2013年6 月 8日 (土)

非正規雇用時代のOLソング このエントリーをはてなブックマークに追加

1990年代に活躍し、OLという特定層からの支持を受けていた歌手に広瀬香美と古内東子という2人のシンガーソングライターが存在します。広瀬香美、古内東子の代表曲の歌詞をのぞき見すると、同じOLでもそのメンタリティは違うのがわかります。その違いを、90年代のどこかで起こった、労働環境の変化の痕跡が見えるような気がします。


  勇気と愛が世界を救う 絶対いつか出会えるはずなの
  沈む夕日に淋しく一人 こぶし握りしめる私
  週二日 しかもフレックス 相手はどこにでもいるんだから
  今夜飲み会 期待している 友達の友達に
  『ロマンスの神様』作詞:広瀬香美

 スキー用品のCMソングとして大ヒットした『ロマンスの神様』(1992年)ですが、ここで歌われているのはOLの合コンでした。
  週40時間という労働時間目標が明記され、さらに変形労働時間制=フレックスタイムが導入されたのは、1987年の労働基準法改正が最初でした。
 つまりは、平日は9時間、土曜日は半ドンで午前中だけ働くという戦後以来のサラリーマンの労働時間の基準がここで変わったのです。
 これらが導入された背景には、日本の長時間労働が不公平競争を生んでいるという諸外国の批判があり、欧米標準に倣うという趣旨のもとで週休二日制、フレックスタイム制が導入されていったのです。
 実際にこれらが定着するまでには時間はかかりました。`80年代半ばには大企業が先導する形で週休二日制を普及させていきましたが、この歌がつくられた1992年には、国家公務員にまで完全週休二日制が導入されました。

  Boy Meets Girl 土曜日 遊園地 一年たったらハネムーン
  Fall In Love ロマンスの神様 感謝しています
  Boy Meets Girl いつまでも ずっとこの気持ちを忘れたくない
  Fall In Love ロマンスの神様 どうもありがとう

 冒頭で期待していた友達の連れてくる男性グループとの合コンから、歌の終盤にはもうハネムーンに出かけるという、かなり強引な歌です。土曜日に遊園地にデートに出かけるという、まさに週休二日制導入以降のボーイ・ミーツ・ガールの在り方を描いています。
 この歌は、都会で働く女性への応援歌ではなく、ずばり結婚したいという、女の本音を全開にしています。

 毎日残業しながら男性と競争するような総合職を選ぶ女性とは違い、割り切ってアフターファイブを遊びに使う一般職OLを選ぶといった、不況期を元気に邁進するOL像といったところでしょうか。冒頭の「勇気と愛が世界を救う♪」なんていうハイテンションぶり、そして「神様」という言葉など、当時ちょっとブームになっていた新興宗教ののりを連想させるところでもあります。

 今の会社にすべてを投じるのではなく、お金より時間を選んだのが、『ロマンスの神様』に出てくるようなOLです。リクルートが1990年に創刊させた『ケイコとマナブ』は、習い事や資格スクールの情報を紹介する情報誌でした。いわゆる「自分磨き」というニーズを満たしたいOLがターゲットです。一方で、彼女たちは、今の仕事に満足していなくても、資格を身につけて転職した暁には、満足できる仕事をしたいという気持ちも持っていたのだと思います。

  いつも無理して笑顔つくるより
  誰かのこと想って泣ける方が好き
  かわいくいたい かわいくなりたい
  女なら誰でも愛されていたい
  『かわいくなりたい』古内東子(作詞:TOKO)


 古内東子も恋愛を題材にした歌をたくさんつくり、OL層に特に支持された歌手の一人です。『かわいくなりたい』は、96年に発表された彼女のシングル曲です。ここには、広瀬香美の恋愛しか見えないOLの実像をさらに超えた、すべてのリソースを「モテ」や「愛され」に投入するヒロインの心情が描かれています。

 作家の赤坂真理は『モテたい理由』の中で、かつて女子大生=お嬢様だった70年代後半に女子大生雑誌として創刊された『JJ』が、いまは「女子大生から若年事務職OLまでを統括した“あるメンタリティ”の雑誌」になったのだと指摘しています。

 その「あるメンタリティ」とは「女だてら」の出世などという困難な道を選ぶより、モテや愛されを追求し、経済力のある男性との結婚のほうが効率のいい成功であるという考え方のことです。つまり、それが「愛され」「モテ」を生み出したと彼女は言います。

「合理主義」は、バブル崩壊後の日本の企業社会全体が向かった道で会っただけではなくて、女性ファッション誌にまで行き渡った価値観です。

「愛され」「モテ」にの裏側には、OLの一般職から非正規雇用への転換があった。そんな社会になって気がついたのは、『ロマンスの神様』のOLたちのように、アフターファイブに全力投入するようなOL像とは、安定雇用の上に乗っかったものだったという事実でした。

  新しい服も伸ばしている髪も
   すべては大切なあの人のため
  きれいでいたい きれいになりたい
  女なら誰でも愛されていたい

 「あの人のため」といいながら、ここでの「きれいになりたい」、「愛されていたい」という競争における敵とは、つまり女性です。男性原理で動く会社での競争から降り、「モテ」や「愛され」に向かった女性たちも、また新たに「愛され」るための競争社会に飛び込んだに過ぎないのです。その辺の切実さは、実は広瀬香美のかなりぶっちゃけた歌でも覆い隠されていた真実と言えるでしょう。

ああ、でもどっちも名曲だなあ。

*このテキストは『別冊文藝春秋2013.3』に書いた『量産型ロマンスで抱きしめて!』で書いたものから一部抜粋したものです。オリジナル版には、ユーミンや今井美樹、宇多田ヒカルなどの話も書いています。

モテたい理由 (講談社現代新書)
赤坂 真理
講談社
売り上げランキング: 324,927

2012年1 月13日 (金)

日本の縮図としてみる箱根駅伝(のCM) このエントリーをはてなブックマークに追加

ほんと、皆好きだよね箱根駅伝。僕も実はここ数年欠かさず見るようになっている。箱根駅伝は、この国の新年のイベントで最も重要なもののひとつだ。

K-1にJリーグ、そしてプロ野球と相撲まで、長い歴史を持つさまざまなスポーツ中継の視聴率がふるわず、地上波の枠からずり落ちていく中で、圧倒的な強さを持って箱根駅伝は放送される。2日の往路で27.9%、3日の復路が28.5%。これは正月三箇日の全テレビ番組でトップの数字。

有名でもない大学生が箱根までの道を走るだけのレースになぜ? と思うが箱根駅伝は、日本社会の構造そのものだ。厳然と残る企業や官庁、公務員の学閥。また、一流大学の牙城に二流大、新興勢力が切り込もうとする図も、現実の企業社会の光景でもある(で、無力感に苛まれたり)。体育会系出身者たちが学生時代の先輩後輩を巡って仕事を取ってくることで成り立つ営業。箱根の山を競うレースに、日本の企業社会の縮図が編み込まれている。そうした日本社会の文脈が刻み込まれているイベントなので、ある程度それを共有する階層にしか楽しめないだろう。海外には輸出不可能なハイコンテクストコンテンツだ。

パチンコやケータイゲームのスポンサーしか入らない格闘技の中継なんかと違って、箱根駅伝のスポンサーは超豪華だ。ある程度、高い階層の視聴者層を見込めるので、引く手あまただろう。駅伝が日本の企業社会の縮図なら、箱根駅伝のCMは日本経済の縮図である。

メインスポンサーはサッポロビール。あと、トヨタやホンダといった自動車メーカーが続くが、中でも圧倒的に目につくのがマンションデベロッパー各社のCMである。三菱地所レジデンス、三井不動産レジデンス、野村不動産、明和地所、ゴールドクレスト、大和ハウス……etc。

個々のCMに目を配ると、最もわかりやすくゴージャス感を売りにしているのが、野村不動産のプラウドのCMだ。

Proud

ロケ地はマリーアントワネットやナポレオンも使用した「フォンテーヌブロー宮殿」。世界遺産だそうだ。BGMは、ガーシュインの『Someone To Watch Over Me』を平原綾香がスキャットで歌う。このご時世に、これだけ贅沢を尽くす趣旨のCMが作られるのはむしろ爽快だ。

一方、外観のゴージャスではなく、生活のぜいたくさをアピールするのが三菱地所である。CMソングは、竹内まりやのヒット曲『家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)』。

Mitubisi

恋するには遅すぎると 言われる私でも 遠いあの日に 迷い込みたい気分になるのよ♪



CMはこちら→ http://www.mecsumai.com/cm

このCM及びCMソングからは、彼らが商品を売りたいと考えているターゲット層が見えてくる。この歌の主人公は、すでに恋する年齢を超えているのだという。つまり既婚者。子育ても一段落し、生活が落ち着いた主婦を題材にした歌だ。ちなみにこの曲は、20年前のヒット曲だ。これを作った当時の竹内まりやは30代半ば。

『家に帰ろう』と歌うこの歌の主人公家族が住む“家”は、多分、一軒家なのだろう。子どもができて郊外の広めの家に引っ越したのだ。もちろん、35年ローンで購入したのである。

あれから20年。竹内まりやも今年で57才である。

さて、30代半ばだった歌の主人公の主婦も、同じくもう60才に近づいている。ローンも繰り上げ返済でそろそろ返し終えている頃だろう。子どももとっくに独り立ちしている。そろそろ老後の暮らしをどうするかに思いを巡らす年代だ。老後の生活は、都心のマンション暮らしが便利かな、なんて。

そんな人々が、どれだけいるのかはわからないが、このCMが狙うターゲット層は、そんな人々だろう。そこを見据えて、いまこの歌をCMソングに採用したのだろう。

実際うちの親なんかは、このCMのターゲットでもおかしくない状況を迎えているし、それを消費してもおかしくない社会階層といっていい。

正月のCMからそんなことが突きつけられた。この国の金融資産の約8割を、50代以上が保有しているのだから仕方ない。箱根を必死の形相で駆けていく若者たちと、高齢者をターゲットにしたゴージャスなマンションのCM群。この国の縮図がまさに箱根駅伝には詰め込まれているのだ。



2011年7 月 1日 (金)

女子会の原風景とビールと森高千里 このエントリーをはてなブックマークに追加

去年辺りから居酒屋が「女子会プラン」の提案がヒットするようになり、それ以降ホテルや旅行会社など他分野もこのマーケットに参入するようになっている。日経MJを読んでいると、「ポスト女子会プラン」的なサービスプランの記事は、クールビズ関連、ジョギング関連のサービス同様よく目にする。

 

飲もう 今日はとことん盛り上がろう
聞かせてよ 彼との出会い
遠慮せず 飲もう 今日はとことん付き合うわよ
私もさ 好きだったんだから
(『気分爽快』作詞:森高千里) 

という森高千里の『気分爽快』(`94年)は、題名どおりさわやかな曲調で、当時通信カラオケが登場して間もない時代のカラオケボックスにて、OL同志で憂さ晴らしに歌われる際の定番曲になっていた。

この曲のシチュエーションを説明すると、同じ男を好きになった女同士。その2人は友だち同士でもある。主人公はその男にふられたようだが、その友だ ちは男を見事に射止め、明日はその男とデートだという。 同じ男を奪い合ったにもかかわらず、この2人の友情は崩れない。それどころか2人でビールを片手に乾杯をしている。主人公は「不思議だね 気分爽快だよ ♪」と精一杯強がってさばけたところをみせる。そして、とことんそいつの話で盛り上がろうというのだ。この2人は、恋より互いの友情を優先する間柄なの だ。

この曲は上の動画でもわかるようにCMタイアップ曲。まさにその商品に合わせて歌詞が書かれているからビールなのだ。

この曲は、`94年にアサヒビールがスーパードライに次ぐ若者向け定番銘柄として発売した“Z”のCMソングだった。かつて、スーパードライのCM では国際ジャーナリストの落合信彦を起用し、“世界を飛び回る男の辛口ビール”というイメージと商品を結びつけることに成功した。この新ブランドは、日本 一のビールブランドとして定着する。

続く“Z”でアサヒは、居酒屋でビールを酌み交わす女の友情物語を歌にして、女同士でビールという新たな消費の在り方を提案したのだ。当時、飽和と 言われていたビール市場に新しい消費層を拡大する必要があった。そこで、ビール=男の飲みものというイメージを払拭し、若い女性層をビールのユーザーに仕 立て上げようという掘り下げをアサヒビールは行なう。それが、この森高の歌であり、それを使ったCMだった。

今となっては陳腐に見えるかもしれないけど、実は学生くらいの若者同士がビールを飲んで盛り上がる光景というのだって、せいぜい80年代くらいに生 まれた習慣でしかない。それを若い女性層にまで浸透させようというのは、結構大胆な目論見だったように記憶している。少なくとも現代から想像する以上に は。

一方、この当時は第二次居酒屋ブームと呼ばれ、和民のような女性客を取り込もうと、フードメニューに力を入れる居酒屋がやっと出てきた時期でもあった。つまり業界全体で女性をターゲットにし始めていたのである。

いまでは当たり前の女子会的光景とは、このころにようやくビール会社の発想として登場してきたものであり、定着するまでには結構な時間がかかったように思う。

それが当たり前になったという功績の一端は、この歌を歌った森高にある。当時のカラオケでこの曲が歌われる機会は多かったし、少なくとも女の子と ビールを結びつけた功績の一端は森高にある。 だが、メーカーとしては肝心の新製品「アサヒZ」はドライに次ぐアサヒの定番ビールブランドとしては定着しなかった。3年後に生産中止になる。

新しい消費層と「女子会」へとつながる新たなライフスタイルの発掘には成功したが、個別商品の魅力訴求には失敗したのである。アーメン。

 

2011年6 月 2日 (木)

渋谷公園通りルックバック・エイティーズ&ナインティーズ このエントリーをはてなブックマークに追加

渋谷駅を降りて、NHK、代々木公園方面へ登る坂道が「公園通り」と呼ばれるようになったのは1970年代のこと。`73年に渋谷パルコがオープンし、その時の広告で使われた「すれちがう人が美しい ~渋谷公園通り~」というキャッチコピーを受けた地元商店街が、以後この通りの通称を公園通りに変えたのだ。

渋谷が若者の街というイメージを帯びるようになったのも、基本的にはこの頃以降である。とはいえ、公園通りが渋谷においても特別な場所だったのは、1980年代まで。その当時の公園通りを歌った歌に、堀ちえみの『公園通りの日曜日』(1982年)がある。

 

一人歩いてた公園通りで やけに見慣れてる赤いトレーナー
彼だと気付くまで 5分もかかった
かわいい人ね 手をつないで話してたから

日曜日。公園通りを歩いていた主人公の少女は、見慣れた赤いトレーナーを着た男の姿を見つける。その彼とは今日デートする予定だったが、前の晩、彼からの電話でキャンセルされたばかり。なんと男には本命の彼女がいたのである。自分は恋人と思いこんでいたが、実は妹的な存在にしか見られていなかったということにようやく気づく悲しい恋の歌だ。

トレーナーという言い方が時代を当時の空気を現している。80年代と言えばトレーナーである。スウェットでもリバースウィーブでもない。トレーナー。しかも袖とかだぶだぶしてるやつ。80年代を代表するブランドとして、セーラーズの名前を挙げることができる。おニャン子クラブを始め、芸能人御用達のブランドである。  セーラーズのメイン売れ筋商品もトレーナーだった。そして、セーラーズのショップも、公園通りの脇道にあった。
Sailors

この堀ちえみの曲の作詞作曲を手がけたのは、竹内まりやである。竹内まりやは、この15年後の1997年に広末涼子のデビュー曲『MajiでKoiする5秒前』でも、渋谷を舞台にして少女の初デートを描いている。
 

ボーダーのTシャツの 裾からのぞくおへそ
しかめ顔のママの背中 すり抜けてやって来た
渋谷はちょっと苦手 初めての待ち合わせ
人並みをかきわけながら すべり込んだ5分前

80年代がトレーナーなら、90年代はTシャツと言うことになる。正しい変遷である。

若者の街としての渋谷の中心が公園通りだったのは、1970年代末~1980年代までのこと。そのあとに登場する「コギャル世代」にとっての渋谷と言えば、センター街である。ランドマークで見るなら、パルコから109へということになるだろうか。しかしこの広末の歌にも公園通りが登場する。

「さりげなく腕をからめて 公園通りを歩く♪」

おそらく、この歌の主人公の少女は、ちょっとだけ大人を気取って公園通りを選んでみたのだろう。さっきまでプリクラを撮っていた女の子が、急に腕をからめるというのは、そういう表現であるような気がする。

そして、この広末の歌から気がつけば、15年近い歳月が経った。いまの渋谷の中心は、どこだろう。東急本店向かいのフォーエバー21が目立つか。そして、その少し裏には高相通り。そう、もはや渋谷と言えば公園通りでもセンター街でもなく、高相通り(at 職質)である。
そうそう、今春もボーダーが流行ってるね。

 

2011年4 月15日 (金)

人口減少社会の赤ちゃんソング このエントリーをはてなブックマークに追加

国土交通省が「国土の長期展望」という報告において、2050年までに日本の総人口が、現在の25パーセントに減る可能性を指摘した。この国の将来を考える上で、人口減は避けては通れない障壁だ。

2年ほど前に妊娠ヌード写真を発表して話題を集めたhitomiが、やはり2年ぶりとなるシングル『生まれてくれてありがとう』を発表した。題名通り、生まれた赤ちゃんに感謝する歌である。

あなたが笑うと 幸せになる あなたが泣くと 悲しくなるの
いつもオロオロ だめなママごめんね ごめんね こんなママ
サンキュー マイベイビー サンキュー マイベイビー
生まれてくれてありがとう

あなたの未来は日本の未来 あなたの未来は世界の未来
愛するあなたにもう一度

赤ちゃんソングと言えば、ミリオンセラーを記録した1963年の梓みちよ『こんにちは赤ちゃん』があった。あれから半世紀が経っても、母親になること、赤ちゃんが生まれることの喜びは変わらないだろう。その感触は、歌の歌詞からも伝わってくる。だが、生まれる赤ちゃんが置かれた位置には少し変化が生じたかも知れない。

まだまだ日本の総人口は急速に伸び、高度経済成長期ど真ん中の時代に歌われた『こんにちは赤ちゃん』では、「こんにちは 赤ちゃん あなたの未来に♪」と、赤ちゃん自らの未来が祝福されているが、hitomiの『生まれてくれてありがとう』では、「あなたの未来は日本の未来♪」と、赤ちゃんの側に日本という国家の未来が託されるているのだ。

伊藤計劃の『ハーモニー』という小説がある。その舞台は、人口減の末、子どもを極端に大事にするようになった未来の社会だ。子どもは社会のリソース(公的資産)であり、科学技術によって怪我や病気から守られ、自殺も許されない。人口が急速な減少期に入り、極端な少子化が過剰保護、過剰監視の社会を生み、子育てが母親から取り上げられ、社会が引き受けることになる。オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』などでは、赤ちゃんがオートメーション化で大量生産されるため、子育てと教育は社会が行うものになっていたが、それとは正反対の理由によって子育てが社会化された世界。

社会が子育てを引き受ける状態というのは、福祉国家の目指す正しい道だが、それが行き過ぎるとSF的なディストピアになる。hitomiの『生まれてくれてありがとう』は、ほんのちょっとではあるが、そっちの方向に半歩踏み出している感がある。

一時は過去の人となっていたhitomiだが、妊婦となり、さらに母となることで、その立ち位置とターゲットをシフトしていくことで復活を遂げつつある。その背景には、ちょっとした人口減少社会の価値観の変化を見事に見いだし、マーケティングの舵取りを行った跡が見える気がする。ほぼ間違いない。米軍情報。

 

生まれてくれてありがとう/Smile World(DVD付)
hitomi
A&A (2011-02-16)
売り上げランキング: 14214

>

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)
伊藤 計劃
早川書房
売り上げランキング: 2740

2010年11 月30日 (火)

公衆電話の歌謡史 このエントリーをはてなブックマークに追加

 

あー名曲。レベッカの『ラブ イズ Cash』(`85年)は、題名のとおり「愛は現金払いで」がテーマである。「あなたの恋はまるでスマートなカードクレジットなの♪」「不安定なレートを見きわめてよ♪」(作詞:沢ちひろ・NOKKO)と歌うNOKKOは、恋愛の駆け引きを金融用語に置き換えているのがおもしろい。

歌詞はこちらを参照

その前年、マドンナは「私にキスしてもいいけど金払いの悪い男だったら嫌いよ」と、当時のレーガノミクスをシニカルに反映させた『マテリアル・ガール』を歌った。その強い影響下で作られた『ラブ イズ Cash』にも、その時代の経済状況をパロディにするという試みが行われている。`80年代はクレジットカードの顧客対象が学生にまで拡大した時代。そして1980年の外為法改正時の規制緩和によって、個人による外国為替取引の自由化がもたらされた時代である。

ただし後半の「真夜中のラブコールは コインいちまい タイムリミットの3分間♪」という歌詞が出てくると、1985年という時代が遠い過去であることにあらためて気づかせてくれる。コイン1枚で3分間というのは、もちろん公衆電話のことを指している。日本で公衆電話の設置数が最も多かったのが、まさにこの歌の前年である1984年のことだ。

当時の恋人たちが電話で会話する場所と言えば、外の公衆電話が定番だった。まだ部屋ごとに子機があるような時代ではない。プッシュホンがまだなく、黒電話が残っていた時代。電話は家族のいる居間に置かれているのが当たり前で、電話線すら伸びなかった時代である。

ちなみに、当時の公衆電話の主流はコイン式である。キャッシュレス式、つまりテレホンカードが使える機種は、1982年に登場しているが、1985年当時は、それほどは普及していなかった。そのカード式がコイン式を抜くのは1990年のこと。

やはり公衆電話が出てくる歌に、槇原敬之の『遠く遠く』(1992)がある。槇原の曲の中でも人気が高く、カバーされる機会も多い曲である。

この歌の主人公は、ふるさとから遠く離れた都会でひとり暮らしをしている。たまに届く同窓会の案内には、欠席に丸を付けて送り返す。故郷が嫌いだからではない。地元で暮らすみんなの顔を見ると、里心がついてしまうからだ。主人公は、都会で自分の夢を叶えるまでは帰らないと決意している。ミュージシャンを目指して18才で上京した、槇原自身の体験をこの歌に重ねているのだろう。

この主人公の心の支えは、友人との電話である。「いつでも帰ってくればいいと 真夜中の公衆電話で 言われたとき 笑顔になって 今までやってこれたよ♪」

彼が利用してるのは公衆電話。つまり、部屋に電話がないのだ。当時、固定電話は、ひとり暮らしの若者には少々敷居が高かった。この時代、電話を引くには、電話加入権72000円が必要だった。加入権は2005年に廃止されるが、それ以前はよく不動産屋で売買されていたものだ。

この槇原の歌が発表された1992年は、ちょうどNTTからドコモが分離独立した年。当時の携帯電話の初期費用は、固定電話よりもさらに高かった。`92年の携帯電話普及率は1.4パーセント。ごく一部のビジネス層のものでしかなかった。

1995年は、公衆電話が完全にテレホンカードが使えるものへの全機入れ替えが終了した年である。だが、この時代になるとすでに公衆電話はその役割を終えつつあった。同じ年に、初期費用数千円で利用できたPHSが登場した。一人暮らしの貧乏学生では一般電話の加入権はハードルが高くとも、このPHSなら持つことができた。槇原の『遠く遠く』から3年後のことである。『遠く遠く』は、夜中に公衆電話で長電話をした経験のある最後の世代の歌だったということになる。

さて、その後、たった数年で携帯電話(+PHS)の普及率は8割を超える。携帯全盛の現在においては、公衆電話などその存在すら気に掛けないものの代表である。現在の公衆電話の設置数は、『ラブ イズ Cash』が流行った当時の3分の1まで減ってしまった。使われる頻度はそれ以上に減っているのだろうが、緊急通報や携帯電話が持てない人々のためにも、これ以上は減らせないような規制が設けられている。

携帯が普及しきった現代では、真夜中のラブコールからはタイムリミットはなくなった。現代のラブコールのレートは、かなりお安くなっている。ソフトバンクの「スパボ一括9800円」なら、月額7~8円で話し放題である。

 

GOLDEN☆BEST REBECCA
GOLDEN☆BEST REBECCA
posted with amazlet at 10.11.30
REBECCA
ソニー・ミュージックダイレクト (2010-04-28)
売り上げランキング: 17842
SMILING~THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA
槇原敬之
ダブリューイーエー・ジャパン (1997-05-10)
売り上げランキング: 1182

2010年7 月27日 (火)

ワインレッドの心と日本のワイン消費史 このエントリーをはてなブックマークに追加

サントリーの創業者・鳥井信治郎は、当時評判が悪かったワインを日本人向けに甘味料を配合し、1907年、“赤玉ポートワイン”と命名して発売した。これが一般的な日本人のワイン消費の始まりである。

赤玉ポートワインで舌を慣らされた日本人が、味付けワインを卒業するのは、`70年のワイン輸入自由化以降のことである。とはいえ、実際に甘味果実酒の消費量をワインを抜くのは、自由化からさらに5年を経る1975年まで待たなくてはならないのだ。

その後、`80年代に入ると関税の引き下げや円高の影響もあり、輸入ワインは手軽に手に入る飲み物として定着していく。さすがにこの頃になると、甘味料で味付けされたワインを飲む日本人はほとんどいなくなっていった。

ワインが生活に馴染んでいった80年代のヒット曲に、安全地帯の『ワインレッドの心』がある。


`84年の年間チャート2位を記録するという大ヒット曲の歌詞を書いたのは井上陽水だ。安全地帯はもともと陽水のバックバンドを務めていた。言うなれば、ボブ・ディランとザ・バンドの関係である。

♪哀しそうな言葉に 酔って泣いているより ワインをあけたら
歌詞:井上陽水

過去の恋愛を忘れて、ワインを飲もうよ。ほろ苦い大人の恋の場面を描いた歌である。憂いのある玉置浩二の歌い方も、大人の恋の世界を醸し出していた。

とはいっても、実はこの曲、赤ワインを甘いソーダで割ったサントリーの商品“赤玉パンチ”のCMソングだった。赤玉ポートワインは、『赤玉スウィートワイン』として、現行の商品として売られており、そのさらにソーダ割りが“赤玉パンチ”である。

ワインが登場する大人のほろ苦い恋の歌だと思ったら、そのヒロインが飲むのは甘いソーダの入った赤ワインだったのだ。シャンパンで乾杯しようと思ったらシャンメリーだったみたいながっかり感は否めない。『ワインレッドの心』はまだワインに味付けがされていた時代の甘ったるい残余のような歌なのである。

ボジョレー・ヌーボーが大流行するのは、この曲がヒットした直後のバブル時代の真最中のことであった。日本人のワインの消費量はその後も右肩上がりに成長。そして、青田典子との熱愛が報道される玉置浩二のバブル臭さもいまだ絶好調である。

2010年5 月31日 (月)

長髪時代の終わりとパンチパーマの起源 このエントリーをはてなブックマークに追加

かつて、理容業界では若者の理髪店離れが問題になった時代があった。

それは、グループサウンズや吉田拓郎らフォーク勢が若者のアイドルとして台頭し、ヒッピー族、フーテン族が跋扈した70年前後のこと。当時の人気歌手の長髪をみんなが真似たのだ。

当時の大スターである吉田拓郎に♪僕の髪が肩までのびて♪(『結婚しようよ』)と歌われてしまっては、世の理髪店にとっては大打撃以外のなにものでもない。ほんと営業妨害。

そんな危機的状況には、業界として立ち向かう必要がある。そこで立ちあがったのが、全国理容環境衛生同業組合連合会(全理連)である。全理連は、緊急プロジェクトチームを結成する。そして、長髪ブームを終わらせようと、ロン毛に変わるファッション性の高いショートヘアスタイルの開発に乗り出したのだ。

冗談のような話だが、事実である(参考文献『ヤクザ・風俗・都市―日本近代の暗流 』朝倉喬司 )。

全理連が開発したパンチパーマは、彼らの目論見どおり若者の間で流行する。その普及にはひとりの青年が貢献した。その青年とは、『銀座NOW』出身で、`77年に『失恋レストラン』でデビューした歌手の清水健太郎だった。


Shimiken シャイで硬派なイメージで売り出されたシミケンは若者たちの新しいアイドルとなった。彼の真似をした若者は、こぞって彼の髪型を真似た短めのウェービーなヘアスタイルにしたのだ。

当時彼の髪型は「健太郎カット」と呼ばれていた。全理連は、彼をポスターのモデルとして起用し、床屋の店頭にかざられていた。そう記憶している。

この当時、僕自身はまだ小学校にも満たない子どもだったが、その後、10年ばかりは常に床屋にとっての理想ヘアスタイルがシミケンのまま更新されなかったから、その雰囲気を覚えているといった程度であるのだが。

ちなみに「健太郎カット」はいまでも「カットチャンピオンの店」と看板が掛かっているようなオールドスクールな床屋ではいまだに推奨されているような気がする。

清水健太郎=パンチパーマというイメージは強くある。だが、実は結構間違っているのではないだろうか。彼の髪型が徐々にウェーブを増していくのは確かだ。ただし、パンチパーマというわけではないように思える。ただ、本人の男前度や顔から受ける印象の問題もあり、なぜかちょっとしたウェービーヘアーが、パンチパーマという印象に変換されてしまう。

ちなみに、当時のパンチパーマとは、「ニグロパーマ」などとも呼ばれ、親しまれていた。アイパーとパンチの呼び名の違いは、道具の違いなど技術的な用件に規定されるモノのようだが、ここでは議論の対象にしない。

正確なことはわからないが、パンチパーマという髪型が暴力団組員の定番として定着したのは、そんなに古いことではないのではないか。定着したのはシミケン登場以降のような気がしている。少なくとも、`73年にシリーズがスタートした実録風やくざ映画『仁義なき戦い』のシリーズにはパンチパーマのキャラクターは1人も出てこない。

菅原文太は角刈り、小林旭はきっちり七三である。これは時代考証的なもの込みの話なのかも知れないが。

さて、『失恋レストラン』では、恋に破れ「ポッカリあいた胸の奥」を満たす「飯」を出すレストランが舞台だったやくざ=パンチパーマというイメージが定着するのは、シミケンのその後の人生と密接に結びついているのかもしれない。彼の「ポッカリあいた胸の奥」を埋めたのは飯ではない別の何かだったのだが、それは大人の事情が絡む内緒の話であった。

余談だがこのブログを書いている僕の名は速水健朗である。その字面のせいか、いまだに「シミズケンタロウさん」と病院の受付などで呼ばれることは少なくない。

2010年5 月22日 (土)

自動車とポップス~ドライバーシートと助手席の攻防を巡るアンダーステアな40年史 このエントリーをはてなブックマークに追加

アクセルふめば 恋のスピードあげてくる
握るハンドル 彼の横顔 愛のサインが浮かぶ
Go! Go! 走れ レンタカー
Go! Go! 走れ 若い二人の夢のせて

『Go! Go! レンタカー』田辺靖雄・中尾ミエ(作詞:安井かずみ)

「若い二人の夢」を乗せて走るのはレンタカー(笑)。とはいえ、この曲の発売は1966年だから、日産サニー、トヨタ・カローラという、低価格のファミリーカーが競い合って登場した、「マイカー元年」に当たる年。数年後、この二人が結婚したらきっとカローラを買い、郊外のニュータウンにマイホームを手に入れ、子どもを産む。そんなライフコースを辿るであろう、ベビーブーマー世代の青春時代が込められている。

この10年後の1976年に、発表されたのがユーミンの『中央フリーウェイ』。ハイファイセットも唄いました。


間奏のアレンジがとてもキラキラした名曲。

この歌の肝は、中央自動車道を「中央フリーウェイ」と言い換えたところ。実在の風景を、言葉と描写と音楽のアレンジによってまるで日本ではないかのように見せてしまっている。とはいえ、たしかに夜の中央自動車道は周囲も暗く、本当に夜空に続く滑走路のような風景が味わえる。結構好き。

『Go! Go! レンタカー』とは違い、この歌の二人には倦怠感も垣間見られる。あとレンタカーではなく、ちゃんと所有している車なんだろう。この歌はクルママニアの松任谷正隆と結婚前に、自宅までクルマで送ってもらっていた実体験がモデルになっているのだから。MGかアルファロメオあたりの小型オープンカーのはずだ。

緑の中を走り抜けてく真紅(まっか)なポルシェ
ひとり旅なの 私気ままにハンドル切るの

『プレイバック part2』山口百恵(歌詞:阿木耀子)

この歌がよく取り上げられたのは、男性に従属しない女、主体性を持ったヒロイン像。つまり、助手席ではなく、自分でハンドルを握り、しかもポルシェに乗る主人公という部分が言及された。

途中で巻き戻ししたりするおもしろい歌詞。

阿久悠なんかがもっとも意識的にやったのだけど、70年代の歌謡曲は男女の従属関係、権力関係が意識的に歌詞に登場した時代でもあった。だけど、80年代になるとそんな空気 も薄くなる。

次は、おニャンコクラブの自動車歌謡『国道渋滞8km』。これ超好き。名曲。アルバム収録曲で、スタンダードとは言えないけど。エンジン音のSEから始まる自動車歌謡には数あれど、これは異色。なんと渋滞を歌っている。

シチュエーションは、はじめてのドライブデート。1日ドライブしたあと、都心まで送ってもらう。つまり、ヒロインは、都心住まい。だけど、帰りに首都高で8キロの渋滞につかまる。自動車の普及数の予測という、都市計画のもっとも根本部分に不備が露呈した時代のアンセム。というわけではなく、ヒロインは渋滞のおかげで一緒にいられる時間が延びてよかったという健気な女の子。ちなみにクルマはカブリオレタイプだそうだ。

さて、90年代にドライバーシートを巡る男女の位置の入れ替えを歌ったのは小沢健二である。

彼を迎えにでかけて
もう1時間 待ちぼうけ
カローラIIはその時
私の図書館

『カローラⅡにのって』小沢健二(歌詞:佐藤雅彦・内野真澄・松平敦子)

これは1994年のカローラⅡのCM。車種のターゲット的に女性向けなので、まあ当然こういう歌詞になるのだ。

とはいえ、90年代初頭に宮沢りえがダイハツ・オプティのCMに出て以降、クルマのCMに女性が出てきて女性にアピールするCMが急速に増えていったのも事実だろう。自動車の国内新車販売台数のピークが1990年。国内市場の飽和に危機を感じた自動車業界は、新しい購買層の開拓し始めたのだ。

日本の自動車産業に大きな変化が起きたのは、この90年前後のこと。エスティマの登場にはじまるミニバン主流の時代に突入。

トヨタは、スポーツカー離れする若者を狙って新しいシティユースRVの市場を開拓する。団塊ジュニア世代の代表選手で、まだブレイクしはじめの22歳の木村拓哉を起用したRAV4がそれ。この1994年は、キムタクが『anan』の「好きな男ランキング」ではじめて1位を獲得した年でもある。
その後も木村はトヨタのCMに出演し続けることになる。ただし、車種は変わる。その後は、カローラのスポーツタイプであるカローラ・フィールダーに登場。国民的アイドルグループSMAPのフロントとして、国民車のCMに出ているという構図。

90年代末以降のポップミュージックにおける自動車の扱われ方の変化も見ておこう。

例えば、1998年に『夏色』で登場したゆずは、「♪この長い長い下り坂を 君を自転車の後ろに乗せて ブレーキいっぱい握りしめて ゆっくりゆっくり下ってく」と、自転車の歌でブレイクしている。70年代のフォークもあまり、自動車が出てこなかったし、これはジャンル特有の問題なのかもしれないが。

くるりには、『ハイウェイ』という曲があるが、この歌は「♪車の免許とってもいいかな」と、運転免許証すら未取得の主人公の歌である。まあ、くるりの岸田は電車オタクなのでしかたがないが。

とりあえず、思いつきではありますが、自動車とポップミュージックを巡る話を書き留めてみました。

2010年5 月 3日 (月)

照明器具の違いとして描かれた昭和の生活レベル このエントリーをはてなブックマークに追加

東芝ライテックは、CO2排出量の削減のため、白熱電球の製造を17日をもって中止すると発表した。今後は、消費電力の少ない電球型蛍光灯やLEDといっ た省エネ型の照明に移行する。

 同社は2008年4月に、白熱電球の生産を2010年に廃止する旨を発表。他メーカーでは2012年に製造を中止するところが多いな か、予定通り2010年に生産を中止する。 http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/news/20100317_355270.html

 2010年の3月をもって、東芝は約120年間に渡り販売してきた白熱電球の生産を中止した。そんな白熱電球は、流行歌の中に“裸電球”としていく度も登場してきた。


『大阪で生まれた女』(作詞・作曲・BORO)は、`79年の萩原健一のヒット曲。主人公は女性。大阪を愛する彼女は、大阪を離れ東京に出るんだという彼氏との別れを意識する。だが結局、彼女は男に付いていくことになる。

たどりついたら 一人の部屋 裸電球を
つけたけど 又 消して
あなたの顔を 思い出しながら
終わりかなと 思ったら 泣けてきた
大阪で生まれた女やけど
大阪の街をでよう
大阪で生まれた女やけど
あなたについてゆこうと 決めた

作詞:BORO

彼女の方針変更のきっかけは、裸電球だった。部屋でひとりきりになる寂しさを知った彼女は彼氏を追いかけて大阪を離れることを決意するのだ。


`74年にかぐや姫が歌った『赤ちょうちん』(作詞・喜多条忠)でも、「♪あのころふたりの アパートは裸電球 まぶしくて 貨物列車が 通ると揺れた ふたりに似合いの 部屋でした 覚えてますか 寒い夜 赤ちょうちんに 誘われて おでんを沢山 買いました」と、同棲カップルが暮らす部屋に“裸電球”が描かれる。


`87年に長渕剛が歌った『泣いてチンピラ』は、夢を持って上京した男が「紙コップの味噌汁」をかじる貧乏暮らしを営む歌だ。

「♪紙コップの味噌汁をかじれば 天井が笑う 裸電球 ぶら下がった部屋で
忍び泣いてる女は なお哀しくて ああ爪を噛んで 強くお前を抱きしめた」

歌謡曲における「裸電球」とは、貧乏、同棲と常にワンセットなのだ。

これら歌謡曲の世界の「裸電球「と暗に対比されているものは蛍光灯だろう。家族が一緒に生活するリビングルームを照らす明るい蛍光灯と、淋しい四畳半一間を照らす裸電球。幸せの在り方が、照明器具の違いとして暗にというか煌煌と対比されているのだ。

こうした対比の図は、現代のファミリーにはあまり適用できない。蛍光灯が灯る居間に集まる家族団らんの図とは、現代人の生活にとっての標準的な幸せとは言い難い。それどころか、そもそもいまどきのリビングは、むしろ間接照明に彩られているので、裸電球が用いられているはずだ。

白熱電球の生産を止めた東芝は、LED電球の生産にシフトした。LED電球が歌謡曲に登場するかどうか、それは微妙。

著書

about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

検索

  • 検索
     

Amazon

 
Powered by TypePad
track feed