「スナッキーで踊ろう」1968年の広告タイアップ
この2ヶ月に渡って取り掛かっていた大仕事が終わって、昨日今日は請求書の類とか細々としたものを片付けるだけで、ぼんやりと過ごした。主にブログを更新したりYouTubeを見たりブログを更新したり…。
YouTubeは自分で探すことが出来ず、趣味が近い人が発掘したものを見てる。興味深かったのがnyaosfunhouseさんの、『謎の歌謡曲「スナッキーで踊ろう」に隠された驚くべき戦略』というエントリー経由で見つけた、NHKの『ミッドナイトジャーナル』。この放送は当時観た記憶があるなあ。
まず「スナッキーで踊ろう」というのは有名なカルト歌謡曲の類で、『幻の名曲開放同盟』などで取上げられている。その「スナッキーで踊ろう」の作曲者は船村徹(現JASRAC会長。NHKでは船村氏にもインタビューをしている)だったりする。
それはともかく、面白かったのが、この「スナッキーで踊ろう」が“早過ぎたタイアップ”だったという部分。
この曲はプリマハムの新製品「スナッキー」の広告宣伝戦略の一環として作られた曲。で番組内で映った広告宣伝戦略の企画書にはちゃんと「タイアップ」の文字も記されている。
「スナッキー」は、パッケージごと加熱できるというフランクフルトソーセージ。キャンプやハイキングなどアウトドアでの使用が考慮された若者向けの商品だった。レコードの発売が1968年1月。「スナッキー」は2ヶ月遅れの3月10日に発売された。レコードのライナーにはスナッキーが「ことしのリズム」として紹介されており、全国でスナッキー大会というイベントが開催されたという。当時は音楽のジャンルは、ゴーゴー、モンキーダンス、スイム、ツイストなどリズムというか、ダンスステップで別れており、毎年流行のリズムというものが生まれていたのだ(ロックですら今のような普遍的なジャンルではなく、ニューリズムのひとつでしかなかった)。
つまり「スナッキー」は海外から渡ってきた「ニューリズム」というギミックだった(スナッキーのステップとは小指と親指を立てて踊るものだった)
ちなみにこのスナッキーの戦略には「1150作戦」という名前がつけられていた。この1150とは、この商品のターゲットであった13~20歳の人口。つまり、1150万人がターゲットだったのだそうだ。いわゆるT層(ティーン)。で、売上目標は300億円だったという。
で、おもしろいのが、これはタイアップであるということを周到に隠して発売されたという事実。社員には「(音楽番組などに)できるかぎりリクエストして下さい」と呼びかけるシートが配布されたが、そこには「リクエストするハガキには“プリマハム”は記入しないで下さい」と、社員であることを伏せろとかかれている。
隠さなくてはいけなかった理由は、当時のPR盤という制度にあったとのこと。当時コマーシャルソングはPR盤としてしか流通させることができず、一般の流通に乗せることは禁止されていた。広告のための音楽と、そうでない音楽の間にきっちり線引きをしていたのだ。そんな制度のことはまったく知らなかった(ネットでも出てこないよ)。
もちろん、これ以前の時代からCMソングというものは存在しているが、一般流通していなかったということなのかねえ。レナウンワンサカ娘(1962年)とか。これはポピュラー音楽学者の増田聡氏に今度聞いてみよう。
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↑この本の第6章で80年代以降のタイアップの手法について詳しくかかれている。
スナッキー(1968年)では成功しなかった音楽と商品のタイアップの手法が陽の目を見るには、それから4年またなくてはならなかった(んじゃないかなあ?)。4年後の1972年には、“ケンとメリーのスカイライン”キャンペーンから『ケンとメリー~愛と風のように~』が生まれ、CM、楽曲だけでなく、販促アイテムとしてのTシャツなどが誕生した。Tシャツと広告の歴史というのは、また別の機会にあらためて……。


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