陽気な"テレビ・コンテンツ化社会"が世界を回す(前編)
今年はなにかとスポーツに関する話題が多かった。
6月のW杯で、日本戦の試合時間がテレビ局の都合で変更していたことや、亀田興毅のタイトルマッチのマッチングや判定にTBSの仕込みがあったのでは、といったスポーツとフェアネスに関する話題だ。
これらを問題視していた人たちは、もっと根本的な問題、つまり今のスポーツのテレビ中継が10年前、20年前のそれとは別のものになっていることに気がついていないのではないか。
■テレビ黎明期とスポーツ中継
まずはテレビとスポーツの歴史を振り返ってみよう。テレビ黎明期にテレビとともに登場したスポーツがプロレス。このプロレスに目をつけたのは、民放開始に尽力した正力松太郎。正力はテレビ受像機の台数の少ない時代に、広告モデルで民放テレビを成立させるため、街頭テレビとプロレスという組み合わせを思いつく。
民衆の熱狂するコンテンツを持ってくることで人々をモニターの前に集め、CMによる収益を図ったのだ。これによって最初のテレビ時代のスポーツのヒーローは力道山となった。それに次いでヒーローになったのは、正力がオーナーだった巨人軍の新人・長嶋茂雄。
1959年、長嶋は天覧試合で2本の本塁打を打った。プロ野球が日本を代表するメジャースポーツになったのはこの天覧試合以降のこと。この大舞台で活躍した長嶋の運と才能もすごいが、それを引き出したのは天覧試合を開催させた正力の政治力でもある。天覧試合はこのときが最初で最後となった。
正力は民放放送の父、プロ野球の父と呼ばれる。 しかし、そのプロレスとプロ野球はいまはすっかり落ち目だ。いまプロレスは深夜の30分枠で地味に地味に放映され、プロ野球もかつてドル箱と呼ばれた巨人戦が視聴率10パーセントを切る時代。
一方、ここ数年のスポーツ中継で勝ち組みになっているのはバレーボールだ。 バレーボールとプロ野球、プロレス中継の違いは何か? 実は大きく違う。プロ野球、プロレス中継は基本的に競技があり、その魅力をそのままテレビで通えようというスタイルで中継が行なわれる。しかしバレーボールはそうではない。どう違うか?
■なぜフジテレビのバレー中継は成功したか
フジテレビは1977年以降、4年に1度のバレーボールワールドカップを独占中継している。かつては強かった日本バレーも、1981年以降は一度もベスト3入りしていない。当然、地元が勝たない大会を普通に中継してもだめだ。そこでフジテレビは日本が勝たないことを前提に、バレーボールを競技ごと魅力あるテレビコンテンツとして育てあげるという方向にシフトさせた。
フジテレビはバレーボールを単なるスポーツ中継として放映するのではなく、自ら介入していくことでテレビコンテンツ化していった。とくに成果を上げたのがジャニーズとのタイアップだ。V6(1995年)、嵐(1999年)、NEWS(2003年)と大会の度にテーマソングを歌い、会場で試合前のショーが催される。会場のPAを使って応援を促すDJがいるのもテレビコンテンツ化の一端だろう。
ショーの中身は完全に日本の応援。本来中立でなくてはいけない会場がPAを一方の応援に貸すのはアンフェアな気もするが、この世界にアンフェアなどという概念はない。あるのは視聴率だけ。
またフジテレビはルールにもメスを入れている。まず試合時間を中継枠におさめるため、協会に働きかけ、ラリーポイント制を導入させた。 これらのテレビの介入にバレーボール協会側が素直に従っているのは、見合った収入があるからだ。しかも、これは日本のバレーボール協会の話ではなく、国際バレーボール連盟レベルの話。
連盟の収益の8割は日本からのもの。しかも大半がテレビの放映権料だという(ソースは2006年11月21日の朝日新聞)。おかげで1977年以降、バレーボールのワールドカップはすべて日本で開催されている。
フジテレビのバレーボールの成功に便乗したのが、この11月に開催されたTBSの2006世界バレー。ここでもテレビ局がルールに介入するという路線は変わらない。
・テクニカルタイムアウトの時間はCMのため、日本戦だけ90秒に延長
・決勝戦は5位決定戦の前座として開催
(朝日新聞11月21日より)
前座の決勝戦は深夜に放映、5位決定戦の日本戦はゴールデンに放映した。女子のMVPが、優勝国ではなく、日本の竹下が選出されたことにも批判は集まった。
こんなあからさまな差別が許されるのかと言えば、スポーツ、競技としてはアウトだろう。ただし、テレビコンテンツとしては当たり前と言えるだろう。これがテレビのバレーボール中継の現状。
亀田兄弟やワールドカップの時間変更などこれらに比べればかわいいもんだ。 ここまでの話でいいたいこととは、単に不公平やヤラセが蔓延しているということではない。いや、ここまでの話はジャブだ。本当にいいたいことは、詳細は後半に譲るが、民放テレビが従来の広告モデルを離れ、コンテンツビジネス、知財ビジネス化を進めることで、コンテンツの崩壊が起こっているということ。
いまのテレビは抱える問題はTV-CMの崩壊などといったものではなく、むしろテレビ番組自体の崩壊だ。亀田兄弟にブーイングが浴びせられるのもその一端。 そのテレビのコンテンツビジネス化については後編で。チャンネルはそのまま! 後編はコチラ。
新潮社 (2006/10/17)
売り上げランキング: 102170


コメント