菊池桃子と木村カエラ、どっちが本当のロックだ?
「ロックは死んだ」というジョン・ライドンの歴史的な宣言によって、ビル・ヘイリー、チャック・ベリーらが始めビートルズ、レッド・ツェッペリンらへと引き継がれてきた「ロック」は歴史の舞台から排除された。
僕の音楽原体験はそんなロック以降の時代、具体的にいうとニューウェーブとディスコという二つの軸が存在し、その中心にマイケル・ジャクソンとマドンナとプリンスが鎮座する世界で育まれた。
その「ロック無き世界」に現われ、「出でよロック、我求め訴えたり!」と高らかに呪文を唱えたのが菊池桃子だった。ジョン・ライドンのあの発言のちょうど10年後のことだ。
なんの番組だったかという記憶が曖昧なのだけど(確か『ザ・ベストテン』)ラ・ムーとして登場した菊池桃子が司会者の「どういう音楽なのか?」的な質問に対して、「今度はロックバンドなんです」と答えたのだ。この瞬間からロックの新しい歴史は始まった。
ま、なにはともあれこれ以降、僕の脳みそにインプリンティングされた「ロック」とは菊池桃子のことだ。
おそらくそれから20年経った現在に生きる10代にとっては木村カエラこそロックであるのと同じように。 そんなロック原体験を持つ僕なのだが、大人になってファンクやらディスコやらそういう音楽を聞くようになり、昔のロックなんかも聴くようになってひとつ気がついたことがある。どうもラ・ムーがロックだというのは、菊池桃子の勘違いだったんじゃないかということだ。
自分のアイデンティティに関わるこの問題に対し、答えを見つける為の旅。それが僕にとってのディスコ研究でもあった。
菊池桃子をプロデュースし、コンセプトから音楽制作に至るまでに関わったのが藤田浩一という人物だ。彼が菊池桃子のコンセプトとして考えていたのは、「菊池桃子を普通のアイドルにしないこと」だったようだ。
1位に輝いたそのアルバムのジャケットに桃子の笑顔はない。遥か水平線をのぞみ、澄み切った青い海に仰向けに浮かぶ彼女の姿──写真だけみればそれが菊池桃子だとは誰も気づかない。それはプロデューサー・藤田浩一氏のコンセプトだった。ふだん洋楽を聴く大学生でも、恥ずかしがらずに小脇に抱えられるアイドルのアルバム。レコード店の壁を飾るアイドルのお約束ともいえる「ニコッパチ」(にっこりした笑顔をパチリと撮った写真)のジャケットにはしたくないという、氏のこだわりだった。菊池桃子とはそうした「慣習」に対するアンチテーゼを掲げて、プロデューサーが中心になって作り上げたプロジェクトだった。 林哲司『歌謡曲』より
菊池桃子は一般的に王道アイドルのイメージが強かったが、売り方は“アイドルでなくアーティスト路線”だったのだ(!)。そういわれてみればレコード大賞新人賞も辞退したっけ。今思うとそんな気もしてきた。
菊池桃子のアルバムをレンタル屋で借りていた船山君の姿が大人びて見えったっけ(当時11 歳)。 で、その菊池桃子の楽曲は同時期に藤田が手掛けていた杉山清貴&オメガトライブのブレーンでもあった林哲司に楽曲を一任されている。当時のレコーディングの様子を林はこう綴る。
桃子は、(過去のアイドル音楽に比べれば)複雑なメロディーの運びを何度もなぞり、シンコペーションのリズムをつかみ、16ビートのグルーヴを身体で受け止めながらレコーディングをこなしていった。 スタジオを出た廊下の片隅で、人知れず泣いている彼女を一度だけ見たことがある。 林哲司『歌謡曲』より
菊池桃子のレコードはとてもよく売れた。4枚目の「卒業-Graduation-」以降、「BOYのテーマ」「もう逢えないかもしれない」「Broken Sunset」「夏色片想い」「Say Yes!」「アイドルを探せ」と7曲連続ナンバーワンを獲得した。アイドルとしては松田聖子と中森明菜に次ぐ売れ行きだったんじゃないだろうか。
ちなみに菊池桃子のライブが豪華メンバーで行なわれていたかについてはコチラ。→
ぼくのにっきちょう::菊池桃子 『MOMOKO in ADVANCED DOMESTIC TOUR BUDOKAN』
しかし、「アイドルを探せ」以降、桃子のレコードは売れなくなる。80年代後半はもうアイドルのレコードが売れる時代ではなくなっていた。おニャン子クラブが同時代なわけだし、むしろこの時代によくこれだけ売ったものだと思う。
しかしプロデューサーの藤田は諦めなかった。菊池桃子のソロをあきらめ、ラ・ムーという黒人コーラス入りのバンド名義で出直したのだ。これまで全楽曲を託してきた林哲司のクビも切った。そして、 このラ・ムーでのテレビ出演の場で例のロック宣言は行なわれた。しかし今の僕ならこう断言できる。「これはロックではない」と。
藤田がラ・ムーに込めたコンセプトはけっしてロックではなかった。そのメッセージはラ・ムーのファーストシングル『愛は心の仕事です』のジャケに込められている。ジャケには謎の古代人と未来都市が描かれている。3rdシングル『TOKYO野蛮人』ではもろにピラミッドとスフィンクスも描かれる。これはどうみてもアース・ウィンド・アンド・ファイアーの影響。アースはロックではない。ファンクでありディスコだ。
1988年当時でいえばブラコン的世界といえる。ラ・ムーに黒人のコーラスがついていたこともこれで説明できる。ロックにはあまり黒人コーラスは付けないだろう、普通。
ラ・ムーが意識していたアーティストはジョディ・ワトリーや、シーラE辺りなのではないだろうか? ラ・ムーの映像はコチラからどうぞ(YouTubeのロングテールにラ・ムーが!)。 TOKI☆DOKI !! DOKI☆DOKI !! - 愛は心の仕事です
日本のロック史で言えば、ラ・ムーがデビューした1988年というのはプリンセス・プリンセスというがさつなロックバンドが女性ロックバンドとして初となる武道館公演を行なった年でもあった。
ラ・ムーの洗練された“ブラコン”が時代に受け入れられなかったのも当然だ。 おそらく菊池桃子の「ロック」宣言はジョン・ライドンの「ロックは死んだ」よりも重要なロック史のエピソードだ。「ロックとは何か」という問いを半永久的なテーマに引き上げたという意味において。



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