2012年1 月13日 (金)

日本の縮図としてみる箱根駅伝(のCM) このエントリーをはてなブックマークに追加

ほんと、皆好きだよね箱根駅伝。僕も実はここ数年欠かさず見るようになっている。箱根駅伝は、この国の新年のイベントで最も重要なもののひとつだ。

K-1にJリーグ、そしてプロ野球と相撲まで、長い歴史を持つさまざまなスポーツ中継の視聴率がふるわず、地上波の枠からずり落ちていく中で、圧倒的な強さを持って箱根駅伝は放送される。2日の往路で27.9%、3日の復路が28.5%。これは正月三箇日の全テレビ番組でトップの数字。

有名でもない大学生が箱根までの道を走るだけのレースになぜ? と思うが箱根駅伝は、日本社会の構造そのものだ。厳然と残る企業や官庁、公務員の学閥。また、一流大学の牙城に二流大、新興勢力が切り込もうとする図も、現実の企業社会の光景でもある(で、無力感に苛まれたり)。体育会系出身者たちが学生時代の先輩後輩を巡って仕事を取ってくることで成り立つ営業。箱根の山を競うレースに、日本の企業社会の縮図が編み込まれている。そうした日本社会の文脈が刻み込まれているイベントなので、ある程度それを共有する階層にしか楽しめないだろう。海外には輸出不可能なハイコンテクストコンテンツだ。

パチンコやケータイゲームのスポンサーしか入らない格闘技の中継なんかと違って、箱根駅伝のスポンサーは超豪華だ。ある程度、高い階層の視聴者層を見込めるので、引く手あまただろう。駅伝が日本の企業社会の縮図なら、箱根駅伝のCMは日本経済の縮図である。

メインスポンサーはサッポロビール。あと、トヨタやホンダといった自動車メーカーが続くが、中でも圧倒的に目につくのがマンションデベロッパー各社のCMである。三菱地所レジデンス、三井不動産レジデンス、野村不動産、明和地所、ゴールドクレスト、大和ハウス……etc。

個々のCMに目を配ると、最もわかりやすくゴージャス感を売りにしているのが、野村不動産のプラウドのCMだ。

Proud

ロケ地はマリーアントワネットやナポレオンも使用した「フォンテーヌブロー宮殿」。世界遺産だそうだ。BGMは、ガーシュインの『Someone To Watch Over Me』を平原綾香がスキャットで歌う。このご時世に、これだけ贅沢を尽くす趣旨のCMが作られるのはむしろ爽快だ。

一方、外観のゴージャスではなく、生活のぜいたくさをアピールするのが三菱地所である。CMソングは、竹内まりやのヒット曲『家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)』。

Mitubisi

恋するには遅すぎると 言われる私でも 遠いあの日に 迷い込みたい気分になるのよ♪



CMはこちら→ http://www.mecsumai.com/cm

このCM及びCMソングからは、彼らが商品を売りたいと考えているターゲット層が見えてくる。この歌の主人公は、すでに恋する年齢を超えているのだという。つまり既婚者。子育ても一段落し、生活が落ち着いた主婦を題材にした歌だ。ちなみにこの曲は、20年前のヒット曲だ。これを作った当時の竹内まりやは30代半ば。

『家に帰ろう』と歌うこの歌の主人公家族が住む“家”は、多分、一軒家なのだろう。子どもができて郊外の広めの家に引っ越したのだ。もちろん、35年ローンで購入したのである。

あれから20年。竹内まりやも今年で57才である。

さて、30代半ばだった歌の主人公の主婦も、同じくもう60才に近づいている。ローンも繰り上げ返済でそろそろ返し終えている頃だろう。子どももとっくに独り立ちしている。そろそろ老後の暮らしをどうするかに思いを巡らす年代だ。老後の生活は、都心のマンション暮らしが便利かな、なんて。

そんな人々が、どれだけいるのかはわからないが、このCMが狙うターゲット層は、そんな人々だろう。そこを見据えて、いまこの歌をCMソングに採用したのだろう。

実際うちの親なんかは、このCMのターゲットでもおかしくない状況を迎えているし、それを消費してもおかしくない社会階層といっていい。

正月のCMからそんなことが突きつけられた。この国の金融資産の約8割を、50代以上が保有しているのだから仕方ない。箱根を必死の形相で駆けていく若者たちと、高齢者をターゲットにしたゴージャスなマンションのCM群。この国の縮図がまさに箱根駅伝には詰め込まれているのだ。



2011年10 月13日 (木)

講談社現代新書のカバーの色のひみつ このエントリーをはてなブックマークに追加

Gendaishinsho

講談社現代新書のデザインといえば、特徴的なのがカラー。以前から気になっていたんですけど、ジャンルで色分けしているわけでも、著者ごとにカラーが決まっているわけでもありません。

いつだって大変な時代 (講談社現代新書) 江戸の気分 (講談社現代新書) 落語論 (講談社現代新書) 落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)

同じ著者でも、このようにばらばら。

上の例でいうと、『いつだって大変な時代』と『落語の国からのぞいてみれば』は、同じ黄色系だけど、前者の方がより明るい黄色。CMYKで現すなら、前者がY=100 M=25 くらいで、後者はそれにCを10くらい混ぜた感じでしょうか。

分野別でも、著者別でもないということは、何かを見分ける記号として利用しているわけではない模様です。自分の本棚の現代新書を集めてみても、やっぱりばらばらで、統一性があるようには思えません。

これについて、現代新書の編集者に直接聞いてみました。すると、講談社現代新書のカバーの色は、全部違うのだといいます。これは驚きました。

印象としては、10色くらいのバリエーションから、適当に振り分けてるのかなあ、くらいに思っていたのですが、全部別の色なんですね。

今のデザインになったのは、2004年10月刊行から。創刊40周年でのリニューアルで、通巻1738冊目Dobutuから変わったといいますそれ以後、月に4、5冊ペース300冊以上が刊行され、それ以前のものも、再版時には新カバーで出直しているので、数はわからないけど相当の点数が刊行されているはず。

その全部が、基本的には別の色なんですね。

 

 

で、一体どのように色が決められるのかについても聞いてみたのですが、それはデザイナーと編集者の話し合いで決まるとのこと。実際、どういう意図をもって具体的に、決められていくのかは興味があります。

例えば、福岡伸一の『生物と無生物のあいだ』は緑。これは、「生命とは何か?」の帯にあるように、生命のイメージ=植物の葉の連想なのか、それとも本の序盤で延々と語られるワシントンの自然の描写の印象なのか、どっちにせよ緑というのはわかる気がします。

あと、最近のこのブランドのヒットでいうと、橋爪大三郎と大澤真幸のこれがあります。

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

 

ウェブでは表示されませんが、これ金です。特色ですね。この2人の組み合わせだと、そりゃ金というのは、仕方がないかとw

さて、この記事は、僕の本の発売のプロモーションです。僕は10月18日に、講談社現代新書から本を出すことになりました。さて、一番気になるのが、何色になるのかという部分。どう色が決められるのかが実際に目の当たりにできるチャンスです。

この本は、タイトルどおりラーメンの本です。とはいっても、ラーメンそのもののうまい店情報とかではなく、ラーメンを通した戦後文化史、経済史みたいな内容です。本の中の小さくないテーマとして、色の問題も扱っています。ラーメン屋のイメージカラーは、80年代までは赤。中国のナショナルカラーです。それが、90年代以降、紺や黒になっていきます。これは、むしろ日本のトラディショナルカラーです。そんな話。なので、僕としてはラーメンののれんのイメージの赤、もしくは今どきのラーメン屋の感じがある濃紺辺りを想定していました。

で、実際の表紙がアマゾンに反映されました。どん。

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

 

アマゾンの写真で見ると、少しオレンジががかって見えるかな。実物は、もう少し黄色に近い感じかもしれません。

で、なぜこの色なのか。僕は、その理由を聞いてちょっと感動しました。

Ramentoaikoku
そう、チキンラーメンのパッケージカラーなんですね。

本の中で、もっとも重要な存在として登場させているのが、日清食品の創業者、安藤百福であり、彼の発明したチキンラーメンを、これまでとは違った評価の仕方で取り上げています。具体的には、チキンラーメンの生産の手法、宣伝の手法は、日本版マスプロダクツ、マス広告のプロトタイプだったということ。そして、チキンラーメンを通して日本の流通の変革、メディア状況の変化、そして日本人の農村から都市へというライフスタイルの変化に伴う食生活の変化を語ることができるというのが、本書の骨格のひとつとなっています。あと、日本人のものづくりという思想の変化も、この製品には現れていました。

そんな本の具体的内容から、チキンラーメンのパッケージカラーを表紙に配すというアイデアにつながったというわけです。手に取った読者の大半は、本のカバーの色と内容が関係しているなんて、つゆとも思わないかも知れません。でも、そこには一冊一冊に配色を巡る物語がある。改めて本作りのおもしろさというか、編集やデザインの奥深さについて考えさせられました。

というわけで、この本をぜひチキンラーメンと並べてみてください。書店員のみなさまは、ぜひチキンラーメンと並べて本書の陳列を!

発売日は2011年10月18日。著者3年半ぶりの著作です。書店員のみなさま、ブログの読者のみなさま。なにとぞよろしくお願いします。

 

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2011年8 月11日 (木)

大人になって見直してみた『マイアミ・バイス』前編 このエントリーをはてなブックマークに追加

中学生時代に最も好きだった80年代の刑事ドラマ『マイアミ・バイス』がDVDボックス化したので手に入れ、ここ数年かけて観てるんだけど、現代の目線で見直してみると、改めて見えてくる部分も多い。90年代以降のアメリカを予言していた部分なんかもある。昨年『bootleg』の黒人特集に書いた記事を一部書き加えてアップする。

■コンセプトは「MTV COPS」

『マイアミ・バイス』は白人のソニー、黒人のリコのコンビが主人公。いわゆるバディ(コンビ)ものの刑事ドラマである。フィリップ・マイケル・トーマスが演じる、黒人刑事リカルド(リコ)・タブスは、元々ニューヨークの強盗課の刑事。このドラマのパイロット版は、そのニューヨークから始まる。リコは、路上に止めた車のなかで麻薬組織のボス、カルデロンを見張っている。すると、通りがかりの黒人のチンピラたちに絡まれる。彼らに向けて吐いたタブスの最初の台詞は「ビート・イット! パンクス!」(「失せろ」と字幕)である。チンピラたちは「マイケル・ジャクソンかよ」、とあざ笑う。ドラマのスタートは1984年。前々年末に発売されたマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』はまだ大ヒット中だった。このドラマの元々のコンセプトは『MTV COPS』だった。かっこいいロックミュージックが流れる中で、カーチェイスや銃撃戦が行われる都会派の刑事ドラマ。このコンセプトが半分以上生きたまま、ドラマはスタートしたのだ。

さて、刑事だった兄を殺されたリコは、復讐のためにカルデロンを追いかけてマイアミにやってくる。そして、ソニーたちマイアミの刑事たちと合流し、カルデロンの本拠地に迫る。刑事ではなかったリコは、この地で刑事として新しい仲間たちと一緒に働くことになる。

■『夜の大捜査線』の時代から『コスビー・ショー』の時代へ

北部の黒人刑事が南部にやってくるというモチーフの映画に『夜の大捜査線』がある。大都会シカゴからやって来た理知的で都会的な黒人刑事をシドニー・ポワチエが演じ、覆面をかぶった黒人差別者集団のKKK団が暗躍するミシシッピ州の田舎町で警察署の署長をロッド・スタイガーが演じる。両者が協力して捜査に当たっているうちに、偏見が解けちょっとした信頼関係が芽生えていく。この映画の構図は『マイアミ・バイス』のパイロット版のモチーフの一部になっている。

ただし、黒人の公民権運動の最盛期の1967年に作られた『夜の大捜査線』と、その17年後に作られた『マイアミ・バイス』では、黒人のポジションというものがまったく変わっている。『マイアミ・バイス』が始まった80年代中頃は、黒人イメージの急速な変化が訪れていた頃で、それは当時のポップスターやテレビドラマにも色濃く反映されていた。

マイケル・ジャクソンがナンバーワンのスターになったのもその変化のひとつだが、それ以上に大きかったのは、『コスビー・ショー』(1984~1992年)の存在である。『コスピー・ショー』は、毎回50パーセント台の視聴率を稼いでいたホームドラマで、80年代版の『パパは何でも知っている』とでもいうべき、アッパーミドルの家庭生活を描いたシチュエーションコメディドラマだ。父は医者、母は弁護士。5人の子供。ただし、この主役家族は黒人である。

このドラマの登場家族が黒人でなくてはならない理由は特にない。白人のアッパーミドルで十分成立する。むしろ、このドラマが放映された当時は、現実の黒人が置かれた状況、つまり貧困にあえぐ人たちをないがしろにしているのではないかという批判が起きたという。アメリカ文化に詳しい奥出直人氏は著書『アメリカン・ポップ・エステティクス』の中で「アメリカで黒人であることが、人種差別によって傷ついた病的な存在であるわけではないことを、コスビー・ショウのなかの新しい黒人イメージは穏やかに伝えようとする」と触れている。このドラマには、黒人の中産階級(富裕層)がアメリカ社会にふつうに台頭しつつある現実を反映するという意図があったのだ。

同じように、ソニーとリコの2人の刑事が人種の壁を乗り越えるというような『夜の大捜査線』で見られるような描写は、『マイアミ・バイス』には一切存在しない。むしろ、『マイアミ・バイス』というドラマをひとことで乱暴に現すなら、白人と黒人が組んでヒスパニックをやっつけるドラマということになるだろう。だが、そう言い切るためには、このドラマの舞台であるマイアミという都市の地政学的な位置、そしてこの街の特殊な人種構成についての説明が必要だろう。

■アールデコの都市とベルサーチ

ひとくちにマイアミといっても、マイアミ市とマイアミ沖合に浮かぶ細長い砂地の島のマイアミ・ビーチ市の両方を指して呼ぶ場合が多い。このマイアミ・ビーチ市は、『マイアミ・バイス』のオープニングの映像でも映されているが、人工的につくり出されたリゾート都市という極めて興味深い存在である。しかも、リゾート地としては、ハワイやラスベガスなどよりも半世紀以上も早くから存在している。

マイアミのリゾート開発が始まったのは19世紀末。東部からマイアミまで鉄道が敷かれ、ビスケイン湾に浮かぶ小さな島は、ココナッツ、アボカド、マンゴーなど砂地を利用した農園としての開発が進んでいた。だが、20世紀初頭からはリゾート地としての開発に切り替わる。マイアミと小さな島の間に橋を架ける「マイアミビーチ改良会社」が作られ、さらに、自動車のヘッドライトを発明し製造販売で成功したカール・フィッシャーがマイアミにやってきて、マングローブ・ジャングルだったこの島を埋め立てたり、島同士を橋で結ぶなどの開発を行なったのだ。この土地は、リゾート地として販売され、数多くのリゾートホテルを誘致した。かつて無人島だったこの島は、1915年にマイアミ・ビーチ市に昇格したのだ。

ドン・ジョンソン演じるソニー・クロケット刑事のファッションは、この町並みのカラーリングに合わせてパステル調に決まった。1930年代にリゾート地として有名になったマイアミに建築ブームが訪れたときに、マイアミの町並みはパステル調に塗られたのだ。当時は、世界恐慌語の不況時。打ちひしがれた国民の気分を高揚し、回復を図るためのカラーリングだったという。いまでもこのアール・デコの建物の多い地区は、観光資源として手厚く保護されている。

ちなみに、このソニー刑事の衣装は、ジャンニ・ベルサーチが担当した。「女性を性的玩具として」表現するという意図の下、高級売春婦の着るようなドレスをデザインしてフェミニストたちに非難されたベルサーチは、まさにこのドラマにうってつけの存在だった。

ゲイで社交好きなヴェルサーチは、マイアミビーチに自宅を持ち、有名人やモデルたちを集めてのパーティに明け暮れていた。この家を購入したのは、『マイアミ・バイス』の仕事がきっかけだった。常にマフィアとのつながりが噂され、常にボディガードを連れ、防弾ガラスが貼られた高級車に乗っていた。まさに『マイアミバイス』の登場人物のような生活である。そして、1997年に美貌のゲイの連続殺人犯に、マイアミの自宅前で射殺された。

■リゾート地としてのマイアミの変化

話をマイアミの街の話に戻す。古くからリゾート地だったマイアミの最初の大きな変化は、1950年代末に訪れる。1959年に、マイアミの目と鼻の先にあるキューバで革命が起こる。すると、この地にキューバからの亡命者が流れ込んできた。そこには、カストロの共産主義体制に反対する富裕層、ゲイの作家やスポーツ選手、ミュージシャンなどが多く含まれていたという。

リゾート地としてのマイアミは、この頃から一旦価値を失い始めていった。1959年にハワイが50番目の州に昇格すると、一大ハワイブームがアメリカを襲い、リゾート=南国の島ハワイというイメージが定着。70年代にはカジノとして大発展を遂げたラスベガスに人気が集まった。こうした中で、マイアミは、中南米からの移民の流入、麻薬取引の増加などによって、アメリカでも有数の犯罪都市へと変貌していった。

そんなマイアミに再び転機が訪れるのは1980年のこと。キューバのマリエル港の解放という出来事によってもたらされた。カストロはこの年の4月から半年間に渡ってマリエル湾を解放する。この期間に限り、自国からからアメリカへの亡命を黙認したのだ。この際、カストロは、刑務所から犯罪者たちを解放したという。それ以外にも、このマリエル港解放には、精神病患者や同性愛者たちを、国外に追いやるという意図があったとも言われている。

アル・パチーノが主演した映画『スカー・フェイス』(1983年ン)は、1930年代のギャング映画『暗黒街の顔役』のリメイクだが、主役のアル・パチーノ演じるトニー・モンタナはイタリア系マフィアではなく、キューバ人に脚色されていた。この主人公は、まさにこのマリエル港解放の折にアメリカにやってきた移民で、アメリカで麻薬王として成り上がっていくという話である。

移民問題、貧困問題、犯罪問題。こうした90年代のアメリカの問題において、中心的な存在となるのは、黒人ではなくヒスパニックである。アメリカの中南米に接する南の玄関口であるマイアミは、他の北米の都市に比べると、極端に南米からの移民=ヒスパニックの人口構成比が高かった。アメリカのマイノリティーの最大派閥が黒人からヒスパニックに変わったのは、米全体で見れば2000年前後のことだが、フロリダでは、すでに80年代からヒスパニックが黒人よりも多数派になっていたのだ。

80年代のマイアミは、その後のアメリカの人種問題の変化を、先取りしていたのである。この街では黒人はもはや敵ではなく、ヒスパニックの台頭に対抗して共闘する相手になったのだ。これは、パナマ侵攻や湾岸戦争といった戦争において、ジョージ・ブッシュ(父)がともに戦うパートナーとして、黒人であるコリン・パウエルを統合参謀本部議長に据えたのと同じ構図とも言えるかもしれない。『マイアミ・バイス』のソニーとリコのコンビは、その後のアメリカの政治状況を的確に先取りしていたのだ。(後編に続くよ)

 

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2011年7 月 1日 (金)

女子会の原風景とビールと森高千里 このエントリーをはてなブックマークに追加

去年辺りから居酒屋が「女子会プラン」の提案がヒットするようになり、それ以降ホテルや旅行会社など他分野もこのマーケットに参入するようになっている。日経MJを読んでいると、「ポスト女子会プラン」的なサービスプランの記事は、クールビズ関連、ジョギング関連のサービス同様よく目にする。

 

飲もう 今日はとことん盛り上がろう
聞かせてよ 彼との出会い
遠慮せず 飲もう 今日はとことん付き合うわよ
私もさ 好きだったんだから
(『気分爽快』作詞:森高千里) 

という森高千里の『気分爽快』(`94年)は、題名どおりさわやかな曲調で、当時通信カラオケが登場して間もない時代のカラオケボックスにて、OL同志で憂さ晴らしに歌われる際の定番曲になっていた。

この曲のシチュエーションを説明すると、同じ男を好きになった女同士。その2人は友だち同士でもある。主人公はその男にふられたようだが、その友だ ちは男を見事に射止め、明日はその男とデートだという。 同じ男を奪い合ったにもかかわらず、この2人の友情は崩れない。それどころか2人でビールを片手に乾杯をしている。主人公は「不思議だね 気分爽快だよ ♪」と精一杯強がってさばけたところをみせる。そして、とことんそいつの話で盛り上がろうというのだ。この2人は、恋より互いの友情を優先する間柄なの だ。

この曲は上の動画でもわかるようにCMタイアップ曲。まさにその商品に合わせて歌詞が書かれているからビールなのだ。

この曲は、`94年にアサヒビールがスーパードライに次ぐ若者向け定番銘柄として発売した“Z”のCMソングだった。かつて、スーパードライのCM では国際ジャーナリストの落合信彦を起用し、“世界を飛び回る男の辛口ビール”というイメージと商品を結びつけることに成功した。この新ブランドは、日本 一のビールブランドとして定着する。

続く“Z”でアサヒは、居酒屋でビールを酌み交わす女の友情物語を歌にして、女同士でビールという新たな消費の在り方を提案したのだ。当時、飽和と 言われていたビール市場に新しい消費層を拡大する必要があった。そこで、ビール=男の飲みものというイメージを払拭し、若い女性層をビールのユーザーに仕 立て上げようという掘り下げをアサヒビールは行なう。それが、この森高の歌であり、それを使ったCMだった。

今となっては陳腐に見えるかもしれないけど、実は学生くらいの若者同士がビールを飲んで盛り上がる光景というのだって、せいぜい80年代くらいに生 まれた習慣でしかない。それを若い女性層にまで浸透させようというのは、結構大胆な目論見だったように記憶している。少なくとも現代から想像する以上に は。

一方、この当時は第二次居酒屋ブームと呼ばれ、和民のような女性客を取り込もうと、フードメニューに力を入れる居酒屋がやっと出てきた時期でもあった。つまり業界全体で女性をターゲットにし始めていたのである。

いまでは当たり前の女子会的光景とは、このころにようやくビール会社の発想として登場してきたものであり、定着するまでには結構な時間がかかったように思う。

それが当たり前になったという功績の一端は、この歌を歌った森高にある。当時のカラオケでこの曲が歌われる機会は多かったし、少なくとも女の子と ビールを結びつけた功績の一端は森高にある。 だが、メーカーとしては肝心の新製品「アサヒZ」はドライに次ぐアサヒの定番ビールブランドとしては定着しなかった。3年後に生産中止になる。

新しい消費層と「女子会」へとつながる新たなライフスタイルの発掘には成功したが、個別商品の魅力訴求には失敗したのである。アーメン。

 

2011年4 月15日 (金)

人口減少社会の赤ちゃんソング このエントリーをはてなブックマークに追加

国土交通省が「国土の長期展望」という報告において、2050年までに日本の総人口が、現在の25パーセントに減る可能性を指摘した。この国の将来を考える上で、人口減は避けては通れない障壁だ。

2年ほど前に妊娠ヌード写真を発表して話題を集めたhitomiが、やはり2年ぶりとなるシングル『生まれてくれてありがとう』を発表した。題名通り、生まれた赤ちゃんに感謝する歌である。

あなたが笑うと 幸せになる あなたが泣くと 悲しくなるの
いつもオロオロ だめなママごめんね ごめんね こんなママ
サンキュー マイベイビー サンキュー マイベイビー
生まれてくれてありがとう

あなたの未来は日本の未来 あなたの未来は世界の未来
愛するあなたにもう一度

赤ちゃんソングと言えば、ミリオンセラーを記録した1963年の梓みちよ『こんにちは赤ちゃん』があった。あれから半世紀が経っても、母親になること、赤ちゃんが生まれることの喜びは変わらないだろう。その感触は、歌の歌詞からも伝わってくる。だが、生まれる赤ちゃんが置かれた位置には少し変化が生じたかも知れない。

まだまだ日本の総人口は急速に伸び、高度経済成長期ど真ん中の時代に歌われた『こんにちは赤ちゃん』では、「こんにちは 赤ちゃん あなたの未来に♪」と、赤ちゃん自らの未来が祝福されているが、hitomiの『生まれてくれてありがとう』では、「あなたの未来は日本の未来♪」と、赤ちゃんの側に日本という国家の未来が託されるているのだ。

伊藤計劃の『ハーモニー』という小説がある。その舞台は、人口減の末、子どもを極端に大事にするようになった未来の社会だ。子どもは社会のリソース(公的資産)であり、科学技術によって怪我や病気から守られ、自殺も許されない。人口が急速な減少期に入り、極端な少子化が過剰保護、過剰監視の社会を生み、子育てが母親から取り上げられ、社会が引き受けることになる。オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』などでは、赤ちゃんがオートメーション化で大量生産されるため、子育てと教育は社会が行うものになっていたが、それとは正反対の理由によって子育てが社会化された世界。

社会が子育てを引き受ける状態というのは、福祉国家の目指す正しい道だが、それが行き過ぎるとSF的なディストピアになる。hitomiの『生まれてくれてありがとう』は、ほんのちょっとではあるが、そっちの方向に半歩踏み出している感がある。

一時は過去の人となっていたhitomiだが、妊婦となり、さらに母となることで、その立ち位置とターゲットをシフトしていくことで復活を遂げつつある。その背景には、ちょっとした人口減少社会の価値観の変化を見事に見いだし、マーケティングの舵取りを行った跡が見える気がする。ほぼ間違いない。米軍情報。

 

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ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)
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2010年12 月25日 (土)

「ショッピングモーライゼーション」ブックガイド15 このエントリーをはてなブックマークに追加

思想地図β vol.1
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好評発売中「思想地図β」のショッピングモール特集の中で、「ショッピングモーライゼーション」という造語を用いてショッピングモールに近似する現代の都市の姿を表す論考を書き、商業、都市計画、交通の3つを横断した二〇世紀の年表をつくりました。 論考や年表をつくるのに必要とした資料、参照した本、趣味で読んだけど関係している本などもまとめておきたいと思います。
創造の狂気 ウォルト・ディズニー
ニール・ガブラー
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↑論考の冒頭で取り上げた、ウォルト・ディズニーの都市計画への興味、テーマパークとしての「EPCOT」ではなく、ウォルトの実際の都市計画を取り上げている。論考には写真が使えなかったけど、この写真はとても入れたかったもの。

 

Epcotcutaway

ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)
ヴァルター ベンヤミン
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↑一九世紀のパリの町並みの変化とパサージュ(アーケード)の誕生に触れたエッセイが掲載。

 

消費社会の神話と構造 普及版
ジャン ボードリヤール
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↑1970年の本。当時ベルサイユ近郊に出来たショッピングモールについて触れている。ボードリヤールは、ショッピングモールを「都市全体に広がったドラッグストア」と称した。

 

百貨店の博物史
百貨店の博物史
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海野 弘
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↑一九世紀に生まれた百貨店を博物的に扱っている。

 

覇者の驕り―自動車・男たちの産業史〈上〉 (新潮文庫)

 

ディビット ハルバースタム
新潮社
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覇者の驕り―自動車・男たちの産業史〈下〉 (新潮文庫)
ディビッド ハルバースタム
新潮社
売り上げランキング: 250831

 

↑T型フォードの大量生産“フォーディズム”から、日本の自動車産業の発展・労働闘争、生産管理の技術、自動車産業に陰りが見える70年代の米中西部の内幕など、幅広く自動車産業の歴史を追ったとにかくおもしろい本。僕は個人的にはハルバースタム風に、商業技術とショッピングモールの歴史についてドキュメントを書いてみたいと思う。

 

サバービアの憂鬱―アメリカン・ファミリーの光と影
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大場 正明
東京書籍
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↑アメリカのサバービアとその文化について書かれた抜群におもしろい本。ネットで全文読めるが、本は入手困難。文化論としてのショッピングモールは、今回あまり触れられなかったが、この本のような手つきでショッピングモールが登場する映画などに触れていく本とか誰か書かないかな。ちなみに、この本で、ショッピングセンターとショッピングモールの定義の違いが語られてますが、今回僕は採用しませんでした。

 

America's Marketplace: The History of Shopping Centers
Nancy E. Cohen
Intl Council Shopping Centers
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↑アメリカでは、ショッピングセンターの歴史の本はちゃんと刊行されています。ただ、あまり厳密な歴史を辿っているというわけではないけど。

 

ハイウェイの誘惑―ロードサイド・アメリカ (カリフォルニア・オデッセイ)
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海野 弘
グリーンアロー出版社
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↑上で取り上げた百貨店の本に引き続き、海野弘によるアメリカのハイウェイから見る郊外文化という本。インターステイトハイウェイがアメリカ文化の分岐点だったことを説いたもの。この人の仕事、目のつけどころにはとても刺激を受けます。

 

消費社会の魔術的体系 (明石ライブラリー)
ジョージ リッツア
明石書店
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↑あらゆる商業空間がショッピングモール化する現状について書いているという意味では、ドンぴしゃな一冊なんだけど、テーマ以外はつまらない本だと思いました。

 

ディズニー化する社会 (明石ライブラリー)
アラン ブライマン
明石書店
売り上げランキング: 362617

 

↑テーマパーク側からショッピングモーライゼーションを語っている一冊。

 

レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈上〉
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トーマス フリードマン
草思社

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レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈下〉
トーマス フリードマン
草思社
売り上げランキング: 60927

↑ジャーナリストが、90年代初頭に政治と経済と技術を同時に把握し、世界を見ることの重要さに気がつき、グローバリゼーションというテーマを見つけるという興味深い一冊。この本のマクドナルド理論をアレンジし「“ショッピングモールにGAPが進出している国、及びそのサプライチェーンに組み込まれた国同士は戦争をしたからない」と書きました。

 

アメリカ大都市の死と生
ジェイン ジェイコブズ
鹿島出版会
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1961年の段階で、都市のスプロール化を批判した女性ジャーナリストの手によるもの。大定番だけど、抄訳ではないものが昨年ようやく刊行された。ネットで訳者(山形浩生)による後書きが読める

 

都市のセンター計画 (1977年)
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↑都市計画家でショッピングモールの産みの親の1人であるビクター・グルーエンが、なぜショッピングモールの建設に血道をあげたのかがわかる貴重な本。若き日の八束はじめ氏が、実はグルーエンの翻訳に関わっていたとご本人から伺った。

2010年11 月30日 (火)

公衆電話の歌謡史 このエントリーをはてなブックマークに追加

 

あー名曲。レベッカの『ラブ イズ Cash』(`85年)は、題名のとおり「愛は現金払いで」がテーマである。「あなたの恋はまるでスマートなカードクレジットなの♪」「不安定なレートを見きわめてよ♪」(作詞:沢ちひろ・NOKKO)と歌うNOKKOは、恋愛の駆け引きを金融用語に置き換えているのがおもしろい。

歌詞はこちらを参照

その前年、マドンナは「私にキスしてもいいけど金払いの悪い男だったら嫌いよ」と、当時のレーガノミクスをシニカルに反映させた『マテリアル・ガール』を歌った。その強い影響下で作られた『ラブ イズ Cash』にも、その時代の経済状況をパロディにするという試みが行われている。`80年代はクレジットカードの顧客対象が学生にまで拡大した時代。そして1980年の外為法改正時の規制緩和によって、個人による外国為替取引の自由化がもたらされた時代である。

ただし後半の「真夜中のラブコールは コインいちまい タイムリミットの3分間♪」という歌詞が出てくると、1985年という時代が遠い過去であることにあらためて気づかせてくれる。コイン1枚で3分間というのは、もちろん公衆電話のことを指している。日本で公衆電話の設置数が最も多かったのが、まさにこの歌の前年である1984年のことだ。

当時の恋人たちが電話で会話する場所と言えば、外の公衆電話が定番だった。まだ部屋ごとに子機があるような時代ではない。プッシュホンがまだなく、黒電話が残っていた時代。電話は家族のいる居間に置かれているのが当たり前で、電話線すら伸びなかった時代である。

ちなみに、当時の公衆電話の主流はコイン式である。キャッシュレス式、つまりテレホンカードが使える機種は、1982年に登場しているが、1985年当時は、それほどは普及していなかった。そのカード式がコイン式を抜くのは1990年のこと。

やはり公衆電話が出てくる歌に、槇原敬之の『遠く遠く』(1992)がある。槇原の曲の中でも人気が高く、カバーされる機会も多い曲である。

この歌の主人公は、ふるさとから遠く離れた都会でひとり暮らしをしている。たまに届く同窓会の案内には、欠席に丸を付けて送り返す。故郷が嫌いだからではない。地元で暮らすみんなの顔を見ると、里心がついてしまうからだ。主人公は、都会で自分の夢を叶えるまでは帰らないと決意している。ミュージシャンを目指して18才で上京した、槇原自身の体験をこの歌に重ねているのだろう。

この主人公の心の支えは、友人との電話である。「いつでも帰ってくればいいと 真夜中の公衆電話で 言われたとき 笑顔になって 今までやってこれたよ♪」

彼が利用してるのは公衆電話。つまり、部屋に電話がないのだ。当時、固定電話は、ひとり暮らしの若者には少々敷居が高かった。この時代、電話を引くには、電話加入権72000円が必要だった。加入権は2005年に廃止されるが、それ以前はよく不動産屋で売買されていたものだ。

この槇原の歌が発表された1992年は、ちょうどNTTからドコモが分離独立した年。当時の携帯電話の初期費用は、固定電話よりもさらに高かった。`92年の携帯電話普及率は1.4パーセント。ごく一部のビジネス層のものでしかなかった。

1995年は、公衆電話が完全にテレホンカードが使えるものへの全機入れ替えが終了した年である。だが、この時代になるとすでに公衆電話はその役割を終えつつあった。同じ年に、初期費用数千円で利用できたPHSが登場した。一人暮らしの貧乏学生では一般電話の加入権はハードルが高くとも、このPHSなら持つことができた。槇原の『遠く遠く』から3年後のことである。『遠く遠く』は、夜中に公衆電話で長電話をした経験のある最後の世代の歌だったということになる。

さて、その後、たった数年で携帯電話(+PHS)の普及率は8割を超える。携帯全盛の現在においては、公衆電話などその存在すら気に掛けないものの代表である。現在の公衆電話の設置数は、『ラブ イズ Cash』が流行った当時の3分の1まで減ってしまった。使われる頻度はそれ以上に減っているのだろうが、緊急通報や携帯電話が持てない人々のためにも、これ以上は減らせないような規制が設けられている。

携帯が普及しきった現代では、真夜中のラブコールからはタイムリミットはなくなった。現代のラブコールのレートは、かなりお安くなっている。ソフトバンクの「スパボ一括9800円」なら、月額7~8円で話し放題である。

 

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2010年7 月27日 (火)

ワインレッドの心と日本のワイン消費史 このエントリーをはてなブックマークに追加

サントリーの創業者・鳥井信治郎は、当時評判が悪かったワインを日本人向けに甘味料を配合し、1907年、“赤玉ポートワイン”と命名して発売した。これが一般的な日本人のワイン消費の始まりである。

赤玉ポートワインで舌を慣らされた日本人が、味付けワインを卒業するのは、`70年のワイン輸入自由化以降のことである。とはいえ、実際に甘味果実酒の消費量をワインを抜くのは、自由化からさらに5年を経る1975年まで待たなくてはならないのだ。

その後、`80年代に入ると関税の引き下げや円高の影響もあり、輸入ワインは手軽に手に入る飲み物として定着していく。さすがにこの頃になると、甘味料で味付けされたワインを飲む日本人はほとんどいなくなっていった。

ワインが生活に馴染んでいった80年代のヒット曲に、安全地帯の『ワインレッドの心』がある。


`84年の年間チャート2位を記録するという大ヒット曲の歌詞を書いたのは井上陽水だ。安全地帯はもともと陽水のバックバンドを務めていた。言うなれば、ボブ・ディランとザ・バンドの関係である。

♪哀しそうな言葉に 酔って泣いているより ワインをあけたら
歌詞:井上陽水

過去の恋愛を忘れて、ワインを飲もうよ。ほろ苦い大人の恋の場面を描いた歌である。憂いのある玉置浩二の歌い方も、大人の恋の世界を醸し出していた。

とはいっても、実はこの曲、赤ワインを甘いソーダで割ったサントリーの商品“赤玉パンチ”のCMソングだった。赤玉ポートワインは、『赤玉スウィートワイン』として、現行の商品として売られており、そのさらにソーダ割りが“赤玉パンチ”である。

ワインが登場する大人のほろ苦い恋の歌だと思ったら、そのヒロインが飲むのは甘いソーダの入った赤ワインだったのだ。シャンパンで乾杯しようと思ったらシャンメリーだったみたいながっかり感は否めない。『ワインレッドの心』はまだワインに味付けがされていた時代の甘ったるい残余のような歌なのである。

ボジョレー・ヌーボーが大流行するのは、この曲がヒットした直後のバブル時代の真最中のことであった。日本人のワインの消費量はその後も右肩上がりに成長。そして、青田典子との熱愛が報道される玉置浩二のバブル臭さもいまだ絶好調である。

2010年5 月31日 (月)

長髪時代の終わりとパンチパーマの起源 このエントリーをはてなブックマークに追加

かつて、理容業界では若者の理髪店離れが問題になった時代があった。

それは、グループサウンズや吉田拓郎らフォーク勢が若者のアイドルとして台頭し、ヒッピー族、フーテン族が跋扈した70年前後のこと。当時の人気歌手の長髪をみんなが真似たのだ。

当時の大スターである吉田拓郎に♪僕の髪が肩までのびて♪(『結婚しようよ』)と歌われてしまっては、世の理髪店にとっては大打撃以外のなにものでもない。ほんと営業妨害。

そんな危機的状況には、業界として立ち向かう必要がある。そこで立ちあがったのが、全国理容環境衛生同業組合連合会(全理連)である。全理連は、緊急プロジェクトチームを結成する。そして、長髪ブームを終わらせようと、ロン毛に変わるファッション性の高いショートヘアスタイルの開発に乗り出したのだ。

冗談のような話だが、事実である(参考文献『ヤクザ・風俗・都市―日本近代の暗流 』朝倉喬司 )。

全理連が開発したパンチパーマは、彼らの目論見どおり若者の間で流行する。その普及にはひとりの青年が貢献した。その青年とは、『銀座NOW』出身で、`77年に『失恋レストラン』でデビューした歌手の清水健太郎だった。


Shimiken シャイで硬派なイメージで売り出されたシミケンは若者たちの新しいアイドルとなった。彼の真似をした若者は、こぞって彼の髪型を真似た短めのウェービーなヘアスタイルにしたのだ。

当時彼の髪型は「健太郎カット」と呼ばれていた。全理連は、彼をポスターのモデルとして起用し、床屋の店頭にかざられていた。そう記憶している。

この当時、僕自身はまだ小学校にも満たない子どもだったが、その後、10年ばかりは常に床屋にとっての理想ヘアスタイルがシミケンのまま更新されなかったから、その雰囲気を覚えているといった程度であるのだが。

ちなみに「健太郎カット」はいまでも「カットチャンピオンの店」と看板が掛かっているようなオールドスクールな床屋ではいまだに推奨されているような気がする。

清水健太郎=パンチパーマというイメージは強くある。だが、実は結構間違っているのではないだろうか。彼の髪型が徐々にウェーブを増していくのは確かだ。ただし、パンチパーマというわけではないように思える。ただ、本人の男前度や顔から受ける印象の問題もあり、なぜかちょっとしたウェービーヘアーが、パンチパーマという印象に変換されてしまう。

ちなみに、当時のパンチパーマとは、「ニグロパーマ」などとも呼ばれ、親しまれていた。アイパーとパンチの呼び名の違いは、道具の違いなど技術的な用件に規定されるモノのようだが、ここでは議論の対象にしない。

正確なことはわからないが、パンチパーマという髪型が暴力団組員の定番として定着したのは、そんなに古いことではないのではないか。定着したのはシミケン登場以降のような気がしている。少なくとも、`73年にシリーズがスタートした実録風やくざ映画『仁義なき戦い』のシリーズにはパンチパーマのキャラクターは1人も出てこない。

菅原文太は角刈り、小林旭はきっちり七三である。これは時代考証的なもの込みの話なのかも知れないが。

さて、『失恋レストラン』では、恋に破れ「ポッカリあいた胸の奥」を満たす「飯」を出すレストランが舞台だったやくざ=パンチパーマというイメージが定着するのは、シミケンのその後の人生と密接に結びついているのかもしれない。彼の「ポッカリあいた胸の奥」を埋めたのは飯ではない別の何かだったのだが、それは大人の事情が絡む内緒の話であった。

余談だがこのブログを書いている僕の名は速水健朗である。その字面のせいか、いまだに「シミズケンタロウさん」と病院の受付などで呼ばれることは少なくない。

2010年5 月22日 (土)

自動車とポップス~ドライバーシートと助手席の攻防を巡るアンダーステアな40年史 このエントリーをはてなブックマークに追加

アクセルふめば 恋のスピードあげてくる
握るハンドル 彼の横顔 愛のサインが浮かぶ
Go! Go! 走れ レンタカー
Go! Go! 走れ 若い二人の夢のせて

『Go! Go! レンタカー』田辺靖雄・中尾ミエ(作詞:安井かずみ)

「若い二人の夢」を乗せて走るのはレンタカー(笑)。とはいえ、この曲の発売は1966年だから、日産サニー、トヨタ・カローラという、低価格のファミリーカーが競い合って登場した、「マイカー元年」に当たる年。数年後、この二人が結婚したらきっとカローラを買い、郊外のニュータウンにマイホームを手に入れ、子どもを産む。そんなライフコースを辿るであろう、ベビーブーマー世代の青春時代が込められている。

この10年後の1976年に、発表されたのがユーミンの『中央フリーウェイ』。ハイファイセットも唄いました。


間奏のアレンジがとてもキラキラした名曲。

この歌の肝は、中央自動車道を「中央フリーウェイ」と言い換えたところ。実在の風景を、言葉と描写と音楽のアレンジによってまるで日本ではないかのように見せてしまっている。とはいえ、たしかに夜の中央自動車道は周囲も暗く、本当に夜空に続く滑走路のような風景が味わえる。結構好き。

『Go! Go! レンタカー』とは違い、この歌の二人には倦怠感も垣間見られる。あとレンタカーではなく、ちゃんと所有している車なんだろう。この歌はクルママニアの松任谷正隆と結婚前に、自宅までクルマで送ってもらっていた実体験がモデルになっているのだから。MGかアルファロメオあたりの小型オープンカーのはずだ。

緑の中を走り抜けてく真紅(まっか)なポルシェ
ひとり旅なの 私気ままにハンドル切るの

『プレイバック part2』山口百恵(歌詞:阿木耀子)

この歌がよく取り上げられたのは、男性に従属しない女、主体性を持ったヒロイン像。つまり、助手席ではなく、自分でハンドルを握り、しかもポルシェに乗る主人公という部分が言及された。

途中で巻き戻ししたりするおもしろい歌詞。

阿久悠なんかがもっとも意識的にやったのだけど、70年代の歌謡曲は男女の従属関係、権力関係が意識的に歌詞に登場した時代でもあった。だけど、80年代になるとそんな空気 も薄くなる。

次は、おニャンコクラブの自動車歌謡『国道渋滞8km』。これ超好き。名曲。アルバム収録曲で、スタンダードとは言えないけど。エンジン音のSEから始まる自動車歌謡には数あれど、これは異色。なんと渋滞を歌っている。

シチュエーションは、はじめてのドライブデート。1日ドライブしたあと、都心まで送ってもらう。つまり、ヒロインは、都心住まい。だけど、帰りに首都高で8キロの渋滞につかまる。自動車の普及数の予測という、都市計画のもっとも根本部分に不備が露呈した時代のアンセム。というわけではなく、ヒロインは渋滞のおかげで一緒にいられる時間が延びてよかったという健気な女の子。ちなみにクルマはカブリオレタイプだそうだ。

さて、90年代にドライバーシートを巡る男女の位置の入れ替えを歌ったのは小沢健二である。

彼を迎えにでかけて
もう1時間 待ちぼうけ
カローラIIはその時
私の図書館

『カローラⅡにのって』小沢健二(歌詞:佐藤雅彦・内野真澄・松平敦子)

これは1994年のカローラⅡのCM。車種のターゲット的に女性向けなので、まあ当然こういう歌詞になるのだ。

とはいえ、90年代初頭に宮沢りえがダイハツ・オプティのCMに出て以降、クルマのCMに女性が出てきて女性にアピールするCMが急速に増えていったのも事実だろう。自動車の国内新車販売台数のピークが1990年。国内市場の飽和に危機を感じた自動車業界は、新しい購買層の開拓し始めたのだ。

日本の自動車産業に大きな変化が起きたのは、この90年前後のこと。エスティマの登場にはじまるミニバン主流の時代に突入。

トヨタは、スポーツカー離れする若者を狙って新しいシティユースRVの市場を開拓する。団塊ジュニア世代の代表選手で、まだブレイクしはじめの22歳の木村拓哉を起用したRAV4がそれ。この1994年は、キムタクが『anan』の「好きな男ランキング」ではじめて1位を獲得した年でもある。
その後も木村はトヨタのCMに出演し続けることになる。ただし、車種は変わる。その後は、カローラのスポーツタイプであるカローラ・フィールダーに登場。国民的アイドルグループSMAPのフロントとして、国民車のCMに出ているという構図。

90年代末以降のポップミュージックにおける自動車の扱われ方の変化も見ておこう。

例えば、1998年に『夏色』で登場したゆずは、「♪この長い長い下り坂を 君を自転車の後ろに乗せて ブレーキいっぱい握りしめて ゆっくりゆっくり下ってく」と、自転車の歌でブレイクしている。70年代のフォークもあまり、自動車が出てこなかったし、これはジャンル特有の問題なのかもしれないが。

くるりには、『ハイウェイ』という曲があるが、この歌は「♪車の免許とってもいいかな」と、運転免許証すら未取得の主人公の歌である。まあ、くるりの岸田は電車オタクなのでしかたがないが。

とりあえず、思いつきではありますが、自動車とポップミュージックを巡る話を書き留めてみました。

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about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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