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2006年6 月18日 (日)

サッカーと愛国心(独唱) このエントリーをはてなブックマークに追加

ブログ界隈で語られている愛国心とサッカーの話はあまり理解できなかったけど、サッカーのナショナルチームへの愛と愛国心が関係ないなんてことは考えたことも無かった。

オリンピックだと「世界平和への国際貢献活動の1つ」とかいうもっともらしい枕詞が付きがちだけど、ワールドカップは多分そんなきれいなもんじゃないよなあ。

親愛なる深町先生の言に逆らうのは心苦しい(「サラ金のCMに出ていたおっさんがしょうもなかっただけ」には超賛同)けどサッカーと国家というテーマで書いてみた。たかがサッカーごときで国家や民族の話を持ち出すなという意見には、たかが国家や民族くらいでサッカーを語るなと投げ返したいね! 今日だけは!

サッカー競技の発祥と産業革命

第二次大戦後、アメリカは世界中に進出した進駐軍が建造したコカ・コーラ工場を現地企業に払い下げることによりコカ・コーラの世界進出に成功。アメリカはハリウッド映画とコカ・コーラという二つの文化で世界の覇権を得た。これと同じように、18世紀後半~19世紀前半の産業革命により世界の工場となった大英帝国の覇権の象徴こそサッカーだ。 そもそも競技としてのサッカーを産んだのはこの産業革命だ。産業革命は賃金労働者を生んだ。もともと良家の子女が通ったパブリックで発展したフットボールは労働者の管理にうってつけだった。具体的には健康促進、時間や規則を守らせる訓練、士気の向上など。ちなみに標準時というのもサッカーとともに産業革命から生まれたものであり、これ以前のサッカーには時間の概念は無かった。

英の帝国主義政策とサッカー

19世紀に交通手段の発展により英国は世界の貿易拠点を占拠してゆく。これがやがて植民地となる。この貿易の拠点でサッカーが普及する。そこでは支配側の英国と植民地のチームの間で試合も行なわれた。これは主に支配民族としての優位を示すためにだ。労働者の管理にサッカーが利用されたように、植民地の住民の支配管理のためにサッカーが用いられたのだ。 しかしサッカーは諸刃の剣でもあった。試合のために人を集めることは一歩間違えば民衆運動に取って代わる危険を孕んでいた。支配民族としての優位が示せなかった(つまり被殖民側のチームにサッカーで負けた)ことからインドで独立運動が生まれたという例もある。英国人チームに勝ったインド「モフンバガン」のFWの選手は民族の誇りとなり、インド独立運動の英雄となった。

歴史の延長としてのワールドカップ

格闘技のPRIDEやK-1の中継では試合前に対決の構図を大げさに煽るVが流れる。プロレスラーの看板を背負った桜庭和志だとか、戦災の中で育ち親友を銃弾によって失ったミルコ・クロコップなり、祖国タイの大家族の家系を支えるムエタイの戦士だったりといった具合。サッカーだってほんとはこの煽りVを入れるべきだ。かつて欧州列強の植民地だった諸国の独立の歴史はサッカーの歴史でもある。アフリカの多くの国には大手ビッグクラブのサテライトにあたる教育機関が実質上の搾取の機関として存在するというポストコロニアル的にからまった状況にある。 ここで触れたことの多くは敬愛するサッカージャーナリストの後藤健生氏が『サッカーの世紀』という本の中で触れていることだ。その中の一説を引用する。

フットボールが、単なる外来の、近代スポーツであるだけだったら、人をそこまで熱狂させたりはできなかっただろう。それができたということは、フットボールが外来スポーツとして渡ったその土地で、その国の国内的な、なんらかの固有の状況と結びついたということだ。そうなったからこそ、その国の国民が、フットボールを単なる外来のボールゲームとして応援するだけでなく、あるチームと自己同一化して、熱狂的にサポートすることが出来るようになったのである。

ここでいう「固有の状況」が、民族自立であり、階級闘争であり、宗教対立であったりするわけだ。

【追記】ここら辺についてのフォローの記事
≫想像力はベッドルームと路上から

なぜか国民性・民族性は反映する

上のようなサッカーの出自や歴史を踏まえて皆がワールドカップを楽しんでいるわけではもちろんない。しかし、それなりに国家や民族を重ねてみることが出来るのは、不思議とナショナルチームには民族の特性が浮き出てしまうからだ。これはほんと不思議。例えば今W杯での日本代表に関して以下のような批評をみつけた。

戦略も戦術も持たされずに犬死させられる選手は可哀想。というか、まあそれが日本というお国の伝統だと言われればおっしゃる通り ≫「サッカーは戦争」とか言うならな。

これは当然太平洋戦争の大敗を指すのだろうけど、もっと遡れば元寇以来の伝統ともいえる。いや、なぜそこまで反映するのかは正直わからない。でも、当たり前だと言われればそれで納得できることでもある。 というわけでこれからクロアチア戦。初戦のオーストラリア戦でパールハーバーから一気にミッドウェー敗戦までいった感があるから、今回は戦艦大和沈没まで行くか? 僕はPRIDE風の煽りVを勝手に妄想し、頭の中でプレイバックさせてテレビの前に挑みます。サラ金のCMのおっさんと心中するつもりはない。6億分の1…、スーパーへヴン…、最強の遺伝子…、我が青春のエスペランザ(格が落ちるな)…カモンベイビー! 

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