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2008年11 月 3日 (月)

フランク永井と広告都市有楽町の50年 このエントリーをはてなブックマークに追加

先日他界したフランク永井については、拙著『タイアップの歌謡史』で、黎明期の広告タイアップソングの成功モデルとして取り上げたことがある。

1957年、関西発の百貨店であるそごうの東京進出のプロモーションキャンペーンが行われる。キャンペーンの趣旨は、戦後は街娼の街、闇市の街に姿を変えていた有楽町という街のイメージアップにより、有楽町そごうというブランドのイメージを確立するといったところだろう。

このキャンペーンの中心となったメディアはポスターだった。1955年のアメリカのミュージカル映画『ラスベガスで逢いましょう』を元ネタに「有楽町で逢いましょう」というキャッチコピーが採用される。

また、このキャンペーンでは、それ以外にテレビまだ放送が始まって間もないテレビも利用された。当時は1番組に1社の提供が基本だったので、このキャンペーン用の音楽番組が作られた。ただし、この時点で、フランク永井の『有楽町で逢いましょう』はまだ誕生していない。なので、この曲は厳密には広告タイアップソングではないのだ。

この「有楽町で逢いましょう」プロモーション自体は成功し、有楽町そごうのオープンは、雨の中を1万8000人が押しかけたという。

しかし、本当にこのコピーが浸透するのはこの直後。キャンペーン終了後に、「有楽町で逢いましょう」というキャッチコピーが一人歩きし、大映、平凡出版、ビクターの三社の共同企画が、同名映画の制作にとりかかる。まずは同名小説が『平凡』に連載され、次にフランク永井が歌うテーマ曲が発売。これが有楽町そごうオープンの半年後に当たる1957年11月。そして、翌正月には映画が公開された。小説より映画より、永井の歌う曲がヒットした。

このヒットで、有楽町のイメージは大きく変わったようだ。僕の世代では実際のところはよくわからないけど。ただ、渋谷の公園通りが広告的な劇場空間になった時期よりも20年早かったのは事実だろう。また、同じように角川のメディアミックスよりも20年早かった(ちなみに、まだ当時はメディアミックスという言葉ではなく、コンビナート作戦と呼ばれていた)。

フランク永井はこの年以降、人気歌手となり、紅白歌合戦にも1982年まで連続出場している。

基本的には日本の歌謡曲の主流は、田舎から都会に出てきた人間が、故郷を懐かしむ望郷歌謡である。だけど、フランク永井が歌った一連の歌は、基本的には都会を歌うアーバンなポップミュージックだった。ある意味、望郷歌謡の反転ではあるのだけど。

紅白への連続出場が途切れたのは、1982年。このショックがのちの自殺未遂につながるようだが、Wikipediaなどでディスコグラフィをみると、1982年の『WOMAN』最後の曲となっている。これは山下達郎がプロデュースした、都会的なスタンダード風ナンバー。

気取ったポーズで
微笑み投げておくれ
少し切なげに 瞳輝かせて
時代遅れだと きっといわれるはず
そっと耳元で
打ち明けた君への Love Story
(作詞:山下達郎)

フランク永井のフランクとは、ほぼ間違いなくフランク・シナトラが元ネタなんだと思うけど(当時の日本の歌手は、「和製○○」といった具合に、大抵元ネタ的が存在した。あ、今もあるか)、達郎の手によるこの曲は、まさにシナトラが歌いそうな都会的なポップス。東京育ちで、シュガーベイブに見られるように、音楽家としては都会的なポップスにルーツを持つ達郎が、フランク永井という旧世代の都会的ポップスの歌い手に楽曲を提供するというのは、なかなか優れた企画だったように思う。

達郎としては、新しい都会的歌謡のスタンダードとして書いたつもりだったのだろうが、永井はこの曲以後、歌手としての道を自ら断念してしまい、この曲がスタンダードになることはなかった。

僕は、山下達郎の他歌手への提供曲のなかでは、この『WOMAN』とアン・ルイス『恋のブギウギトレイン』(この曲のアン・ルイスはさしずめ和製ティナ・ターナーといったあたりか?)が好き。

さて、話を有楽町に戻すと、この街も永井の死を待たずに大きく変わってしまった。

有楽町そごうが2000年に閉店。その折にはBGMとして『有楽町で逢いましょう』がかかっていたという。

今の有楽町という街の印象はどんな感じだろうか? 現在、そごうの跡には、ビックカメラがオープン。近くには、巨大な無印良品ができ、今年は丸井による再開発で有楽町イトシアがオープン。

そういや昨年は旧そごうの目と鼻の先に、オープン早々、硫化水素自殺で異臭騒動があり、さらに追い打ちの金融危機で、ターゲットである外国人富裕層の大打撃で、青色吐息であろうペニンシュラ東京が建ったんだっけ。一度だけ、1階のラウンジを通り抜けたことがある。そしたら、ちょっとめかしこんだおばちゃんたちがアフタヌーンティ待ちの行列していて、なんか本質的なところでかなり終わっている気がしていたので、あまりダメージではないのかもしれない。まあ、関係ないけど呪われているよなあ。


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コメント

こまどり姉妹

自殺未遂は女性問題が原因で、この未遂事件がきっかけで某プロ野球球団の投手も引退に追い込まれたいきさつはご存知かと思いますが。

速水

知りませんね。

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about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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