2015年10 月18日 (日)

『ONE PIECE』論(初出『新日本人論』) このエントリーをはてなブックマークに追加

「海賊王に!!! おれはなる!!!!」と言ったのはモンキー・D・ルフィだが、「海道一の大親分に!!! おれはなる!!!」と言ったのは、清水次郎長である。初めて『ONE PIECE』全巻を一気に読んだとき、真っ先に頭に浮かんだのは、子どもの頃に父からカセットテープを譲り受け、何度も繰り返し聞いた浪曲師2代目広沢虎造の次郎長一家の物語だった。


 移動の自由すらなくまだ身分制度が固定された時代に、自由気ままに旅から旅へと流れ歩いた渡世人=博打打ち集団は、ワンピースの世界で言う海賊のような存在だ。そして、大政、小政、豚松に石松と少数精鋭の個性的なばくち打ちたちのキャラクターが魅力の清水一家は、ルフィ、ゾロ、ナミ、ウソップ、サンジ、チョッパーらのルフィ一味のようである。ちなみに、主人公のルフィは次郎長ではなく、『次郎長伝』の最も愛すべき存在、喧嘩が強くて馬鹿正直で義理堅い森の石松だろう。


「次郎長伝」は、戦前の日本で最も人気のあった、今で言えばまさにONE PIECEのようなコンテンツだった。当時のナンバーワン浪曲師広沢虎造が次郎長の演目をやるときは、近所の風呂屋は空になったという。戦前の1930年代は大衆消費社会の始まりの時期。戦前と現代の最高のエンターテイメント作品の間には、意外と接点は多いのだ。


 1997年に『週刊少年ジャンプ』にて連載が始まり、今年(*2013年当時)で16年目に突入。コミックスの通算売り上げは、2億8000万部という、出版不況と呼ばれる昨今の事情を軽く吹っ飛ばすONE PIECEの人気の秘密を、この作品を読んだことのない人たちにもわかるように考察するというのが、本稿のミッションである。

■ヤンキー漫画とONE PIECE

 ONE PIECEは、麦わら帽子に短パンの主人公ルフィが仲間を集め、海賊船に乗って宝探しに出かける物語だ。海賊王ゴールド・ロジャーが、死に際に「ONE PIECE」と呼ばれる、富、名声、力をひとつなぎにする「宝」の存在を示し、そこから世界は大海賊時代を迎え、海賊たちが暴れ回る世界がやってくる。

 さて、過去のあらゆる漫画の中で、最も売れている人気作品ONE PIECEだが、決して万人に愛されている作品ではない。好きな人は好き、嫌いな人は嫌いと、はっきり評価が分かれるところがある。その分断のポイントははっきりしている。

 お笑い芸人で大学講師でもあるサンキュータツオによると、この作品のファン層とは、「ワンピースを卒業したらEXILEに流れるような人たち」なのだという。自身がアニメオタクである彼は、1人で世界と向き合う『エヴァンゲリオン』には共感するが、仲間と一緒に世界を旅するONE PIECEには乗れない派だ。同じ立場を示すのが、アニメオタクのタレントの原田まりる。彼女は「友だちのいなかった私には理解できない世界」がワンピースだという。ONE PIECEは、おたく層とは相性が悪いのだ。

 精神分析医の斎藤環もこれに近い見解を示す。斎藤は、ONE PIECEの人気とは、「“ヤンキーの1人も出てこないヤンキー漫画”を極めた」ところにあると考えているという(『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』)。一見、海賊が登場するファンタジーの世界のようだが、登場人物たちの行動原理や美学は、反知性主義、積極行動主義に代表されるヤンキー的なものとして説明できる。読んでいる層は、基本的にはそれを受け入れられる層ということだ。

 漫画評論家の紙屋高雪も、バトルを物語の中心としながら主人公が強くなる過程を描かないONE PIECEは、ヤンキー漫画であると指摘している。『ドラゴンボール』の孫悟空は、修行で自らの戦闘力を向上させていく。だが、ヤンキー漫画で登場人物の喧嘩の強さは、気合いや根性といった「非科学的要素」で決定づけられるのだ。ONE PIECEは、後者であるというのが、紙屋の主張だ。

 このようにワンピースの影、もしくは根っこにある「ヤンキー性」を、多くの論者が指摘しているのだ。そうとわかれば、ONE PIECEがこれだけ売れるのは納得できる。ヤンキーは、一部のマニアの集合体であるおたくマーケットと違って、一枚岩に近い巨大なマスマーケットだ。浜崎あゆみもTSUTAYA書店もケータイ小説もドンキホーテもディズニーランドも木村拓哉もJポップのレゲエカバーCDも『○型自分の説明書』もエルグランドもラウンドワンも、基本的にはこの国のもっともマジョリティ=ヤンキー的消費層によって消費されているヒット商品である。

 確かに、ヤンキーと仲間というマッチングはしっくりとくる。ルフィたち海賊が「仲間」を重視するのは、暴走族を形成したり地域の祭りで盛り上がるヤンキー的な世界の特徴とよく似ている。次郎長一家のような渡世人の世界でも、仲間は重視される。親兄弟の杯を交わすというシステムは、仲間を家族レベルに強化するための仕組みである。海賊も渡世人も、境界的存在であり、国家権力によって守られない存在。仲間との絆とは、敵の多い世界で身を守る術、つまり安全保障上の理由によるものなのだろう。

■ONE PIECEの組織論

 もうひとつ、ワンピース論でよく言われるのが、その組織の在り方についてだ。
 会社員にありがちなことだが、組織の一員であることが目的化すると、個々の意欲や仕事の質は低下する。だが、個々に目的を持って組織に参加しているルフィたちにそれはない。ルフィの目的は、海賊王になることだが、ゾロは世界一の剣豪になる夢を適えるプロセスとして、ルフィの仲間になっているし、ナミは、世界中の海の海図をつくるために海賊の仲間になっている。個々に意思決定を行うリーダーなしでも動ける「ヒトデ」的な組織体。ワンピースを組織論として語ると、だいたいこんなところだろう。
 以上で分析終了。というのでは、他人のふんどしで相撲を取ったに過ぎない。ここからは、もう少しだけその「支持される理由」について掘り下げてみた。

 ONE PIECEは、少年マンガの王道という評価がされることが多い。夢と友情で結ばれた主人公とその仲間たちが、敵を次々とやっつけていくという部分を観れば、確かにそうだ。だが、僕が本作に見いだしたおもしろかった部分とは、主人公と仲間たちではなかった。むしろ興味深かったのはむしろ敵の描かれ方だ。
 一見、種族・能力として強い敵を次々と描いているようにも見えるが、『ドラゴンボール』が、ナメック星人やサイヤ人といったように、種族として敵の強さのインフレを起こしていったのとは違う。ONE PIECEにおける敵は、組織の構造として強くなっていくのだ。


■ONE PIECEの敵に見る権力の派生の仕方

 

 ONE PIECEに登場する敵たちは、とても研究のしがいがありそうだ。
 犯罪会社のバロックワークスは、国境に縛られない現代の多国籍企業のような存在だ。幹部社員同士は顔も知らないという秘密主義は、部署が違えば何のプロジェクトなのかすら知らされないアップルのようだ。アップルは、スティーブ・ジョブズの辣腕ぶりだけが喧伝されるが、アップルが本当に独創的な製品を作り続ける理由は、実はこの秘密主義で結合された組織の部分が大きい。互いにやっていることを知らないからこそレベルの高い競争が生まれるのだ。

 そして、日常は平凡な人間の皮を被り、裏で権力を組織して、恐怖政治を行う海賊執事のキャプテン・クロ。彼の権力の掌握の仕方は、姿を隠してクメールルージュを組織した、カンボジアの独裁者ポル・ポトを連想させる。

 個人的に気に入った権力の在り方は、物語の前半に出てくる敵の「半漁人アーロン族」と王の座を捨てて海賊化した「ワポル」である。

 前者は、半漁人という種族としての優位性を持ちながらも、世界中の海を海図としてマッピングすることで権力の座を得ようとする組織である。いわばGoogleがマップサービスをもって世界政府化していく様子に似ている。

 後者は、国中の医者を追放し、政府お抱えの20人の医師「イッシー20」を組織化するワポルという権力者が統治する島のお話。人々は、国に忠誠を誓わないと医者にもかかれないのだのだ。実社会の国民皆保険制度はセイフティネットと考えられているが、考えてみればこれは医療の国家的独占をもって行う統治である。そんな具合に権力の在り方をついつい考えさせられてしまう。

 ルフィたちが戦うのは、単なる敵のグループではなく、こうした権力の掌握術や組織論に一家言を持つリーダーが生み出した権力による構造物である。それを、権力を掌握しないリーダー(ルフィ)によってつくられた組織(ルフィ一味)が、次々と撃破する痛快さこそが、この物語の人気の最大の理由なのではないだろうか。

 ワンピースの作者、尾田栄一郎は、決して王道マンガ家ではない。むしろ、変態的までの権力マニアだ。権力の現れ方、人民の掌握術などをかぎつける才能がすごい。彼がマンガ家になったからワンピースは生まれたが、別の職業に進んでいたらと想像すると恐ろしくもある。権力を批判するジャーナリストになっていたかもしれないけど、恐ろしい独裁者にもなれるかもしれない。もしくは、ブラック企業の経営者とか。
 そう、話は変わるが、「ブラック企業」なんて言い方もされるように、実際の社会において、身近な人を縛り付ける権力の主体とは会社である。非正規社員だの派遣社員だのと、働く側にとっては都合の悪いあれこれが押しつけられ、いつの間にか望んでもいないのに、僕らは悪の海賊一味の下っ端のような存在になってしまっている。

 現代の会社員たちは、モチベーションのほとんどを「生活のため」という目的に向けて働いている。だからこそ、「目的のため」「仲間のため」というモチベーションで動く、自由なルフィたちにあこがれるのだろう。

 

■現代のゴーイングメリー号?

 

 ピースボートというものを知っているだろうか? 「それまでの生活を抜け出したい」「何かを変えたかった」「自分を見つめ直す」または「世界を平和にする」などという「目的」を持った若者たちが集まって船で旅をするのがピースボートである。言ってみればピースボートは、現実社会のゴーイングメリー号(ルフィたちの海賊船。途中で壊れる)だ。


 社会学者の古市憲寿は、このピースボートに搭乗した海賊の一人である(かなり弱そうではあるが)。彼の書いた『希望難民ご一行様』という本は、その航海記なのだが、そこでの観察によると、ピースボートに乗る若者たちは船の旅の途中で夢(目的)への関心が薄まっていくのだという。それは、船の中で過ごす仲間との時間の楽しさの方が優先されるからだ。

 乗船者の多くは、そこで得た仲間と、旅の後も関係を維持して、当初抱いていた「目的」を忘れて、意識が低いまま生きていくという。つまり、仲間といると楽しいという「共同性」が「目的性」を冷却してしまうのだ。

 だけど、それも悪くないじゃないかというのが、古市の主張である。現実の日本においては、富や権力をひとつなぎにする宝=ワンピースは、先行世代の中高年層に独占されている。そんな何も持たない世代にとっての唯一の有効な武器、というよりも生活インフラに近い存在が「仲間」である。

 すでに強者と呼ばれる海賊たちが「偉大なる航路」に進出する中、若くて経験のないルフィたちは、後続者としてあとからその海域に向かわざるを得ない。彼らが航路を突破するために使えるのは、仲間という武器だけ。その構図は、現代の若者と同じなのだ。

「仲間」が、現代社会でかつて以上に価値を持ち始めている。ワンピースが流行るのは、そんな社会の姿と関係しているのかもしれない。

初出『新日本人論』(2013年12月刊 ヴィレッジブックス)


2015年4 月13日 (月)

村上春樹小説における「モヒート」「レクサス」から考える最新型高度資本主義社会 このエントリーをはてなブックマークに追加

 

■春樹と固有名詞

村上春樹の小説には多くの固有名詞が登場する。例えば「ヤナーチェク」。『1Q84』で取り上げられたヤナーチェクのCDがショップの店頭から消失し、急遽再発されるというようなことも起こっている。春樹経由でビーチボーイズを知った人も少なくないだろう。村上春樹の小説を読み解く上で、こうした具体的な固有名詞、文化記号に迫るというアプローチも可能だろう。ビーチボーイズ、ブルックスブラザーズ、マールボロ、トーキング・ヘッズ、ピナコラーダ、ソニー&シェール、シェーキーズ……。

さて『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んでみて、漠然と気になった固有名詞は「モヒート」と「レクサス」の2つである。

『色彩を〜』で主人公の多崎つくると、そのガールフレンド木元沙羅が東京・恵比寿のバーでデートをするときに飲んでいたのが「薄いハイボール」と「モヒート」だった。モヒート。このカクテルが日本でブームになったのは2011年のことだ。この年サッポロビールと業務提携したラム酒メーカーのバカルディ・ジャパンは、ラムの消費量を増やすための目論見として、ラムを使ったモヒートを流行させるプロモーションに乗り出す。彼らは、サッポロの持つ販売ルートを用いて、バーやレストランなどでモヒートをメニューに加える提案、レシピの提供などを行うPR戦略を展開したのだ。

これと似た形でブームを生み出した酒類の前例として、「ハイボール」があった。2008年にサントリーが自社製品であるウィスキーの「サントリー角瓶」の販売量拡大のために、ハイボールの流行を生み出したのだ。サントリーは、缶入りのハイボール製品を開発し、ソーシャルメディアを使った販促を行った。さらには自社経営のバーや契約店のメニューにハイボールを展開。さらには、テレビCMも投入し、一旦は現代の酒場から消えたハイボールを復活させたのだ。

このサントリーのハイボール戦略の成功を手本にしたであろうバカルディは、同じようにモヒートのPRキャンペーンを成功させ、2011年、ついに夏に飲む酒の定番の地位をハイボールから見事に奪い取ったのである。

■カクテルと「高度資本主義社会」のルール
私たちが生きる世界とは「最も巨額の資本を投資するものが最も有効な情報を手にし、最も有効な利益を得る」というルールの上に築かれた「高度資本主義社会」であるという啓示を識したのは村上春樹である。彼が30年前の日本を舞台にして書いた小説『ダンス・ダンス・ダンス』でのことだ。ハイボールからモヒートへ。これは、まさに巨額の資本投資によってもたらされた「有効な利益」の結果である。

この『ダンス・ダンス・ダンス』という小説の主人公「僕」の職業は、フリーランスのコピーライターだ。広告業界の片隅で生きているが、この「高度資本主義社会」のシステムにはまだまだうまく適応できずにいる。誰もがそれに適応する中、彼だけはそれにとまどっており、それゆえに変人扱いされることも少なくない。「高度資本主義社会」。資本投下と回収によるシステム。それは、ゴージャスなホテルや国際的な高級コールガール組織からデュラン・デュランまでが同じシステムが運営され、なんでも経費で落ちる社会のことでもある。

この作品の中で「僕」は、ある有名作家の娘である13歳の少女「ユキ」の面倒を見るよう依頼される。とはいえ、彼がこの依頼仕事に応じて為すことと言えば札幌で「ウォッカソーダ」や「ブラディー・マリー」を、ハワイで「マティーニ」や「ピナコラーダ」や「ジン・トニック」を飲むことくらいだ。13歳の少女を連れ回し酒を飲むことで対価を得るのも、立派な「高度資本主義社会」の労働に他ならない。「僕」にとっての「高度資本主義社会」の実践の課程が13歳の少女と酒を飲むことだった。

ジンやウォッカといったベースとなる酒にフルーツジュースや別の酒を掛け合わせて作られるカクテルは、まさに「アルコール」という商品価値に別の付加価値を加えるまさに「高度資本主義」的な商品である。実際、村上春樹の小説には、多くのお酒、とりわけカクテルが登場する。冒頭に戻るが『色彩を〜』の主人公「つくる」と「沙羅」は「薄いハイボール」と「モヒート」を作中で飲んでいる。彼らも意識しないうちに、2010年代型の「高度資本主義社会」に生きているのだ。

■バブル、デフレを経て変化した消費社会

「世の中が少しずつ複雑になっていくだけだ。そして物事の進むスピードもだんだん速くなっている。でもあとはだいたい同じだよ。特に変わったことはない」(『ダンス・ダンス・ダンス』(上)より)というのは、この小説のファンタジーの部分である「羊男」の台詞である。これもまた「高度資本主義社会」とは何かを定義するフレーズのひとつだろう。

「だいたい同じだよ。特に変わったことはない」というのは本当だろうか。例えば、現代から『ダンス・ダンス・ダンス』が発表された1988年に示された「高度資本主義社会」の中身を眺めてみると、当時とは随分様相が変わっていることに気がつく。まず「この巨大な蟻塚のような高度資本主義社会にあっては仕事をみつけるのはさほど困難な作業ではない」(『ダンス〜』)というテーゼ、これはダウト! である。昨今の若年雇用問題に関心を寄せる赤木智弘辺りに聞かせたら激怒するだろう。バブル経済が崩壊しデフレが続く中で「巨大な蟻塚」はそれなりに制度疲弊が起こり、新しい蟻に密が行き渡らなくなった。若い世代の就職はわりと「困難な作業」になってしまった。また、主人公は「文化的雪かき」と自虐的に呼ぶライター仕事の数ヶ月分のギャラで、まるひと月遊んで暮らす資金としていたが、現代においては売れてもいないコピーライター、フリーライターのギャラはそんなに高くないとも僕の方から補足しておこう。

また、「ゴージャスなホテルや国際的な高級コールガール組織からデュラン・デュランまでが同じシステムが運営され、なんでも経費で落ちる社会」も、同様にダウトだ。「何でも経費で落ちたのは、単にバブル景気だったからだ」と指摘しているのは批評家の栗原裕一郎(「村上春樹『1Q84』をどう読むか」河出書房新社)である。みもふたもないが真実だ。どうだろう、マセラティ全額は経費では落ちないんじゃないだろうか。もちろん、1988年に刊行された小説が、バブル崩壊後の世界を予測できるわけではないので、春樹に落ち度があるわけではない。

■マセラティとスバルとレクサス

まあ大同小異は別として、消費社会の在り方については、複雑化し物事の進むスピードもだんだん速くなっているという見立ては、外れてはいないだろう。消費社会化の段階変化をシニカルに書くことについて、村上春樹よりもうまい作家はそうはいないように思う(双璧は、ある時期までの村上龍だった)。本作においては、「レクサス」という固有名詞を登場させることで、その役割を果たしているように思う。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の登場人物「アオ」は、名古屋でレクサスの販売主任の仕事をしている。レクサスは、元々トヨタが1988年(まさに『ダンス〜』が書かれた年)に海外向けラグジュアリークラスカーであるセルシオを輸出する際に用いたブランド名である。BMWやメルセデスに比べると値頃で高性能という評判がレクサスに定着すると、今度は逆輸入という形で日本市場に投入される。日本で逆上陸という形でレクサスの販売が始まったのは、2005年のこと。つくっているのはトヨタだが「トヨタ」のブランドは前面に出していない。とても「高度資本主義社会」的である。

アオの勤めるショールームを訪ねたつくるが、最後に尋ねたのは「レクサス」の言葉の意味である。「よく人にきかれるんだが、意味はまったくない。ただの造語だよ。ニューヨークの広告代理店がトヨタの依頼を受けてこしらえたんだ。いかにも高級そうで、意味ありげで、響きの良い言葉ということで」

経済コラムニストのトーマス・フリードマンは『レクサスとオリーブの木』という本の中で「レクサス」を「冷戦システムに取って代わる国際システム」=グローバル化の象徴と見なしている。フリードマンが見たのは、300台を超えるロボットが1日300台のレクサスを製造する工場だ。「材料を運んでフロアを走り回るトラックさせもロボット化されていて、進路に人間の存在を感知すると『ビー、ビー、ビー』と警告音を発する」という光景が描写される。最先端の技術が集結した工場では、まさに人間が「阻害」される。そんなシステムの象徴としての「レクサス」。フリードマンは、レクサスは「わたしたちがより高い生活水準を追求するのに不可欠な、急速に成長を遂げる世界市場、金融機関、コンピュータ技術のすべてを象徴している」と言い切っている。

『ダンス・ダンス・ダンス』は村上春樹の小説の中でももっとも多く自動車が登場する作品かもしれない。主人公の高校時代の友人であり、売れっ子の俳優でもある「五反田君」は、マセラティに乗っている。彼が所属する事務所が経費として購入したこのマセラティは、海に沈めたとしても保険が下りるんだと五反田君も自虐気味に語る「高度資本主義社会」を象徴する自動車である。そして、このクルマは呪われたクルマでもある。最後に五反田君はこのマセラティとともに自ら海に飛び込んでしまう。
 そんなマセラティの対極に置かれるのは、登場人物の「ユキ」流に言えば「親密な感じがする」という目立たず実用的なスバルである。1980年代までの、つまりレクサス以前の時代の日本車の特徴と言えば、つまらないが堅実。つまり故障知らずで低燃費で低価格が売りだった。日本車が世界のクルマ市場で支持されたのは、まさに安さと堅実さ故だった。

だがレクサスはそういうタイプのクルマではない。値頃なラグジュアリーカー。それが、北米市場におけるレクサスの評価だろう。現代の日本のクルマメーカーは、安くて丈夫なクルマという分野ではもう世界では勝てなくなっている。日本がすでに人件費が安い国ではなくなった以上、新興国と価格で真正面から闘うことはできない。そんな中、トヨタが新にラグジュアリーカーの市場で勝負をするために生み出したのがレクサスだった。ちなみにスバルも30年経って、随分とポジションが変わった。現在は北米市場におけるスバルの需要というのは、堅実でつまらないクルマの逆。4技術志向かつ高品質のプレミアムカーとして高い人気を誇っている。

■モヒート測定法、団塊ジュニア、震災

もう一度モヒートの話に戻る。この作品におけるモヒートが持つ意味は、さして大きくはないが、少なくともモヒートはこの物語の年代特定を教えてくれる。

しれっと主人公がモヒートを頼んでいる。この物語の舞台となる年代は、モヒートブームの2011年、またはそれが定着した翌2012年の可能性が高い。そのどちらかだ。いい加減だが、モヒート年代測定法である。これに従うと、多崎つくるの生年は1974年、または1975年だろう。彼が仲間からひどい仕打ちを受け人生に変化が生じた16年前の大学2年の夏休みというのが「巡礼」の先だが、それが1995年か1996年ということになる。仮に、1974年生まれで、1995年が大学2年生、そして「今」が2011年とすると、これが阪神淡路大震災、東日本大震災の2つの出来事をなぞっていると捉えることができる。小説内で震災に触れられる気配はない。むしろ不自然なまでにそれを避けて通っている。これは、そのこと自体が著者にとっての関心事だからなのではないか。初期春樹作品における重要な主題である1960年代の学生運動に、まったく関心が無いふりを装って作品が書かれていたようにである。

本作は、春樹作品で初めて、団塊ジュニア世代を主人公として描かれた長編。春樹はこれまでの大半の作品で、自分と同年代の主人公の物語を書いてきたこともあり、団塊ジュニアが主人公であることは、本作を語る上で重要な要素だ。終盤近くには、つくるが新宿駅を訪れ、オウム真理教による地下鉄サリン事件について回想する場面がある。震災の年であると同時に、1995年は地下鉄サリン事件の年でもあった。

村上春樹の前作『1Q84』は、オウム真理教事件への関心から書かれた小説だったが、今作はそれを20才で迎えた世代への関心から書かれているように感じられる。春樹自身が属する団塊世代にとっての学生運動と、団塊ジュニア世代にとってのオウム真理教事件。これらはどれも「高度資本主義社会」を受け入れきれない人々による反発(もちろん、それは敗北する)であり、どちらの世代にとっても20歳前後の時期の出来事だったのだ。

初出:河出書房新社「村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をどう読むか」を大幅に改稿したもの。




2013年6 月 8日 (土)

非正規雇用時代のOLソング このエントリーをはてなブックマークに追加

1990年代に活躍し、OLという特定層からの支持を受けていた歌手に広瀬香美と古内東子という2人のシンガーソングライターが存在します。広瀬香美、古内東子の代表曲の歌詞をのぞき見すると、同じOLでもそのメンタリティは違うのがわかります。その違いを、90年代のどこかで起こった、労働環境の変化の痕跡が見えるような気がします。


  勇気と愛が世界を救う 絶対いつか出会えるはずなの
  沈む夕日に淋しく一人 こぶし握りしめる私
  週二日 しかもフレックス 相手はどこにでもいるんだから
  今夜飲み会 期待している 友達の友達に
  『ロマンスの神様』作詞:広瀬香美

 スキー用品のCMソングとして大ヒットした『ロマンスの神様』(1992年)ですが、ここで歌われているのはOLの合コンでした。
  週40時間という労働時間目標が明記され、さらに変形労働時間制=フレックスタイムが導入されたのは、1987年の労働基準法改正が最初でした。
 つまりは、平日は9時間、土曜日は半ドンで午前中だけ働くという戦後以来のサラリーマンの労働時間の基準がここで変わったのです。
 これらが導入された背景には、日本の長時間労働が不公平競争を生んでいるという諸外国の批判があり、欧米標準に倣うという趣旨のもとで週休二日制、フレックスタイム制が導入されていったのです。
 実際にこれらが定着するまでには時間はかかりました。`80年代半ばには大企業が先導する形で週休二日制を普及させていきましたが、この歌がつくられた1992年には、国家公務員にまで完全週休二日制が導入されました。

  Boy Meets Girl 土曜日 遊園地 一年たったらハネムーン
  Fall In Love ロマンスの神様 感謝しています
  Boy Meets Girl いつまでも ずっとこの気持ちを忘れたくない
  Fall In Love ロマンスの神様 どうもありがとう

 冒頭で期待していた友達の連れてくる男性グループとの合コンから、歌の終盤にはもうハネムーンに出かけるという、かなり強引な歌です。土曜日に遊園地にデートに出かけるという、まさに週休二日制導入以降のボーイ・ミーツ・ガールの在り方を描いています。
 この歌は、都会で働く女性への応援歌ではなく、ずばり結婚したいという、女の本音を全開にしています。

 毎日残業しながら男性と競争するような総合職を選ぶ女性とは違い、割り切ってアフターファイブを遊びに使う一般職OLを選ぶといった、不況期を元気に邁進するOL像といったところでしょうか。冒頭の「勇気と愛が世界を救う♪」なんていうハイテンションぶり、そして「神様」という言葉など、当時ちょっとブームになっていた新興宗教ののりを連想させるところでもあります。

 今の会社にすべてを投じるのではなく、お金より時間を選んだのが、『ロマンスの神様』に出てくるようなOLです。リクルートが1990年に創刊させた『ケイコとマナブ』は、習い事や資格スクールの情報を紹介する情報誌でした。いわゆる「自分磨き」というニーズを満たしたいOLがターゲットです。一方で、彼女たちは、今の仕事に満足していなくても、資格を身につけて転職した暁には、満足できる仕事をしたいという気持ちも持っていたのだと思います。

  いつも無理して笑顔つくるより
  誰かのこと想って泣ける方が好き
  かわいくいたい かわいくなりたい
  女なら誰でも愛されていたい
  『かわいくなりたい』古内東子(作詞:TOKO)


 古内東子も恋愛を題材にした歌をたくさんつくり、OL層に特に支持された歌手の一人です。『かわいくなりたい』は、96年に発表された彼女のシングル曲です。ここには、広瀬香美の恋愛しか見えないOLの実像をさらに超えた、すべてのリソースを「モテ」や「愛され」に投入するヒロインの心情が描かれています。

 作家の赤坂真理は『モテたい理由』の中で、かつて女子大生=お嬢様だった70年代後半に女子大生雑誌として創刊された『JJ』が、いまは「女子大生から若年事務職OLまでを統括した“あるメンタリティ”の雑誌」になったのだと指摘しています。

 その「あるメンタリティ」とは「女だてら」の出世などという困難な道を選ぶより、モテや愛されを追求し、経済力のある男性との結婚のほうが効率のいい成功であるという考え方のことです。つまり、それが「愛され」「モテ」を生み出したと彼女は言います。

「合理主義」は、バブル崩壊後の日本の企業社会全体が向かった道で会っただけではなくて、女性ファッション誌にまで行き渡った価値観です。

「愛され」「モテ」にの裏側には、OLの一般職から非正規雇用への転換があった。そんな社会になって気がついたのは、『ロマンスの神様』のOLたちのように、アフターファイブに全力投入するようなOL像とは、安定雇用の上に乗っかったものだったという事実でした。

  新しい服も伸ばしている髪も
   すべては大切なあの人のため
  きれいでいたい きれいになりたい
  女なら誰でも愛されていたい

 「あの人のため」といいながら、ここでの「きれいになりたい」、「愛されていたい」という競争における敵とは、つまり女性です。男性原理で動く会社での競争から降り、「モテ」や「愛され」に向かった女性たちも、また新たに「愛され」るための競争社会に飛び込んだに過ぎないのです。その辺の切実さは、実は広瀬香美のかなりぶっちゃけた歌でも覆い隠されていた真実と言えるでしょう。

ああ、でもどっちも名曲だなあ。

*このテキストは『別冊文藝春秋2013.3』に書いた『量産型ロマンスで抱きしめて!』で書いたものから一部抜粋したものです。オリジナル版には、ユーミンや今井美樹、宇多田ヒカルなどの話も書いています。

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2012年1 月13日 (金)

日本の縮図としてみる箱根駅伝(のCM) このエントリーをはてなブックマークに追加

ほんと、皆好きだよね箱根駅伝。僕も実はここ数年欠かさず見るようになっている。箱根駅伝は、この国の新年のイベントで最も重要なもののひとつだ。

K-1にJリーグ、そしてプロ野球と相撲まで、長い歴史を持つさまざまなスポーツ中継の視聴率がふるわず、地上波の枠からずり落ちていく中で、圧倒的な強さを持って箱根駅伝は放送される。2日の往路で27.9%、3日の復路が28.5%。これは正月三箇日の全テレビ番組でトップの数字。

有名でもない大学生が箱根までの道を走るだけのレースになぜ? と思うが箱根駅伝は、日本社会の構造そのものだ。厳然と残る企業や官庁、公務員の学閥。また、一流大学の牙城に二流大、新興勢力が切り込もうとする図も、現実の企業社会の光景でもある(で、無力感に苛まれたり)。体育会系出身者たちが学生時代の先輩後輩を巡って仕事を取ってくることで成り立つ営業。箱根の山を競うレースに、日本の企業社会の縮図が編み込まれている。そうした日本社会の文脈が刻み込まれているイベントなので、ある程度それを共有する階層にしか楽しめないだろう。海外には輸出不可能なハイコンテクストコンテンツだ。

パチンコやケータイゲームのスポンサーしか入らない格闘技の中継なんかと違って、箱根駅伝のスポンサーは超豪華だ。ある程度、高い階層の視聴者層を見込めるので、引く手あまただろう。駅伝が日本の企業社会の縮図なら、箱根駅伝のCMは日本経済の縮図である。

メインスポンサーはサッポロビール。あと、トヨタやホンダといった自動車メーカーが続くが、中でも圧倒的に目につくのがマンションデベロッパー各社のCMである。三菱地所レジデンス、三井不動産レジデンス、野村不動産、明和地所、ゴールドクレスト、大和ハウス……etc。

個々のCMに目を配ると、最もわかりやすくゴージャス感を売りにしているのが、野村不動産のプラウドのCMだ。

Proud

ロケ地はマリーアントワネットやナポレオンも使用した「フォンテーヌブロー宮殿」。世界遺産だそうだ。BGMは、ガーシュインの『Someone To Watch Over Me』を平原綾香がスキャットで歌う。このご時世に、これだけ贅沢を尽くす趣旨のCMが作られるのはむしろ爽快だ。

一方、外観のゴージャスではなく、生活のぜいたくさをアピールするのが三菱地所である。CMソングは、竹内まりやのヒット曲『家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)』。

Mitubisi

恋するには遅すぎると 言われる私でも 遠いあの日に 迷い込みたい気分になるのよ♪



CMはこちら→ http://www.mecsumai.com/cm

このCM及びCMソングからは、彼らが商品を売りたいと考えているターゲット層が見えてくる。この歌の主人公は、すでに恋する年齢を超えているのだという。つまり既婚者。子育ても一段落し、生活が落ち着いた主婦を題材にした歌だ。ちなみにこの曲は、20年前のヒット曲だ。これを作った当時の竹内まりやは30代半ば。

『家に帰ろう』と歌うこの歌の主人公家族が住む“家”は、多分、一軒家なのだろう。子どもができて郊外の広めの家に引っ越したのだ。もちろん、35年ローンで購入したのである。

あれから20年。竹内まりやも今年で57才である。

さて、30代半ばだった歌の主人公の主婦も、同じくもう60才に近づいている。ローンも繰り上げ返済でそろそろ返し終えている頃だろう。子どももとっくに独り立ちしている。そろそろ老後の暮らしをどうするかに思いを巡らす年代だ。老後の生活は、都心のマンション暮らしが便利かな、なんて。

そんな人々が、どれだけいるのかはわからないが、このCMが狙うターゲット層は、そんな人々だろう。そこを見据えて、いまこの歌をCMソングに採用したのだろう。

実際うちの親なんかは、このCMのターゲットでもおかしくない状況を迎えているし、それを消費してもおかしくない社会階層といっていい。

正月のCMからそんなことが突きつけられた。この国の金融資産の約8割を、50代以上が保有しているのだから仕方ない。箱根を必死の形相で駆けていく若者たちと、高齢者をターゲットにしたゴージャスなマンションのCM群。この国の縮図がまさに箱根駅伝には詰め込まれているのだ。



2011年10 月13日 (木)

講談社現代新書のカバーの色のひみつ このエントリーをはてなブックマークに追加

Gendaishinsho

講談社現代新書のデザインといえば、特徴的なのがカラー。以前から気になっていたんですけど、ジャンルで色分けしているわけでも、著者ごとにカラーが決まっているわけでもありません。

いつだって大変な時代 (講談社現代新書) 江戸の気分 (講談社現代新書) 落語論 (講談社現代新書) 落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)

同じ著者でも、このようにばらばら。

上の例でいうと、『いつだって大変な時代』と『落語の国からのぞいてみれば』は、同じ黄色系だけど、前者の方がより明るい黄色。CMYKで現すなら、前者がY=100 M=25 くらいで、後者はそれにCを10くらい混ぜた感じでしょうか。

分野別でも、著者別でもないということは、何かを見分ける記号として利用しているわけではない模様です。自分の本棚の現代新書を集めてみても、やっぱりばらばらで、統一性があるようには思えません。

これについて、現代新書の編集者に直接聞いてみました。すると、講談社現代新書のカバーの色は、全部違うのだといいます。これは驚きました。

印象としては、10色くらいのバリエーションから、適当に振り分けてるのかなあ、くらいに思っていたのですが、全部別の色なんですね。

今のデザインになったのは、2004年10月刊行から。創刊40周年でのリニューアルで、通巻1738冊目Dobutuから変わったといいますそれ以後、月に4、5冊ペース300冊以上が刊行され、それ以前のものも、再版時には新カバーで出直しているので、数はわからないけど相当の点数が刊行されているはず。

その全部が、基本的には別の色なんですね。

 

 

で、一体どのように色が決められるのかについても聞いてみたのですが、それはデザイナーと編集者の話し合いで決まるとのこと。実際、どういう意図をもって具体的に、決められていくのかは興味があります。

例えば、福岡伸一の『生物と無生物のあいだ』は緑。これは、「生命とは何か?」の帯にあるように、生命のイメージ=植物の葉の連想なのか、それとも本の序盤で延々と語られるワシントンの自然の描写の印象なのか、どっちにせよ緑というのはわかる気がします。

あと、最近のこのブランドのヒットでいうと、橋爪大三郎と大澤真幸のこれがあります。

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

 

ウェブでは表示されませんが、これ金です。特色ですね。この2人の組み合わせだと、そりゃ金というのは、仕方がないかとw

さて、この記事は、僕の本の発売のプロモーションです。僕は10月18日に、講談社現代新書から本を出すことになりました。さて、一番気になるのが、何色になるのかという部分。どう色が決められるのかが実際に目の当たりにできるチャンスです。

この本は、タイトルどおりラーメンの本です。とはいっても、ラーメンそのもののうまい店情報とかではなく、ラーメンを通した戦後文化史、経済史みたいな内容です。本の中の小さくないテーマとして、色の問題も扱っています。ラーメン屋のイメージカラーは、80年代までは赤。中国のナショナルカラーです。それが、90年代以降、紺や黒になっていきます。これは、むしろ日本のトラディショナルカラーです。そんな話。なので、僕としてはラーメンののれんのイメージの赤、もしくは今どきのラーメン屋の感じがある濃紺辺りを想定していました。

で、実際の表紙がアマゾンに反映されました。どん。

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

 

アマゾンの写真で見ると、少しオレンジががかって見えるかな。実物は、もう少し黄色に近い感じかもしれません。

で、なぜこの色なのか。僕は、その理由を聞いてちょっと感動しました。

Ramentoaikoku
そう、チキンラーメンのパッケージカラーなんですね。

本の中で、もっとも重要な存在として登場させているのが、日清食品の創業者、安藤百福であり、彼の発明したチキンラーメンを、これまでとは違った評価の仕方で取り上げています。具体的には、チキンラーメンの生産の手法、宣伝の手法は、日本版マスプロダクツ、マス広告のプロトタイプだったということ。そして、チキンラーメンを通して日本の流通の変革、メディア状況の変化、そして日本人の農村から都市へというライフスタイルの変化に伴う食生活の変化を語ることができるというのが、本書の骨格のひとつとなっています。あと、日本人のものづくりという思想の変化も、この製品には現れていました。

そんな本の具体的内容から、チキンラーメンのパッケージカラーを表紙に配すというアイデアにつながったというわけです。手に取った読者の大半は、本のカバーの色と内容が関係しているなんて、つゆとも思わないかも知れません。でも、そこには一冊一冊に配色を巡る物語がある。改めて本作りのおもしろさというか、編集やデザインの奥深さについて考えさせられました。

というわけで、この本をぜひチキンラーメンと並べてみてください。書店員のみなさまは、ぜひチキンラーメンと並べて本書の陳列を!

発売日は2011年10月18日。著者3年半ぶりの著作です。書店員のみなさま、ブログの読者のみなさま。なにとぞよろしくお願いします。

 

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2011年8 月11日 (木)

大人になって見直してみた『マイアミ・バイス』前編 このエントリーをはてなブックマークに追加

中学生時代に最も好きだった80年代の刑事ドラマ『マイアミ・バイス』がDVDボックス化したので手に入れ、ここ数年かけて観てるんだけど、現代の目線で見直してみると、改めて見えてくる部分も多い。90年代以降のアメリカを予言していた部分なんかもある。昨年『bootleg』の黒人特集に書いた記事を一部書き加えてアップする。

■コンセプトは「MTV COPS」

『マイアミ・バイス』は白人のソニー、黒人のリコのコンビが主人公。いわゆるバディ(コンビ)ものの刑事ドラマである。フィリップ・マイケル・トーマスが演じる、黒人刑事リカルド(リコ)・タブスは、元々ニューヨークの強盗課の刑事。このドラマのパイロット版は、そのニューヨークから始まる。リコは、路上に止めた車のなかで麻薬組織のボス、カルデロンを見張っている。すると、通りがかりの黒人のチンピラたちに絡まれる。彼らに向けて吐いたタブスの最初の台詞は「ビート・イット! パンクス!」(「失せろ」と字幕)である。チンピラたちは「マイケル・ジャクソンかよ」、とあざ笑う。ドラマのスタートは1984年。前々年末に発売されたマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』はまだ大ヒット中だった。このドラマの元々のコンセプトは『MTV COPS』だった。かっこいいロックミュージックが流れる中で、カーチェイスや銃撃戦が行われる都会派の刑事ドラマ。このコンセプトが半分以上生きたまま、ドラマはスタートしたのだ。

さて、刑事だった兄を殺されたリコは、復讐のためにカルデロンを追いかけてマイアミにやってくる。そして、ソニーたちマイアミの刑事たちと合流し、カルデロンの本拠地に迫る。刑事ではなかったリコは、この地で刑事として新しい仲間たちと一緒に働くことになる。

■『夜の大捜査線』の時代から『コスビー・ショー』の時代へ

北部の黒人刑事が南部にやってくるというモチーフの映画に『夜の大捜査線』がある。大都会シカゴからやって来た理知的で都会的な黒人刑事をシドニー・ポワチエが演じ、覆面をかぶった黒人差別者集団のKKK団が暗躍するミシシッピ州の田舎町で警察署の署長をロッド・スタイガーが演じる。両者が協力して捜査に当たっているうちに、偏見が解けちょっとした信頼関係が芽生えていく。この映画の構図は『マイアミ・バイス』のパイロット版のモチーフの一部になっている。

ただし、黒人の公民権運動の最盛期の1967年に作られた『夜の大捜査線』と、その17年後に作られた『マイアミ・バイス』では、黒人のポジションというものがまったく変わっている。『マイアミ・バイス』が始まった80年代中頃は、黒人イメージの急速な変化が訪れていた頃で、それは当時のポップスターやテレビドラマにも色濃く反映されていた。

マイケル・ジャクソンがナンバーワンのスターになったのもその変化のひとつだが、それ以上に大きかったのは、『コスビー・ショー』(1984~1992年)の存在である。『コスピー・ショー』は、毎回50パーセント台の視聴率を稼いでいたホームドラマで、80年代版の『パパは何でも知っている』とでもいうべき、アッパーミドルの家庭生活を描いたシチュエーションコメディドラマだ。父は医者、母は弁護士。5人の子供。ただし、この主役家族は黒人である。

このドラマの登場家族が黒人でなくてはならない理由は特にない。白人のアッパーミドルで十分成立する。むしろ、このドラマが放映された当時は、現実の黒人が置かれた状況、つまり貧困にあえぐ人たちをないがしろにしているのではないかという批判が起きたという。アメリカ文化に詳しい奥出直人氏は著書『アメリカン・ポップ・エステティクス』の中で「アメリカで黒人であることが、人種差別によって傷ついた病的な存在であるわけではないことを、コスビー・ショウのなかの新しい黒人イメージは穏やかに伝えようとする」と触れている。このドラマには、黒人の中産階級(富裕層)がアメリカ社会にふつうに台頭しつつある現実を反映するという意図があったのだ。

同じように、ソニーとリコの2人の刑事が人種の壁を乗り越えるというような『夜の大捜査線』で見られるような描写は、『マイアミ・バイス』には一切存在しない。むしろ、『マイアミ・バイス』というドラマをひとことで乱暴に現すなら、白人と黒人が組んでヒスパニックをやっつけるドラマということになるだろう。だが、そう言い切るためには、このドラマの舞台であるマイアミという都市の地政学的な位置、そしてこの街の特殊な人種構成についての説明が必要だろう。

■アールデコの都市とベルサーチ

ひとくちにマイアミといっても、マイアミ市とマイアミ沖合に浮かぶ細長い砂地の島のマイアミ・ビーチ市の両方を指して呼ぶ場合が多い。このマイアミ・ビーチ市は、『マイアミ・バイス』のオープニングの映像でも映されているが、人工的につくり出されたリゾート都市という極めて興味深い存在である。しかも、リゾート地としては、ハワイやラスベガスなどよりも半世紀以上も早くから存在している。

マイアミのリゾート開発が始まったのは19世紀末。東部からマイアミまで鉄道が敷かれ、ビスケイン湾に浮かぶ小さな島は、ココナッツ、アボカド、マンゴーなど砂地を利用した農園としての開発が進んでいた。だが、20世紀初頭からはリゾート地としての開発に切り替わる。マイアミと小さな島の間に橋を架ける「マイアミビーチ改良会社」が作られ、さらに、自動車のヘッドライトを発明し製造販売で成功したカール・フィッシャーがマイアミにやってきて、マングローブ・ジャングルだったこの島を埋め立てたり、島同士を橋で結ぶなどの開発を行なったのだ。この土地は、リゾート地として販売され、数多くのリゾートホテルを誘致した。かつて無人島だったこの島は、1915年にマイアミ・ビーチ市に昇格したのだ。

ドン・ジョンソン演じるソニー・クロケット刑事のファッションは、この町並みのカラーリングに合わせてパステル調に決まった。1930年代にリゾート地として有名になったマイアミに建築ブームが訪れたときに、マイアミの町並みはパステル調に塗られたのだ。当時は、世界恐慌語の不況時。打ちひしがれた国民の気分を高揚し、回復を図るためのカラーリングだったという。いまでもこのアール・デコの建物の多い地区は、観光資源として手厚く保護されている。

ちなみに、このソニー刑事の衣装は、ジャンニ・ベルサーチが担当した。「女性を性的玩具として」表現するという意図の下、高級売春婦の着るようなドレスをデザインしてフェミニストたちに非難されたベルサーチは、まさにこのドラマにうってつけの存在だった。

ゲイで社交好きなヴェルサーチは、マイアミビーチに自宅を持ち、有名人やモデルたちを集めてのパーティに明け暮れていた。この家を購入したのは、『マイアミ・バイス』の仕事がきっかけだった。常にマフィアとのつながりが噂され、常にボディガードを連れ、防弾ガラスが貼られた高級車に乗っていた。まさに『マイアミバイス』の登場人物のような生活である。そして、1997年に美貌のゲイの連続殺人犯に、マイアミの自宅前で射殺された。

■リゾート地としてのマイアミの変化

話をマイアミの街の話に戻す。古くからリゾート地だったマイアミの最初の大きな変化は、1950年代末に訪れる。1959年に、マイアミの目と鼻の先にあるキューバで革命が起こる。すると、この地にキューバからの亡命者が流れ込んできた。そこには、カストロの共産主義体制に反対する富裕層、ゲイの作家やスポーツ選手、ミュージシャンなどが多く含まれていたという。

リゾート地としてのマイアミは、この頃から一旦価値を失い始めていった。1959年にハワイが50番目の州に昇格すると、一大ハワイブームがアメリカを襲い、リゾート=南国の島ハワイというイメージが定着。70年代にはカジノとして大発展を遂げたラスベガスに人気が集まった。こうした中で、マイアミは、中南米からの移民の流入、麻薬取引の増加などによって、アメリカでも有数の犯罪都市へと変貌していった。

そんなマイアミに再び転機が訪れるのは1980年のこと。キューバのマリエル港の解放という出来事によってもたらされた。カストロはこの年の4月から半年間に渡ってマリエル湾を解放する。この期間に限り、自国からからアメリカへの亡命を黙認したのだ。この際、カストロは、刑務所から犯罪者たちを解放したという。それ以外にも、このマリエル港解放には、精神病患者や同性愛者たちを、国外に追いやるという意図があったとも言われている。

アル・パチーノが主演した映画『スカー・フェイス』(1983年ン)は、1930年代のギャング映画『暗黒街の顔役』のリメイクだが、主役のアル・パチーノ演じるトニー・モンタナはイタリア系マフィアではなく、キューバ人に脚色されていた。この主人公は、まさにこのマリエル港解放の折にアメリカにやってきた移民で、アメリカで麻薬王として成り上がっていくという話である。

移民問題、貧困問題、犯罪問題。こうした90年代のアメリカの問題において、中心的な存在となるのは、黒人ではなくヒスパニックである。アメリカの中南米に接する南の玄関口であるマイアミは、他の北米の都市に比べると、極端に南米からの移民=ヒスパニックの人口構成比が高かった。アメリカのマイノリティーの最大派閥が黒人からヒスパニックに変わったのは、米全体で見れば2000年前後のことだが、フロリダでは、すでに80年代からヒスパニックが黒人よりも多数派になっていたのだ。

80年代のマイアミは、その後のアメリカの人種問題の変化を、先取りしていたのである。この街では黒人はもはや敵ではなく、ヒスパニックの台頭に対抗して共闘する相手になったのだ。これは、パナマ侵攻や湾岸戦争といった戦争において、ジョージ・ブッシュ(父)がともに戦うパートナーとして、黒人であるコリン・パウエルを統合参謀本部議長に据えたのと同じ構図とも言えるかもしれない。『マイアミ・バイス』のソニーとリコのコンビは、その後のアメリカの政治状況を的確に先取りしていたのだ。(後編に続くよ)

 

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2011年7 月 1日 (金)

女子会の原風景とビールと森高千里 このエントリーをはてなブックマークに追加

去年辺りから居酒屋が「女子会プラン」の提案がヒットするようになり、それ以降ホテルや旅行会社など他分野もこのマーケットに参入するようになっている。日経MJを読んでいると、「ポスト女子会プラン」的なサービスプランの記事は、クールビズ関連、ジョギング関連のサービス同様よく目にする。

 

飲もう 今日はとことん盛り上がろう
聞かせてよ 彼との出会い
遠慮せず 飲もう 今日はとことん付き合うわよ
私もさ 好きだったんだから
(『気分爽快』作詞:森高千里) 

という森高千里の『気分爽快』(`94年)は、題名どおりさわやかな曲調で、当時通信カラオケが登場して間もない時代のカラオケボックスにて、OL同志で憂さ晴らしに歌われる際の定番曲になっていた。

この曲のシチュエーションを説明すると、同じ男を好きになった女同士。その2人は友だち同士でもある。主人公はその男にふられたようだが、その友だ ちは男を見事に射止め、明日はその男とデートだという。 同じ男を奪い合ったにもかかわらず、この2人の友情は崩れない。それどころか2人でビールを片手に乾杯をしている。主人公は「不思議だね 気分爽快だよ ♪」と精一杯強がってさばけたところをみせる。そして、とことんそいつの話で盛り上がろうというのだ。この2人は、恋より互いの友情を優先する間柄なの だ。

この曲は上の動画でもわかるようにCMタイアップ曲。まさにその商品に合わせて歌詞が書かれているからビールなのだ。

この曲は、`94年にアサヒビールがスーパードライに次ぐ若者向け定番銘柄として発売した“Z”のCMソングだった。かつて、スーパードライのCM では国際ジャーナリストの落合信彦を起用し、“世界を飛び回る男の辛口ビール”というイメージと商品を結びつけることに成功した。この新ブランドは、日本 一のビールブランドとして定着する。

続く“Z”でアサヒは、居酒屋でビールを酌み交わす女の友情物語を歌にして、女同士でビールという新たな消費の在り方を提案したのだ。当時、飽和と 言われていたビール市場に新しい消費層を拡大する必要があった。そこで、ビール=男の飲みものというイメージを払拭し、若い女性層をビールのユーザーに仕 立て上げようという掘り下げをアサヒビールは行なう。それが、この森高の歌であり、それを使ったCMだった。

今となっては陳腐に見えるかもしれないけど、実は学生くらいの若者同士がビールを飲んで盛り上がる光景というのだって、せいぜい80年代くらいに生 まれた習慣でしかない。それを若い女性層にまで浸透させようというのは、結構大胆な目論見だったように記憶している。少なくとも現代から想像する以上に は。

一方、この当時は第二次居酒屋ブームと呼ばれ、和民のような女性客を取り込もうと、フードメニューに力を入れる居酒屋がやっと出てきた時期でもあった。つまり業界全体で女性をターゲットにし始めていたのである。

いまでは当たり前の女子会的光景とは、このころにようやくビール会社の発想として登場してきたものであり、定着するまでには結構な時間がかかったように思う。

それが当たり前になったという功績の一端は、この歌を歌った森高にある。当時のカラオケでこの曲が歌われる機会は多かったし、少なくとも女の子と ビールを結びつけた功績の一端は森高にある。 だが、メーカーとしては肝心の新製品「アサヒZ」はドライに次ぐアサヒの定番ビールブランドとしては定着しなかった。3年後に生産中止になる。

新しい消費層と「女子会」へとつながる新たなライフスタイルの発掘には成功したが、個別商品の魅力訴求には失敗したのである。アーメン。

 

2011年4 月15日 (金)

人口減少社会の赤ちゃんソング このエントリーをはてなブックマークに追加

国土交通省が「国土の長期展望」という報告において、2050年までに日本の総人口が、現在の25パーセントに減る可能性を指摘した。この国の将来を考える上で、人口減は避けては通れない障壁だ。

2年ほど前に妊娠ヌード写真を発表して話題を集めたhitomiが、やはり2年ぶりとなるシングル『生まれてくれてありがとう』を発表した。題名通り、生まれた赤ちゃんに感謝する歌である。

あなたが笑うと 幸せになる あなたが泣くと 悲しくなるの
いつもオロオロ だめなママごめんね ごめんね こんなママ
サンキュー マイベイビー サンキュー マイベイビー
生まれてくれてありがとう

あなたの未来は日本の未来 あなたの未来は世界の未来
愛するあなたにもう一度

赤ちゃんソングと言えば、ミリオンセラーを記録した1963年の梓みちよ『こんにちは赤ちゃん』があった。あれから半世紀が経っても、母親になること、赤ちゃんが生まれることの喜びは変わらないだろう。その感触は、歌の歌詞からも伝わってくる。だが、生まれる赤ちゃんが置かれた位置には少し変化が生じたかも知れない。

まだまだ日本の総人口は急速に伸び、高度経済成長期ど真ん中の時代に歌われた『こんにちは赤ちゃん』では、「こんにちは 赤ちゃん あなたの未来に♪」と、赤ちゃん自らの未来が祝福されているが、hitomiの『生まれてくれてありがとう』では、「あなたの未来は日本の未来♪」と、赤ちゃんの側に日本という国家の未来が託されるているのだ。

伊藤計劃の『ハーモニー』という小説がある。その舞台は、人口減の末、子どもを極端に大事にするようになった未来の社会だ。子どもは社会のリソース(公的資産)であり、科学技術によって怪我や病気から守られ、自殺も許されない。人口が急速な減少期に入り、極端な少子化が過剰保護、過剰監視の社会を生み、子育てが母親から取り上げられ、社会が引き受けることになる。オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』などでは、赤ちゃんがオートメーション化で大量生産されるため、子育てと教育は社会が行うものになっていたが、それとは正反対の理由によって子育てが社会化された世界。

社会が子育てを引き受ける状態というのは、福祉国家の目指す正しい道だが、それが行き過ぎるとSF的なディストピアになる。hitomiの『生まれてくれてありがとう』は、ほんのちょっとではあるが、そっちの方向に半歩踏み出している感がある。

一時は過去の人となっていたhitomiだが、妊婦となり、さらに母となることで、その立ち位置とターゲットをシフトしていくことで復活を遂げつつある。その背景には、ちょっとした人口減少社会の価値観の変化を見事に見いだし、マーケティングの舵取りを行った跡が見える気がする。ほぼ間違いない。米軍情報。

 

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2010年12 月25日 (土)

「ショッピングモーライゼーション」ブックガイド15 このエントリーをはてなブックマークに追加

思想地図β vol.1
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好評発売中「思想地図β」のショッピングモール特集の中で、「ショッピングモーライゼーション」という造語を用いてショッピングモールに近似する現代の都市の姿を表す論考を書き、商業、都市計画、交通の3つを横断した二〇世紀の年表をつくりました。 論考や年表をつくるのに必要とした資料、参照した本、趣味で読んだけど関係している本などもまとめておきたいと思います。
創造の狂気 ウォルト・ディズニー
ニール・ガブラー
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↑論考の冒頭で取り上げた、ウォルト・ディズニーの都市計画への興味、テーマパークとしての「EPCOT」ではなく、ウォルトの実際の都市計画を取り上げている。論考には写真が使えなかったけど、この写真はとても入れたかったもの。

 

Epcotcutaway

ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)
ヴァルター ベンヤミン
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↑一九世紀のパリの町並みの変化とパサージュ(アーケード)の誕生に触れたエッセイが掲載。

 

消費社会の神話と構造 普及版
ジャン ボードリヤール
紀伊國屋書店
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↑1970年の本。当時ベルサイユ近郊に出来たショッピングモールについて触れている。ボードリヤールは、ショッピングモールを「都市全体に広がったドラッグストア」と称した。

 

百貨店の博物史
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海野 弘
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↑一九世紀に生まれた百貨店を博物的に扱っている。

 

覇者の驕り―自動車・男たちの産業史〈上〉 (新潮文庫)

 

ディビット ハルバースタム
新潮社
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覇者の驕り―自動車・男たちの産業史〈下〉 (新潮文庫)
ディビッド ハルバースタム
新潮社
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↑T型フォードの大量生産“フォーディズム”から、日本の自動車産業の発展・労働闘争、生産管理の技術、自動車産業に陰りが見える70年代の米中西部の内幕など、幅広く自動車産業の歴史を追ったとにかくおもしろい本。僕は個人的にはハルバースタム風に、商業技術とショッピングモールの歴史についてドキュメントを書いてみたいと思う。

 

サバービアの憂鬱―アメリカン・ファミリーの光と影
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大場 正明
東京書籍
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↑アメリカのサバービアとその文化について書かれた抜群におもしろい本。ネットで全文読めるが、本は入手困難。文化論としてのショッピングモールは、今回あまり触れられなかったが、この本のような手つきでショッピングモールが登場する映画などに触れていく本とか誰か書かないかな。ちなみに、この本で、ショッピングセンターとショッピングモールの定義の違いが語られてますが、今回僕は採用しませんでした。

 

America's Marketplace: The History of Shopping Centers
Nancy E. Cohen
Intl Council Shopping Centers
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↑アメリカでは、ショッピングセンターの歴史の本はちゃんと刊行されています。ただ、あまり厳密な歴史を辿っているというわけではないけど。

 

ハイウェイの誘惑―ロードサイド・アメリカ (カリフォルニア・オデッセイ)
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海野 弘
グリーンアロー出版社
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↑上で取り上げた百貨店の本に引き続き、海野弘によるアメリカのハイウェイから見る郊外文化という本。インターステイトハイウェイがアメリカ文化の分岐点だったことを説いたもの。この人の仕事、目のつけどころにはとても刺激を受けます。

 

消費社会の魔術的体系 (明石ライブラリー)
ジョージ リッツア
明石書店
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↑あらゆる商業空間がショッピングモール化する現状について書いているという意味では、ドンぴしゃな一冊なんだけど、テーマ以外はつまらない本だと思いました。

 

ディズニー化する社会 (明石ライブラリー)
アラン ブライマン
明石書店
売り上げランキング: 362617

 

↑テーマパーク側からショッピングモーライゼーションを語っている一冊。

 

レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈上〉
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トーマス フリードマン
草思社

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レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈下〉
トーマス フリードマン
草思社
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↑ジャーナリストが、90年代初頭に政治と経済と技術を同時に把握し、世界を見ることの重要さに気がつき、グローバリゼーションというテーマを見つけるという興味深い一冊。この本のマクドナルド理論をアレンジし「“ショッピングモールにGAPが進出している国、及びそのサプライチェーンに組み込まれた国同士は戦争をしたからない」と書きました。

 

アメリカ大都市の死と生
ジェイン ジェイコブズ
鹿島出版会
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1961年の段階で、都市のスプロール化を批判した女性ジャーナリストの手によるもの。大定番だけど、抄訳ではないものが昨年ようやく刊行された。ネットで訳者(山形浩生)による後書きが読める

 

都市のセンター計画 (1977年)
中津原 努 ビクター・グルーエン
鹿島出版会
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↑都市計画家でショッピングモールの産みの親の1人であるビクター・グルーエンが、なぜショッピングモールの建設に血道をあげたのかがわかる貴重な本。若き日の八束はじめ氏が、実はグルーエンの翻訳に関わっていたとご本人から伺った。

2010年11 月30日 (火)

公衆電話の歌謡史 このエントリーをはてなブックマークに追加

 

あー名曲。レベッカの『ラブ イズ Cash』(`85年)は、題名のとおり「愛は現金払いで」がテーマである。「あなたの恋はまるでスマートなカードクレジットなの♪」「不安定なレートを見きわめてよ♪」(作詞:沢ちひろ・NOKKO)と歌うNOKKOは、恋愛の駆け引きを金融用語に置き換えているのがおもしろい。

歌詞はこちらを参照

その前年、マドンナは「私にキスしてもいいけど金払いの悪い男だったら嫌いよ」と、当時のレーガノミクスをシニカルに反映させた『マテリアル・ガール』を歌った。その強い影響下で作られた『ラブ イズ Cash』にも、その時代の経済状況をパロディにするという試みが行われている。`80年代はクレジットカードの顧客対象が学生にまで拡大した時代。そして1980年の外為法改正時の規制緩和によって、個人による外国為替取引の自由化がもたらされた時代である。

ただし後半の「真夜中のラブコールは コインいちまい タイムリミットの3分間♪」という歌詞が出てくると、1985年という時代が遠い過去であることにあらためて気づかせてくれる。コイン1枚で3分間というのは、もちろん公衆電話のことを指している。日本で公衆電話の設置数が最も多かったのが、まさにこの歌の前年である1984年のことだ。

当時の恋人たちが電話で会話する場所と言えば、外の公衆電話が定番だった。まだ部屋ごとに子機があるような時代ではない。プッシュホンがまだなく、黒電話が残っていた時代。電話は家族のいる居間に置かれているのが当たり前で、電話線すら伸びなかった時代である。

ちなみに、当時の公衆電話の主流はコイン式である。キャッシュレス式、つまりテレホンカードが使える機種は、1982年に登場しているが、1985年当時は、それほどは普及していなかった。そのカード式がコイン式を抜くのは1990年のこと。

やはり公衆電話が出てくる歌に、槇原敬之の『遠く遠く』(1992)がある。槇原の曲の中でも人気が高く、カバーされる機会も多い曲である。

この歌の主人公は、ふるさとから遠く離れた都会でひとり暮らしをしている。たまに届く同窓会の案内には、欠席に丸を付けて送り返す。故郷が嫌いだからではない。地元で暮らすみんなの顔を見ると、里心がついてしまうからだ。主人公は、都会で自分の夢を叶えるまでは帰らないと決意している。ミュージシャンを目指して18才で上京した、槇原自身の体験をこの歌に重ねているのだろう。

この主人公の心の支えは、友人との電話である。「いつでも帰ってくればいいと 真夜中の公衆電話で 言われたとき 笑顔になって 今までやってこれたよ♪」

彼が利用してるのは公衆電話。つまり、部屋に電話がないのだ。当時、固定電話は、ひとり暮らしの若者には少々敷居が高かった。この時代、電話を引くには、電話加入権72000円が必要だった。加入権は2005年に廃止されるが、それ以前はよく不動産屋で売買されていたものだ。

この槇原の歌が発表された1992年は、ちょうどNTTからドコモが分離独立した年。当時の携帯電話の初期費用は、固定電話よりもさらに高かった。`92年の携帯電話普及率は1.4パーセント。ごく一部のビジネス層のものでしかなかった。

1995年は、公衆電話が完全にテレホンカードが使えるものへの全機入れ替えが終了した年である。だが、この時代になるとすでに公衆電話はその役割を終えつつあった。同じ年に、初期費用数千円で利用できたPHSが登場した。一人暮らしの貧乏学生では一般電話の加入権はハードルが高くとも、このPHSなら持つことができた。槇原の『遠く遠く』から3年後のことである。『遠く遠く』は、夜中に公衆電話で長電話をした経験のある最後の世代の歌だったということになる。

さて、その後、たった数年で携帯電話(+PHS)の普及率は8割を超える。携帯全盛の現在においては、公衆電話などその存在すら気に掛けないものの代表である。現在の公衆電話の設置数は、『ラブ イズ Cash』が流行った当時の3分の1まで減ってしまった。使われる頻度はそれ以上に減っているのだろうが、緊急通報や携帯電話が持てない人々のためにも、これ以上は減らせないような規制が設けられている。

携帯が普及しきった現代では、真夜中のラブコールからはタイムリミットはなくなった。現代のラブコールのレートは、かなりお安くなっている。ソフトバンクの「スパボ一括9800円」なら、月額7~8円で話し放題である。

 

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