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2008年5 月25日 (日)

ケータイ小説と書店流通のファスト風土化 このエントリーをはてなブックマークに追加

 

ケータイ小説書籍のメイン読者は、地方都市……例えば北関東
『On the Road』あるいは『前略、道の上より』<三十路でアニメ>

【関連】ニヒリズムを越えて<葉っぱの「歩行と記憶>

ケータイ小説が地方で売れているというのは、多くのケータイ小説論が口を揃えて取りあげていることだけど、これと接続して考えるべきなのは、小田光雄がここ10年、出版界の片隅で唱え続けてきた書店の郊外化論、つまり、書店流通の世界のファスト風土化の問題のはず。

小田光雄の『出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉』によると、80年代以降、都市型の書店が1万店舗つぶれ、かわりに郊外型書店が1万店舗新規出店しているという。

で、この「北関東的」なる言葉を受けて、群馬と栃木、文字どおり、北関東に取材に行ってみたのだが、まあ、配信事業者の目論見はドンピシャリ。駅ビル内の書店のケータイ小説棚は、せいぜい1つ。ところが、県道沿いの郊外型超巨大スーパーの書店や、大型チェーン系書店になると、ヘタすりゃ、単行本の棚には、ケータイ小説とタレント本と自己啓発書と宗教本(not 宗教学本)しか刺さってねぇんじゃねぇかって勢いになる。ありゃ、完全に地方型のビジネスだ。 『On the Road』あるいは『前略、道の上より』<三十路でアニメ>

という、成松氏の指摘のように、都市部の書店と郊外型書店は扱う書籍のラインナップが明らかに違う。ナショナルチェーン系、フランチャイズ展開する書店では、書店員のスキル(商品知識)に頼らない棚作りが重要視される。つまりどの店舗も商品構成が同じになる。

また、郊外書店の業態は複合書店であり、ゲームやCD、DVDなどが本と一緒に並ぶ。ターゲットも若者層に特化しているため、本と言ってもコミック、雑誌、ベストセラー新刊が中心。それ以外の品揃えは極端に少ない。

■変わる書店と変わらない出版社

商店街の小さな本屋ががんがんつぶれているのは、見ての通り。銀座から近藤書店や旭屋が撤退したように、都心の比較的大きな本屋もかなり減っている。しかし、全体で見ると書店の数は減っておらず、このような郊外型複合書店が増えることで補われている。それが「都市型の書店が1万店舗つぶれ、かわりに郊外型書店が1万店舗新規出店している」という状況。

本屋なんてずっと身近にあったもののように思われているものの、ここ20年でまったく違う業態に変化していたのだ。書店の側がこれだけ大きな変化を遂げれば、出版という産業自体がそれに併せて、大きな変化を遂げていなければならない。しかし、本を作るプレイヤーである出版社の顔ぶれというのは、ほとんど変わっていない。どれだけ、この市場の変化に対応できているか疑問である。書店の有りようが変わっても、それに気づかず、流通する商品をそれに対応させることができていないというのが、現代の出版不況の原因である、というのが小田光雄が主張するところ。

さらに、この書店のファスト風土化の最前線は、ロードサイドの大型複合書店から郊外の大型ショッピングモール内の巨大書店へと変わりつつある。 これはゼロ年代以降の変化である。顕著なのが、ららぽーと系、イーオン系などの、郊外型大型ショッピングモールの出店。ここ数年の、400坪以上の大型書店の出店のほとんどは、こういった首都圏郊外のショッピングモール内のもの。実は、ケータイ小説をもっともプッシュしているのは、この類の書店だったりする。ららぽーと系のラゾーナ川崎やLALAガーデン春日部などは、駅に併設されており、クルマを所有していない中高生(ケータイ小説の購買層)でもアクセス可能な立地である。

つまり、こういった書店の郊外化に適応することができた商品のひとつとして、ケータイ小説が生まれたのだと考えられる。ケータイ小説を否定的に捉える向きというのは、この出版の業態変化に目をつぶっているも同然だ。

■郊外文学としてのケータイ小説

一方、そのケータイ小説の中身に目を通してみると、その舞台のほとんどは首都圏郊外か地方都市(場所は特定されなくとも、それが都市部ではないことのヒントは多数示される)であることがわかる。登場人物たちの移動範囲も、ファミレスやショッピングセンター、郊外のカラオケボックスなど、典型的な郊外のロードサイド文化に根ざした場所に限定される。 つまり、三浦展がいうところの「ファスト風土」という言葉で思い起こされる、風景が画一化し、共同体が崩壊した世界が描かれる。そして、就職でも進学でも、その選択肢としての東京というものは一切出てこない。ローカルで完結した世界観も、ケータイ小説特有のものだ。

つまり、ケータイ小説とは、徹底して郊外が描かれる世界であり、さらにもう一方では、郊外化した出版流通の販売網で売られている郊外型商品である。

いや、とかなんとかいった中身にも少し触れた本を近々出します。書き下ろしのケータイ小説論です。いま書いたような、郊外論、ヤンキー論的な内容も含まれていますが、これまでに新書として出ているケータイ小説の研究本とは違い、市場論として書いたのではなく、主に文芸批評としてケータイ小説論を書きました。ほかはすべてケータイ小説は文学ではないという結論づけているモノばかりですが、僕はあらかじめ文学であるという前提で書いてます。ひとつよろしくお願いします。

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

<Amazonの商品の説明のコピペ>
ケータイ小説はなぜ生まれたのか? 浜崎あゆみ、NANA、郊外型ショッピングモール、携帯メール依存といったケータイ小説の「元ネタ」を探究すると、現代の若者たちの文化と生態が明らかに!気鋭のライターによる驚愕の若者文化論、登場。    

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» 『ケータイ小説的』と速水出版ラッシュ from [mi]みたいもん!
気鋭のライター速水健朗氏の新書ラッシュが続いています。 ▼ケータイ小説的。――“ [続きを読む]

コメント

    

ファスト風土って言葉使うのがオリジナリティないってかんじですね~。
自分でがんばって調べたかぎりでは、若者文化論とは逆に、
びっくりするくらい、若者の都会への憧れが欠落しているという
データが。あれ、結局はケータイ小説であっても憧れでも同時代性でも
なんでもなく、要するにネットやなんかで仕掛けても仕掛けをみすかされて、
普遍性回帰しているってデータあるんですけど。いや~ネットでは、
中高生(ケータイ小説の購買層)が読んでるとかですが、
街にでて書店みてもみても、漫画はあいかわずだけど、
読んでいるのみるけど、ケータイ小説実際読んでいるの?と
ぶっちゃけると、ケータイ小説ブームってただのイカサマだよね
てメイン層にみぬかれてるようにみえるんですよね。
ネットみまわすとそういう意見、メイン層であったりしますし。


ケータイ小説論かかれている方、普遍性への回帰という視点
あんまないみたいなんで、そちらでかいても面白いかと。
匿名ですが、ちょっと意見。ファスト風土化なんて
言葉を使ってること自体、若者文化論のファースト風土化で
もうちょいオリジナリティあふれるフレーズがほしいところですね。
いや~ネットで論評されるかた、言葉を力にして実体化する役割に関わらず、
誰かの言葉で論評しているのがここ数年気になっていたので。
消費される言論のケータイ化。ああケータイ化した論評は消費されどこへ行く?

ネガネガコメでプラマイゼロ

いつも楽しく拝読させていただいてます

通りすがり

ファスト風土って言葉は確かにウマイ言葉で考えた三浦さんはニヤニヤしてると思うけど、僕の周りではまだそんなに一般化してない。(多分これからもしない)
でも速水さんはある程度一般化してると思ってこれを書かれたのでしょう。

で、5/25に投稿した名前空欄さんは三浦さん知ってるからこんなことを書いたんだろうけど、やっぱりまだ一般化してないって思ってる。だからオリジナリティがないって言い切る。

たぶん編集者/ライターの速水さんの周りではだいぶしばしば使われている言葉なのではないでしょうか?

gogoYubari09

このブログで読んで「ケータイ小説的」買いました。

濱野智史「アーキテクチャの生態系」で、ケータイ小説について書かれていて、どういう層が、ケータイ小説を読み、書くのかということが気になったものですから。

「東京のない世界」は特に面白かったです。

カルチュラルスタディーズとか宮台とか郊外論など踏まえられていて、議論の余地はあれ、読みごたえあると思います。

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