2014年9 月 1日 (月)

『シャコタン☆ブギ』ジュンちゃんとジョン・ミルナーについて このエントリーをはてなブックマークに追加

この夏は『湾岸ミッドナイト』『シャコタン☆ブギ』を一気読みした。前者はともかく、後者が傑作であるということを再確認できたのは良かった。

『シャコタン☆ブギ』は、四国の地方都市を舞台にしたクルマとナンパに明け暮れる高校生のストーリー。実は『アメリカン・グラフィティ』が元ネタで、それを日本の地方都市のドメスティックな話として丁寧に置き換えている。

アメグラには、ケンカが強く、街最速のホットローダー、ジョン・ミルナーというキャラが出てくる。『シャコタン☆ブギ』でいうとジュンちゃんだ。彼は、ケンカも強いし、後輩思いなので誰からも尊敬される存在だが、街から一歩も出られない地元に止まらざるを得ない存在でもある。職業は、家の家業を継いで自動車整備工。

ジョージ・ルーカスの出世作である『アメリカン・グラフィティ』は、アメリカの黄金時代の終わりを示唆させた作品。舞台は西海岸の田舎町。金曜ごとにクルマで街に繰りだす若者たちが、ずっとナンパしたりしながら街を流している。

ミルナーは、街の片隅にある自動車廃棄場でつぶやく「昔はこの街ももっと喧騒に溢れてたよ」。映画が作られたのは、ゴールデンエイジと呼ばれる60年代が終わった直後。物語の最後で、彼はメキシコからやってきた若き日のハリソン・フォードが演じたホットローダーとのレースで、実質的に敗れてしまう。ルーカスは、アメリカにとっての青春時代の終わりを、このミルナーというキャラクターに象徴的に背負わせたのだ。

一方、『シャコタン☆ブギ』のジュンちゃんが背負ったものとは、90年代以降の地方都市の衰退そのものだ。マンガの掲載が始まったのは、1984年。主人公のハジメは、親にソアラを買ってもらうが、ソアラ登場から3年。その直後に、新型が登場して悔しがる話も登場する。

日本の地方都市も自動車産業も、まだまだ活気があった時代。それが、次第に変化していく様は、マンガの中でもそれとなく描かれていく。街の中心地が、郊外の海岸道路に映って、街中から若者が減ったという回が出てくる。車を改造する走り屋なんて流行らなくなって、それに変わる新たな若者文化が登場してくるという話も何度か登場する。

途中、主人公のハジメとコージは、バブル期で人手不足の折に東京のディスコにバイトに行くくだりがある。その数年後、再び東京に行くと、ディスコの時代は終わっていて、小箱のクラブの時代になっているというくだりがあるなど、時代の変化を捉える著者の視点は鋭い。

ラストまで読んだの、今回が初めてだった。連載終了は、同じ作者の『湾岸ミッドナイト』が、好評で連載化され、作者の興味もそっちに移っていったため、自然消滅的に連載が終了したようだ。ハジメがそれまでたくさんの思い出があるソアラを手放し、セルシオを手に入れることで、物語に終止符が打たれた。ジュンちゃんやサブキャラのアキラらは、走り屋としてそのまま人生を延長させるが、最後までナンパの道具としてしかクルマを見ていなかったハジメ(彼は、クルマはオートマで十分と思っている)は、改造されて最速化されたソアラに執着せずに、躊躇なく卒業していくのだ。

著者の楠みちはるは、この作品を卒業して、いつまでも青春を続ける走り屋たちしか登場しない(つまり、ジュンやアキラの側)『湾岸ミッドナイト』に精力を投入していくことになる。彼もまた、ジュンやアキラの側でマンガを描き続ける道を選んだのだ。

そんな『湾岸ミッドナイト』も作品としてのレベルは高く、名作なのだが、その話はまたの機会に。

関連記事:コリー・ハイムと1980年代の青春映画と『シャコタン☆ブギ』

 

2011年6 月 2日 (木)

渋谷公園通りルックバック・エイティーズ&ナインティーズ このエントリーをはてなブックマークに追加

渋谷駅を降りて、NHK、代々木公園方面へ登る坂道が「公園通り」と呼ばれるようになったのは1970年代のこと。`73年に渋谷パルコがオープンし、その時の広告で使われた「すれちがう人が美しい ~渋谷公園通り~」というキャッチコピーを受けた地元商店街が、以後この通りの通称を公園通りに変えたのだ。

渋谷が若者の街というイメージを帯びるようになったのも、基本的にはこの頃以降である。とはいえ、公園通りが渋谷においても特別な場所だったのは、1980年代まで。その当時の公園通りを歌った歌に、堀ちえみの『公園通りの日曜日』(1982年)がある。

 

一人歩いてた公園通りで やけに見慣れてる赤いトレーナー
彼だと気付くまで 5分もかかった
かわいい人ね 手をつないで話してたから

日曜日。公園通りを歩いていた主人公の少女は、見慣れた赤いトレーナーを着た男の姿を見つける。その彼とは今日デートする予定だったが、前の晩、彼からの電話でキャンセルされたばかり。なんと男には本命の彼女がいたのである。自分は恋人と思いこんでいたが、実は妹的な存在にしか見られていなかったということにようやく気づく悲しい恋の歌だ。

トレーナーという言い方が時代を当時の空気を現している。80年代と言えばトレーナーである。スウェットでもリバースウィーブでもない。トレーナー。しかも袖とかだぶだぶしてるやつ。80年代を代表するブランドとして、セーラーズの名前を挙げることができる。おニャン子クラブを始め、芸能人御用達のブランドである。  セーラーズのメイン売れ筋商品もトレーナーだった。そして、セーラーズのショップも、公園通りの脇道にあった。
Sailors

この堀ちえみの曲の作詞作曲を手がけたのは、竹内まりやである。竹内まりやは、この15年後の1997年に広末涼子のデビュー曲『MajiでKoiする5秒前』でも、渋谷を舞台にして少女の初デートを描いている。
 

ボーダーのTシャツの 裾からのぞくおへそ
しかめ顔のママの背中 すり抜けてやって来た
渋谷はちょっと苦手 初めての待ち合わせ
人並みをかきわけながら すべり込んだ5分前

80年代がトレーナーなら、90年代はTシャツと言うことになる。正しい変遷である。

若者の街としての渋谷の中心が公園通りだったのは、1970年代末~1980年代までのこと。そのあとに登場する「コギャル世代」にとっての渋谷と言えば、センター街である。ランドマークで見るなら、パルコから109へということになるだろうか。しかしこの広末の歌にも公園通りが登場する。

「さりげなく腕をからめて 公園通りを歩く♪」

おそらく、この歌の主人公の少女は、ちょっとだけ大人を気取って公園通りを選んでみたのだろう。さっきまでプリクラを撮っていた女の子が、急に腕をからめるというのは、そういう表現であるような気がする。

そして、この広末の歌から気がつけば、15年近い歳月が経った。いまの渋谷の中心は、どこだろう。東急本店向かいのフォーエバー21が目立つか。そして、その少し裏には高相通り。そう、もはや渋谷と言えば公園通りでもセンター街でもなく、高相通り(at 職質)である。
そうそう、今春もボーダーが流行ってるね。

 

2010年12 月25日 (土)

「ショッピングモーライゼーション」ブックガイド15 このエントリーをはてなブックマークに追加

思想地図β vol.1
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好評発売中「思想地図β」のショッピングモール特集の中で、「ショッピングモーライゼーション」という造語を用いてショッピングモールに近似する現代の都市の姿を表す論考を書き、商業、都市計画、交通の3つを横断した二〇世紀の年表をつくりました。 論考や年表をつくるのに必要とした資料、参照した本、趣味で読んだけど関係している本などもまとめておきたいと思います。
創造の狂気 ウォルト・ディズニー
ニール・ガブラー
ダイヤモンド社
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↑論考の冒頭で取り上げた、ウォルト・ディズニーの都市計画への興味、テーマパークとしての「EPCOT」ではなく、ウォルトの実際の都市計画を取り上げている。論考には写真が使えなかったけど、この写真はとても入れたかったもの。

 

Epcotcutaway

ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)
ヴァルター ベンヤミン
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↑一九世紀のパリの町並みの変化とパサージュ(アーケード)の誕生に触れたエッセイが掲載。

 

消費社会の神話と構造 普及版
ジャン ボードリヤール
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↑1970年の本。当時ベルサイユ近郊に出来たショッピングモールについて触れている。ボードリヤールは、ショッピングモールを「都市全体に広がったドラッグストア」と称した。

 

百貨店の博物史
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↑一九世紀に生まれた百貨店を博物的に扱っている。

 

覇者の驕り―自動車・男たちの産業史〈上〉 (新潮文庫)

 

ディビット ハルバースタム
新潮社
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覇者の驕り―自動車・男たちの産業史〈下〉 (新潮文庫)
ディビッド ハルバースタム
新潮社
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↑T型フォードの大量生産“フォーディズム”から、日本の自動車産業の発展・労働闘争、生産管理の技術、自動車産業に陰りが見える70年代の米中西部の内幕など、幅広く自動車産業の歴史を追ったとにかくおもしろい本。僕は個人的にはハルバースタム風に、商業技術とショッピングモールの歴史についてドキュメントを書いてみたいと思う。

 

サバービアの憂鬱―アメリカン・ファミリーの光と影
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大場 正明
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↑アメリカのサバービアとその文化について書かれた抜群におもしろい本。ネットで全文読めるが、本は入手困難。文化論としてのショッピングモールは、今回あまり触れられなかったが、この本のような手つきでショッピングモールが登場する映画などに触れていく本とか誰か書かないかな。ちなみに、この本で、ショッピングセンターとショッピングモールの定義の違いが語られてますが、今回僕は採用しませんでした。

 

America's Marketplace: The History of Shopping Centers
Nancy E. Cohen
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↑アメリカでは、ショッピングセンターの歴史の本はちゃんと刊行されています。ただ、あまり厳密な歴史を辿っているというわけではないけど。

 

ハイウェイの誘惑―ロードサイド・アメリカ (カリフォルニア・オデッセイ)
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海野 弘
グリーンアロー出版社
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↑上で取り上げた百貨店の本に引き続き、海野弘によるアメリカのハイウェイから見る郊外文化という本。インターステイトハイウェイがアメリカ文化の分岐点だったことを説いたもの。この人の仕事、目のつけどころにはとても刺激を受けます。

 

消費社会の魔術的体系 (明石ライブラリー)
ジョージ リッツア
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↑あらゆる商業空間がショッピングモール化する現状について書いているという意味では、ドンぴしゃな一冊なんだけど、テーマ以外はつまらない本だと思いました。

 

ディズニー化する社会 (明石ライブラリー)
アラン ブライマン
明石書店
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↑テーマパーク側からショッピングモーライゼーションを語っている一冊。

 

レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈上〉
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トーマス フリードマン
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レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈下〉
トーマス フリードマン
草思社
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↑ジャーナリストが、90年代初頭に政治と経済と技術を同時に把握し、世界を見ることの重要さに気がつき、グローバリゼーションというテーマを見つけるという興味深い一冊。この本のマクドナルド理論をアレンジし「“ショッピングモールにGAPが進出している国、及びそのサプライチェーンに組み込まれた国同士は戦争をしたからない」と書きました。

 

アメリカ大都市の死と生
ジェイン ジェイコブズ
鹿島出版会
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1961年の段階で、都市のスプロール化を批判した女性ジャーナリストの手によるもの。大定番だけど、抄訳ではないものが昨年ようやく刊行された。ネットで訳者(山形浩生)による後書きが読める

 

都市のセンター計画 (1977年)
中津原 努 ビクター・グルーエン
鹿島出版会
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↑都市計画家でショッピングモールの産みの親の1人であるビクター・グルーエンが、なぜショッピングモールの建設に血道をあげたのかがわかる貴重な本。若き日の八束はじめ氏が、実はグルーエンの翻訳に関わっていたとご本人から伺った。

2010年6 月18日 (金)

ポン・ジュノ作品と日本の任侠映画で比較する日韓の都市化・近代化 このエントリーをはてなブックマークに追加

団地愛好家の大山顕は、ソウルの街を「団地天国」と称している。そして、「ソウルに住むということは団地に住むこととほぼ同義」なのだという。東京のニュータウンの開発は都心ではなく、郊外に向かって進行したが、ソウルでは都心部、それも高齢者の多い地域を率先してニュータウン化を進めるなど、大胆な都市計画が進められた。東京の主たる光景とは、いまだ低層の一軒家が視界の限りに立ち並ぶ杉並区的な町並みが大半だが、ソウルは都市全体に渡って高層住宅が林立する。それは、都心を流れる川・漢江を中心に都市の光景が映し出される『グエムル』の背景を見ていてもよくわかる。

ソウル市民の数は、韓国の全人口の二割を超える1000万人強。さらに首都近郊まで含めると、韓国人の半数近くが首都圏に住んでいるという。韓国は、極端な都市集中社会であり、それが進行したのは1960年代以降と、わりと最近のことである。

■団地で犬を飼う人々と犬を喰う者たち

ポン・ジュノの長編デビュー作『ほえる犬は噛まない』は、物語のほぼすべてが団地の建物内で進行する団地映画である。ジュノは、団地をひとつの世界に見立てることで、キッチュなコメディ映画としてこの作品を成立させている。

団地の住人たちはみな豊かな生活を送り、愛玩用の犬を飼っている。団地の規則でペットを飼うことは禁止されているのだが、誰もそんな規則を守っていない。そして、その一方で団地の中には彼らとは別のレイヤーで生活している人たちがいる。地下室に住むホームレスと管理人のおじさんである。彼らにとっては犬は文字通りの“食い物”でしかない。住人の犬をさらっては、こっそり鍋にして食べているのだ。

主人公のユンジュは、この団地に住む非常勤の大学講師。日本同様、非常勤講師は貧しい生活を送っている。教授になるためには、偉い教授に袖の下を渡さなくてはならないが、貧しい彼にはその金がない。生活費を稼いでいるのは、妊娠中の妻である。そんなユンジュは犬の鳴き声、そして団地のルールを破り犬を飼うものたちに神経を尖らせている。物語の前半においては、彼は犬を捕まえ、あわよくば殺してしまおうという立場を取る。ユンジュは、どちらかと言えば犬が“食い物”に見えるホームレスや管理人側に属しているのだ。

こうした二層構造で描かれる団地とは、韓国社会のメタファーでもある。裕福に現代的な生活を手にした人々=犬を飼う住民。昔ながらの環境で生きる貧困層=犬を食べ物として見る側の人間。なぜ犬なのか?

韓国は1988年のソウルオリンピックの際、国内での犬食の取り締まりを行った。犬食は中国や韓国の食文化であるが、西洋においては日本の鯨肉食以上に理解されない文化である。韓国は、オリンピック開催に辺り、近代化と引き換えに犬食文化を捨てることを選択したのである。つまり、犬は踏み絵であった。近代化=西洋化・都市化の恩恵を受けている人々と、そうではない派。この2つの存在が犬へのスタンスとして描かれ、彼らが別レイヤーとして共存する場である団地が描かれているのだ。

この物語は、“プレ近代”の側のユンジュが“近代”の側に廻る話として展開していく。ユンジュの妻は会社を辞めて、手にした退職金をユンジュが大学教授になるための賄賂に充てようと考えていた。そして、残りの金で高級犬を買ってくる。だが、そんな嫁の意図を知らないユンジュは、その犬を散歩中奪われてしまい、嫁の機嫌を損ねてしまう。ユンジュが教授になるためには、犬をホームレスや管理人のおじさんたち食われる前に奪い返さなくてはならないのだ。最終的にユンジュは、犬を奪い返し、賄賂に充てる金を得て教授になる。

犬を殺す側から飼う側に廻ったユンジュは、上のレイヤーへと階層上昇を果たし、豊かな生活を送るようになる。この映画における団地が韓国社会のメタファーなら、禁を破って住民みなが犬を飼っているという状態は何を意味するのか。誰もが近代化を手に入れるのと引き換えに、何かに目をつぶって生きているということなのだろう。

近代、プレ近代と2つのレイヤーがあり、主人公がその間の階層上昇をなりふり構わずに果たす。これがポン・ジュノ作品に共通するひとつのパターンである。

■『殺人の追憶』を都市化という視点で辿る

`86年~`91年にかけて、計10名が殺され、迷宮入りした華城連続殺人事件をモチーフにした『殺人の追憶』においても、このパターンは踏襲されている。

刑事物の常だが、事件が発生し、事件現場に刑事がやってくるところからドラマは始まる。殺人事件の現場は、凶悪犯罪とは無縁のソウル近郊の京畿道華城郡の農村。事件に対して、地元の刑事たちは地縁から洗っていく。被害者の人間関係、怨恨といったごく当たり前の犯罪捜査である。しかし、これまで通用した被害者周辺にいるあやしい奴を痛めつけ、自白に追い込むという手法では事件は解決しない。一方、この事件を担当するためにソウルから赴任してくるソ刑事は、もっと合理的な犯罪捜査の手法を持って犯人の割り出しに迫る。この作品における2つのレイヤーとは、地元刑事のパク刑事とソウルから来た4年制大学を出たソ刑事、つまり地元と都会の2つのレイヤーである。

当初、物語の舞台である華城郡は、どこまでも広がる田園風景としてのみ描かれるが、物語が佳境に入るとともに、この地方の本当の姿が映し出されていく。容疑者を追跡して市街地に踏み入れるとそこでは大規模な工事が行われていて、多くの現場労働者が働いているのだ。物語序盤で延々見せられた田園風景とは裏腹に、華城郡は大規模工業団地へと生まれ変わろうとしていた。また、有力な容疑者としてある男に行き当たるが、彼は新設の工場で経理の仕事をしている。被害者との交友関係からは辿り得ない「よそもの」である。

`80年代当時、韓国では社会運動が盛んになり、警察は公安方面にばかり注意を払い、人員を割いていた。っていた。そのために、犯罪捜査にまで手が回らなかったという。こうした背景の説明は、この映画の冒頭にも語られるが、本事件が未解決に終わった理由はそれだけではない。`88年のソウルオリンピック開催に向けて、ソウルとその近郊は急速な都市化を遂げていた。都市化が進むと、犯罪捜査は難易度を増す。都市で起こる殺人事件は地縁つながりを探しても、犯人には行き着かないケースが出てくるのだ。日本でも、`68年から`69年にかけて起こった、永山則夫による連続ピストル射殺事件は、地方から都市への大量の人口流入、東京の都市化を背景にして起きた無差別殺人事件である。永山が捕まったのは、金銭目的で起こした事件で捕まり、彼の持っていたピストルが連続射殺魔事件のものと一致したせいであり、いわば偶然でしかなかったと言える。

物語中でもパク刑事がアメリカと韓国の国土の広さの違いを説いてFBI論を振りかざす。だが、FBIが必要になったのは、パク刑事が言うように、ただアメリカの国土が広大だからではない。20世紀に入って人口移動が始まったからである。元々南部で働いていた労働者層が、中西部の工業地帯へと流入し、都市が進んだ。工場労働者たちは、農業と違い場所に根付くわけではない。工場から工場へ、都市から都市へと場所を動く。犯罪も、土地に根付いたものから流動的な移動を伴うようになる。それに従い、州をまたがって犯罪捜査を行なうFBIのような組織が必要とされるようになったのだ。

華城連続殺人事件をモチーフとした『殺人の追憶』も、韓国社会の都市化を背景とした物語といえるだろう。映画の最後は、15年後の2003年に時間移動する。パク刑事は、かつて死体が発見された田んぼのあぜ道に作られた用水の小さなトンネルをのぞき込む。そのトンネルの光景は、かつて限りなくクロに近いと思われた容疑者を逮捕できずに彼が去っていったトンネルの光景の記憶と結びついている。15年後のパク刑事は、刑事の職を辞めて怪しげな健康グッズの販売の仕事をして豊かな暮らしをしている。かつて、女と暮らした古いアパートの小さなではなく、広く新しいリッチなマンションで家族と一緒の生活である。ここにも、15年の間の都市化の進行が強く強調されている。

地元刑事の側のレイヤー、つまりプレ近代の側だった彼は、15年経って事件の解決を放棄して、都市側のレイヤーへと移動を果たしている。その一方、連続殺人事件は未解決のま放置されたままだ。事件の被害者、その遺族たちは、都市化、近代化の犠牲となり、時代に取り残されてしまっている。賄賂によって教授になった『ほえる犬は噛まない』のユンジュと同じように、彼もまた裕福な近代の側に、なりふり構わない階層上昇を果たしたのだ。

■経済成長・都市化を巡る物語

こうした都会←→田舎、近代←→プレ近代といった二層のレイヤー構造となりふりかまわぬ階級上昇の物語は、ジュノの最新作『母なる証明』においても見てとることができる。主人公たちは田舎町で昔ながらの貧しい生活を営んでいる。しかし、街の近郊にはゴルフ場が造成され、富裕層たちが出入りしている。富めるものたちとそうでないもの。それが明らかに描かれる。そして、主人公の不良友だちのジンテは、要領よく金を得ることで、階層上昇を果たしていく。一方、キム・ヘジャ演じる母親は、息子の罪をさらなる弱者におしつけるというなりふり構わない行為に出る。前出の2作品は、国家の選択として近代化の側を選んだ韓国社会の図として見ることができるが、本作は、より個人のエゴの世界として描いている。

さらに、ジュノによる怪獣映画『グエムル』においては、近代化・経済成長の陰の立役者としてのアメリカが取り上げられ、二層よりも複雑な構造を持っている。だが、ソウルの都心の話でありながら、娘をさらわれる主人公の家族だけが都市化に取り残された人々で、それ以外のすべての存在が近代=都会のレイヤーであると言えるかもしれない。

韓国における経済成長の時期、そして急速な都市化が始まった時期は、日本のそれとは違う。日本の高度経済成長とは、1950年の朝鮮戦争特需から始まり、`70年代初頭のオイルショック辺りまでを指し、東京オリンピックが開催された一九六四年が辺りが開発や都市化の頂点だった。一方、韓国の“漢江の奇跡”と呼ばれる経済成長期は、日韓基本条約を契機にした円借款が始まる`65年から`90年代末までを指す。韓国の近代化・都市化のいったんの頂点は、ソウルオリンピックが開催された1988年前後だろう。同時に、`80年代末は、軍事政権への抵抗運動=民主化運動に沸いた時期であったことも重要である。

1969年生まれのポン・ジュノは、華城連続殺人事件やソウルオリンピック、そして民主化運動の盛り上がりをリアルタイムに経験してきた世代でもあり、そういった農村社会から都市化という韓国社会の構造転換を目の当たりにしてきている。作品のモチーフに、急速な都市化・近代化になりふりかまわずに乗った人たちと、それに取り残された人たちという構図が多く出てくるのは、世代的な問題意識と言っていいだろう。

日本映画も、約50年ほど前に近代化・都市化をモチーフとした物語ばかり作っていた時代があった。60年代の鶴田浩二や藤純子、小林旭なんかが出てくる映画のパターンは大体こういうものだった。地元のやくざに新興のやくざがケンカをふっかける。新興やくざはその土地の土建業者と手を結び、レジャー施設の建設を予定している。地元やくざは沖仲士(港湾労働者)の流を組んでおり、新興やくざはレジャー産業をバックにしている。背景として背負うものが第二次産業から第三次産業へと段階を踏んでいる。つまり、これらは産業構造の転換を背景にした物語群であったのだ。

物語の流れ上、主人公は地元側に付くが、最終的にケンカは新興やくざが勝つ。鶴田浩二は単身敵地に乗り込み奮闘するが、結局は敗れ去っていくものの美学でしかない。近代化の流れには抗えず破れていく。敗北者は美学を語ることが許されると任侠ものの世界では決められているのだ。

潔く敗れていくものを美しいものとして愛でる。そんな日本特有の美学をモチーフとして、日本映画は「近代への移行」を描いてきた。一方、ポン・ジュノは、「近代への移行」と「それに抵抗する残余」を描いてきたと言えるだろう。『ほえる犬は噛まない』ではな、現代を舞台に、ごく当たり前に見える移行とささやかな違和感が描かれ、『殺人の追憶』では、金過去を舞台に、移行の影にある巨大で薄気味悪い残余を描いた。そして、『母なる証明』は、それを再度現代に持ってきて、移行させまいとする残余を「母」という形象の下、それを全面化させたのだ。

美学抜きの生々しさ、無骨さ、いびつさがポン・ジュノ映画の特徴である。こういったものの言い方では、まだ率直とは言えない。後味の悪さ、置いてけぼり感は、ハリウッド式ハッピーエンドと任侠の美学で映画を学んだ身からしてみれば、簡単には受け入れがたい。ポン・ジュノ作品は、観るものに体力の消耗を要求するのだ。

(『ユリイカ』2010.5月号ポン・ジュノの特集に書いた『都市化とそれに抵抗する残余』を改稿したものです)

2008年11 月 3日 (月)

フランク永井と広告都市有楽町の50年 このエントリーをはてなブックマークに追加

先日他界したフランク永井については、拙著『タイアップの歌謡史』で、黎明期の広告タイアップソングの成功モデルとして取り上げたことがある。

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2008年8 月15日 (金)

ファミレスはもう手遅れになっている 33 users(推定) このエントリーをはてなブックマークに追加

タイトルはホッテントリメーカーによるもの。

Dennies すかいらーく創業社長の追放劇があって、その後、再建策として出されたリストラ案は、グループ約4000店舗のうち200~350店舗の閉鎖というものだった。で、それに先立っては、デニーズも全店舗の店の約4分の1にあたる140店舗の閉鎖を検討しているというニュースもあった。

これらのニュースを見るに、ファミレス業界がもう衰退期に入っているということは誰の目にも明らか。ファミレスが三度の飯よりも好きな僕としても、この事態は他人事ではない。

近年のファミレスが直面する問題とは、「ファミリー」層の流出という、ファミレスという名のアイデンティティに直結した、まさに「名ばかりファミレス」問題だ。

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2008年1 月25日 (金)

銚子電鉄と郊外化と都市計画 このエントリーをはてなブックマークに追加

がんばれ!銚子電鉄 ローカル鉄道とまちづくり
向後 功作
日経BP社 (2008/01/24)
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前社長の逮捕などで経営が行き詰まっていた銚子電鉄が、ネットで窮状を呼びかけたことで、副業のぬれせんべいが大ブレイクし、危機を脱するというのが、ちょうど1年ちょっと前に起こった事件。

この本はこのぬれせんべい事件とは一体何だったのかを、現場にいた銚子電鉄の社員の目からもう一度語り直される。

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2007年3 月10日 (土)

東京湾岸マンション族、話題のマドンナ・マンション このエントリーをはてなブックマークに追加

Tokyobay

大規模マンションの建築ラッシュが続く湾岸地区。そろそろ販売が始まっており、最近は電車などの広告はマンション一色。規模がでかいマンションになると、CMに起用するタレントも豪華。広告予算は「売り上げ全体の3%程度」が相場といっても、6000万円クラスが1000戸だったら18億円。その中からならマドンナのギャラくらい余裕で払えるというわけ。 どんな感じなのか、少し調べてみた。

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2006年10 月18日 (水)

フリーダム・タワーに足は要らない。なぜならそれは飾りだから。ハッハーン! このエントリーをはてなブックマークに追加

昨日、新古書店でリスベキンドの『ブレイキング・グラウンド―人生と建築の冒険』本がまだ発売されたばかりなのに塔のようにそびえ立っていた。さすがだ。

買おうと思ったけど、あまりに重厚長大落書無用だったのでひとまず立ち読みだけで諦めた。 ダニエル・リベスキンドはユダヤ人建築家で、例の世界貿易センタービル跡地(グラウンドゼロ)に建つフリーダム・タワーのデザインを手掛けた人物(といってもリベスキンドは途中で降りている)。フリーダムタワーの現状を調べようと思ったら、しばらく目を離していた隙に、フリーダムタワーに続く3つのタワーのデザインが発表されていた。

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2006年9 月23日 (土)

西武文化の記録映画『私をスキーに連れてって』 このエントリーをはてなブックマークに追加

私をスキーに連れてって仕事の資料として『私をスキーに連れてって』を見た。 ご存知、ホイチョイとフジテレビが作った馬鹿トレンディー映画。だけど以外に面白くて驚いた。 舞台となった志賀高原焼額山スキー場、万座温泉スキー場は、どちらにもプリンスホテルがあり、開発がコクド、事業者は西武建設と、完全な西武グループ。つまりこの映画には西武グループがスポンサードしている。物語のクライマックスでは新製品のスキーウェアを志賀高原から万座に運ぶために、閉鎖された山越えルートをスキーで走破する。ちなみに原田知世がオープニングでスキー場に向かうスキーバスは西武観光。 この映画が80年代の中核を担う西武セゾン(セゾンは兄の方だからこの時期はほぼ分断状態といろいろ指摘をもらいましたが)文化の一環だったんだとはじめて気が付いた。

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著書

about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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