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2009年4 月20日 (月)

『世情』vs『いちご白書をもう一度』 このエントリーをはてなブックマークに追加

沖田浩之と川上麻衣子と加藤優が出ていた『3年B組金八先生』第二期、シリーズ終盤の『卒業式前の暴力 前後編』は、あの金八が(当然)嫌いだったナンシー関をして「泣いた」と言わせたシーン。

「荒屋二中一のワル」こと加藤優は転向した桜中の金八の下で更正し、就職も決まっていた。だが、かつての不良仲間たちを見捨てて卒業することができず、再び荒屋二中に乗り込み、不良たちとともに放送室をバリケード封鎖する。その後が例のシーン。

警察隊が学校に強行突入し、加藤たちを連行。横暴な権力に屈してしまう加藤たちの姿がスローモーションで描かれ、バックには、正しいものが敗れ去る悲哀を歌う中島みゆきの『世情』が流れる。

このシーンは、学生運動にのめり込む若者たちの青春を描いた映画『いちご白書』(70年)の、学生運動の学生たちが占拠する学園に警官隊が突入するシーンを下敷きにしている。金八の演出家は、70年代末の校内暴力を60年代末の学生運動に見立てたのだ。

『いちご白書』のラストシーン、主人公が警官ともみ合う場面でスローモーションとなり、そこに重なる挿入歌のバフィ・セントマリーが歌う『サークルゲーム』。この曲の作曲者はジョニ・ミッチェル。金八の演出家が挿入歌に中島みゆきの学生運動を彷彿させる『世情』を使った。もしくは、和製ジョニ・ミッチェルとしての中島みゆきという連想もあったのかもしれない。

ただし、音楽で狙った演出の意図は、まったく違うもの。『世情』は警官が突入し、加藤たちを捕まえるシーンのスローモーションをドラマチックにするために使われているが、オリジナルの『いちご白書』の方は、警官が主人公を捕まえるシーンのスローモーションになったシーンで、それにそぐわない明るい曲調のものとして『サークルゲーム』を挿入している。

その明るい曲をバックに、まだ無邪気に楽しんでいた時代の回想のスローモーションとなって、エンドクレジットに突入。青春との訣別といった主題を、挿入歌とスローモーションで演出した。

さて、この『いちご白書』という映画を題材に曲を作っているのは松任谷由実(当時荒井由実)。

 

こちらは、かつて『いちご白書』を一緒に観た昔の彼女のことを回想する内容の歌詞。この歌の「自分」は、学生運動を卒業し、髪を切って就職を決めた自分に「もう若くないさ」と言い訳をする。 やはり、学生運動とそこからの卒業を、「モラトリアムの終わり」、「あきらめ=成熟」と解釈して歌にしている。

ユーミンも中島みゆきも、ジョニ・ミッチェルからの影響は大きいんじゃないかと思うんだけど、この辺りがそのスタンスの違いみたいなものをあらわしていたり、しなかったりするんじゃないかと。

著書

about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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