、黒人だ白人だという枠を「クロスオーヴァー」する世界的なビジネスになった。だが、この後にも先にも単独アーティストとしてこれだけの枚数のアルバムを売った例はない。それは、この時代だったから可能だったという理由があったのだ。

■なぜマイケルでなくてはならなかったのか?

ジャーナリストのネルソン・ジョージは、マイケルの登場がなければ彼の替わりに、ライオネル・リッチーが黒人のスーパースターになっていただろうと指摘している。70年代人気グループ・コモドアーズを抜けたリッチーは、黒人のスタッフを遠ざけた(これはマイケルもそう)。そして、カントリー歌手だったケニー・ロジャースをアメリカで最も人気のある歌手に仕立て上げた敏腕白人マネージャーを雇う。そして、R&B歌手の自分をアメリカで最も有名な歌手に仕立てるべく、白人市場を開拓する「クロスオーヴァー」戦略を自ら選び取っていく。

そして、リッチーは確かに80年代を代表する歌手の一人になった。だが、マイケルやスティービー・ワンダーのような世界的なスーパースターになったとまでは言えないだろう。リッチーがマイケルになれなかったのは、1981年に始まったMTVのせいだ。MTV以降、ポップスの歌手はただの歌い手ではなく、総合的なパフォーマーであることを求められるようになった。精悍なマスクを持ち、手足が長く、驚異的なダンスの技術を持ったマイケルは、MTV時代に相応しいスターだった。錦糸町のおばちゃん並の洋服センスと、どうしても成金趣味がにじみ出るライオネル・リッチーは、MTV向きの歌手ではなかったのだ。

■アメリカ発、世界市場向けの商品

MTVの登場で、米の音楽産業はメディアを「クロスオーヴァー」する総合エンターテインメント産業に変わる。そんな80年代、音楽の市場規模は急速に拡大していく。ロックの時代には存在した言葉の壁を、MTVの映像が取っ払ったのだろう。ロックのリズムは届いても、英語で歌われるメッセージは非英語圏にまでは届かなかったが、墓地でゾンビに襲われる映像は英語がわからなくとも届いたのだ。

日本においても、割合において、この時代ほど洋楽が売れた時代はなかった。それは、MTVが果たした役割が大きい。だが、90年代以降、再び洋楽の地位はまた下がっていく。ひとつにはJポップの台頭があった。そして、それだけではなく、90年代以降のアメリカの音楽産業は、80年代のように全世界に向けたユニバーサルな音楽よりも、狭い範囲に向けた商品を指向するようになった。これは、マーケティング手法の変化や政治状況と結びついているのだろう。

ライク・ア・ヴァージン

さて、80年代、MTVが生んだもう一人のスターがマドンナだった。彼女の『ライク・ア・ヴァージン』は1984年のアルバム。彼女は、世界が知る「わかりやすいアメリカ」であるマリリン・モンローに似せたルックスで登場し、「アメリカ発、世界市場向け」の世界戦略商品になりすました。マテリアル・ガール。

一方、マイケルは、世界の市場に受け入れられる商品になるべく、自分の身体に改造を加えていく。マイケルは、黒人と白人をクロスオーヴァーする存在から、アメリカと世界をクロスオーヴァーする存在にならざるを得なかった。黒人でも白人でもないユニバーサルな人種、そして男でも女でもない性別になろうとして、マイケルはその肉体を変貌させてゆく。

(つづく)

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コメント

通りすがり

初めまして。
文中に

> CMバージョンの『Billy Jean』が

とありますが、正しいスペルは『Billie Jean』です。

通りすがり

↑後編の文章を引用してしまいました、すいません。

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about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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