« 『タモリの戦後日本歌謡史』について | メイン | 「ミシュラン東京」とケータイ小説 »

2007年11 月28日 (水)

ケータイ小説の「リアル」とは何か? このエントリーをはてなブックマークに追加

恋空〈上〉―切ナイ恋物語

ケータイ小説についてブログで書いてから、もう5ヵ月経った。あれから、とりあえずは『恋空』と『赤い糸』を読んだ(他にも結構読んだ)ので、ちょっと考えたことを小出しにする。

とくに、最近は普段からRSSリーダーに入れているブログでケータイ小説に関するさまざまな議論、論点が出てきていて(「恋愛小説ふいんき語り」も読んだ)、うずうずしてたのでちょっとだけ参加。

話がどうとかじゃなくて、単に文体がキレてていい。キレてるというのは、中高生の文章としてのリアルさがある。いわばそのままなんだから当然だと言われたら困るんだけど、模倣ですらないというのはすごいことなのだ。女子高生の間で流行っているフォークロアを本人たちから聞いているように読める。
『恋空』(HangReviewersHigh)



ケータイ小説のファンの感想などに必ず出てくるのがこの「リアル」という言葉。レイプや難病がモチーフになって、辻褄が合わないことが連発するケータイ小説のどこが「リアル」なんだろうと突き詰めていくと、上のような解釈の「文章としてのリアルさ」みたいな解釈に行き着くんだと思うけど、それはあくまで書き手でも現場の読み手でもない、第三者の解釈だ。

ケータイ小説の「リアル」に関してはこっちにも論がある。

ケータイ小説が面白いなあと思うのは、たぶん読者にとって本当はそれが身の回りでリアルに起きていることではなさそうなのに、読者がケータイ小説を「リアルに感じられる」としていること。そして、ほぼ一様にそのことのみを評価していることだ。
ケータイ小説(strange)

 

確かにそうなのだ。ではなぜ彼女たちは口をそろえて、ケータイ小説を「リアル」というのか。

 

ケータイ小説の登場を、もっとも「リアル」な出来事として受け止めている業界に、学校図書館という世界がある。学校図書館では、ケータイ小説を図書館の蔵書として購入するべきかどうかという極めて深刻、もしくは愉快ともいえる議論が巻き起こっている。

1980年代においては赤川次郎を学校の図書館に置くべきか否かが問題となったし、その後、標的はライトノベルへがそうだった。それが今ではケータイ小説。さすがに学校の図書館にケータイ小説は置くべきじゃないだろう、と思うかもしれないけど、学校図書館が書かれた内容で作品を差別することもまた問題なのだ。

 

この分野の評論家はさすがに事態を把握して鋭いことを言っている。児童文学評論家の赤木かん子が指摘するのは、若い女の子の読書の傾向の、事実を元にしたものにしか興味を示さないという共通点。そうなった理由のひとつに、1999年に刊行された井上路望の『十七歳』という本がベストセラーになったことを挙げている。これはいじめなどの過酷な境遇を体験したティーンエイジャーのドキュメンタリー作品で、これが彼女たちの読書体験にこの衝撃を与えたらしい。詳しくは省略するが、これ以降、この「リアル路線」が売れ続けたという経緯もあるらしい。

 

以降、事実をベースに書かれたドキュメンタリー=「リアル」なものにしか興味を示さない女の子が増えて、本を読む前に図書館の司書に「これって本当にあった話?」と聞く子も多いとか。リリー・フランキーの『東京タワー』も当然事実として読まれたから、女子中高生にも人気があったとのこと。絵空事でしかない小説には興味を示さないのだ。

 

そう考えると、渋谷の女子高生に聞いた話を小説にしたというふれこみの『DeepLove』に彼女らが飛びついた理由もわかる。「アユってばりリアル」と思ったのだ。

 

大人の目にはかけらもリアルではないケータイ小説が、「リアル」として受け入れられているのは、なんのことはない、文字通り"本当の話"であると謳うか謳わないのかの問題なのだ。しかも、「本当」と謳う際も、実際のリアリティーはどうでもいい。

 

これも赤木かん子の指摘だけど、1999年、つまり今のケータイ小説世代が小学生だった時期に『ほんとにあった怖い話』というテレビシリーズ(その後もスペシャルを何度もやっているけど)が始まっている。また、「ほんとうにあった学校の怪談」というのもあった。そこでいう「ほんとにあった」とケータイ小説の「リアル」はまったく同質ということ。この辺りの番組もケータイ小説世代の「リアル」感覚の形成に関与しているのかも。

 

これから本を出す作家は題名に「ほんとにあった」と付けて、文末にも『恋空』ばりに「実話を元にした~」云々と入れることにしたほうがいい。僕もそうしようと思っている。

 

ケータイ小説についての視点はまだまだあると思うのでまた読み続けてみるつもり。アルファブロガーになったら、ケータイ小説のことしか書かないブログにリニューアルしようかと画策中。投票はあと5日間です。

 

【関連】
ケータイ小説の新しさと古くささ「こどものもうそうblog」

ケータイ小説を理解できない人間は既に老害化しているという衝撃の事実「Aerodynamik - 航空力学 」

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://www.typepad.com/services/trackback/6a01287743ed7b970c0120a840c803970b

Listed below are links to weblogs that reference ケータイ小説の「リアル」とは何か?:

» 一般人のリアルとネットユーザーのリアル from 飽きたら消すよ。
『なぜネットユーザーは、携帯小説読者の「リアルな表現」という感想にこれほど反応しているのだろう?』 とか、仕事帰りの電車の中でつらつらと考えていた。 自分が今日書いてた「リアル」という言葉について何かが引っかかっている。 まず、携帯小説読者を笑う人達には大... [続きを読む]

コメント

なかやま

21世紀になって、言文一致が再び進んでいるということ?

なかやま

あーちょっと違うな。
よってコメントするもんじゃないね。ごめん。

 飴

はじめまして

納得できるエントリでした
理解できないけど
女子高生にはありそうな話ですね
大して年が違うわけじゃありませんが

この記事へのコメントは終了しました。

著書

about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

検索

  • 検索
     

Amazon

 
Powered by TypePad
track feed