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2006年2 月26日 (日)

Tシャツとブルージーンズとアメリカの青春時代 このエントリーをはてなブックマークに追加

ここ4,5年あちこちの雑誌や編集者に持ち込みつづけては断られている『Tシャツの文化史』という企画があるんだけど、全然仕事にはつながらないので下書きをなんとか読めるようにしたものを何度かに渡って公開します。

■Tシャツとブルージーンというスタイルの始まり

欲望という名の電車 オリジナル・ディレクターズカット1924年4月3日ネブラスカ州出身のマーロン・ブランドは反抗的な少年時代を過ごし、やがて女優としてニューヨークで暮らす姉の元を訪ね役者の勉強を始める。1947年~1948年にかけてヒットしたテネシー・ウィリアムズによる舞台『欲望という名の電車』に出演するようになり、映画化された同名タイトル(1951年)にも出演する。ブロンド特有の気取らないくちごもるような台詞回しは、若い世代の熱狂的な支持を受けた。

マーロン・ブランドが『欲望という名の電車』で演じた役は粗暴な労働者だ。スタイルは白いTシャツにブルージーンズ。これがアメリカの反抗的な若者の代表的スタイルの原点となった。

理由なき反抗 特別版一方、マーロン・ブランドにあこがれて俳優になったのがジェームス・ディーン。猫背気味でやぶにらみ、台詞回し決して明朗ではないディーンも『理由なき反抗』ではTシャツ&ブルー・ジーン姿でスクリーンに登場している。彼のスタイルは、マーロン・ブランドを真似たものであったが、彼の演じたハイスクールの不良学生役(実際ディーンの年齢は23歳だったけど)は、ブランドの演じた労働者以上に当時のティーンエイジャーの心をつかんだ。実は、この映画の中でジーンズが描かれているシーンは少ないということが三井徹の『ジーンズ物語―「アメリカ発世界文化」の生成』(講談社現代新書)に書かかれているが、同様にTシャツのシーンも多くはない。しかしジェームス・ディーンといえばTシャツにジーパンというイメージが強いのはこの映画のポスターの姿がブルージーンにTシャツ、そしてスイングトップというジェームス・ディーンの姿が映っているから。この写真は現在に至るまで最もよく出回ったディーンの写真のひとつだ。

10代の少年少女が彼らの映画に熱狂したことから、それ以降に製作される映画の内容も自然と10代向けのものへと変わっていった。1955年、学校の退廃を描いた『暴力教室』の主題歌で、不良学生たちが教室で暴れ廻るシーンに使われたビル・ヘイリーと彼のコメッツの『ロック・アラウンド・ザ・クロック』が大ヒット(500万枚?)。翌56年にはエルビス・プレスリーの『ハートブレイクホテル』がヒット。エルビスはロックンロールの王様になったが、実は彼が目指したのは歌手よりもむしろブランドやディーンのようなハリウッドの不良スターだったといわれている。ブランドやディーンが決して笑顔を見せなかったように、初期のエルビスは笑った顔をみせなかった。後にハリウッドで『理由なき反抗』のディレクターに会ったエルビスは、この映画のディーンのすべての台詞を空で暗誦してみせたという。

また、現在でも一般的に使われるている“ティーンエイジャー”という言葉は、この55年当時に流行したもので、それまではあまり耳慣れない言葉だったようだ。

■映画『アメリカン・グラフティ』で描かれたアメリカの青春

60年代前半の田舎町を舞台にした青春映画『アメリカン・グラフィティ』の登場人物“ジョン・ミルナー”は、この不良ファッションで登場する町の不良少年たちのボスだ。ケンカとカーレースでは誰も彼に敵わない。ジョンのことをいつまでも自分たちの誇りとして仰ぐ地元の少年たち。しかし、ジョン自らはいつまでも不良少年のままではいられないと、自分の存在のみじめなさに気付いている。ミルナーがそれを匂わすのはたくさんの車がスクラップにされている駐車場のシークエンス。「この街もひと昔前のような活気はなくなった」。ポンコツとなった車が並ぶ見るからにうら寂しい駐車場だ。不良少年・ジョン・ミルナーは、アメリカの衰退、青春の終わりそのものの姿として描かれている。ジョン・ミルナーのスタイルもTシャツにブルージーンズだった。

『アメリカン・グラフティ』の舞台となっている時代は、すでにバディ・ホリーが死に、ビーチボーイズがデビューしたばかりの1962年と思われる。監督・脚本を手がけたジョージ・ルーカスは1944年生まれなので、ちょうどハイスクールを卒業した18歳の頃を回顧したものだ。ケネディが暗殺されたのはこの翌年の1963年のこと。それ以降、ベトナム戦争の激化で国家は疲弊し、若者たちはドラッグとロックミュージックにひたり国家に背を向けた。しかし、その若者たちのスタイルはTシャツにジーパンにリーゼントという50年代の反抗児の姿ではなく、長髪に花柄シャツというヒッピースタイルだった。

■アメリカのビッグ・ボス

80年代を迎えて人々は「強いアメリカ」という復興の旗印のもと、ロナルド・レーガンを大統領に担ぎ上げる。軍事費を拡大しグレナダ侵攻(1983年)など、外へ向かった戦略を打ち出したレーガンは高い支持を得て1984年に再選を勝ち得た。この1984年の選挙キャンペーンとして使用されたのがブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・USA』だった。

ボーン・イン・ザ・U.S.A.(紙ジャケット仕様)

このアルバムのジャケットには星条旗をバックに白いTシャツとブルージーンズのスプリングスティーンの後姿の写真が使われている。まさに“強いアメリカ”の象徴。たしかに“ビッグ・ボス”のニックネームを持つスプリングスティーンは、このイメージにマッチしている。レーガン陣営が利用したかったのはそういう強いアメリカだったのだろう。

しかし、この歌の歌詞がアメリカ万歳ではなく、アメリカの疲弊と挫折について唄われたものだということは有名だ。“アメリカの小さな町で子犬のように蹴飛ばされながら育ち、ベトナムに送られアジア人を殺せと命令され、帰ってきてもろくな仕事も得られないという、どこへ行くこともできないアメリカ生まれの男”、それがスプリングスティーンの歌の物語だ(歌詞と対訳はこちら)。

【参考文献】

The White T
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コメント

quawabe

酒に溺れたケルアックが、「ジェームス・ディーンとプレスリーが自分のスタイル(Tシャツにジーンズ)を盗んだ」というパラノイアを持っていたみたいです。パクったかどうかはさておき、サブカルチャーの中では、ビートニクが最初にTシャツ文化を海軍からストリートに持ち込んだのは確かなんでしょう。

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about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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