『<盗作>の文学史』感想
当方、「好きな小説家? 大藪春彦と山田風太郎っす!」と答えてはばからない人間なのだけど、この『盗作の文学史』はそんな文学音痴でも、一切斜め読みすることなく読み通した。
さて、前書きを読むと、「本書は、文芸作品をめぐって起こった盗作事件の収集と分析と検証を目指したものである」とか「批評も基本的にはしない」、「批評のように見えるところがあったとしたら、それは、検証上の要請から加えられたものである」とか、「でなければ筆が滑ったところである」などと、まるでさだまさしの『関白宣言』みたいなことを作者の人は冒頭から宣言しているんだけど、いざ実際本を読んでみると著者の批評意識みたいなものが、本全体を通して前面に押し出ているのじゃないかと思えたりするのだ。
少なくとも、割と冒頭にある“薫くん”についての考察、つまり庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』が『ライ麦畑でつかまえて』のパクリなんじゃないかと騒がれた事件の顛末の検証に乗り出した辺りを読むと、これはきっと批評というものなのであるということが、はっきりとはっきりと分かったように思えたのだ。
もっともっとそれを確信したのは巻末の著者のプロフィール欄なのだ。「都立日比谷高校中退。薫くんの後輩」とある。また、「東京大学理科I類除籍」ともある(なんだか、ものすごい経歴だがよく考えれば中卒であるのだ!)。庄司薫こと福田章二がサリンジャーの「ライ麦畑」発表以前から、薫くん文体めいた文体を使っているという話は、たまたま少し前に千野帽子さんとのおしゃべりのときに千野さんから教わり、「へぇーてっきりサリンジャーの真似だと確信してましたよ」なんて、会話をしたばかりだったりするんだけど、またまたあらためて詳細を知っておもしろく読んだのだ。
斎藤美奈子がデビュー評論の『妊娠小説』で、これは単なるブックガイドですと断言しながら登場したように、批評じゃないと宣言して単著デビューする物書きは、みんな母親という女性たちのお膝の上かなんかにのっているのじゃないか――間違えた、嘘つきばっかりで、文字通りには信用しちゃいけないんだ。
され、とはいえ、本書は盗作の事件史としてのフォーマットは崩してはいない(文体普通に戻します)。本書を通し、さまざまな盗作事件や騒動の詳細を知ってみると、これまでクロだと思っていたパクリ事件の多くがシロだったということに気付かされる。猪瀬の著作を読んだ影響で、僕は井伏鱒二は完全にクロだと思っていたが、事情を知るとそうではないようだし、立松和平の件も、本人が引っ込めたくらいだからクロだと思ったら、いやいやどうしてシロのようだ。ただし僕のフェイバリット作家でもある大藪春彦はアウトかな。
そして、盗作の文学史の本質とは、著作権法なんかとはまったく関係ないところにあることもわかった。大半の事件は、他人の作品を盗んでやろうといった根性とも無縁である。本書から見えてくるのは、圧倒的に著者や論争当事者たち、そして報道する者たちの“ずさんさ”なのだ。
パクリ論争と言っても、論争本体のない盗作論争だったり、肝心の元ネタの作品名すら間違えたまま行われていたり、実はメンツを保つための取り繕いでしかなかったりする。あとは、フォークナーの代表作すら知らない文学賞の選考委員の存在だったり、単に意識の低い著者を出版社が持ち上げた以上守らなきゃいけなくなった構図だったりする。あと「過去ログ読めや」的な何かとか。
そういった“ずさんさ”な者たちの足跡を、膨大な資料を追求し検証していくという栗原裕一郎の仕事はきわめて“ていねい”な仕事だと思う(友人であるという関係は記しておくけど、これは同業者の褒めあいではなく切に思う)。自分は絶対ここまではできない。これは僕を含めてなんだけど、ホントずさんな連中だけがこの業界に残ってしまってるよなあ。


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